PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 書架

クラウディウスの物語:シャコンヌ

これは、夢だ。
近頃、眠りながらそう判る夢を見ることが多くなった。
今も、そうだ。
どういうわけなのだろう、夢だと判っていながら、途中で目覚めることができないのは。
私は、また、いつもと同じ夢をみていた。
もう何度目になるかも判らない、赤い色をした夢。
厳密には、これは夢と言えるものなのか、私にはわからない。
とっくに過ぎ去ったはずの時間が、亡霊になってまといつく。風の強い夜には必ず決まって、夢の形をとって訪れる、過去の出来事の、残滓。
私はもう一度、それを見せられていた。

ホカニ方法ガアルナラ
ホカニ方法ガアッタトイウノナラ
ドナタデモ構マセン
ドウカ私ニ教エテクダサイ
ドウカ

夕暮れ時から、雨が降り続いていた。
それは、少しばかり水の重みを含みすぎた霧に似ていた。雨粒、というほどに大きくもないくせに、それでいてまといつくように体を濡らしていくのだった。
私達がいる場所は林の中、といってもいいような所なのに、葉を打つ雫の音すら聞こえはしない。
とうに日の落ちきった空は暗い。音の無い雨は、最も暗い星の光さえも奪い尽くしていた。
私達は、ただ無言のまま、待っていた。
光の無い夜、音のない世界の中で、沈黙の重みに耐えかねたのか、誰かの馬がわずかに荒げた息がきこえた。それもすぐになだめられ、再び沈黙が戻った。
今夜、もうすぐ。
全てが終わる。
誰一人、望まなかった形で。

ランドニクス若獅子騎士団、小隊長であった私に、夜明け前に下りた指令。
それは掃討戦の最終指揮だった。

私も、私の部下達も、兵達も。
みな、それが何を意味するかを、十分すぎるほど知っていた。

雌雄を決するべき決戦は、すでに二週間以上前に終わっていた。
勝利をもぎ取ったのは、我々だった。
新たな帝位は、既にアンタルギダス皇子の物だった。
ただ。
残っていた。
皇子の腹違いの兄、輝く太陽のごとく晴朗にて、空と同じ色の瞳を持つ、と、詩人達にうたわれた皇子、大地に寿がれ、豊穣の女神の祝福の下に育った、慈悲と叡智の御方、と呼ばれた皇子、ミハイルが。
まだ、生きて。
生きて、この世に残っていた。

二週間前の戦闘で、ミハイルの軍は潰滅的な打撃を受けた。
兵も、二百残っているかどうか。
そのうちのほとんどが手負いだろう。
軍と呼べる状態ではあるまい。

誰もが、無言のうちに和睦を望んでいた。
講和を結んだとて、背中からアンタルギダスを刺すような真似はしまい、そう思われる男だった。

だが。
私に下った命令は、掃討だった。
掃討、とは敗れて逃げてくる途中の、敗残兵を更に追い詰め、完全に息の根を止めることを意味する。
敵の指揮官が生きていれば、ごく当然に。
その処刑も含まれる。

私は誰にも気付かれぬように、大きく息を吸い、静かに吐き出した。
ため息など、戦闘前の部下の前で見せるものではなかった。
そして、戦の女神、ギルに心底祈った。
私の心が、何を感じようと、任務を任務として、完璧に全うせんことを、と。
万一、私の感情が任務の妨げとなるのなら、私の心を打ち砕き、何に触れても石のごとく、何も感じぬように、破壊させたまえ、と。

ホカニ方法ガアルナラ
ドンナ方法デモ構イマセン
ドナタカ、教エテクダサイ
ドウカ、ドウカ
御願イデスカラ

ランドニクスが内乱状態に陥ってから、十年と少しになる。
ひどいものだった。
ひどい、それ以外の言葉を私は知らない。
外敵とならば、戦闘自体は一日で終わる。勝者は得、敗者は失う。勝者は土地を得、支配を行い、敗者はその下に入る。
そして、外から攻め寄せてくる相手のほとんどは異民族だ。
だれが敵で、誰が味方か、一目でわかる。
言葉が異なる。文化もそうだ。
だから。
我々は彼らを憎むことができる。我々の社会と文化の優越性をとき、外敵の野蛮さを主張し、この戦いに正当性があるのだと、正義は我等にあるのだとそう信じ、兵にもとき、正義の名において命を捧げよと、命じることもできる。
良心の痛みを感じずに。

この内戦では、全てが違った。
敵は誰だか、わからなかった。
今日は味方だったはずの村一つが、ささいな戦闘の風向きひとつで、平気で明日は敵に寝返る。
それも、当然の話だった。民にしてみれば、治安が良くて税が安ければ、統治者など誰でも関係はないのだから。
彼らの事情はわかっている。だが、それが我々にとっては背中を狙う匕首ともなりうること、つまり、部隊の休息と数日の食事のために立ち入った村で、寝込みなどを襲われては危険この上ないこと、それとは全く別の問題だった。
私は部隊に関して責任がある。
だから、私は。
たいていいつも、一番単純で、それでいて一番効果のはっきりした統治方法をとった。
我々に反する皇統を支持した者、アンタルギダス殿下に好意的でない言葉を一度でも吐いたことのある者……それが、村長や長老など、高い地位にあればあるほど、都合がよかった。
それが事実かどうかは、どうでもよいのだ。
これは見せしめのため、統治の手段の一つにすぎないのだから……
それを私は見つけ出させた。村に、一人くらいはたいていはいるものだった。幼い子どもでもいれば、ますます都合がよかった。少なくとも、子供を持つ者は我々に反すれば、そしてそれを我々に知られれば一体何が起きるか、決して忘れはしないだろうから。
村人全員を、広場に集める。全員だ。病人であろうと、出産の床にある妊婦であろうと、例外はない。そう申し渡す。
全員があつまったところで、罪人を引き出させる。
これで役者はそろった。

ホカニ方法ガアルナラ
ドンナ方法デモ構イマセン

罪名の口上などは、いいかげんでいい。
どうせ、誰も聞いてはいない。
群集は、ただみつめている。いつもそうだ。水からあげられたばかりの鰡の群れのように、目をみひらき、ぼんやりと口をあけて、我々を、特に、抜き身の剣をさげた私の姿を、ただ見つめている。

あの視線。
あれだけには、とうとう慣れることはなかった。
今でも、時折、月のない暗すぎる夜に悪夢に見るのは、あの視線だ。

ドナタカ、教エテクダサイ
ドウカ、ドウカ

私は、いつもここで感情に蓋をした。

母親は、たいてい子供を強く胸に抱いていた。私は、最初に子供を受け取った。
感情に蓋をしていたせいかもしれない。私の仕草はどこか優しかったのかもしれない。母親達はおとなしく私に子を渡した。中には、安心したようにかすかに微笑みかけた者すらいた。
そして。

ドウカ、ドウカ
御願イデスカラ

まず、子供から。
母親の目の前で。
子供の息の根は、すぐにとめる。苦しませはしない。
私にしてやれることは、それしかなかった。
むくろになった子を抱いて狂ったように嘆く母親の悲鳴を背に、次は、反逆者たる父親の処罰だった。
今度は、時間をかける。爪をそぎ、指を落とすところからはじまって、数時間、強制的に見物させられている村人の中から嘔吐する者がニ、三割出始めるころまで、死はあたえない。

ドナタカ、ドウカ教エテクダサイ
ドウカ、ドウカ

母親の方は、その日は放っておく。
彼女には、たいていその夜、静かな死があたえられた。足を滑らせて川に落ちたように見せかけたこともあった。自らの手で命を絶ったように見せかけたこともあった。
これは、人に知らせはしなかった。手を下すのも、必ず私自身だった。
放置するには危険に過ぎ、他人の手を煩わせるには、汚さが過ぎた。
一連の仕事が終わると、新しい村長を任命する。
ランドニクス若獅子騎士団の名で。
その場で、彼の意思にかかわらず。村長は我々の血の穢れの共犯者、そう村人からは見られることになる。
我々を正面きって憎むこともできない、か弱い村人達の矛先は、自然と村長に向かう。
彼は、自分の立場の悪さを補う物として、背後に我々の力をいつも感じていたいという渇望にさいなまれることになる。
私の通過した村の村長が妙に村全体から孤立するのも、我々に妙に協力的で、なにかにつけて騎士団との関係を深めたがるのも、全てはここに由来している。

アア、ドナタカ
後生デスカラ

これで、いい。
私はいつも、そう自分に言いきかせた。
少なくとも、あの村では秩序が保たれている。私の通った村は、拠るべき旗幟を鮮明にもった。
私の村が、私の同僚の背を狙うこともなければ、その犯人探しをすることも、残党狩りをすることも、もうない。
この混乱と無秩序の世では、冷酷こそ慈悲。慈悲こそ冷酷。数滴の血と、一度に始まり、一度に終わる瞬間的な残虐がその後のより大量の流血を防ぐのなら。
残虐であることは、慈悲深い行為であるはずだ。
私は、そう思っていた。
思っていなくては、やっていかれなかった。

私の態度は、あまりにも超然としている、と言われた。
冷酷な判決を眉一つ動かさずに下す、流石は司法官閣下のご子息、良くも悪くも、これこそイギィエム家の正統の男児、と。

いつのまにやら、私は影では閣下、とよばれるようになっていた。
その言葉が、独特の表情をつけて呼ばれていることに、私は気付かないふりをしていた。
言い訳など、する気にもなれなかった。
何をどういえばいいというのだ。
言葉などで、私の気持を伝えることなど、できはしないというのに。

伝えられない言葉など、用をなさない。
使う必要など、ない。

私が極端に無口になったのも、そのころからかもしれなかった。

私の馬が、痙攣したように体を震わせた。

それが、私を物思いから現実に引き戻した。

小さくいなないた馬の手綱を、私は一度強く引いた。
主は、私だ。
納得したのか、馬はまたもとの姿勢で彫像のように動きをとめた。
そうだ、それでいい。
他の同僚達と違って、私は馬に友情に似た気持ちなどを感じたことは一度もなかった。
馬は、馬だ。
鏃や鐙と同じ、ただの道具だ。道具は良ければ良いにこしたことはない。悪くなれば代える。ただそれだけのことだ。
この馬も老いた。そろそろ代え時、何度かそう思わないでもなかった。
それなのになぜ私はこれに乗り続けているのだろう。
私は軽く首を振った。望まない感情が湧いて来たとき、それを追い払うための、これが私の儀式めいた癖の一つだった。
待っているから。
あまりにも長く待ち続けているから。
こんなせんない物思いをするのだ、そう私は自分に言い聞かせた。
隙を引き締め、集中を回復し。
なすべきことをなすための準備をする。

もう何度目かになる、人馬のいななきの幻聴を、私は再び耳にしたように思った。
またか。
やはり、気でも高ぶっていたのか。最初はそう思った。
だが。
私の兵達に、一度に緊張が走った。
今度は空耳では、ないのか。

「アルヴィーゼ」
私は小さく名を呼びながら、傍らの副官の顔に、視線を滑らせた。
彼が強くうなづいた。闇の中で、アルヴィーゼの目だけが白く光った。
遠かった物音が、次第に近づいてくる。兵の喘ぎ、息を切らし、倒れる寸前の馬の息遣いまで、はっきり聞こえた、そんな気がした。

私は右手を上げた。突入準備の合図だった。
「迷うな」
私は大音声をはりあげていた。
「狙いはミハイルの首一つ。
それだけで、平和が来る。もう二度と村を焼かずにすむぞ」

兵の間で、静かなどよめきが起きた。
ミハイルの首を。平和と新たな秩序の生贄に、首を。
ミハイルの首を、所望。

ホカニ方法ガアルナラ
ホカニ方法ガアッタナラ

「総員、突入」
雄たけびをあげて、私の軍が、丘を駆け下りる。
精鋭と呼ばれる猛った騎兵が、逆落としの勢いをつけて、敗残兵の群れの中に襲いかかっていく。

これで、首がとれなければ、馬鹿だ。

アア、ドナタカ
後生デスカラ

夢は、突然そこで途切れた。

どうやら、眠りながらとんでもない悲鳴でもあげたらしい。
私は自分の声で目がさめたようだった。

「アルヴィーゼ」
名を呼んで、気付いた。たとえ寝ぼけているにしても、限度がある。
アルヴィーゼがここにいるわけはないではないか。

だが、浮かびかけた苦笑は、その場で消えた。
部下達は。
私が率いて、この島に連れてきた部下達は、どこだ。
私は周囲を見渡すと、軽く身構えながら、剣を引き寄せ、立ち上がった。

それでも、まだこの時の私は知らなかった。
夢以上の怪異と、不思議が私を待ち受けていることを。

その時の私が気付いていたことは、海から上がってくる日の光が、妙に赤いこと。
そして、切り開いたばかりの動脈からあふれ出る鮮血の色に、妙に似ていることだけだった。

クラウディウスの物語:シャコンヌ END.

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