PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 書架

ロザリアの物語:ささやかな報復

 やはりこの手しかないか。

 一か八かの大勝負。失敗すれば命だって無くしかねない。
 チャンスは一度きり。二度目などというものはない。
そして得られるものはと言えば細やかな自己満足だけ。
 まさにハイリスクローリターン。
 我ながら歩が悪い勝負だと思う。こんな危険なことは以前ならば絶対にやらなかったことだ。しかし、ここは閉ざされし贖罪の島。今は出ることもかなわない。ならば、己の居場所は己で勝ち取らねばならないということだ。
 弱肉強食。それは単純で冷酷な自然界の掟。その掟の厳しさは十分にわかっている。

「おい、交代だ」
 ヴィクトール・シュヴァルツェンベルクがロザリア・キスリングに声をかける。そのぶっきらぼうな話し方には日々ますます磨きがかかっているようだ。冷たく光る瞳はロザリアをちらりと見て、すぐに視線を外す。嫌悪とも侮蔑ともつかない、それは若い女騎士を見るときのお決まりのパターン。
 神殿にいた頃からこういう扱いは少なくはなかった。慣れてはいるつもりだが、気持ちのいいものではない。憤りが頭の中を巡るのを理性で抑え込み、いつものようにロザリアは席を立って、レオの病状を説明する。
「レオの様子に異状はありません。今は寝ています。包帯はさっきアンナが交換していったので、しばらくは大丈夫のはずです」
 ヴィクトールが聞いてないのは分かっていた。言葉を繋げれば繋ぐほど、ますますその仏頂面が険しくなるから。とりあえず伝えるべきことは伝えたので、手短に切り上げる。これからが私の勝負なのだから、無駄な時間を費やすつもりもなかった。
 横のベッドのレオは軽い寝息を立てている。いつもはレオ……新帝陛下の側に付きっきりのクラウディウスもこの時間は寝ている時間だ。この部屋には今、三人しかいない。そしてその内一人は眠りについている。チャンスは今しかない。
「では後はよろしくお願いします」
 ヴィクトールに軽く頭を下げ、自らはベッド脇の席を譲るために、一歩後ろに下がる。ふんっ、と大きく鼻息をつくとヴィクトールがゆっくりと近づいてくる。
 緊張で胸が高まる。果たしてうまくできるのか。
 それを見て、こちらは立ち去るためにヴィクトールの脇をすり抜けようとする。いつもの交代パターンのはずだった。

「あっ」
 ロザリアは小さく驚きの声をあげ、足をもつれさせた。大きく体がレオの方に傾く。ヴィクトールの手がロザリアの身体を抱きかかえようとする。一瞬、ヴィクトールの懐が空き、頑丈そうな銀色の箱が垣間見える。
 今だ。
 そう思った瞬間、手が箱に伸び、懐から箱が消えた。
 ロザリアの肩に力が感じられる。気がつくとヴィクトールが片手だけでロザリアを抱きかかえていた。頭の上から、ちっと舌打ちが聞こえて来た。見上げると怒りの混じったヴィクトールの視線がロザリアに絡む。
 気づかれたか? 一瞬不安が過る。
「気をつけろ」
 ヴィクトールの怒りをかみ殺したようなつぶやきは逆にロザリアの安堵であった。すべてはうまくいった。
「すみません」
 ロザリアは急いでヴィクトールから離れ、頭を下げる。顔を見られたくなかったから。おそらく今の私は笑っているはずだ。理性では抑えようとはしていたが、うまくいったという高揚感がそれを妨げていた。
 ヴィクトールはと言えば、それを一瞥しただけで、さっさとレオの席に着く。そして右手をさっと振り上げた。去れ、という意味だ。その仕草を見て、こちらも無言で引き下がるロザリアであった。

 手の中の重みを意識しつつ、レオの部屋を出ると、まっすぐ館の外に出た。館が醸し出す閉塞感から一刻も早く解放されたかったからだ。
 外は雲ひとつ無い青空だった。ひと仕事終えた高揚感は既に消え、後悔と不安の念が押し寄せてくる。
 ヴィクトールはすぐに懐のシガレットケースが無くなったことに気づくだろう。そしてロザリアが盗ったことにも行き着くはずだ。怒っている。それはまず間違いない。
 果たしてうまくヴィクトールをあしらえるか。もし、有無を言わずに切りつけられたら、どうするのか? こちらも剣を抜くのか?
 一発で切り捨てられるほどの力の差はないとは思っていたが、傭兵の経験に裏打ちされた、ルール無用な戦い方は苦手だった。
 考え込むと悪い方向に考えてしまうようだ。大きく首を振って、頭の中の不安を振り払うと、気を取り直して手の中の得物を確認する。
 持ってみると意外と重かった。中身は煙草であることはわかっている。重さからみると、3日は暮らせるか。
 そんなことを思い、ふと苦笑する。昔と今とは違うのだ。何もかも。
 ここにあるシガレットケースだって、昔は食べるために必要なものだったが、今は自分の意地のために必要なものとなっている。
 遠い所まで来たんだ。
 外の見慣れぬ光景と合わせて、そんな思いが過った。
 館からは重々しい足音が近づいていた。

「おい」
 ロザリアはヴィクトールの声にゆっくりと振り向く。シガレットケースを手に掲げながら。彼がここに来た理由ならもう分かっている。
「これはあなたのものですか?」
「言い訳を、聞きに来てやったぞ」
 ロザリアとほぼ同時にヴィクトールからも声が上がる。
 言い訳、というからには怒りに任せて切りつけてくることはなさそうだ。少しだけ気持ちが楽になる。
「そこに落ちていたんです。あなたのものだったのですか」
「そうだ。返してもらおうか」
「はい」
 始めからシガレットケースは返すつもりだった。そこに落ちていたというのは我ながら白々しいとは思ったが、拾ったと押し通す以外には言いようがない。だから、そのままに渡そうとした。
 当然、ヴィクトールは納得しなかったようだ。ロザリアの顔の脇に勢いよく片手をついて、身体で逃げ道を塞いできた。その仕草に昔見た光景が重なる。街のチンピラが場所代を集めに来たときのようだった。
「最近のアストラじゃ、剣以外にこんな技術も教えてるのか?」
 ヴィクトールの口元に凄味を含んだ笑みが浮かぶ。
 もちろん教えるわけはない。それは自分が生きるために覚えたものだ。
 だから、黙ったまま横に さぁ、と首を傾げた。
「人の懐から勝手に布施を徴収するのか、と聞いている。神聖騎士殿?」
 ヴィクトールの帝国上流標準語が、喉に絡んで囁き声になる。こういう脅し方なら、普通の女性ならば、涙目で許しを乞うんだろう、と思う。それもひとつの方法だった。でも、残念ながらロザリアはそういう方法はできなかった。脅されても殴られても、最後まで突っぱねる。それがロザリアのやり方であり、生きる方法だったから。
 ヴィクトールをまっすぐ睨み返しながら、できるだけ静かに言葉を紡ぐ。
「私が盗った? 私に盗られるような隙があなたにあったのですか?」
 この言葉にヴィクトールは答えることができないはずだ。
 認めれば、普段小馬鹿にしていた女騎士に一杯食わされたことになる。認めなければ、盗ったこと自体がなかったことになる。ましてや、隙がありましたなどということは、間違っても口には出せないことなのだ。戦士としては隙を見せることは死に繋がる。これがスリではなく、暗殺者だったならば死んでいたのはヴィクトールの方なのだから。
 知らず知らずの内に口元にゆっくりと笑みが広がっていった。

 ヴィクトールにも今のロザリアの言葉がどういう意味を持つのか、瞬時に理解したようだ。視線を外し、喉で笑う。そして体勢はそのままに、空いている片手でケースを抜き取ると、すばやくそれを確認する。
 シガレットケースには細工などはもちろんしていない。
 ヴィクトールは手にしたケースでロザリアの頬を軽く叩く。
 ケースの金属がひんやりと頬に染みた。
 そして、ヴィクトールは身体を離し、背中を向けて立ち去ろうとした。
 どうやら彼にもこちらの意図は分かったようだ。だが、まだ勝ってはいない。決定的な言葉がなかった。
「お礼の言葉ぐらいあってもいいのではないですか」
 ロザリアの鋭い声にヴィクトールがゆっくりと振り向く。ヴィクトールの瞳の中に困惑が一瞬浮かんで消えたように思えた。
「図に乗るな。二度目は、ないぞ………ロザリア」
 ヴィクトールが軽く凄みを利かせると、ロザリアも軽く肩を竦めて返す。
 負け惜しみ。少なくともお礼の言葉ではない。しかし、これで十分だった。
 ヴィクトールに自分を認めさせたことに。

 ヴィクトールがこれで態度を改めるかどうかはわからなかった。しかし、これでロザリアが祈るだけの神聖騎士ではないことはわかったはずだ。今までのように無視されることだけはないだろう。
 細やかな満足感がロザリアを包む。その満足感に誘われて、大きな眠気の波もやって来た。昨日の夜は今日のことを考えてあまりよく眠れてはいなかったから。
 心地好い陽光と頬を撫でる微風がロザリアの眠気をさらに加速させ、瞼がどんどん重くなっていく。
 壁に凭れたままうたた寝などらしくない。でも、今日は何もかもらしくなかった。だから、このまま今日は目を閉じて、眠気に身を任せてしまおう。
 ロザリアはそう決めると心穏やかにうたた寝を始めるのだった。

ロザリアの物語:ささやかな報復 -FIN-

もどる