ヴィクトールの物語:いつか再びの咆哮の日まで
視界が、狭い。
《大陸》に戻ってきて、まず閉口したのが、これだった。
およそ八歳児の視点は、日常のありとあらゆる物に遮られる。それが無機物ならまだしも、無駄にでかい野郎などに立ち塞がられた日には、目の前の小汚い背中を、思い切りど突き倒したくなる。
まして今の自分には、人一人を突き倒す力はおろか、安宿の立て付けの悪い扉ひとつ開けるにも苦労する程度の力しかないことが、苛立ちに拍車をかける。
華奢で小さな身体に慣れるまでの自分でも情けなくなるような悪戦苦闘を、愛らしい、と言わんばかりの微笑で見守っている歌姫に悪態をついたところで、スラングも声変わり前ではただの舌足らずにしか聞こえないらしいと諦め、常に周囲を見渡して警戒する必要などもはやないのだ、と気付いた頃には、子供であることをそれなりに利用するコツも判って来た。
平和で、穏やかな日常。戦う必要のない生活。
それなのに、なぜか時折、どうしようもない閉塞感に襲われることがある。
不安か、焦燥か、あるいは未だ右手に埋まったままの刻印のいざないか。
そんな時は、「視界が狭い」と呟いて、ひとりきり、村全体を見渡せる高い木に登る。
あの日伝書鳩が舞っていた青い空へ、少しでも近づこうとするかのように。
旧帝国領北部、山脈の麓の小さな村は、夏を迎えようとしていた。
険しい山脈に続く斜面を覆う森、その中を流れる小川のほとりで一番高い木の上からは、村が一望できる。
生い茂る濃い緑の葉陰の間に、うまく視界が開ける枝を見つけて、腰を据える。
そういえば、昔は木登りが得意だった。集団の中でひとりにされるより、自分から一人になった方が、悲しくなかったから。
子供の身体で暮らすことは、否応もなく、本当の子供時代を思い出させる。
ちょうどこの身体くらいの年頃、学校の長期休みをここで過ごしていた。
正しくは、この村の中心をなす、古く厳格な修道院で、およそ子供らしい楽しみとは無縁の生活を強いられたのだが、今となってはその時の記憶は時の彼方に霞んで遠い。
歌姫との生活の拠点に、この村を選んだのは、ただ、帝都―――遷都が公布されたからには、やがて旧都となる―――と程よい距離にあること、鄙の郷であり、あまり人目に付かないこと、それでありながら、修道院が帝国貴族の門跡であるが故に、新旧帝国の情報が入りやすいことなどの条件が重なったためでしかない。
もうひとつ理由を挙げるなら、各教団が行っている"戦災母子家庭救済事業"を利用するのに、多少なりとも縁のある教会が、ここしかなかった、とも言える。
彼女を元の仕事に戻すのは嫌だった。人前で歌うのは構わないが、報酬が歌だけに支払われるものではないのは、当然知っている。
かつて、母親の寝室から見知らぬ男が出て行くのを息を殺して見送るしかなかった、あのいたたまれなさをもう一度味わうのはごめんだった。まして、それが母親ではなく彼女なら。
村の縁から少し森の中に入ったあたりに見える、民家とは一線を画した帝国風の瀟洒な山荘の屋根に目を止めて、思わずため息が漏れる。
村に着いてすぐ、帝国の貴族が山荘に来ていると聞いて、万が一顔見知りだったら面倒だ、と様子を見に行った。見咎められたら子供の好奇心のせいにするつもりで敷地に入り込んで、その山荘の持ち主と鉢合わせした。
あれが、唯一にして最大の誤算だった。
山荘が、二年前に反逆者として処刑された若獅子騎士団小隊長の持ち物だったとは。
さらに、持ち主が刑死した際一度は国家に没収され、最近になって、"格別の恩寵を以って"元副官に払い下げられたのだとは。
鉢合わせした現在の山荘の持ち主、即ち、"あの馬鹿"が愛してやまなかった"私の副官"は、なるほどそこに救いを求めたくなるのが判る、闇にいる者から見れば眩しすぎるほどに裏表のない、太陽のような男だった。
子供が敷地に入り込んでも怒りもせず、それどころかまるで奇跡を見たような顔で子供を引き止め、抱きしめ、あまつさえ涙ぐんで………その後の騒動は、思い出したくもない。
銀髪緑眼で、帝国北方出身の顔立ちで、帝国上流階級の武人言葉のアクセントがあるからと言って、自分とあの馬鹿が親子だなどと思い込めるおめでたさに、いい加減抵抗するのも疲れている今日この頃である。歌姫も自分も、何度もはっきり否定しているのだが、"父親が反逆者ゆえに、素性を隠している"と勝手に納得してしまっているらしい。
もっとも、おかげで家を借りる時も仕事を探す時も心強い後ろ盾になってくれたので、休暇のたびにこの山荘まではるばるやって来ては、父親代わりよろしく勉強だ剣の稽古だと人を誘い出すくらいは、付き合ってやってもいいか、とも思う。折りたたまれたもうひとつの歴史の中では帝国軍の剣術師範をやっていただけのことはあって、成長していく体に合わせて戦闘力を再構築していくには、最適の練習相手だとも言える。
居場所を見つけたのに、自分はまだ、戦おうとしている。
愛する人を守るため、とは少し違う。ようやく見つけた居場所を守るため、と言えば、少し近い。
《島》から《大陸》に戻った時、歴史は変わっていた。折りたたまれた歴史の歪みの中で死んだ二人は、《島》で出会った中で、もっとも自分に近い魂の持ち主たちだった。
その事実を知った時、胸のうちに湧き上がったのは、悲しみではなく憤りだった。
神々の権威を世にしろしめすために贄が必要なら自分を殺せと、かつて血を吐く思いで捧げた最後の祈りすら無視されたことへの怒りでもある。
神々が統治するという新帝国は、《獣》を生贄とした。あの二人を最後として、万人に理想の世界を築けるのなら、獣は眠ったままだろう。だが、新たな贄を求めるなら、自分を生き残らせたことを神々に後悔させてやる。
村に落ち着いてすぐに、当然のように武道の稽古を始めた自分に、歌姫は何も言わなかった。
どこかままごとめいた、少しぎこちない家族生活を送りながら、ともすれば焦りがちな自分をあやすように、子守唄を歌ってくれる。
だから、精一杯のお返しとして、彼女にひとつ約束をした。
帰らない旅に出る時には、必ずそう告げて旅立つ、と。
響き渡る修道院の鐘が、意識を現実に引き戻した。
あれは夕刻のお勤めの合図、村では夕餉の支度が始まっている頃だ。
村の中央を貫く大通りを、ひときわ目立つ馬車が行くのが見えた。例のお人よしが、夏の休暇を過ごすためにやってきたのだ。今日着くと知っていたからこそ、ここでその到着を見張っていたのだが。
きっと、夕食に招かれる。帝都の土産話をねだる子供の振りをして、また帝国の最新動向を聞き出しておかなければ。それとも、次の休みには、自分も都に行ってみたい、とねだってみようか。二度と会うことはないと思っていた異母兄の様子も、今の姿でなら窺うことができるだろう。
獣が再び目覚めて咆哮を上げる日が来るとしても、まだ数年はかかる。その間に、準備すべきこと、片をつけるべきことはたくさんある。
そして、木の幹を滑り降りながら、思いつく。
彼の蝋封を借りて、手紙を書こう。帝国貴族の紋章入りの手紙なら、新都アストラの検閲をかいくぐって、《島》から聖地に戻っただろう神聖騎士に届くだろう。
もし万が一中を見られたところで、書いてあるのはほんの二行ほどだ。
"祝福"という名の神聖騎士の遺族に会えたなら、伝えてくれ。
「彼女は、本望を遂げた」と。
ヴィクトールの物語:いつか再びの咆哮の日まで -FIN-