ブリジットの物語
「悲しかったこと」
こないだ、母さんのところに寄った時のことなんだけど。
あたし、そういう時はだいたい、最新時事ニュース、ってのを一通り話すのね。だって、あそこは田舎で、放っておくと、母さんも旦那さんも、何にも知らないままなんだもの。
で、その時、あたし的にヒットだった話題ってのは、南の方の砂漠に小さな部族の町があるんだけど、そこの族長が、その辺を領地にしてる国の領主のお姫様と大恋愛しちゃって、部族蜂起か、戦争か、ってくらい大騒ぎになった挙句、ついに和解して流血沙汰なしで見事お姫様ゲット、ついでに結納金代わりに町の自治権までゲット、っていう、吟遊詩人が顔色なくしそうなくらいめでたしめでたしな話だったのよ。
まあ、世の中にはおとぎ話みたいなホントの話があるんだね、って笑ってたんだけど、母さんが、そういえばあんたは、あそこの族長の屋敷で迷子になったことがあったわね、って言い出して。
うん、母さんたちの仕事で、母さんや冒険者のおじさんたちと一緒に、その噂の町に行ったことがあったの。十歳くらいの時だったかな。町の名前なんて覚えてなかったし、母さんに言われるまで、あたしはすっかり忘れてたんだけど。
で、色々思い出したんだけど、確かにおっきなお屋敷に泊めてもらって、母さんたちが仕事で出かけてる間、そのお屋敷を探検したことがあったのよ。だってお留守番って退屈でねー。外は、女の子の一人歩きは危ない、って言われてたし。
お昼寝タイムを狙って………昼間は暑くて仕事にならないから、涼しくなるまで一休みの時間、ってのがあったのよ………みんな部屋で休んでるから、誰もいないみたいな広いお屋敷………高い丸天井の広間があって、花が咲き乱れる中庭があって、長い長い回廊に、透かし彫りの窓を通して、光が何本も差し込んで。
外の目に痛いくらいの日差しと、ひんやりとした影のコントラストが強烈でね。そういう明るいところと暗いところを何度も出たり入ったりしてたんで、だんだん目が眩んで、何だか別の世界に迷い込んでいくような気分になって。この先には何があるんだろう、どこにたどり着くんだろう、って、わくわくどきどきの大冒険だったわけ。
で、ついに、期待どおりに不思議な部屋をみつけたのよ。
最初は、魔法の武器庫だ、って思った。だって、剣がいっぱい置いてあったんだもの。大きな両開きの扉以外は窓もなくて、壁のずっと上の方、天井近くまで、びっしり、剣が飾ってあるの。ひとつひとつ意匠が違っていて、どれもすごく古くて、すごく大切にされている感じだった。
それでね、すっごく高い天井の真中に、唯一明り取りの穴が空いてて、そこから外の光が、柱のように部屋の真中に差し込んでたんだけど、そこに、人がいたの。
男の人。だけど、女の人みたいにきれいな人。金の錫杖を持った、魔法使い。
月の光みたいに青白い肌で、鮮やかな色の布を重ねたターバンの下から、さらっさらの黒髪が闇のように長く背中に流れてて、極彩色の長衣が複雑な襞を作って、すらっと高い上背を包んでて。
で、その人、お祈りをしてたの。絵のような光景、って、ああいうのを言うのね。長衣の裾を長く引いて、光の柱の中に跪いて、顔の前に立てた錫杖の金の輪がきらきらと輝いて、多分あの地方の古語だと思うんだけど、どこか物悲しい旋律で歌うような祈祷の言葉が、柱を辿って空へ上っていくようで。
まあ、昔の記憶だからフィルターかかっちゃってるかもしれないけど、うわ、月の砂漠の王子様だー、ほんとにおとぎ話に出てくる蜃気楼の王宮に来ちゃったんだーって、確信しちゃえるくらいには、きれいだった、うん。
でね、眺めているうちに、ぞくぞくって鳥肌が立ってきて、何だかひとつひとつの剣に魂がこもってて、こっちを見おろしているような感じがしてきて。
そういう感覚、判る?自分がとても場違いな、入ってはいけないところに入ってしまった、って、感じ。でも、動けないの。ちょっとでも物音を立てたら、この光景が全部壊れてしまいそうな気がして。
その人がお祈りを終えてこっちを向いた時、あたし、半べそ状態だったんだと思う。
その人は、驚いてたのか、最初からあたしに気付いてたのかわかんないけど、とにかく、あたしを手招きしてくれて、そのまま、その人の部屋までついていって……・・・あとはほんとに夢見心地で、途切れ途切れにしか覚えてない。
涼しくて、少し薄暗くて、古い本がいっぱい置いてある部屋。
厚くて手触りのいい絨毯、細かい刺繍が見事なふかふかのクッション、壁にかかった大きな織物に織り出された恋人たちと虹色の花。暖かい甘い紅茶と冷たい果物。
隣の部屋に半分だけ見えた寝台、その天蓋から幾重にも下がった透き通るようなカーテン、それに映ってた、翼を広げた黒い小さな生き物のシルエット。星模様の透かし窓。
あの人がつけてた香油の香り、銀細工のイヤリングの小さな鈴の音、細い指に嵌っていた印章つきの指輪。
・・・・・・・・・それから、あの人が聞かせてくれた、遠い北の国の《竜》の物語。
信じられない?うん、そうよね。あたしも、夢を見たんだって思ってたんだから。
だって、気が付いた時には、泊まってた部屋のベッドで寝てたんだもの。
あー、いい夢見た、って思って、あの人のことや剣の部屋のことを周りの人に確かめてみる、なんてことも思いつかないくらい。
でね、その話を母さんにしたら、なんでその時言わなかったのよ、って頭抱えられちゃってね。
要するに、あたしが会ったのは現実の人で、しかもその町で「影の宰相」って言われるくらいの人で、でもめったに人前には出てこなくて、母さんたちは仕事の協力を頼んだんだけど、体の具合がよくないから、って断られて、おかげで大変だった、と。
そんなこと言われたって、夢だと思ってたんだから、しょうがないじゃない。
それじゃ、今度その町に行ったら、訪ねていってみようかな、その人と、噂の族長とお姫様にも会えるかな、なーんて、あたしは笑ったの。
でもね、もういないの、その人。
あたし、すっかりその気になって、情報集めてみたの。そしたら、三年前に、病気で亡くなったって。
あの剣の部屋は、族長一族の霊廟なんだって。お墓を作る習慣がない代わりに、形見の剣を代々あそこに収めるんだって。
ご先祖様の魂が眠る場所よね。あたしが感じた、剣に見下ろされてるような感覚って、気のせいじゃなかったのかも。
あの人がどんな表情してたかは、覚えてないの。噂じゃ、実はずいぶん厳しい人だった、みたいに聞いたけど、でも、あたしの印象じゃ、怖いって感じじゃなかったよ。
ただ、少し………穏やかなんだけど、ほんの少し、寂しそうだな、っていうのはあったかな。
何だか、ね、あの時、あの人は何を祈ってたんだろう、って考えると、すごく切なくなるの。
あの人も、あの霊廟で、お参りに来る人たちを見下ろしてる魂のひとつになっているのかなあ、って考えると、何だか知らないけど、泣けてくるのよ………。
FIN
