PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 書架

リモーネの物語:7〜8年後

この場所に落ち着いてから何年が過ぎたのだろうかと思い返す。
馬車を一週間ほど走らせれば、ランドニクス帝国時代には帝都と呼ばれていた都市に行ける山麓の村に落ち着き、たまの休みにはこうやってスティナさん直伝のマフィンを焼いたりすることも出来るのは、かつてクラウディウス様の副官を務めたことのある方の助力……いくつかの誤解を受けたことはともかくとしても……があったからだろう。

もっとも、最近は落ち着いているのは私だけなのかもしれないとも。
一人でいると、この小さな家も広く感じる。彼がいるときはどことなく窮屈に思えるのはきっとその体躯のせいなのだろう。
「本当に、急に大きくなって」
《島》から戻ったばかりの時は、あんなに精一杯背伸びをしていたというのに、急に背が伸びたと思えば《島》で出逢った頃と同じくらいにあっという間に。どこか眩しいものを見るようだった思いでそれを見ていたことが思い出された。幼い姿をしていた頃には、《島》やその前の彼を知る者なら驚くであろう表情も時には見せたものの、ふたりきりのときにむしろ愛想の無い顔をしているのは変わらない気がする。

そういえば。
《大陸》にひとりきりで戻ったのではなかったと気づいたときに、思わず腕の中に抱きしめてしまったとき。どんなに姿が変わっても間違いなくここにいると確かめたくて手を伸ばしたときには、どんな顔をしていたのだろう。
私は、といえば多分《島》に招かれる前よりも笑顔を見せるのではなく笑うようになったのだと思う。

そして、色々なことがあって…
私にとっては《島》に招かれる前までには知らなかった余所の街での暮らしやそれまでとは全く違う仕事と戸惑うことはあっても、まだ良かったほうだと思う。
だからだろう。表向き家族のように生活することから家族になるまでは少しとはいえない時間がかかった。


「子守唄を」と言われることはこの先は無いだろうとも思う。
先のことを考えると少し不安になることも。
"かつての親友に深い縁のある子"が独り立ちしたからといって、その"姉さま"に無下にするようなかたではないとはわかっているものの、どこかしら申し訳ない気持ちがあるからだろうか。それともこの申し訳ない気持ちの元は、「会わせたい男性がいる。」という言葉に対してつい彼と比べてしまいはっきりしない言い訳で断り続けているからなのだろうか。

いいえ、違う。 
右手のしるしがざわめいて、あの約束の言葉が告げられる日が来てしまうこと。留めることができない、留めてはいけないものを微笑んで送り出せるかということ。
あの方が「帰らない」というからには多分…

さっきからマフィンが焼けるいい香りが部屋に満ちている。何度焼いてもスティナさんのようなお日様の味は出せないと思いながら竈から取り出していると、戸口に気配がした。

「……おかえりなさい」

リモーネの物語 -FIN-

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