オシアンの物語 『4つの肖像』


Talk 1 : 名もなき旅商人

オシアン、さん?

えーと、誰のことでしょう?はぁ、ターバンを巻いた、黒髪の………ああ!判りました、判りました。この間お会いした、バーラット族の旦那ですよね?いえ、あの方、名前をおっしゃらなかったんで。ええ、ご出身は一目で判りましたよ。あのバーラット織のターバンの結び方といい、クシュの騎馬服といい、独特ですからね。あたしは、ご覧のとおりの旅商人ですから、そういうのには詳しいんですよ。

ここから街道をずっと南に下ると、やがて砂漠の縁をぐるっと回る道に出るんですが、バーラット族って言うのは、その道沿いに住んでる一族ですよ。元は、砂漠の遊牧民だったとか。今の土地は荒地で、ろくに作物も取れませんが、旅人が宿を求めれば歓待してくれますよ。

あの辺は、カスィードの領地になるんですかね。確か、部族の人間は街に出稼ぎに行っていることが多いとか聞きました。あの界隈じゃ、バーラット族の傭兵はちょっと有名らしいですよ。勇猛果敢で誇り高く、信義を重んじる、とね。その分、異国で戦死なさる方も多いようですが。後は、女性が実に美しいです。普通は、成人するとすぐに結婚して、夫以外には素顔を見せてくれないんですが、男たちと同じように出稼ぎに出ている女たちもいまして………ええ、その、カスィードの色街では、高級品扱いです。奥ゆかしくて従順で情が深くてかいがいしいと評判ですな。

ただ、そういう人的資源の流出は、部族では深刻な問題のようです。それと、カスィードの圧力がかなり重いようで。何ですか、まるで奴隷扱いだと、憤りを感じておられる方も多いようでした。

でもまあ、あたしが泊まった時には、そう悲観的な状況でもなさそうでしたよ。今の族長は最近お年のせいか病がちで外交には消極的なんですが、若長がかなり先進的な方のようで。まだ二十歳前の方なんですがね。出稼ぎ以外の収入源として、後ろにある砂漠に通商路を開いて、あそこを交易の交差点にしようか、なんて計画もあるようです。元々、砂漠は彼らの庭みたいなもんですからね。計画がうまくいけば、あたしたちも助かりますよ。砂漠を大きく迂回しないでも済みますから。

ただ、バーラットに独立されると、カスィードはちょっと困るでしょうな。妨害に出てくると思いますよ。若長殿は、恐らく他の都市国家と取引して、通商路の見返りにカスィードへの牽制を依頼するつもりなんじゃないでしょうか。ええ、そういうことには長けているお方のようで。

何でも少し前、カスィードの貴族が、部族の人間を何十人と無理やり徴収してしまった事件があったそうです。理由は、よく判らない難癖のようなものだったらしいんですが。その時、若長殿が単身、カスィード領主との直談判に乗り込んだんだそうです。ええ、もちろん、捕まった人たちの代わりに人質になるのは覚悟の上だったでしょう。それで、見事に領主を説き伏せて、全員を無傷で連れて帰ってきたそうです。身代金代わりに、銀の短剣をひとつ置いてきただけでね。しかしその短剣、亡き母君の形見の守り刀だった、っていうから泣けるじゃありませんか。

そういう方が次の族長ですから、きっとあの部族は行く先明るいんじゃないですかねぇ。私も、あの辺りに行った時には、また寄ってみたいです。今度は、バーラット織の布でもいくつか仕入れて、少しは財務改善のお手伝いでもしたいですね。いえ、もちろん、よその土地で、充分儲けさせてもいただきますが。

………と、まあ、そんな話を、そのオシアンさんにして差し上げたんです。故郷の話を懐かしそうに聞いておいででしたよ。そうそう、バーラット族は割と精悍で彫りの深い顔立ちをした偉丈夫が多いんですが、あの方は少し違いましたね。男性で魔法を使われる方も、あの一族じゃ珍しいんじゃないですか?学者さんか何かでしょうか、傭兵ではないようですが………。




Talk 2 : アリシア・ヴォン・レーシェル

………オシアン様のことですか?

ええ、婚約しておりました。私の父が、御領主様の軍の一部をお預かりしていまして、そのご縁で。はい、兵士の中に、あの方の一族出身の者が多くおりましたので。

お恥ずかしい話ですが、婚約が決まった時には、私、死んでしまおうか、とまで思い詰めましたの。この街を出て、あのような荒野の果てへ嫁ぐなど、耐えられないと思っておりました。バーラットの兵は勇猛果敢で忠義を尽くすと、父などは誉めておりましたけれど、私には野蛮で荒々しくて、とても恐ろしい方々のように見えました。そのような一族の長となられる方ですから、どれほど猛々しく無慈悲な方なのだろうか、と。

ですから、初めてお会いした時は、正直申し上げて、とても驚きました。熊のように黒いお髭をびっしり生やした大男を想像していたものですから、少し安心もいたしました。この街の貴族のご子息たちと並んでも遜色ないくらい礼儀正しくて、教養もおありで、お美しい殿方でしたので、少なくとも、お友達に恥ずかしがらずに夫を紹介できる、と思いましたの。

お人柄ですか?二、三度しかお目にかかったことがございませんので、詳しくは………私のことは、大切に思ってくださっていたように思います。美しい布をお送りくださったり、慣れない土地に嫁ぐのだから、と、輿入れの時にはこちらの調度を持っていけるように手配してくださったりもしていました。でも、お優しい、というのとは、少し違うような気がします。とても………どのように申し上げたらよいのでしょう………そう、とても隙のない方でした。

私などには、あの方のお考えは、計り知れません。ただ、私の相手をしてくださっている時と、父や他の高官の方々とお話しなさっている時とでは、まったく別の方のようにも感じられました。父に対する対面上、私への礼儀を尽くしてくださっていただけなのかもしれません。心を許してくださっていると感じたことは、残念ながらありません。今にして思えば、あの方の私へのお言葉は、とても遠回しではございましたけれど、ああしなさい、こうしなさいと、命令しかなかったような気もいたします。

いえ、別に………それが不満だったのではありません。貴族の娘に産まれた以上、政略結婚は当然のことですから。正妻としての立場を尊重してくださりさえすれば、格別の愛情を期待することも………ええ、あの方の一族では、妻を複数持つことが許されているとは、聞いておりました。でもそれは、表立っていないだけでこの街でも同じ事です。こちらのように、愛人を日陰者として扱うよりも、きちんと身分を保証している分、いくらかましなのではないでしょうか。

破談は………いいえ、こちらからお願いしました。はい、あの事件の後で。その前から、一族の中でのあの方の立場がだんだん難しくなっていっていることは、父は知っていたようです。丁度良い頃合だと、そのように申しておりました。

冷たい女だと思われるかも知れませんが、悲しいとは、思いませんでした。むしろ、安堵の気持ちの方が強かったように思います。

何故、とお尋ねになるのですか?そうですね、ええ………今なら申し上げられます。

私、あの方が恐ろしいと思っておりました。

一度、あの方が飼っていた不思議な生き物を見せていただいたことがございます。漆黒の翼を持った獣。大空を舞う姿があまりに美しくて見惚れていましたら、あの方が手元に呼び寄せてくださいました。つややかな黒い毛並みの中に、赤い瞳が宝石のように輝いていて。思わず手を伸ばしましたら、人馴れしないし、牙に毒があるから触らないように、と叱られました。

あの獣と、あの方はとてもよく似ていたと思います。異国情緒に溢れた美しい珍獣、と遠くから眺めている分にはよくても、近づきすぎると隠し持った毒牙にいつ刺されるか………。

はい、旅に出られたことは存じております。理由も、薄々は………でも、それはあの方の矜持に関わることでしょうから、いくらもう他人とは申せ、女の私の口からは申し上げられません。それが、あの方へのせめてもの誠意だと思っております。

消息ですか?いいえ、知りたいとは思いません。知らされても、私にできることはございませんし。あの方とのことは、あの、御伽噺に出てくるような美しいお姿だけを、思い出として留めておこうと思っております。

………もう、よろしいですか?そろそろ、仕立物師が来る時間ですので………ええ、婚礼衣装の仮縫いに………はい、今度は、この街の方です。お人柄ですか?直接お会いしたのは一度だけですから………でも、三日と空けずにお手紙を下さいます。筆跡が真面目そうで、文面がとても真摯で………愛してくださっているのだと、信じていられるようなお手紙です。

ですから、きっと幸せになれると思いますわ。




Talk 3 : カルデシム・ノイトバール

オシアン様のことだって?

嫌なことを思い出させてくれるな。あんな後味の悪い仕事のことなんざ、忘れていたかったのによ。

………俺は、傭兵としてあの人に雇われてたんだ。そう、ボディガードって奴な。二年くらいは、側にいたかなあ。

そう、面白い話だろ。バーラット産の傭兵が有名になりすぎて、一族の男どもはみんな出稼ぎに行っちまうんだよ。そっちの方が給料いいからな。で、部族の方は貧乏なんで、もっと質の低い連中を雇うしかないんだな。ああん?馬鹿言うな、俺は優秀だぜ。ただ、ちっとばかしワケありでな。あの人の側に仕えられさえすれば、給料なんざ、どうでもよかったんだ。

理由?そいつは、ちょっと勘弁してくれねぇかな………おい、何考えてんだ。確かにあの人は、あの強面の一族の中じゃ、飛びぬけて女みてぇななりだけどな、俺にそういう趣味はねぇよ。

ちっ………ま、いいか。教えてやるよ。俺の本当の雇い主は、カスィードのとあるお貴族様だ。傭兵っつーのは仮の姿でな。俺はその方の命令で、あの人の動向を監視するためにバーラットに潜り込んだ、いわゆる密偵って奴だったんだよ。

………そう言うと思った。確かに、カスィードから見りゃ、バーラットなんて辺境の小部族だよ。貴族の中でも、関心があるのは少数だ。ただ、その少数の中じゃ、あの人が反カスィードだってのは、常識なんだよ。

あのな、バーラット兵が、傭兵としてあちこちに散らばってる分にゃ、怖くねぇんだよ。そいつらをまとめて、故郷のために、って動機付けして、組織的に動かせる指揮官が出てきちまったのが、問題だったんだ。そう………カスィード貴族どもとタメで論戦張れるような頭の切れるヤツが、な。雇い主殿が心配してたのは、そこなんだ。

いや、例えバーラットが反乱起こしたって、負けるとは思ってねぇよ。指揮官や兵士がどれだけ優秀だって、絶対的な兵力が違わぁな。ただ、無傷じゃすまねぇだろうなあ。それに、あそこ出の傭兵と遊女たちは、この街の政治経済に一役買ってたから、それを失いたくなかったんだろう。

貴族たちの中には、懐柔に走る奴もいた。ある将軍閣下は、娘をあの人に差し出して、姻戚関係を結ぼうとしてたしな。逆に締め付けに走る奴もいた。確か、街道沿いで隊商が強盗に遭ったのを理由に難癖つけて、女子供まで何十人と強制連行したんだっけ。あれは、あの人にとっては火に油だったなあ。普段は何があっても動じません、みたいに取り澄ましてる人が、今にもカスィードに斬り込みに行きかねない勢いで激昂してたんだぜ。

………そう、世間じゃ冷静沈着、なんて言われてるが、俺に言わせりゃ、嘘つけ、って感じだね。付き合い始めた最初の頃は、いやもう、ガードが硬くてどうしようかと思ったけど、まあ、二年もべったり側にいて、『私は貴方の味方です』って言いつづけてれば、多少は素の部分も見せてくれるようになってたわけよ。そうしたら、見かけと中身じゃ大違い。腕力ねぇから、暴力沙汰にはなんねぇけど、あの人が本気で怒ったら、身内の首だって刎ねかねないね。ただ、俺が感心したのは、あの人は自分のそういう性格をちゃんと判っていて、かっとなってもとりあえず一呼吸置いて衝動を押さえ込める、ってとこだ。その代わり、一度冷静になって考えて、それでも自分が正しい、と確信したら、容赦ねぇけど。

結局、あの事件が契機だったんだよな。あの人はあの人なりに、一族のことを考えて精一杯やってたんだろうとは思うがね。ただ、さっきも言ったが、自分が正しいと思い込んだら、周りの意見なんざ聞きやしねぇからさ。弟君の提案を受けいれて交渉に行かせたのも、別に成功を期待してたからじゃない。あの瞬間に、弟君を犠牲にする覚悟を決めてたからだ。話し合いに行った族長の息子が殺されるなり囚われるなりすれば、それを大義名分に、堂々とカスィードに宣戦布告できる。勝っても負けても一族の誇りは守れるし、他の都市国家にも、バーラットの正当性を主張できる。そこまで考えてたよ、あの人は。

だから、捕まってた人たちが帰ってきた時は、ちょっとしたお祭騒ぎだったな。普段は顔も見せないバーラットの女たちが人目もはばからずに夫に抱きついて、親が死んでも泣かないはずのバーラットの男たちが、妻子を抱きしめて号泣して。あの人の主張どおり戦いを始めていたら、あの家族たちは二度と会えなかったんだよな。

あの人は、見かけはああだけど、実は一番、一族の古い気質を受け継いでいた人だったのかもな。バーラット族って、昔は砂漠を渡る遊牧民だったんだってな。自由を失うくらいなら誇りある死を選ぶ、みたいな。

ただ、さ。やっぱり、お坊ちゃんだから。誇りじゃ人はついてこねぇよ。せめて、家族が一緒に住めて、赤ん坊が飢えない程度の生活の保証があって、それからだよ、自由だ何だってお題目を唱えられるのは。

弟君が満面の笑顔で人群れの中から走り出てきた時、あの人にもそれが判ったんだろうな。何せ外では、夜になっても、歓声が止まなかったんだ。族長の名でも、若長の名でもなくて、自分が人質になるつもりでカスィード領主に直談判した弟君の名前を繰り返し叫んでた。あんなに判りやすい支持はないさ。誇りと共に死ぬことを命じる人より、埃にまみれても共に生きようと手を差し伸べる人を選んだってことだ。

それで、族長が、あの人にこう言ったんだ。

おまえの夢は、一族を滅ぼす、って。

事実上の、廃嫡宣言だよな。あの人は、反論しなかったよ。言いたい事はたくさんあったんだろうけど。

それからのことは………なんて言うのかな、あの人にとっちゃ、まさに砂上の楼閣が一瞬で崩れるような、そんな感じだっただろうな。それまでの独善のつけが一気に回ってきた。祭の余韻から普段の生活に戻って、ふと周りを見回したら、もう誰もいなかった。掌を返す、っていうのは、ああいうことを言うんだろう。唯一残ってたのが俺だった、ってのも笑える話さ。よりにもよって、敵の密偵だ。その俺にも、雇い主殿から帰還の指示が来てたんだがね。失脚しちまった以上、もう何も出来ないだろうから、見張ってる必要はない、ってさ。

で………黙ってずらかっちまえば良かったんだが、お芝居とは言え二年も側にいたんで、情が移っちまったのかな、俺としたことが。

暇の挨拶をした時にぽろっと正体をばらしちまったんだ。そうしたら、あの人、どんな反応をしたと思う?

………そうだよな、怒り狂って剣を抜くとか、得意の魔法をブチかましてくるとか。俺も、しまった、と思った瞬間、思わず身構えちまったよ。

でも、はずれだ。怒らなかった。むしろ、笑ってたよ。『道理で二年もの間、辛抱強く自分に仕えていたわけだ』って。それで、『どこへでも、好きなところに帰るがいい』って、追い払うように手を振って、背中を向けてそれっきりさ。思わず拍子抜けしちまったね。

あれが、あの人の最後の意地だったんだろうな、って、今はそう思う。

………ああ、噂は聞いてるよ。俺が出て行ってすぐ、誰にも何にも言わずにいなくなったって。居場所が、なくなっちまったんだろうな。弟君の下に付いてやっていけるようなのんきな性格じゃねぇし。

………俺がとどめを刺しちまったんだな、って思うのは、自惚れかねぇ。ここだけの話、あの人、俺にだけは、ほんの時折だけど、弱音を漏らしてくれるようになってたんだ。

だから、最初に言ったろ?後味の悪い話だ、って。ああ、悪いが、どんな弱音かは内緒だ。それを他人に話したら、俺は本当の人でなしになっちまう。

気難しくて頑固で、付き合いにくい相手だったけど………俺はあの人のこと、嫌いじゃなかったんだぜ。





Talk 4 : アルタミラ・イトゥシャ・バーラット

………若長のお話を?

あら、ごめんなさい。今の若長はノイシュさんでしたね。まだ、慣れませんの。ノイシュさんご自身が、そう呼ばれるのに戸惑っていらっしゃいますし。

お話と言われましても、オシアンさんのことは、今のバーラットではタブーになっていますから………いいえ、ユースフ様は何もおっしゃいませんけれど、ノイシュさんが、悲しまれますので。別に、ノイシュさんがお兄さんを追い出したわけではありませんのにね。

ええ、お付き合いは、あの方が生まれた時からです。私がユースフ様の第二夫人に上がった時と、ハリーファ様が御懐妊なさった時が、ちょうど同じくらいでしたから。女の子のように可愛らしいお子でしたわ。ただ、お母様に似られたせいか、ノイシュさんのように元気溌剌というわけにはまいりませんでしたけれど。そのせいで、ご苦労も多いようでしたわね。ほら、ここでは、男子は剣を使えなければ一人前じゃない、みたいなところがございますでしょう?

ええ、そうですね。自分の魔法は剣の代わりだ、とご自分でもおっしゃっていました。ですから、癒しの法などはあまり………剣では傷つけるばかりで、癒すことはできませんものね。その代わり、風や火を使うのはとてもお上手で。そうそう、ノイシュさんが、髪の毛を焦がしたり、手足に切り傷を作って私のところにいらっしゃる時は、大抵何かいたずらをして、お兄さんにお仕置きをされた時でしたわね。

いえ、ご兄弟の仲は悪くありませんでしたのよ。特にノイシュさんは慕っていらっしゃいましたわ。ハリーファ様が早くに亡くなられて、男兄弟はお二人だけでしたから。私や娘たちとも親しくしてくださっていましたけれど、やはり男同士でないとわからないこともございますでしょう?ユースフ様は、あまり子供たちへの愛情を表に出す方ではございませんし。オシアンさんの方も―――ノイシュさんは、顔を合わせるとお説教ばかりいただく、とこぼしていらっしゃいましたけれど―――可愛がっていらっしゃったのだと思います。いつまでも子供のようで、あのままでは自分に何かあった時に、安心して後を任せられない、と、私に打ち明けてくださったことがございますから。

………そう、とても真面目で、何事にも真剣に取り組まれる方です。カスィードへの反感にしても、一度バーラット人としてあの街に行ってみればお判りになりますわ。男の方はまだしも、一族の女性がどのように扱われているか………私の耳にさえ、血の凍るような噂が入ってくるのですから、一族の誇りを体現なさったようなあの方には、耐えがたいものだったのでしょう。

あの方は、責任感が強すぎるのでしょうね。全部自分で背負い込んで、思い詰めてしまわれるのかしら。族長の後継者という周囲の期待に応えようとして、ご自身を押し込めてしまっているように、私には感じられました。私はあの方の義母に当たりますから、折り折りにご機嫌伺いに来てくださいましたけれど………情けないことに、いまだにあの方のご趣味や、お好きな食べ物すら、よく知らないのです。旅商人から仕入れた話や本に書かれている昔話など、愉快だったり教訓になったりするお話を選んで、楽しい時を過ごさせてくださいましたけれど、ご自分のことはあまり話してくださいませんでした。私たちを心配させまいとしてくださったのか、女に愚痴をこぼしたくなかったのか、わかりませんけれど。

………あの日のことですか?思い返すと、今でも胸が詰まります。

あの朝、ノイシュさんが、案内も請わずにこちらに飛び込んでいらして。私が顔を隠す間もくださらずに、兄上がいない、何か知らないか、と、泣き出しそうなご様子で聞いてこられて………何が起こったのか、すぐには理解できませんでした。それから、屋敷内が騒然となって。

でも、ユースフ様が………あの方のお父様が、一言、捨て置け、とおっしゃって、それで、お昼前にはもう、いつもの一日に戻っていました。ええ………皆、あの方が出て行かれることを知っていたかのように。バーラットの男なら、あの方の立場に立ったら、誰でもそうするだろう、というようなことを申す者もおりました。ノイシュさんだけは、暗くなるまでずっと探していらっしゃったようですけれど。

あの晩、ユースフ様が、私にだけ、ぽつりとおっしゃいました。あれには重過ぎる荷だったのだ、死に場所を探しに行ったのだろうから、もう好きにさせてやろう、と………。

そうなのでしょうか?それが男の考え方なのですか?私だったら………もしあの方が私の実の息子だったら、例えどれほど惨めな思いをしても、生きていてくれた方がどれほど嬉しいか………!

ええ………ええ、大丈夫です。ごめんなさい、お見苦しい様を………。もう孫もいる歳なのに、情けないことですね。

ねえ、あなた。もしあの方がどこかで生きていらっしゃるなら………もし、お会いすることがあったら、伝えてくださいませんか?

お帰りを待っています、って。例え世界中が貴方を要らないと言ったとしても、貴方の弟と、妹たちと、私は、貴方が私たちの元に帰っていらっしゃるのを、いつまでもお待ちしています、って。