エレインの物語

……

そうそう、このごろ一番嬉しかったこと、ね。
あたしの成人式よ。
これも、大騒動だったの。
あたしは、見てのとおり砂漠の部族の生まれじゃない。
父様があたしを引き取ってくれたから、あの町ですんでただけ。
だから、あの部族の習慣なんか、従う義理はないのよ。
特に、酷いのが女性の扱いなの。
女性が成人すると、肌を見せてはいけないって言われるの。
長いローブに、手の甲まで隠れそうな長い袖、それに、顔を覆い隠すベールを必ず身につける、それが成人女性の姿なのよ。
その上、家に篭ってじゅうたんを縫ったり、家事を取り仕切ったり、つまり、外に出てくるな、ってこと。
でも、こんなのって、ある?
あたしは並みの男どもよりも頭は切れるし、ナイフだって使える。
それに、あたしはずっと父様を見ていた。
父様は、王子様の主治医を勤めるうえに、王立の施療院の院長だった。
人手はいつも足りなかった。
教育のレベルがひどく低い事もあって、字を読める人がいないのよ。
だから、患者の体温を測る、それだけでも一苦労。
薬草棚にきちんと整頓されている薬草の調合だけだって、できる人はほとんどいなかった。
包帯やシーツの洗濯みたいな単純仕事だって、お金を払わなきゃやってくれる人はいないし、施療院はほとんどただみたいな治療費しかとらなかったから、いつも貧乏で、払えるお金は少なかった。
だから。
あたしは、いつも父様の側にいて、父様の手伝いをしていた。
最初は、掃除や入院患者の食事の介護から始まって、患者や付き添いさんに数字の読み方や、最低、自分の体温は自分達で測れるようにした。
最近では、薬の調合はあたしがするようにもなっていた。
それが、よ。
一体なんで、あんなズルズルした布をひきずって、あたしより馬鹿な男があたしを嫁に欲しがるまで、家で待ってるような暮らしをしなきゃいけないわけ?
あたしはそんなのいや。
それに、社会の損失よ、でも、あたしの本音は、そうじゃない。
あたしは、父様の力になりたい。
でも、あたしは父様にはそうはいわなかった。
ただ、あたしの道は、こうじゃないと思う、とだけ言った。
父様は、少し考えていた。
それから、ほんの少しだけ…父様はごく親しい人が、注意して見ないと見落としてしまうくらいだけど、笑う事がある…でも、とっても優しく笑うと、あたしの髪をなでてくれた。
それから、いつものように。
自分の良心に恥じるところがないなら、と言ってくれた。
成人式の朝、神殿の控え室であたしは二種類の衣装を見つけた。
どっちも、白一色に銀の刺繍のある、儀式用の衣装だったけど。
男性用の衣装と、女性用の衣装。
父様は、二種類用意してくれた。
あたしが、どちらでも選べるように、と。
あたしがどちらを選んでも、あたしの味方をすると、部族のしきたりよりもあたしの意志を尊重してくれる、と。
父様は、いつも無口だけれど、それは言葉を使わないだけの事で言葉になりきらない心は、こんな風に伝えてくれるの。


あたしは、もちろん男性用の衣装を着た。
それから、もう一つ。
机の上には、立派な木箱が置いてあった。
父様からの贈り物なのは、一目で判ったわ。
中身は、あたしの瞳の色に合わせた、紫水晶のネックレスとイヤリング。
細いプラチナ細工で繋がれた紫水晶は、あたしにはまるで年の最初の葡萄の実りみたいにも、石でできたレースみたいにも見えた。
男性用の衣装の上に、あたしは首飾りをかけた。
髪の短さのせいで、静かに揺れるイヤリングは特に優雅に見えた。
あたしは、男になりたいわけじゃない。
あたしは、あたし。
あたしは、自分の信じた道を、自分の信じた方法で生きていきたいだけ。
この性別不明の姿で、あたしは神殿の中央廊下に進み出た。


とたんに、蜂の巣をつついたような騒ぎになったわ。
父様は、神殿の連中とはもともと折り合いが良くなかった、というよりも、あたしには殿下のかわりにぶつかり合いをしていたように見えてたんだけども、まあとにかく、神官どもは冒涜だの、天罰が当たるだのと騒ぎ立てて殿下まで、ちょっと困ったような顔をしてたんだけど、父様は、落ち着き払ったものだったわ。
神殿の廊下の中央まで平気な顔で進み出て、式次第どおりにあたしの手を取ると、神官に式の続きを、とだけ言ったのよ。
何か言いかけた若い神官を父様は目の隅だけでちらりと見た。
それだけで、その神官は言葉が言えなくなった。
あの時の父様の言葉は、あたしは多分一生忘れない。
「我が娘、エレインは己の意志以外には、例え部族の慣習であっても従わぬと明言した。
 天よ、エレインの意志が誤った方向に向かわぬよう、加護を授けたまえ。
 更に、万一この所業を許さぬと思し召されるなら、罪は成人前の娘をかかる人間に育て上げた私にこそある。
罰は、私一人に下したまえ」

父様のバリトンは、神殿のドームによく響いた。
式は、続けられて、つつがなく終って、そうしてあたしは今、こうしている。
これが、あたしの一番幸せな記憶。




一番悲しかったこと。
これも、当然なんだけど。
父様が、あの女をつれてきた、あの時のこと。

父様は、その二週間まえに、突然いなくなった。
そう、いなくなったとしか言いようのない、出発振りだったわ。
普段は、いつからいつまで、何日間留守にする、ときちんと連絡を取っていくのに、その日に限って、施療院もほとんどほうりっぱなしに近い状態で、突然馬に飛び乗って家を飛び出したの。
何か、手紙のようなものを読んでいたみたいだけど、家を飛び出す前に、蝋燭で焼いてしまったみたいだから、あたしにはよく判らなかった。 ただ、とっても不安だった。
あたしと、父様。
あたし達は、血が繋がってるわけじゃない。
あたしは、父様に拾われて、育てて貰った。
拾われた時のことだって、あたしはよく覚えてる。
だけど、あたしと父様は、世界中で一番分かり合える、一番仲のいい親子だったはずよ。
それが、壊れ始めたのがなんとなく判った。
何が起きてるかは、判らなかったけど。
それでも、とても不安だった。

不安が現実になったのが、あの時だった。
帰って来た父様は、長い黒髪で顔の半分を隠していた。
まさか、と思ったけど。
顔を隠す理由は、あたしがとっさに思ったそのとおりだった。
父様の顔半分には、ひどい火傷があった。
それでも、目は見えているみたいだった。
まさか、まさか、まさか。
あたしの頭の中で、その一言がぐるぐる回る。
事故で火傷を負ったのなら、顔の半分という広い面積に痕だけが残って、目や唇みたいな感覚器官が全く無事、なんてことはありえないわ。
つまり、これはどこをどう焼けば、どんな傷が残り、どんな後遺症が残るか、正確に知っている人が、意識的につけた傷。
父様にそんなことをする人がいるとは思えないし、それに、父様は医者、しかも、腕のいい医者だってことは、あたしが一番良く知っている。
まさか。
でも、それしかありえない。
父様は、自分で自分の顔を焼いた。
そして、その理由は。



父様は、馬を引いていた。
まるで、馬丁みたいに引いている馬には、女がひとり乗っていた。
間違いなかった。
父様は、あの女を迎えに行った。
あたしをここに残して、何の説明もせずに、あの女を迎えに行った。
多分、ばれれば父様自身の身にも、あの女の身にも危険が及ぶ。
だから、変装がわりに自分の顔に火傷の痕をつけて、父様の姿を見た人がだれでも、父様の顔を正視できないようにして、どんな顔をしていた、といわれても、だれも火傷のあと以外のことを応えられないように、自分で細工を施して。



なんてことをしたの、父様。
その女は、誰。
一体、どういう関係の人なの。
その女は、一人では馬からも降りられないみたいだった。
言葉も出ないで立ち尽くすあたしの前で、父様は馬に横乗りになっているその女に両手を差し出した。
あたしが小さい頃、胸に抱き取って馬から抱え下ろしてくれたのと同じ仕草、それでも、父様はその女の肩を強く両手で支えただけだった。
それ以上触れるのを恐れているようにも、ためらっているようにも見えた。
それだけでも、あたしにはショックが大きかったのに。
父様が、その女の名を呼んだ。

「エレイン」

その女は、あたしと同じ名を持っていた。
世界が表情をかえたのが、あたしにはわかった。

FIN