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第1章 平和と自由とその向こう

■Scene:《旅人たちの街道》

 数十頭も連なる駱駝たちの影が、黒々と伸びている。宿場町へ急ぐ商隊だ。
 その一頭の背に揺られていた小柄な青年フート・フェラスは、ふと顔を上げた。
「……ん」
 ひとり誰かにうなずくと、目が隠れるほどのざんばらな前髪の間から目をこらす。
 砂漠に沈みかけている夕陽。
 夕焼けに照らされて、ごつごつした丘の輪郭が、切り絵のごとく立ちはだかっていた。《神の教卓》と呼ばれる丘である。
 丘の上に、ぽつんと孤独な明かりを認めたフートはにこりと笑みを浮かべた。
「少しは、変わったんすかねえ」
 かたり。ぶかぶかのコートの中に携えたランタンが音を立てる。
「里帰りも悪くないかも、ですかねえ……」
 ランタンがまた音を立てた。
 フートは懐かしいまなざしで明かりを見上げ、ぐるりと首を回した。
 今はラハに向かう商隊の護衛中。だが、その契約も、もうじき終わる。行く末を見れば、ラハはすぐそこなのだ。人々や物資が行き交う場所ならではの、活気溢れる雰囲気がもう伝わってくる。長旅の終わりという安堵に包まれ、商隊の面々も等しく互いの労を労いあっている。今宵の宿を求める商隊がたどり着く頃合を見計らって、夕餉の支度をしているのだろう。たちのぼるいくつもの煙を見るなり、フートの腹がぐうう、と鳴った。正直なものである。
 街道の傍らで、別の商隊が護衛と口論している場面に出くわした。給金の支払いでもめているようだ。
 フートの隣で駱駝を御していた商人が、通り過ぎざま、からかい混じりの声をかける。
「ラハに着く寸前でご苦労じゃないか。もう日も暮れちまう。お互い腹ごしらえしてから続きをしたらどうだい?」
「あんた、良いこというね」
 ぱっと弾けるように答えたのは口論していた中のひとり、真鍮色の髪を後ろで結い上げている青年だ。体格は小柄なフートと変わらぬくらい。左右に帯剣している姿で、どこぞの剣士といったいでたちである。
「じゃ俺、ラハから先の仕事は下りるから。約束違えたのはそっちだからな」
 フートがぼんやり見ている間に、彼は自分の荷物と給金の小袋を手に、すたすたとラハへ向かって歩き出した。
 妙な沈黙の後、フートの商隊の隊長が、とりつくろうように言った。
「う、うちはちゃんと契約どおりの金は払うからな!」
 そうしてもちろん、お給料はきちんと支払われ、円満に商隊は解散、フートの護衛契約も無事終了し、彼は次の仕事を探さなくてはならなくなったのである。

■Scene:ラハ、《精秘薬商会》

「おや、今夜は何か賑やかじゃねーか」
 《精秘薬商会》を訪れたレディル・エームが、知った顔を見つけて会釈する。
 視線の先には、青みがかった黒髪を腰のあたりまで伸ばしたグラマラスな女性、ラムリュア・アズウェル。レディルはラハの住人、ラムリュアはパルナッソスの住人で、お互いここでよく顔を会わせるのだ。
 ラムリュアはいつものように、透き通った紫のヴェールをかぶっている。
「あら……」
 レディルに気づいたラムリュアは、大きな天秤で薬を量ってもらっているところだった。肩をすくめて店員に告げる。
「噂をすれば、向こうから来ましたね。彼が、さっきお話したレディルです」
「ああ!」
 カウンターの中で薬をより分けていた女性は、目を輝かせてレディルに手を差し出した。
「お客さんが、あの!」
「え、俺?」
 レディルは状況をよく飲み込めぬまま、女性と握手する。助けを求めるようにラムリュアをそっと見るレディル。しかしラムリュアは大きな胸をカウンターに預けるようにして、そ知らぬ顔で薬瓶の説明書きなど読むふりをしている。
「ええっと、どういうこと?」
「あんたの特技の話をしてたの」
「うん、聞いたよ。お客さんの“遠見”の話」
 女性は自分のことをイーディス・ディングラーデンと名乗った。《精秘薬商会》の商人である。飾り気のないシャツとズボンといういでたちで、少年のような印象を与える。
「みんなはイーダって呼ぶよ。今まで別の街で働いてたんだけど、訳あってラハに来たのさ。是非って頼み込んでね」
 イーディスの気さくな雰囲気に少し安堵して、レディルのほうもくだけた口調になる。
「へえ。また、どうして?」
 ラムリュアの薬をてきぱきと包みながらイーディスは答えた。
「面白そうな話を耳にしたから」
「お、もしかしてお宝?」
「調査隊って言うからには、お宝もあるかもしれないね」
 最後の薬を包み終えるや、イーディスは顔を上げてにこっと笑った。
「調査隊……パルナッソスの?」
 それまで興味のないそぶりをしていたラムリュアがつと口を開く。
「そうだよ。壁に出てただろ。もしかしてまだ見てないのかい」
 イーディスが示した先、掲示板の前にはちょっとした人だかりができている。ラムリュアは薬の包みをカウンターに置いたまま、立ち上がった。
 突然思い出したのだ。寝物語にふと聞いた、砂漠の調査隊の話。
 その時は詳しく聞かなかったけれど、本当だったのだ、とラムリュアは思った。
「ね。面白そうだろ? あたしも絶対参加するんだ。そのために、無理言ってこっちに来たんだから。どんな商売の種が転がってるか楽しみでさ」
「俺も、自分のお宝を見つけられるかな」
 レディルは自分の荷物から、使い込まれた一冊の本を取り出した。イーディスの見ている前で、白いページを開く。
「お客さん、なんだいそれ」
「これ? これは俺のお宝収集記録」
 白いページにはさっそく、パルナッソス調査隊、と記された。
「俺、今のご主人に拾われて、秘書というか骨董品の管理人というか、そんなことをやってるんだけどさ」
「ああ。鑑定だの何だので、《精秘薬商会》でもよく力を借りてるんだってね」
「他に役に立つ特技もないからね、俺」
 レディルがうなずいた。
 今日も実は、《精秘薬商会》がらみでお宝の“遠見”を片付けてきたところであった。依頼品は因縁めいた骨董品。殺伐とした手順を経て持ち込まれたことが感じ取られ、品物に残された想いを受け止めるレディルは、負の思念をたっぷりと浴びて少々ぐったり気味だ。
「……でも」
 くすんだ金髪をペンを持つ手で書き上げて、レディルは前のページをぱらぱらめくった。几帳面に綴られているのは、彼の心を打った数々の骨董品の記録、そしてまだ見ぬ掘り出し物の噂。
「いつか、自分にとって価値のある宝物を見つけたいから」
 そのことを考えると、自分の特技のことも、負の思念を受け取ることも、なんてことはないように思える。
 自分にとっての宝物。それはどんな形をしているのだろう? 誰の手から受け取ることになるのだろう?
「……あたしも参加する」
 ラムリュアも心を決めた。
 生来の好奇心という存在を思い出したのは、ラムリュアにとって久しぶりのことであった。

■Scene:ラハ、《精秘薬商会》(1)

「あ、昼間の……」
「剣士のおにいさん」
 《精秘薬商会》のカウンターで隣同士になったチトラ=シュシュナとフートは、互いを認めて声をかけた。
「やっぱりあんたも同業者だったか。みっともないところ見られちゃったなあ」
 チトラ=シュシュナは照れ笑いを浮かべた。
「剣士って呼ばれるのは嬉しいけど、我流だからな。冒険者だよ。俺チトラ=シュシュナ」
 フートは前髪の下で瞬き、繰り返そうとする。
「チト……チトラ?」
「チトラ=シュシュナ。これで名前」
 フートが手にしたカップに、勝手にかつんと自分のそれをぶつけるチトラ=シュシュナ。お疲れ様のつもりらしい。ごくごくと喉を鳴らして酒を飲み干すと、「あんたは?」と気さくに問い返す。
「フート。“根付かず”フートなんて呼ばれてるんすけどね」
「へえ。それにしても、なっがい髪だなあ」
 チトラ=シュシュナはカウンターに頬杖で、フートの髪の端っこをつまみあげる。まるで水が流れるように、毛先に向かって青々と光る髪である。
 精霊とお揃いなんです、と言いかけた矢先、チトラ=シュシュナの話題は別のことに移っている。
「で、“根付かず”フートはどっから来たのさ?」
「チトラさんと一緒っすよ。商人の護衛でここまで来て、次の仕事を探してるとこっす。実は、元々はこの近くに住んでたんすけどねえ」
「チトラじゃないってば。チトラ=シュシュナ!」
「うあ、すみませんっす」
「……まあ、言いにくいの分かるけど。シュシュくらいだったら略していいけどな」
 結い上げたくせのある髪を振る。大げさな仕草で、仕方ないと肩をすくめてみせた。
「シュシュ、可愛いっすねー。女の子みたいっす」
「うっ。俺が気にしてることをっ……いいや。え? ラハ出身なのか? 生まれた街に帰ってきたんなら、ちっとも“根付かず”じゃないじゃないか、よかったなあ……なんだか魚みたいだけど」
 フートが何と答えようか考えている間に、シュシュは二杯目を頼んでいる。
 出身地はラハではなくて、パルナッソスであること。元々、物心つくかつかないかの頃に孤児院に入れられて、街を出てからは各地を放浪していたこと。放浪の間には随分いろんなところに厄介になってきたこと。
 それらを説明している間にも、シュシュは冒険者仲間に挨拶をしたり、料理を注文したりと忙しい。人懐こさは彼の特技でもあるようだ。初めて訪れた場所でもすぐに馴染んでいる。
「そっか。フートは孤児院育ちか。俺とちょっと似てるかも」
「シュシュさんも、っすか?」
「俺の場合は神殿だったけどな。ホラ、先の戦争の後、戦災孤児を神殿に集めて……ってのをどこの国でもやっててさ。俺もそのひとり」
 両手にカップを持って、フートはミルクを一口飲んだ。脇に置かれた小さな杯にも一匙ぶんのミルクが入っているが、こちらは妖精用、ということらしい。
 戦災孤児たちも立派に大きくなった。自分の食い扶持を稼げるまでに。戦争の傷跡は薄れていこうとしている。パルナッソス孤児院は変わらないだろう。フートがちょうど、思いを馳せていた時、またシュシュが尋ねた。
「な。パルナッソスってどんなとこ?」
「ええと……変わったものは、あんまりないとこっす。岩と砂があって、風が強く吹いてるとこっすよ」
「アダマスって奴のことは知ってるか?」
 シュシュは親指立てて、店の掲示を見るように促した。
「さっそく見つかったみたいだぜ、仕事。しかもあんたの故郷の仕事だとさ」
 残念ながら、フートは教区長のアダマスという名に聞き覚えはなかった。
「適性って何だろうなあ。ねえおい、あんたどう思う?」
 シュシュはさっそく、同じ掲示に興味を示している旅人を捕まえて、特殊気候だの適性検査だのについて話し始めた。
 フートはといえば。
「健康状態、問題ないっすよ。うん、持病もなし。頭は……人並みには働くと思ってますが、螺子が緩いとか言われるっすかねー……」
 どんな検査が待っていようと、面白そうなことには変わりない。
 フートもシュシュや他の者たちの会話に遅まきながら加わった。

■Scene:ラハ、《精秘薬商会》(2)

 賑やかなのは《精秘薬商会》の常であるが、今日はいつにも増して賑やかなようだ。輪の中心にいる老人、ホールデンが大人気であるかららしい。彼の周りには人が耐えることがなかった。イーディスなど、何度酒を運んだかもわからない。中でもスィークリールの出会いについて聞きたがる者は多く、自然と話もからくり犬のことになる。
「……そこでめぐりあったが百年目。おおワシの相棒、ワシの片腕、ワシの伴侶!」
 ホールデンがスィークリールについての質問攻めにあい、すでに呂律の回らぬ口調で繰り返している。こちらは、すでにもう明日にでも、調査隊に志願しにいくことを決めた面々だ。
 ティカ・エイブン、ダージェ・ツァンナ、ヴィーヴル、カイン、パーピュア・クリスタル、そしてヨシュア・クラン。
 ホールデン曰く「赤んぼに毛の生えた程度」の駆け出したちに囲まれて、熱弁も絶好調。
 紅顔の美少年であったホールデンは、幾度目かの旅の途中、暗闇に紛れていた化け物蛇の巣に閉じ込められてしまう。運の悪いことに、その前の旅で手に入れたばかりの愛剣も、化け物蛇の鱗を滑るばかりで傷をつけられず、逆にはじき飛ばされてなくしてしまう。魔物の餌食になるまいと巣の中を逃げ回るホールデン。たどり着いたのはうず高く財宝を積み上げて作られた蛇の寝床、そして背後には寝床の主の姿。
「それでそれで? 絶対絶命のオモシロじーちゃんはどーしたの?」
 聞き役のひとり、ダージェはさっきからホールデンのことを「オモシロじーちゃん」と呼んでいる。ストロベリーブロンドの髪を肩につくかつかないかの長さで結んでいる少年剣士は、大きな瞳を輝かせて話の先を促した。
「おおそうさ。ワシは焦った、なんせ愛剣メランコリイはとうに失ってしまった。鱗がこすれる音はすぐ側から聞こえてくる。とぐろを巻いた化け物蛇めが、ワシを狙って引き裂かれた舌をチロチロ嘗め回しとるわけじゃ。金銀財宝を目の前にして、絶体絶命、万事休すじゃ!」
「くうーっ。たまんねえな、その場面! それで、それで?」
「それで? それで?」
 ダージェの隣で、ヨシュアも身を乗り出している。手にはペンと帳面。勇士の冒険譚を余さず書き取るつもりである。最初はスィークリールを膝に乗せたホールデン老人を描こうとして帳面を取り出したものの、武勇伝も気になって、迷ったあげくにスケッチは後日と決めたのだった。
「そのとき! 孤立無援と思っておったワシの背後から、愛剣メランコリイを咥えた犬が飛び出したのよ!」
「き、来たあっ!」
「その犬こそが、スィークリール。愛剣メランコリイを手に入れたワシは、からくも出口を見出して、立ちふさがらんとする蛇めの喉元を一突き!」
「やたっ」
「奴が怯んだすきに、スタコラと逃げ出した。メランコリイが傷つけぬ物を、ワシが力ずくで切り伏せるわけにはいかんからなあ!」
「そうかあー」
「やっとのことで巣から這い出すと、一目散にワシは走った。ところが後ろから追いかけてくる気配がある。すわ魔物の追跡かと思いきや、振り返ってそこにいたのは、コイツだったんじゃ。どういうわけか、ワシの後をついてきたがっとった。そこから、スィークリールとの旅が今日までも続いとる」
 一堂はほうーとため息をついた。
 ホールデンも喉を潤し、スィークリールの背をぽんと叩く。
「元は化け物蛇が捕まえたか、巣に迷い込んだかした生身の犬じゃ。それが、魔物めが蓄えた中にあった呪われしお宝に、半身を食われたようじゃ」
「へえっ、そーなんだあ!」
 ダージェがニコニコしてスィークリールの毛並みを撫でる。からくり犬は大人しく尾を振っている。
「こいつ、何か食うの? 何食うの?」
 肉の揚げたのを山盛り皿に持って、シュシュが尋ねた。
「こういうの、好きかなあこいつ」
「食わん」
「ちぇっ、つまんねえなー」
 代わりにといわんばかりに、肉はシュシュの口の中へ。
「よくわからんが、時々花を食っとるわい」
「花あ?」
「変な犬ー」
「いいなあ。俺も一匹欲しいなあ。ね、俺に貸して、じいさん」
「ダメじゃ」
 シュシュはがくっと肩を落とす。
「……だろうなー。そういうと思ったけどさ」
 ダージェの隣に割り込んで、シュシュはすりすりと金の毛並みを撫でた。

■Scene:ラハ、《精秘薬商会》(3)

「それはきっと神が遣わしたしもべなのですよ。勇士ホールデン」
 ホールデンの与太話がひと段落したと見るや、カインは柔らかな口調で勇士のいさおしを称えた。聖職者らしく聖印を結ぶ仕草を添える。
「ほほう」
 まじまじと目を見開き、ホールデンはカインを見つめた。
「アンタ《聖地》の神官かね?」
「……いいえ」
 少し語尾が尻上がりになった答え方であった。
「なんだ、違うのか」
 残念そうなヴィーヴル。
 カインは指を組んで答えた。
「神に仕える者という意味でしたら、そうです、と答えましょう。ただ《聖地》のことは、別の方にお聞きになったほうがきっと」
「オレは《聖地》を目指してるんだよ」
 ヴィーヴルの指先が、コツコツとテーブルを叩いた。
「お前が神官なんだったら、《聖地》がどんなところか、どんなことを学べるのか、聞きたいこともあったんだがな」
 ヴィーヴルの茶色い瞳は、カインの装束に向けられる。簡素でゆったりとした白い長衣は、ヴィーヴルが聞き及ぶ《聖地》の人々の装いであった。
 太陽の光のような明るい金髪、そして整った顔立ち。どう見ても、ヴィーヴルが想像したとおりの旅の宣教師の姿である。
 カインに違和感があるとすれば、ここまで旅を続けてきたにしては日に焼けていない顔――とはいえ別に珍しいことではない――と、長衣の裾や袖口からのぞく手首やくるぶし、喉元まで、ぴったりとした黒い肌着で覆われていることだ。
 南方地域育ちの上、開放的な性格も加わり、ほとんど胸元全開のシャツ一枚で過ごすシュシュや、手の込んだ刺繍の織布を胸元から身体に巻きつける衣装で、寒くない程度に露出の多い姿のラムリュア。ラハあたりではそんな薄着の人々も珍しくない中で、まったく肌を見せないカインは、やはり目立つようである。
「アストラへ行く途中だったのですか」
「そうだ。ま、師匠の言いつけだけどな」
 そのときの場面を思い出し、ヴィーヴルは欠伸する猫のように顔をしかめた。時に師匠が告げる理不尽な指示のいくつかも、思い出したのであった。
「何だか師匠のことを思い出したら、腹が収まらなくなってきた。おっかしいな、オレ師匠のこと嫌いじゃないんだけど……おおい、酒、もう一杯!」
 すぐにイーディスが、なみなみと注いだ酒を持って飛んでくる。カップを受け取るや、ヴィーヴルは美味しそうに一口飲んだ。
「話、聞こえたよ。アストラを目指す人は多いんだってねえ」
 《精秘薬商会》に立ち寄る人々の話を聞き覚えたイーディスである。
「でもどっちかというと、そっちのお客さんのほうが学者風だね」
 テーブルの隅でひたすらペンを動かしているヨシュアが、自分の話題らしいと気づいて顔を上げる。手元はちょうど、スィークリールの話を一通り記し終えたところだ。丈の長い、青い上着の袖口をはたくヨシュア。
「そう見えるかな、俺?」
 ヴィーヴルもついうなずいた。
「剣士には見えない」
「はは、それもそうか。おっしゃるとおり、博物学者ですよ」
 ふうんと呟いたイーディスは、ヨシュアの手元の記録帳を覗いて驚いた。スィークリールの姿かたちから始まり、鳴き声、音、動き方、そしてホールデンの武勇伝に加えて、旅人たちから聞いた噂話までもがびっしりと、記されていたのだ。
「博物学者って大変そう!」
 ダージェも感嘆の声を漏らす。たくさんの細かい字が並んでいる頁を見ているだけで、何となく彼には小難しく思えてしまう。
「そうでもないよ。趣味みたいなもんだし」
「趣味? いっぱい書くのが?」
「聞いたり、書いたり。つまりその、留めておくことが好きなんだ」
 そういったヨシュアは少し胸をはって、誇らしげである。
「あんたも志願するんだ、調査隊」
 腰に手をあて、ひとわたり一堂を見渡して、この面子は面白そうだとイーディスは瞬いた。
「もちろん。パルナッソスという街について知りたいし、歴史も文化も地形も砂漠も、とにかくなんでも知りたいし」
 まだまだヨシュアの知りたいことはたくさんあった。書き留めても書き留めても、時間が足りない。頁が足りない。ラハに着くなり筆記用具の補充は済ませたものの、果たして足りるかどうか。そもそもこうして《精秘薬商会》で過ごしているだけでも、記録するべき言葉が次々に聞こえてくる……。
「ねー、イーディスサンっ」
 ダージェはぴょこんと立ち上がり、こぶし一つ分ほど背の高いイーディスを見上げる。
「イーダで良いよ」
「イーダサンも調査隊になるんでしょ?」
「ああ、適性検査に通ればだけどね」
 それを言ったら全員そうか、とイーダはひとり思い直す。
「じゃあボク、砂漠でも特殊気候の中でもちゃんとイーダサンを守るからさっ」
 イーダはきょとんとして、年下の少年を見つめ返した。ストロベリーブロンドの少年はにこにことしたままイーダの視線を逸らさず、言葉を続ける。
「ボク女の人は守るよ!」
「感心じゃな、男は女を守ってやるもんじゃ」
 ホールデンはダージェの宣言にうむ、と重々しくうなずいた後、げっぷをした。
「女、女、って……何だよ、それ」
 答えたのは無論イーダではなくティカだった。不満そうな、馬鹿にしたような、なんともいえない口調。
「あ」
 ダージェが付け加える。
「もちろんティカサンも守るよ」
「も、って何だよ、ティカさんも、って! そーじゃなくて、おれは別に守ってほしくなんかねーって!」
 やっぱり、怒っているのかもしれない。
「だから女の人は大事にしないと」
 ダージェはけろりとして答えた。乱暴な言葉遣いであろうが、年下のおちびさんであろうが、ダージェは女性に優しくする主義である。
「ね。旅の間も安心してて」
「いーんだよおれはっ! 自分の身くらい自分で守れるんだから!」
 なぜか間に挟まってしまった格好のイーダが、まあまあとふたりをとりなすのだった。

■Scene:ラハ、《精秘薬商会》(4)

「ところであなたは、なんでこの街に?」
 筆記具の先を軽く噛みながらヨシュアが尋ねた相手はカイン。
「理由ですか?」
 カインは軽く驚きを浮かべ、少し考えてからこう答えた。
「やはり、神の存在に少しでも近づきたいからですよ」
 ここまで来る途中、街道から眺め見た《神の教卓》の威容を瞼に思い描く。ごつごつした岩肌に、かすかにでも神の御しるしを目にすることができないだろうかと、目を凝らしたものである。
 さらにカインは続ける。
「《神の教卓》という不思議な名前の場所があることを知ってから、ぜひとも真実を知りたいと思うようになりました。思いが募って、ついにここまで来たのです」
 それを聞いてヨシュアも、自分も《神の教卓》なる名前の由来を知りたいと言った。
「気になりますよねえ」
 記録帳には、道中に書き留めた《神の教卓》の記述もあった。
「神々にまつわる逸話でもあるんじゃないかって、期待しちゃいますよ俺。ラハの人たちに話を聞いてみたけど、由来や歴史を知っている人がなかなかいなくて……」
「そう簡単には、神には近づけないものですよ」
「おっしゃるとおりですねえ。急ぐつもりはないんですけど、知りたいことが次々出てきて追いつかないや」
 記録帳を閉じ、はははとヨシュアは笑った。
「私も期待しているのですよ」
 カインは壁の掲示につと顔を向け、ゆっくりと続ける。
「これが教区長じきじきの正式な依頼ということなのでしたら、ここでの発見は神学の歴史を塗り替えるかもしれません。それを考えると、何としても調査隊に加わりたいものです」
「歴史を……そうなんですか!」
 ヨシュアの目が輝きを帯びる。
「可能性は高いと思います。パルナッソスは聖騎士団領第24区にあたります。聖騎士団領というのは、簡単にいうと統一王朝の直轄地ですから、統一王朝にとって重要性の高い地域なのは確かだと思います。それに、ここは《神の教卓》も近い」
 この手の話題に詳しいカイン。
「そもそも聖騎士団は、統一王朝の守護の要です。かつて《聖地》に仕えた神殿騎士たちが母体となって、今は統一王朝の要衝を守護している。第24教区もそのひとつというわけです」
「ってことはパルナッソスの街は騎士だらけ?」
 カインは首をかしげる。
「ちゃんとした騎士団員が常に待機しているところは限られていたはず。辺鄙な場所柄ですから、パルナッソスの場合もおそらくは形式的に教区長を派遣しているのだと思うのですが、どうでしょうか」
「ああ。教区長アダマス氏」
 盾父と呼ばれているらしい教区長の話は、数人から聞いていた。
 それを聞いてカインはこくりとうなずいた。
「盾父というのは《涙の盾》に仕える者に対する尊称ですね」
 カインは自ら学んだ兄弟神の予言について、手短に説明した。
「天宮の神々が《大陸》を去った後、《大陸》に残った三柱の兄弟神――《痛みの剣》・《愁いの砦》・《涙の盾》。彼らは《大陸》を危機に陥れた魔女と戦った後、ひとつの約束を残したのです。それが、聖女フィーナの福音と呼ばれる書物に書かれています。原典はもはや失われてしまいましたが、書かれていた内容は今も広く伝わっています。それがかの預言……」
 カインはしばし言葉を切って、天を仰いだ。
「――《大陸》に満ちるすべての争いがなくなったとき、再び地上に神々が降臨し、長い至福の時代が始まるのです」
 ああ、とヨシュアは深く肯んずる。
 預言を胸に刻み平和な時代を熱望した者、そして平和をつかみとろうとした者たちの血まみれの闘争の果てに、今の《大陸》があるのだ。
 統一王朝ルーン。
 それは神々の時代の再来を告げるはじまりの朝となるはずであった。
「ですが、預言はいまだ成就していません」
 そういったカインの声は、苦しげでさえあった。
「統一王朝が復活し、戦争が終結したにも関わらず、神々はその姿を人の子の前に現さないのです」
「……なぜでしょう。まだ俺たち、神に認められていないんでしょうか。地に足ついてないぞ、とか?」
「尋ねることが許されるならば、ぜひとも尋ねたいものです」
とカインは答えた。

■Scene:ラハ、《精秘薬商会》(5)

 パーピュアもカインと同じように、旅の理由を尋ねられた。
「私?」
「一人旅だろ? おれとおんなじだな!」
 年が近いとみたティカは、長椅子の隣に割り込む。ふたりが並んで座ると、どことなく似た印象である。
 ティカもパーピュアも、くりくりと大きな瞳がまず顔の中で目立っている。
 パーピュアの濃い色の髪は、光があたると紫がかって見えた。それを肩につかない長さに切りそろえ、おかっぱにしている。ピンクの花飾りがちょこんと左耳に添えられていた。ティカの場合は金茶色のショートヘアで、いかにも動きやすそうにしましたという雰囲気だ。
 衣服はそれぞれまったく違う。
 特にパーピュアの衣装は、カインとはまた違った意味で目立っていた。このあたりでは見慣れぬ羽織袴である。
「たしか、宝石道師って名乗ってたよね。パーピュアサンは」
 ダージェは女性のこととなると覚えが良いらしい。
「ええ。ピュアでいいですよ」
 パーピュアは、頼んだオレンジジュースをイーディスから受け取った。その仕草はゆっくりとしている。せっかちなティカは、自分がとってあげるのに、とうずうずしながら見ている。
「私の一族は皆、宝石道師なのです。生まれつき、めいめいが石の力を身に帯びているのです」
「ふうん?」
 ダージェはよく分からないといった顔で頬杖をついている。
「石ってあの、そのへんの石?」
 パーピュアは、びっくりするほどゆっくりと、首を振った。
「“そのへんの石”の声は聞こえないの。私の場合は、アメジストという宝石が力を貸してくれる。というよりも、アメジストに突き動かされている、といったほうがいいかもしれない」
「すっげ!」
 両のこぶしに力を込めるティカ。
「じゃ、戦う時にこう、宝石から光がぱあああっと出て、相手をやっつけたりするんだ?」
「ううん、しない」
「なあんだ」
「そのかわり……」
 パーピュアは長椅子から滑り降りると、きょろきょろと《精秘薬商会》の店内を見渡す。
 と、目的のものを見つけたとみえ、ある人物の腕をつかんだ。
「んっ」
 相手はレディル。ラムリュアと話していたところを、突然見知らぬ、しかも異装の少女がやってきたものだから、目を白黒させている。
 パーピュアは小さな口をきゅっと結んで、レディルの袖を引っ張った。
「あなた、ちょっと疲れてるでしょう」
 いきなりの問いに、けれども根が人のいいレディルは、そうだなあ、最近倉庫にこもりっぱなしでお宝鑑定を続けてたから、などと真剣に答える。
「うん……ほら、ね」
 パーピュアが微笑む。それは不思議に大人びた笑みに、レディルには見えた。
 そう思った瞬間、パーピュアがつかんでいた腕からほのかな温もりが伝わってくるのが分かった。
「怖いのを見たんでしょう? もう大丈夫」
 その言葉でレディルは気がついた。仕事で“遠見”をした後の疲れや重苦しい感じが、和らいでいる。何より、あの骨董品が抱いていた悲しみが、柔らかな月光に照らされる夜のように引いていく。
「……ああ」
「ね、よかった。あなたの石も喜んでいるみたい」
 レディルは今度こそ驚いた。彼が大切にしている緑色の小石のことを、誰かに教えたことはなかった。宝石でもない、他の人にとってみればきっとなんの価値もない小石。けれどレディルにとっては、大切なお守りなのだ。
 それを。この少女は。
「どうしてわかったんだ?」
 パーピュアは、レディルの茶色の瞳を見上げて微笑む。
「わかるから、出来るだけのことをするんです」
 少女の答えに面食らうレディル。戦乱の時代に《大陸》をさすらい、人々を癒したという一族の噂のことを聞いたことがあったのだが、この少女もその裔なのだろうか。
 骨董品が持つ記憶を受け止めるというレディルの力。それを癒して昇華させられる少女の力。
 その二つの力の間に、どこか似たものを感じるレディルであった。

■Scene:ラハ、《精秘薬商会》

 エディアール・ノワイユはしばらく黙したまま、旅人たちの噂話に耳を傾けていたが、やがて賑やかな輪からついと抜け出し、カウンターを行き来している《精秘薬商会》店主に声をかけた。
「教区長のアダマスというのは、どういう人間だ?」
 よく通る声だ。店主は物怖じせず、長身の探検家の姿をじろじろと眺めた。
「依頼人が気になるかね」
 短く整えた黒髪、アイスブルーの瞳、ポケットの多い上着とズボン。いかにも場慣れしていそうな姿である。 彼の襟元に小さく光る紋章を認め、店主はふんと鼻をならした。そして、背後に向かい顎をしゃくる。エディアールの目に、いくつも並んだ甕が映る。
 同じ形をした甕の中身は酒だ。旅人たちが集まる《精秘薬商会》では簡単な食事も出すのだが、中には自分専用に、甕ごと酒を買って店に預ける人間もいる。アダマスもそのひとりというわけだ。
「奴さん、しょっちゅう来るぞ」
 店主が重そうに持ち上げた甕にぶらさがった札には、確かにアダマスの名が記されていた。
 しかも銘柄は「大吟醸・極星」。このあたりでも有名な銘酒のひとつだ。
「飲んだくれの小役人、か?」
「そこまで悪くいっちゃ罰があたるな。いいお客だからねえ」
 店主が言うには、アダマスはパルナッソスの学者連中を引き連れてやって来て、酒を飲みながら議論しているそうである。どんな話を、と尋ねられて、店主はうなった。
「そうだなあ。難しそうな話が多いかな。神だとか、信仰だとか。あとはまあ、最近の《大陸》の話なんかもしているみたいだけどな」
 どういう人間なのだろう。エディアールはまだ見ぬアダマスという依頼人を想像しようとした。型にはまった聖職者ではなさそうだ。
 しかし何故、わざわざ調査隊員を募集したのだろうか。店主の話では、パルナッソスに滞在している学者たちとも懇意にしているようである。《精霊の島の学院》に頼めば、いくらでも専門の学者を派遣してくれそうなものなのに、何故だろうか。
 依頼の裏にある理由が、エディアールは気になった。
「《学院》との間に確執でも?」
「表向き、交流を深めているように見えるがね。裏で互いに隠しごと……なんて男女の仲ならよくある話だろう」
 《学院》に知られたくない秘密がそこにあるならば。
 エディアールはゆっくりと息を吸う。
 出番だ、と。
「店主、まだ尋ねたいことがある」
 エディアールは旅人たちの一団をそっと示した。中心にいるのはホールデン老人だ。
「伝説の勇士という触れ込みの、あのじいさんのことだが」
「何者かって?」
 うなずく探検家。
「どう思う」
 逆に問われて、エディアールは一瞬の後答えた。
「古き良き時代を懐かしむ、行き場のない元戦士ってところか」
「そんなところだろうな」
 店主は頼んでもいない酒をエディアールに注いだ。
「面倒見てやっておくれ」
「何だって?」
 エディアールが眉をしかめ、聞き返した。
「奴さん、いつもうちで管を巻いているだけさ。ラハに流れてきてもう一年になるかな。かつてどれほど強かったか知らんが、なんせ当時を知ってる奴なんていない。大方、よそで何か起こしたんじゃないかね? なんだかんだ言って、ラハの居心地がいいんだろ」
 無言でエディアールは酒に口をつけた。大吟醸・極星は辛口だった。

■Scene:パルナッソス、学舎

 次の日。
 カッサンドラは学舎の前庭に立っていたが、旅人たち一行が急坂を登って来る様子を認めると、アダマスの元へと報告に戻った。
 が、彼の姿はいつもの執務室にはなかった。
 カッサンドラが教区長をようやく見つけることができたのは、学舎の裏手。
 風の強いその場所に、腰を下ろして絵を描いている青年がいた。暗い深紅の旅装に、透けそうな金色の髪が風にはためいている。リュシアン・ソレスである。
「すっげー! うまーい」
「ほんとだあ。はやーい」
「あの丘、形そっくり!」
 孤児たちがわあわあと騒いでいる。
「大したもんだねえ。でも本職じゃないんだろう? 本職の画家だったらこんな人気のない、売れない場所で絵なんか描かないものな」
 アダマスも孤児たちと一緒になって、リュシアンが筆を走らせる後ろから茶々を入れている。
「はは、ご慧眼ですね」
 リュシアンは柔らかい笑みを浮かべて、風に乱れた髪を耳にかけた。
「建築家、ということになってます。僕」
「ほう。建築家ねえ。立派なものだ」
「けんちくかってなあにー」
「……ほれクレド、説明してやりたまえ」
「オヤジ、面倒だからって俺に説明させる気」
「わあ、この雲ほんものの雲だよ、雲で描いてるよお」
 そんなやりとりをしている中、リュシアンがカッサンドラの存在に気づいた。
「着いたようです、盾父」
「ああ。うん」
 アダマスはカッサンドラの方へ歩きかけ、最後に振り向いて言った。
「それにしても君、上手いもんだねえ」 
「リュシアンです」
「建築家のリュシアンか。興味、あるんだろう? 君も来るといい」
「えっ」
 リュシアンが描きかけの絵から顔を上げ、アダマスを見返した。
「さんざん子どもたちに聞いてたじゃないか、何の調査なのか、どこに行くのか、生物なのか地質なのか……」
 ああ、と声を漏らしてリュシアンは立ち上がった。
 その拍子に描きかけの絵が風に飛ばされる。子どもたちが悲鳴をあげ、手を伸ばすものの届かない。わあわあと叫ぶ子どもたち。絵をつかまえようと大騒ぎだ。
「ご存知だったんですね」
「あの子らじゃ大したことは知らなかっただろう? まあ来なさい。話はそれからだ」
 たしかにアダマスのいうとおりだった。直接教区長やカッサンドラに会う前に、と思って孤児たちに話を聞いてみたが、思ったような話は聞くことができなかったのだ。
 情報収集は後回しにして、リュシアンはいそいそとアダマスの後についていく。

■Scene:学舎、講堂(1)

 学舎の講堂――とカッサンドラは言った――に通された旅人たち一行は、ざわざわと落ち着きなく依頼人の登場を待っていた。
 そしてアダマスが講堂の扉を開いた瞬間、真っ先に行動したのはスィークリールだった。すなわち、ホールデン老人の連れていたからくり犬が、アダマスに飛びついてその頬をぺろぺろと舐めたのである。
「盾父!」
 カッサンドラは驚いて、からくり犬を捕まえようとした。スィークリールは一声威嚇すると、カッサンドラの腕を蹴ってホールデンの元に駆け寄った。そのどたばたがおかしくて、緊張していたような旅人たちの間からも、くすくすと笑いがこぼれる。
「……盾父、ご無事ですか」
「ま、悪くないが良くもない」
「ああー、アンタが教区長殿かね」
 酒臭い息でしゃべりだしたホールデンに、カッサンドラの眉が動いた。
「いかにも私が教区長のアダマスだが」
 アダマスが一行を見渡した。頭数を数えたところ、両手両足の指に余るほどの旅人たちが集っていた。
「あんた方が、学術調査隊の志望者ということで間違いないかね?」
「その通りぃ。泣く子も黙るホールデンさまが調査隊に入ってやってもよいぞ」
 ヒックとしゃっくりをあげるホールデンに、アダマスは気を悪くした素振りはない。むしろ面白がっている風だ。
「老若男女問わずって書いてあったぞ。オレがラハの街で見た募集には」
 ヴィーヴルはそういって、ホールデンとアダマスを交互に見つめる。
 元々知識欲が旺盛で錬金術師になったヴィーヴルである。学術調査という魅力的な表現に心を奪われ、本来アストラへ向かう旅の途中だったのを盛大に寄り道することにしたのだった。
 気になるのは、学術調査という名目とはいえ多少危険も伴うのであろうこと。わざわざ老若男女問わずと記された本意はどこにあるのだろうか。ヴィーヴルはその点にも興味がある。
「なるほどな。ここまで律儀に老若男女入り乱れてくれるといっそ嬉しいね」
 アダマスの視線はティカ、パーピュア、ダージェのあたりを彷徨った。
 視線に気づいたティカはくりっと大きな黒目を動かすと、身に帯びていたカタールをすばやく構えて胸を張った。
「おれの強さが活かせる仕事だったらいいんだけどなぁ!」
 どこからかリンゴを取り出し、放り投げて落ちてきたところを真っ二つにしてみせる。
「ほら、ほら。子どもだからって役に立たないなんて思わないでくれよなっ。カタール持たせたら、ちょっとしたもんなんだぜ!」
 言葉遣いは乱暴だが、まだまだティカの声は甲高く、少女のそれである。
「へえ、すごい」
 ティカの技に感心したのはアダマスではなく、自らを放蕩息子と紹介するリュート=レグルスであった。彼はティカに拍手を送り、「僕が調査隊に入りたいのは、何か新しいものが見たいからなんですよ」といった。
 同じ思いを抱く旅人たちがしきりにうなずく。
「学術調査というからには、何か変わったものを調べるんでしょう? 退屈しなさそうでいいですね。それも、長期間」
 リュートの台詞を聞いたカッサンドラが、ちらりとアダマスを気にした様子を見せた。かつて盾父が彼女に言った言葉を思い出したのである――いつの世にも、そういう連中はいるものさ。暇というものに耐えられない連中が……――。
「必要とされている能力は、体力じゃねぇよな?」
 腕組みしたクオンテ・シスキスが独り言のように低く呟いた。深緑色の瞳を伏せてかぶりを振る。
「あ、そうなの?」
 クオンテとは対照的に、リュートの言葉は軽い。
 リュートは知る由もなかったのだが、ある日突然思い立ってクオンテは旅に出たのだ。そのまま放浪し続けてラハまで辿りついたところまで、彼らの身の上はそっくり同じであった。
 ただ、その心のありかたは正反対だ。
 捨てるように置いてきた家業や過去を後ろめたさとして背負い続けるクオンテ。ほがらかに気の向くままに楽しいことだけを追い続けるリュート。
「年齢制限は、ないんじゃろうが」
 ホールデンが息巻く。
「頭が良いことって条件もついてなかった。そうでしょう」
 ラージ・タバリーがそっと口を挟む。おっとりとした響きのその声に、隣にいたホールデンがうわっとのけぞった。スィークリールが弾けたように尾を振りだす。
「……どうかしましたか、ホールデンさん」
 ラージが尋ねると、老人は胡乱そうにラージを見返した。
「おまえさん、いつからそこに立っとったね?」
 いつって最初からここにいましたよ。濃い灰色の外套に包まってラージはそう思ったが、答える代わりに人の良さそうな笑顔を浮かべ、肩をすくめた。
 いつもそうだ。ラージのほうで特段気配を消しているわけでもないのに、なぜかよくあるのだ。彼がいることに気づいてもらえないことが。
 恐らく顔立ちが地味だからだろう、ラージはそう自分で納得していた。
「……それで教区長さんや、依頼の中身だがね」
 ホールデンの興味はすぐにアダマスとのやり取りに戻っていったが、ふとラージは別の視線が自分を見定めていることに気がついた。エディアールだった。何気なさを装って、外套の襟の中に首を縮める。
 ばれたかな。でも、ラハでもこの街でも、まだ何もスってないし大丈夫、かな。
 生きるための生業として泥棒を選んだラージである。エディアールは探検家と名乗っていたから安心していたのだが。まさか、あれは官憲じゃないよな。
「まあ、その前に自己紹介かな。あ、ご老体は結構。お名前はもう教えていただきましたからな」
「……フン! とっとと頼むぞ。そろそろ腰が痛いんじゃ」
 集まった旅人たち16名はそれぞれに簡単な自己紹介を済ませ、ようやく話は本題に移ったのだった。

■Scene:学舎、講堂(2)

「パルナッソス学術調査隊では、老若男女、見てくれのよしあし、そういううわべのものは一切問わない。これから向かう場所ではむしろ、あんた方がこれまでどんなことをしてきたか、そしてこれからどうしたいと思っているかが重要になる。あんた方の働きそのものに私は報酬を払うつもりだ」
 アダマスの言葉に、ヨシュアとシュシュから矢継ぎ早に質問が飛んだ。
「そもそもこれから向かう場所ってどんなトコ? 砂漠及び特殊気候ってあったけど、特殊気候って?」
「竜巻でも起こるの? 危険なところじゃないんだろーな? や、危険でもいいけど、予め判ってんなら教えといてほしいわけでさ」
「そもそも何でパルナッソスって、こんな辺鄙な場所にあって、学者さんばっかいるの?」
「あ。くそー先に言われた。それ俺も思ってたんだよねー。《精秘薬商会》に募集出したってことは腕っぷし要員がいるんじゃないの?」
「ねーねーねー、何で? 何で?」
 博物学者と冒険者、そろって興味津々のふたりである。
「まず《精秘薬商会》を使った理由なら、先に言ったとおりだ」
「ん?」
 シュシュが首をめぐらせ、集った旅人たちを見渡した。一行は皆、よく分からないといった表情だ。
「どーいうこと? 何をしてきたかってのが重要って話?」
「さー。ボク、アタマあんまり良くないから難しいことは分かんない」
「……おれも」
「んー」
 ダージェもティカも、ふるふるとかぶりを振る。
 アダマスは話を続けた。
「2番目の質問。学者が多い理由。そして辺鄙なこの場所に街がある理由。つまり、魔力が豊かだからということだ。……ホントかどうかは知らんがね」
 本当です、とカッサンドラが付け加えた。
「ああ、そうなんだ。裏づけがちゃんとあったんだっけね、カッサンドラ君」
「裏づけといいますか……ある学者が測定した結果では、《神の教卓》付近の魔力源の強さ、力の濃さは、《精霊の島の学院》のそれと同じ位、あるいはそれ以上とも」
「どうせ《学院》出の学者が出してきた数字だろ。お手盛りじゃないのかねえ……ということだから、ま、信じるかどうかはあんた方に任せようじゃないか。で、次の質問はなんだったかね」
「特殊気候の話!」
「ああ、つまりこういうことだ。今回の調査の目的地は《炎湧く泉》、と我々が勝手に呼んでいる場所でね。あんた方の中にも聞いたことがある者がいるかもしれないが、砂漠の中にあるオアシスのひとつだ。ただしもう、水は枯れてしまっている」
 ラムリュアは記憶の彼方に、その名前を垣間見たように思った。確か、誰かがそんな話をしていたのを聞いたことがあった。
「簡単にいうと、《炎湧く泉》に滞在して周辺調査を行うことが我々の目的となる」
 ヨシュアはさっそく《炎湧く泉》という名前を記録した。
「《炎湧く泉》っていうからには、火の精霊なんかがいたりするっすか?」
 フートが尋ねる。
「わからん」
とあっさりアダマスが答えた。
「砂漠を横断する商隊は、枯れたオアシスには立ち寄らないだろう。そもそも隊路は、オアシス間を最短で結んでつくられているわけだ。そこからから外れていた《炎湧く泉》に、わざわざ出かけて行く奴はいない」
「……はあ」
 フートの疑問に答えを出すには、結局行ってみるしかないということなのだろう。火の精霊が好むのは何だったろうかとフートは考え始める。
「だいたい、いつオアシスが枯れたかということもわからん。そこに今回どうしてわざわざあんた方に出かけていってもらうかというと、だ……」
 《精霊の島の学院》から来たひとりの学者が恐るべき仮説を立てた。曰く、この砂漠のどこかに眠る魔獣が目覚めようとしている。水が枯れたり、小規模の地震がおきたり、砂嵐に妙な幻覚が見えたりしているのは、その影響ではないか……と。

■Scene:学舎、講堂(3)

 目的、枯れたオアシス《炎湧く泉》周辺の気候や自然現象類を記録すること。
 調査期間、特に定めてはいないが、最短で一ヶ月程度。往復に半月と見ると、少なくとも半月以上は現地で野営生活となりそうだ。また、バナナはおやつに含まれない。

 アダマスの話は続いている。
「《学院》から来た連中は、《大陸》のどこかで眠るという伝説の《竜王》を探し出したくてたまらんようだ。なんでもかんでも《竜王》の目覚まし時計だと思ってるフシがある。学者のお嬢さんに証拠を見せろといったら、ひとりで砂漠に出かけたようで、その後は姿を見かけないね」
 そういって肩をすくめるアダマス。
「そんなわけで、だ。《炎湧く泉》の近くにこのお嬢さんがウロウロしているだろうから、それもついでに保護してやってほしい。この期に及んで、見殺しにしただの何だのと《学院》からつるし上げられたら敵わんよ」
 盾父の後を、カッサンドラが補足した。
 学者ミルドレッドが独力で研究を進めるべく《炎湧く泉》に向かったのは七日前のことだという。
 直行しているにせよ、他のオアシスで水を補給しながら行ったにせよ、すでに《炎湧く泉》に着いている計算になる。もっとも、何かに巻き込まれていなければの話であるだが。
「ミルドレッド……」
 学者の名前を聞いて、ラムリュアの記憶の霧が晴れた。確か一年くらい前に《精霊の島の学院》からやってきた女性だ。頼まれて占い札を開いたこともあった。研究が報われるかどうか、という占いだったように思う。研究熱心だったという印象が残っていた。
 そして何より、ミルドレッドは24歳であった。ラムリュアのひとつ下になる。
 年が近かったから、いや、近かったからこそ、ラムリュアはミルドレッドの話を詳しく聞いたりしなかった。彼女は、ラムリュアに思い出させたのだ。少女だったころのことを。
「危険な生き物なんかはいないと思ってよいのですか? そのミルドレッドって学者さん、無事なのでしょうか? 何か今の話だと、とっとと出発して合流したほうがよさそうに聞こえたんですが」
 ラージが至極まっとうな疑問を口にする。
「危険な生き物? 毒を持った蠍だの、肉食の獣だののことを指しているなら、おそらく心配はない」
 旅人たちの中で、そのような存在との対決を思い描いていた面々――ティカをはじめシュシュやクオンテたち――は、アダマスの言葉におやという表情を浮かべる。
「だが本当に危険な生き物ならば、常に、あんた方の隣にいる」
「どういう意味だ?」
 ヴィーヴルが聞き返す。
「調査隊全員は信頼しあった上で協力してことにあたらねばならないと、思っているが」
 エディアールも、アダマスの本意を量りかねて問う。
 アダマスの言い方はまるで不信感を煽っているように聞こえたのだ。
「そう真面目に返してくれるなよ、探検家君。冗談だよ。つまらんことを言った」
「つまらん冗談なぞ糞の役にもたたんわい」
 ホールデンがまばらなあごひげを抜きつつ、エディアールとラージの背をぱしんと叩いた。
「仰るとおりですな、ご老人。ま、危険ではないが、砂嵐に巻き込まれると幻覚の類が見えるなんて話は日常茶飯事だ。一応気休めに、幻覚よけのおまじないなら用意してある」
「……もういいわい。結局ワシらは全員採用なのか? テキセイナントカって奴はどうなっとるんかね?」
「明日の出発前に、とあるお願いをあんた方にすることになる。それをこなすことができるかどうかが、最後の適性検査だ」
「最後? ってことは……知らないうちに適性を調べられてた?」
 構えていたクオンテは、驚いた拍子に口調がざっくばらんなそれに戻っている。
「名前と生業くらいしかしゃべってないけど」
「ま、我々が必要としていた条件は十分満たしていたんだから、いいじゃないか」
 アダマスが集った面々を見渡し、にやりと笑う。
「調査隊にわざわざ志願してくれたんだろ? 明日のお願いも、そんな難しいものじゃない。ちょっとした余興と思ってくれればいい」
「なあんだ、簡単じゃない。もう合格したも同然だね〜。さっすが、僕!」
 リュートはお気楽にそういって、明日からの「面白そうなものをたくさん見られる生活」に思いを馳せる。

■Scene:その後、学舎(1)

 アダマスとのやや一方的な面会を終え、調査隊志願者たちはめいめい自由時間が与えられた。人数分の食料だの水甕だのを手配し終えるのに、もう少し時間がかかることになったのだ。
 アダマスは、調査期間中の衣食住の保証を約束した。また、調査が完了し無事パルナッソスに帰還した時点で、大事に使えばその後一ヶ月は路銀に困らないほどの金貨を報酬とする、とも。
 ラムリュアが料理当番に名乗りを挙げたこともあり、焼きしめた味気ないパンではなく、それなりに手を加えた料理が期待できることになった。これは、ここまでの旅で蓄えが底を尽きかけていた者たち――クオンテやリュート、ティカ、フートといった面々――にとっては非常に喜ばしい話であった。
 旅人たちがそそくさと買い物や旅支度、情報収集へと出かけた後、エディアールはアダマスとの話を続けたい旨を乞うた。
 カッサンドラが、学舎の盾父の自室へと案内する。
 エディアールの主眼は、調査隊員として集まった面々の身元についてである。
「先の自己紹介でぬけぬけと、泥棒だと名乗った者がいたのだが」
 エディアールが切り出す。
「ラージ・タバリーですね。ぬけぬけというか、おっとりとした風でした」
 カッサンドラが資料をめくって答える。
「ええと。顔が思いだせん。どんな奴だったかね?」
「……ひとことで申しますと、地味でした」
「それじゃまったく手がかりにならん」
「フードのついた、灰色の長い外套を着ていました。背はそれほど高くありませんでした。盾父と同じくらいです」
「どこにでもいそうな奴だったな。で、君はその泥棒君のことが気になるのかね?」
「後々もめたりしないようにしたい。わざわざ犯罪者を雇うより、《学院》の学者を連れて行ったほうが結果が出るのではないかと思っただけだ。素人が多いと厄介ごとも増える。知識のない者が無造作に扱ったせいで破壊され失われた遺跡、貴重な遺物、そういうものは山ほどあるのだから」
 どちらかというと、エディアールにとって重要なのは後半部分である。
 先の戦争によって失われた人の命や破壊された遺跡のことを考えると、彼の心は張り裂けそうになる。だが表にその思いを出すことはない。
「なるほど、探検家君。君の懸念はもっともだ。素人中心の調査隊で何ができるかと問いたいのだろう?」
「それだけじゃない。悪いほうに考えた場合、大きな発見に繋がる手がかりがあるにも関わらず隠蔽し、敢えて専門家を遠ざけて発掘品の独占を狙っていることだって、考えられないわけではない」
「はっきり言うねえ」
 畳み掛けるエディアール。
「仕事として引き受ける以上、疑念を晴らしておくのは当然のことだと思うが」
 なるほどとアダマスはうなずいた。
「同じ調査隊員の身元が気になるのも、それでかね」
 君みたいなのは嫌いじゃない、とアダマスはエディアールを見上げた。長身の探検家は、盾父よりも頭ひとつ高いところに顔がある。
「ま、泥棒君のことなら可愛いもんだ。大それたものに手を出したりせんだろ。もし調査によって金品類が発見されたらそれも等分配だ」
 アダマスの言い方はやはりエディアールにとって気になった。どうも、進め方が杜撰にすぎるように思える。自分の警鐘をエディアールは信じたいと思った。
 それに、仕事として引き受ける気持ちに変わりはない。砂漠に眠るまだ見ぬ秘密に近づきたいのは、他の者と同じだ。
「報酬の話になったが、金品以外のもの、例えば……」
「君がいうところの、歴史的発見に繋がる手がかりが見つかった場合、かね」
「例えばミルドレッド女史が主張するところの、《竜王》の目覚まし時計が見つかった場合でもいい」
 尋ねているエディアールはもちろん大真面目だ。
「この場合は?」
 アダマスが鼻白んで答えた。
「我々は、《竜王》を起こすのが目的じゃない。お嬢さんがほしがるならくれてやってもいい。もちろん、探検家君もほしいのなら、勝手に相談して決めてくれればいい」
「……腑に落ちない」
 エディアールはまっすぐにアダマスと、カッサンドラを見据えた。
「今までの話を総合すると……最低一ヶ月はかかる調査費用はすべて依頼側負担。調査内容は、調査地域周辺の自然現象記録。危険な生物はいない。行って帰ってくるだけで、当分困らぬほどの金貨を報酬に出すのか? こちらに都合が良すぎるように聞こえるな」
「君は聡明だが、ノワイユ君」
 アダマスはエディアールをその姓で呼んだ。ちらとカッサンドラがアダマスの顔を伺う。
「そのまとめには欠けている点がある。我々は調査して何かを発見することが目的ではないということだ」
 ミルドレッドの調査を裏で支援するつもりなのか。あるいは……。
 コツコツ。
 誰かが扉を叩いていた。
 エディアールはそれを潮に、床におろしていたリュックを持ち上げた。
「少なくとも、遺跡や遺物の取り扱いについてはきっちり指導させてもらう。何か発見したら、どんな小さなものでも即、自分に報告するようにしておく」
「わかりました。よろしくお願いします」
 アダマスのかわりにカッサンドラが答えた。

■Scene:その後、学舎(2)

 エディアールと入れ違いにやって来たヨシュアは、まだ尋ねたりないことがあると言って分厚い記録帳をべろんと広げた。
「ええっと、さっき聞きかけて結局聞きそびれちゃったんだけどさ」
 ヨシュアが頁をめくっている間、アダマスは革張りの椅子に背をゆだね、彼のふるまいをじっと見つめている。
「あ……あったあった。まず、この街の住人構成が偏っている理由。それから、このへんの神話とか伝説に関するふたりの意見が聞きたいな……それくらいかな、今は。思いついたらまた聞くつもりだから」
 ずるっとアダマスは転ぶ仕草をして、
「随分聞きたがりだね、博物学者君」
と皮肉る。ヨシュアのほうは意に介さず、
「これでもだいぶ絞ったんですけど」
などと言って、さっそく記帳の構えを取った。
「学者が多くて辺鄙な場所にある理由は、魔力が強いらしいから、ってさっき答えてもらったけど、それじゃ孤児院とか施療院の理由にはならないよなあって思ったんですよね」
 ヨシュアは、アダマスの部屋の窓から見える通りに視線を送った。
「なんでだろうね。魔力が強いとかいうことと無関係じゃないかもしれないね」
 アダマスが答えるのを、一言一句違わずヨシュアは書き記した。
「魔力うんぬんは、私には真偽のほどはわからんが」
 ヨシュアは顔をあげ、うなずいた。
「俺、そういう類の気配には少しだけ敏感なんですけれど。嘘じゃないと思う。たぶん、《大陸》の他のところよりは、力を感じると思う。《精霊の島》には行ったことがないから、そっちと比べてどうなのかはわかんないですけど」
「ほう。すごいねえ」
「いや。その」
 口ごもるヨシュア。魔法の気配を感じやすいのは体質であって、別にヨシュア自身の努力によって身につけたものではない。
「そうなると、あながち《竜王》の目覚まし時計の話も嘘じゃないかもしれんな」
「そうでしょうか」
 カッサンドラは半信半疑のようだ。
「はるか北方の地で、《竜王》と呼ばれた存在が姿を消して以来、《大陸》で古竜の姿は確認されていないはずです。ミルドレッド女史は希望的観測を含めて、魔獣と表現していましたが、それでもこの近辺に《竜》にまつわる伝説の類はなかったと、かつて盾父がおっしゃった記憶があるのですが」
「あ、そう」
「あのさー。そもそも《学院》の人が《竜王》を起こしたがってるのって何で?」
 ヨシュアは新しい疑問を口にする。
「彼らは退屈なんだよ、博物学者君」
 あっさりとアダマスは答えた。
「君は見るものすべてを記録せずにはいられない性質のようだから、退屈という状態は理解できないかもしれないが」
「はあ、まあ、そーですね」
「世の中には退屈しきっている人間がゴマンといてね」
 盾父もそのひとりですね、とカッサンドラが小さく呟いた。
「《学院》の奴らもそうだ。今まで見たくても見ることができなかった禁断の《聖地》の蓋が開いて、さあ自由に交流しましょう、学問を発展させましょう、という時代になったもんだから、困ってしまったのさ」
「困る? どうして?」
「統一王朝が平和だと、兵器をつくることができないからね」
 ヨシュアはごくりと息を飲んだ。
「君も知っているだろう? 統一王朝復活前。かつてのランドニクス帝国、その都ニクセントがどうして《大陸》随一の学問の都であったのか」
「……知ってる」
 軽い眩暈に、ヨシュアは筆を止めた。アダマスはそれと気づかず言葉を続ける。
「すべての研究は最終的に兵器開発に利用された。それが帝国のやり方だった。悪いとはいわん。《学院》も似たようなもんだ。統一王朝が復活したら仕事がなくなった。だから寝た子を起こして、仕事を作ろうとしてるんだろうな」
「……どうして」
 聞く予定のなかった疑問が、ヨシュアの唇をついて出た。
「どうしてすべての研究が兵器開発に向かってしまったんだろう?」
「そうだなあ……」
 以外にも真面目に、アダマスは答えを返してくれた。
「平和。自由。ただ日々を生きること。たったそれだけのことに満足できない連中がいるんだろうねえ、きっと」

■Scene:その後、パルナッソスの街(1)

 リュシアンとレディル、そしてフート。
 三人は連れ立って、パルナッソスの街をそぞろ歩いていた。リュシアンが街を見て回るというので、フートがあちこちを案内することになったのだ。面白そうな話が聞けるなら、とレディルも加わった。
「ただ、そうそう見て回るほどの建物もないんすよねえ」
 フートは手庇で陽光をさえぎりながら、リュシアンの希望にどうしたら添えるかを考える。
 パルナッソスは小さな街だ。もしかしたら建物が寄せ集められているだけで、街ともいえないかもしれない。
「施療院とか孤児院とか、しか……」
「かまいませんよ。こちらに着いた時、簡単に学舎のあたりを見ただけですから」
 錆色の外套を脱いだリュシアンは、身軽な姿で小脇に荷物を抱え、ぐるりとあたりを見渡した。
 少しでも過ごしやすくするために白く塗られた建物と砂漠の陽光、椰子の木陰が形づくる独特の景観は、建築家のリュシアンでなくとも異国情緒たっぷりに映るだろう。
 もっとも、パルナッソス育ちのフートにとっては、懐かしくも変わらぬ景色である。
「空が、近いのですね」
 リュシアンがパルナッソスに来て感じた第一印象が、空が近く見えるということであった。それから、学舎の裏手に広がる景色――《神の教卓》が連なる様子、眼下の白いうねり、わずかに煙る砂漠の彼方の地平線、ゆっくりとその中を進む隊商――にすっかり魅せられて、つい絵筆をとったものである。
「ここまで自力で登ってくるのが辛いんっすよ」
とはフートの言。
「運動不足だと大変だよな、あの坂は」
 レディルも相槌を打つ。ラハからパルナッソスまでは半日もかからない。しかし、丘の上までの最後の急勾配には、ホールデンをはじめ一堂閉口させられたのであった。仕事の半分が骨董品いじりであるレディルも例外ではない。シュシュたちが足取りも軽く登っていくのを尻目に、息を切らせたのだった。
「その分、確かに景色は素晴らしいんすけどねえ」
「悪くない」
 乾いた風が、レディルの汗をぬぐって吹き抜けていく。
「というか、最高だなあ」
「この景色を見るだけでも、はるばる来た甲斐があったというものですよ」
 かの有名な《神の教卓》。そこにいま自分が立って、砂漠を見下ろしている。
 はるかな古代、兄弟神も自分と同じようにこの場所に立ったのだろうか……絵筆をとった時から、そのような思いがリュシアンの胸に湧き起こっている。
「そうっすか。いつも見てると、気がつかなくなるモンっすね」
「それが普通じゃありませんか」
と、リュシアンはフートに向き直って言った。
「この街からの眺めはまるで鳥にでもなったかのようです。しかし、いつもいつも鳥として生きていると、地を這う者の見方を忘れてしまう。この街が持つ俗世を離れた雰囲気は、祈りを捧げる場所としてはふさわしいでしょうが……」
 うなずくフート。それを聞き、レディルも言葉を続けた。
「ああ、わかるよ。実は俺も思ったんだ。建物や街並みはラハと変わらないんだけど、パルナッソスって、人通りも少ないし静かなんだよな。まあラハが賑やかすぎるんだろうが。ここはなんていうか、つくりものっぽいっていうか」
「これでも、学者さんが増えた分、賑やかになってるんっすよ」
 フートは後ろで手を組んだ。と、近くでもう一人の青年が同じように景色を堪能していることに気づく。
 調査隊のひとり、クオンテだった。白々とした街にあって、浅黒い肌の青年の左耳で二つのピアスがきらきらと光って見える。
 フートたちの会話を聞くともなしに聞いていた彼は、すぐに気がついて話に加わった。
「ここには生活感とか、活気とか、そういうものが感じられねえ。学者が集まる街ってのは、こんな雰囲気になるのかね」
 調査隊の仲間どうし、ざっくばらんに思ったことを口にするクオンテ。
「どうでしょうか。少なくとも他の学術都市では、そうは感じられませんでしたよ」
 あちこちの街を巡ってきた経験のあるリュシアンは、穏やかな口調で、別の理由があるのではないかと続ける。
「懐かしさ……みたいなものを感じたんだ。あ、あんたと同じ意味じゃなくてさ」
 この街出身であるフートにそう断って、クオンテは言葉を探す。
「俺の一族は祭祀なんだ。中でも、葬送に関わる事柄に携わっていたのが俺の家でね。俺自身も、人の死ってものに向かい合う機会が多かった。だからかな」
 クオンテは眩しそうに空を見上げる。翳した手指には、願掛けのように細い布がくるくると巻かれていた。
「今ならなんかわかるな。ラハからパルナッソスを見て、既視感があったのは。たぶん、ここも人の死に近い場所なのかもな……おっと、あんたの故郷を悪くいうつもりはねーんだ。ごめんよ」
「……あ、いいえ」
 フートはきょとんとして、そして慌てて手を振った。
「別にそんな。気にしないっすよ」
「なるほど。クオンテさんの意見はきっと正しいでしょうね」
 鷹揚にうなずくリュシアン。
「施療院がある以上、死は避けられぬものでもあるでしょうし。学者以外の住民がほとんどいないようですから、新しく子どもが生まれるというようなこともない。つまり、この街だけで考えてみると、天秤は大きく死に向かって傾いている」
 リュシアンの口調は学者が淡々と自説を語るそれのようだ。
「孤児院もあるっすよ! 子どもはいないわけじゃないっす」
 フートはそう言うと、孤児院へと三人を案内した。
 輝くような白い街の中、少ない日陰をたどっていく。

■Scene:その後、パルナッソスの街(2)

 孤児院にはシュシュとホールデンの姿もあった。
 もちろんスィークリールもいて、ここでも子どもたちに大人気だ。ぼろぼろのボールを追いかけるスィークリール、それを追う子どもたちとシュシュ。日陰でホールデンは、目を細めている。
「……だからさ、あっちに蹴ったら、おまえは向こうに走るんだ。そう!」
 シュシュが叫ぶと、わあわあと子どもたちがいっせいに走り出す。ボールをくわえたスィークリールが、金色の残像になって、ところ狭しと駆け回る。
「どこのガキ大将かと思ったら、シュシュナさんじゃありませんか」
「あ。チトラ=シュシュナ、でひとつの名前なんっすよ」
 リュシアンに耳打ちするフート。
「それは失礼。チトラ=シュシュナさん……」
「聞こえてるよ!」
 塀の上からぴょんと飛び降り、シュシュはにっと歯を見せて笑った。脱いだチュニックを片手で背に引っ掛けている姿は、やんちゃなガキ大将そのものである。
「またあんたか、根付かずフート。……あっ、そういえばここがあんたの」
「元いた孤児院っす」
 もう何年前かな、と指を折って数える。フートがこの街を出たのは成人するかしないかという頃だった。
「それにしても、馴染んでたっすねー」
「ん、何がだよ?」
「シュシュさんが、子どもたちと」
 そういわれてシュシュは怒るでもなく、はにかんだような笑みを浮かべた。
「そっか? いやー楽しいぜ。俺が小さい頃、神殿の仲間とやってた遊びを教えてたんだ。そんであの犬、スィークリールも賢いのな」
「当たり前じゃ」
 日陰からホールデンの声が飛んだ。
「あいつはワシの言葉をぜんぶわかっとるわい」
「んーまあ、じいさんに限らず、会話を全部分かってるみたいだったけど……おっと」
 と。ボールがぽうんと放られてきた。シュシュはそれを器用に足で捌いて、子どもたちのほうへと蹴り返す。
「何か面白そうな話は聞けましたか?」
 リュシアンが、金色の犬と遊ぶ子どもたちを見やって言った。
「そうそう。お宝とか遺跡とかの話」
 レディルもうんうんと身を乗り出す。
「おう。聞いたぜ」
 ガキ大将の言葉がまるで合図だったかのように、クレドとグロリアがシュシュの脇に姿を見せた。
「あ……フート兄」
 グロリアが声をあげる。
「やっぱり、フート兄でしょ!」
 彼女は、かつて同じ孤児院にいたこの兄貴分のことを覚えていた。フートのほうはかなり記憶が怪しかったが、勝気な少女がいたことはかすかに覚えていた。
「忘れるわけないわよ。だってフート兄、相変わらずちっさいし、それにこんな変な青い色の髪の人なんていないし」
 くすくすと笑うグロリア。一方クレドは首をかしげているところを見ると、いまだ思い出せないようだ。
「ちっさくて悪かったっすね」
 フートは懐かしいような面映い感じで、つま先をぐるぐると動かした。
「……で、このクレドくんとグロリアちゃんがさ、ぜひ調査隊に参加したいんだってよ」
「そうだよ!」
「参加したーい!」
「見どころがあるではないか、元気があってよろしいわい」
 よっこいしょ、と口に出しながら立ち上がるホールデン。クレドとグロリアの頭をぽんと撫でて、
「若いときの経験は何にも代えがたいんじゃぞ」
と、元勇士らしい言葉をかける。
「俺知ってるよ。《炎湧く泉》に行くんだろ? あそこは、不思議な形の岩が沢山立ってるんだよ」
 クレドが胸を張った。
 ほう、とリュシアンが目を輝かせる。不思議な岩がつくりだす景観を想像して心が騒いだのだ。
「昔っからなんだ。水がないのは。その代わりに、キノコみたいに岩が並んでるんだって」
 クレドに負けじとグロリアも口を挟む。
「水や風の流れが、長い長い時間をかけて岩を削るのよ。あの砂漠でそんなふうに不思議な形の岩が並んで立っているところは、《炎湧く泉》しかないんだって」
「面白そうな話ですね。近くに、水や風の妙な流れができているということでしょうか」
 リュシアンの言葉に、ふむふむとフートやレディルがうなずいた。
「補給隊の立ち寄るオアシスというのは?」
 子どもたちの話を促すリュシアン。
「どこのことかな?」
「《砂百合の谷》かしらね」
「あー。あの温泉があるトコかあ」
「おいおい。おまえら行ったことないって言ってたくせに、随分《炎湧く泉》にも詳しいじゃねえか」
「だろ? だから一緒に連れてってくれよ!」
「うーん。それを決めるのは俺じゃないんだよなあ」
 クレドに迫られて、シュシュは両手を挙げて首を横に振った。
「おまえらの親父が依頼人だからな」
「ワシが!」
 どん。ホールデンが足を踏み鳴らす。
「ワシが掛け合ってやるわい!」
「やったあ!」
 クレドとグロリアは飛び上がって喜んだ。
「フート兄、負けないわよ! フート兄みたいに精霊は呼べないけれど、あたしだって役に立ってみせるから!」
「えー? いいっすよ、そんな……」
 グロリアに押されて、たじたじのフートであった。
 クオンテは黙って孤児院の様子を眺めていたが、ふいにシュシュの左耳に目を留めた。
 思わず自分の左耳に手を添えるクオンテ。偶然にも、左耳にピアスが二つ。不思議な偶然もあるもんだ、と思う。
 そして……。

■Scene:出発の刻

 学舎の裏手、《神の教卓》が一望できる広場に調査隊一行が集っている。
 カッサンドラはもちろん、クレドやグロリアも加わっている。アダマスにかけあい、しぶしぶ参加を認めてもらうことができたのだ。兄弟分の輝かしい顔を、仲間の孤児たちがうらやましそうに物陰から眺めていた。
 総勢二十名を前にしてアダマスが告げる。
「これから私は、あんた方にあるお願いをするわけだが、試してみるかどうかは自由だ。試さないからといって、調査隊の雑用としてこき使うようなことはない。あくまでもあんた方ひとりひとりが、自分の意思で試してみてほしい。クレド、グロリア。おまえたちも、いいね?」
「う、うん」
 ふたりの子どもは、旅人たちに挟まれて緊張しているようだった。
「よろしい。では、はじめよう」
 教区長はひとりひとりに手づから小さな布袋を渡した。大きさはちょうど手の中に納まるほどで、紐がついている。凝った織地で作られたお守り袋といった感じである。手触りは柔らかく、香草を混ぜたような芳香が漂った。ラージはいつもの癖が出て、紐を指先に絡めて弄んでいる。
「お守りだ。昨日、危険な生き物はいないと答えたが、念のために準備したものでね。これを……」
と言ってアダマスは、黒曜石のナイフを掲げ日に翳すと、目の前のヴィーヴルに柄のほうを差し出した。
「このナイフでそのお守りを貫くこと。たったこれだけだ」
 ヴィーヴルは疑問符を顔にうかべ、教区長の表情を伺った。
 アダマスは半ば無理やりナイフをヴィーヴルに握らせる。
「そして必ず自分自身で行い、ナイフを次の者に渡すこと。簡単だろ?」
「変わったしきたりだけど、どういう意味があるんだ?」
 匂い袋に顔を近づけたヴィーヴルは思わず、鼻腔を突く香りに咳き込みそうになる。
 不快ではなく、爽やかに澄んだ冷気に似た香りだった。
「ナイフで貫くことによって効果が高まる。砂漠で見る幻覚に打ち勝つ力があると思えば、やらなくてかまわない」
 聞くなりホールデンは、ヴィーヴルの手からナイフをひったくり、あっという間に自分の匂い袋に突き刺した。
 爽やかな芳香が空色の煙となって立ち上る。
 呼吸が楽になり、次第に頭がすっきりとしていくのが感じられた。しかし、すぐに砂漠の日差しを浴びて霧消する。
「おー、いい匂いじゃなあ。爽快、爽快」
と、抜いたナイフを錬金術師へと返す。受け取ったものの、ヴィーヴルは思案顔だ。マントの裾で刃をぬぐい、じっと見つめる。
「やっちゃえばいいんじゃないの?」
 傍らのリュートが、いつものお気楽な口調で口を挟んだ。
「どうせ、ただでもらったお守りなんだしさ。売っても大した額にならなそうだよねえ、こんなの」
 自分の匂い袋を顔の前でぶら下げ、そんなことをいう。
「それはそうだけど……な」
 必要とされる動作が、少し気になるヴィーヴルだった。
 まるでこれでは、何かのまじないみたいじゃないか?
 しかし決断しなければならない。師匠はここにはいない。

■Scene:二つの目的地

 ホールデンは、駱駝の鼻面を撫でて号令をかけた。
「さ、出発するとしようかの、諸君!」
 一行は二手に分かれて進むことになる。
 アダマス率いる補給隊は、七日をかけて手近なオアシス《砂百合の谷》を目指す。そこから《炎湧く泉》までは二日もかからない。《砂百合の谷》で十分な量の水を補給し、安全に運ぶことが目的である。
 一方、張り切っているホールデンは先発隊として、《炎湧く泉》をまっすぐに目指す。現地調査はもちろん、女性学者ミルドレッドの無事を確認することも必要だ。こちらも旅程は七日間。地図はカッサンドラが持っている。
 どちらの隊も、荷役の駱駝を連れて行くことになる。
「クレド、グロリア」
 アダマスが子どもたちの名を呼んだ。
「何、オヤジ?」
「何かしら?」
 旅の道具の使い方をシュシュから教わっていたふたりは、いやな予感を身の内に感じながら振り返る。
「おまえたちは私と一緒に来るんだ」
「「ええーっ」」
 同時に呻く子どもたち。
「……糞食らえだわ、“お父さま”」
 ぷうと膨れるグロリア。
「不満か? 悔しかったら早く大人になるがいい。何といってもおまえたちはまだまだ子どもなんだぞ」
「ティカもピュアも、ぜったい俺たちよりちっさいぞ!」
 クレドは鼻息荒く、自分より背の低い少女たちを指さすが。
「馬鹿者、おまえにカタールが使えるのか? ものいわぬ石の声を聞くことができるのか?」
 一笑に付されるのみであった。
 アダマスが、他の者に声をかけに立ち去った後も、
「くそー! くっそーくっそー!」
と、諦めがたい様子で繰り返すクレド。
「お下品ね、クレドは」
「おまえだって糞食らえって言ったろ」
 ひとしきり、互いの言葉遣いについて罵りあった後、クレドとグロリアは額を寄せてごそごそとささやき始める。
「それにしても納得いかない。そう思わない?」
「思うに決まってるだろ!」
「どうしてティカやピュアがよくって、あたしたちじゃダメなの?」
 グロリアも嘆息する。
「だよなあ。見た目じゃないんだって、オヤジ自分で言ってた癖に」
「あ〜あ……大人とか子どもとかって、いったい何が違うんだろう?」
「なあ、こっそり先発隊にもぐりこもうぜ」
「糞オヤジの言いつけを聞かないで? でも、どうやって?」
「……」
「あっ。センパイたちがいるさ! 応援してもらおうよ」
「オヤジを説得してもらうの? それってカッコ悪くありませんコト?」
「グロリア、おまえって時々イイコぶるのなー」
「ほっといてよ」
 カッサンドラはそんな子どもたちの会話を耳にしながら天を仰いだ。
 早く夜になればいい。
 皆寝静まる夜。皆帳に隠される夜――。


第2章に続く


マスターより

 こんにちは、皆さまようこそ《大陸》へ。これから全7章の間、楽しんでいただけますように!

 さっそくですが、第1章の解説・補足です。
第1章は、登場人物の考え方やスタンス、そしてキャラクターたちの紹介が中心です。パルナッソスに来る前に、ラハの《精秘薬商会》で出会った人々は、ちょっとだけ情報交換がすすんでいます。一方パルナッソスからスタートした方は、NPCとの場面が多め。また、「適性検査を受ける」以外にプラスアルファのアクションをかけてくださった方は、結果として各場面で出番が多めになっています。
初回なのでNPCが出張るのは仕方ないのですが、マスターとしてはキャラクター同士の掛け合いを早く書きたい(楽しいんです!)です。あなたのキャラクターと会話しているあのキャラクターは、一体どんな考えを持っている人間なのか? 読みながら想像することも、ぜひ楽しんでいただきたいなあと思います。

 第2章以降、物語を動かしていくのはキャラクターの行動です。以後調査隊は、学者ミルドレッドを追いつつ《炎湧く泉》を目指す旅となりますが、隊としてのルートがまず2択。《炎湧く泉》に直行するか、補給部隊となってオアシス《砂百合の谷》に立ち寄るか。それからキャラクターとして、お守りの匂い袋を使うか使わないかの2択もあります。物語に書かれている情報は、キャラクター全員が知っているものとしてかまいません。つまり、キャラクターが登場していない場面の出来事であっても、その情報をふまえた行動をすることができます。また、あえて知らないことにしてギャップを演じることもできます。それから、次章以降は必要に応じ、個別メッセージという形で物語を補足したり個別情報を出したりする場合があります。

 ここから先は、アクション・リアクション式ゲームの参加経験がある方には蛇足となりますが、アクション作成時のお願いです。指針をまたぐ行動は失敗しやすいことについては、「はじめに」の「7.アクションの書き方」にも書きました。ならば指針をまたがなければ全部成功するのか、というとそうではありません。例えば第2章の指針として示されている中で「1.先行して《炎湧く泉》を目指す」を選択し、行動は「出発前に準備として××して、道中では○○して、到着したら△△する」……という書き方だと、どこに重点が置かれているのか、キャラクターにとって大事なのはどの部分なのか、マスターに伝わりにくいことがあります(最悪の場合、描写量に大きく影響します)。
 この内容に優先順位を付け加えるだけで、キャラクターが重視する部分=メインアクションとして物語内で結果が明らかになる部分と、そうでない部分=マスター判断により採用されるかもしれない部分が明確になります。メインがブレていなければ、小ネタも拾いやすくなります。言い換えますと、キャラクターが気になること・参加者のあなたが気になることはアクションのなかに盛り込んでもらってかまいませんが、必ず「一番やりたいのは何か」ということがはっきりとわかるようにしておいてほしいということです。

 とはいえ、楽しんでアクションをかけてもらうのが一番! あなたのキャラクターらしさが溢れる熱いアクション、お待ちしています!

 キャラクター設定、特に台詞回しや仕草について、「この台詞は自分のキャラクターは言わないだろうな」「この部分はもっとこんな感じだろうな」……と気になる描写がありましたら具体的にお知らせくださいませ。物語の書き直しは原則として行いませんが、ご指摘部分は以後気をつけます。ただし「もっとカッコよく」というのはナシです(アカツキが「これはカッコイイぜ」と思っても、万人にとってそうではないでしょうから)。

 マスタリングBGMは「ANNIVERSARY/CHISA&MINO3」「RYOTA KOMATSU THE BEST/小松亮太」「The Lord of the Rings/OST」「mineral life/Jusqu'a Grand-pere」などなどでした。

 それではまた次回《大陸》でお会いしましょう。
 インスタントコーヒー淹れようとして出汁の素を入れそうになったアカツキ(危ない……)でした。ちなみにマキシム愛飲です。

登場人物たち

アダマス
50代男性。依頼人。パルナッソス教区長。
ホールデン
60代男性。本人、調査隊長のつもりです。
カッサンドラ
20歳女性。次回はホールデンのお目付け。
クレド
13歳の少年。不満な人その1。
グロリア
14歳の少女。不満な人その2。
ミルドレッド
24歳女性。《精霊の島の学院》から一年前にパルナッソスにやって来た学者。
スィークリール
金色の大きなからくり犬。ちなみに名前の意味はホールデンの故郷の言葉で「おまえのかあちゃんでべそ」(ホールデン談)

第2章の行動指針と補足

指針に関わらず、調査隊に関する提案がありましたらそれも書いてくださいね。
現在、エディアールさんよりお達し「どんな些細なことであってもきちんと報告すること」が出ています。

1.先発隊として《炎湧く泉》を目指す
 ホールデン、カッサンドラはこちらの予定。
2.補給隊として《砂百合の谷》を目指す
 アダマスはこちらの予定。クレド・グロリア組は……?
3.もう少しパルナッソスで調べたいことがある
 他の人々と別行動したい方向け。ただしどこで何を調べるか、他の指針以上にアクション内容はしっかりと。
 1日遅れて《炎湧く泉》もしくは《砂百合の谷》どちらかで他の旅人たちと合流することになります(どちらに向かうかも書いてくださいね)。

アンケート:
 あなたは匂い袋を使いますか?(使う/使わない)
 またアダマスのナイフは次に誰に渡しますか?(キャラクター名を挙げてくださいね。心理テストというか、今誰に興味がありますか、みたいな感じで考えてください。もちろん先発隊か補給隊かで行動を伴にする相手が変わってきますので、答えたとおりにいくかどうかはまた別です)

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