「お待たせしました」
旅支度をようやく整えたラステルとイェティカが、石造りの門の前にやってきた。つばの広い、おそろいの白い帽子に、それぞれの手荷物。姉妹ではなかったとはいえ、血のつながりが感じられる、よく似た二人の格好に、アデルバード・クロイツェルは口笛を吹いた。
「突然ですまなかったな」
ラステルの荷物をらくだの上に積み上げ、バードは急な出立をわびた。もともと自分たちが《大陸》に戻るときに、連れて行ってくれないかと頼んだのはイェティカだった。もちろんバードは二つ返事で引き受けた。だが、創作活動と銘うった日々にはちっともけりがつかず、なんとなく彼は帰りそびれてしまっていた。アゼル・アーシェアはその間に、《大陸》と《星見の里》を数度往復していたというのに。
重い腰を上げさせたのは、アゼルが交易のついでに持ってきた一通の手紙だった。
「まだいらっしゃるとは思いませんでしたよ、新曲、はかどりましたぁ?」
「ああん? ああー。ん〜」
生返事のバードの横で、アゼルは商売道具をひろげて検分する。
「……魔法野菜、こっちで育つかなあ。この前来たときに《聖地》の周辺は魔力が上昇してるって分かりましたから、種でも蒔いてみようと思って持ってきたんですけど」
「《大陸》の中域は、そろそろ収穫の季節だっけか」
バードは久しぶりに《大陸》の暦を思い出した。
「なるほどね、それでこの手紙ってわけか」
差出人はルーファ・シルバーライニング。今は故郷の村に戻っているらしい。そこでの収穫祭の招待状だった。
「ちょっと寄りたいところがあるんだけど、いいか?」
バードはアゼルの知らない遺跡の名前を告げた。
「スクル=ピュールの遺跡? 収穫祭まではまだもう少し余裕がありますから、別にかまいませんよ」
「お父さん、いつも言うことが急だわ!」
いよいよ《大陸》に戻るということを聞きつけたジェニーが、頬をふくらませている。
「……っあ、アゼルさん、こんにちは」
「やあ、ジェニーちゃん大きくなったね」
アゼルのそれは、正直な感想だった。しばらく見ない間に、ずいぶん大人びた顔をするようになったと思う。この年頃の子どもというのは、そういうものかもしれない。
「お父さんは悪くないですよ。ルーファさんから手紙が来たんです。みんなに会いたがってるみたいだって。俺も、まだ会ってないんですけどね」
とアゼルはジェニーをたしなめた。彼女がその場を離れるのを目で追いながら、バードがぽつりとつぶやく。
「最近、ずっとああなんだ」
「難しい年頃ってやつですかね?」
「アゼル、おまえにゃ早いかもしれねーが、子どもはいつか離れていく……」
「分かってます」
本当はそれがどういうことなのか見当もつかなかったが、とりあえずアゼルは答えた。
「ああ……、分かってないのは俺なんだよな」
魔法剣士の横顔は、寂しげに見えた。
「おかあさん、が必要なのかな、やっぱ」
「え?」
アゼルが盗み見たバードの視線の先には、ラステルがいた。
「えへへ。サーチェスうれしいなぁ〜♪」
イェティカと手をつなぎながら、小さい踊り子はくるくると踊った。
「サーチェスね、イェティカちゃんに《大陸》を見てほしかったの。《大陸》のお星さまをね」
「うん、楽しみだよ!」
イェティカもにこにこと答えた。彼女は《星見の姫》の重責から解放されるのがうれしくてたまらないらしい。イェティカが留守の間は、ディリシエが里長となり、《星見の民》をまとめるのだという。意外な結末にアゼルは驚いたものだった。
「《星見の民》ってそういうところは柔軟ですよね」
「同族意識が強いんだろうなー。ま、ディリシエさんもパレスが付いてりゃ大丈夫だろうしな」
パレスは《剣》の隊長になった。ずいぶん人数が減ってしまった《剣》をまとめ、ディリシエの容態にも気を配り、一時は休む間もなく働いていた。そんなパレスが、アゼルやバードたちと酒を酌み交わすようになったのはつい最近のことである。《里》のことが心配だから、とパレスはラステルに言ったという。
「《里》のこと、ねぇ。ディリシエさんのことが心配だって、言えばいいのに」
ジェニーのコメントに、ラステルは笑って答えた。
「それでも私たちを送り出してくれたのは、彼がみなさんを信用しているから。昔のパレスなら、絶対に私たちを旅に出させやしなかったでしょうからね」
「パレスおにーちゃん、しわがなくなったの」
サーチェスは、自分の眉間を示して笑った。
「そうですね、あのきつい表情も和らいできたというか」
「でもね、バードおじちゃん、ここにしわなの」
「えっ」
サーチェスの言葉にどきりとして、バードは顔に手をやった。
「だいじょうぶよおじちゃん。ジェニーおねぇちゃんは、おおきくなっても、おじちゃんの子どもでいたいって言ってるの。赤いひともおじちゃんのこと大好きなのよ。」
彼女の目線に合わせてしゃがんだバードの黒髪を、サーチェスが手を伸ばしてなでなでする。
「サーチェス……」
にこにこと少女は微笑んでいた。
「そんじゃま、最初は海目指して出発!」
「海! すごい! 見たい!」
「あたしの家は港町にあるの。白い灯台があってね、かもめが飛んでいて……」
ジェニーが得意げに海について語っている。そういえばまだジェニーも、連れて帰っていないのだ。彼女が語るのは、バードが眠る前などに話して聞かせたからである。
「海は青くて広くてきれいで、波があるの。夏には泳ぐ人もいるわ。……あたしは、あんまり、その、泳いだりしないけど」
「サーチェスも海が好きだよ♪ 海のなかにはねぇ、人魚もいるの」
「すごい! いいなぁっ!」
「それでね、お父さんは海の歌も得意なの……」
バードの生家は、地元ではかなり有名な家だった。つまり、いいとこのおぼっちゃんなのだ。さすがに娘を連れて帰っては、何を言われるか分からない。海を目指すにしても、バレないようにしなければ。
「なんか、いいですよね、こういうの」
「何がだよ? アゼル」
「いや、俺なんかひとりで行商してるとつまんなくって」
そう言って魔導師はくすくす笑った。
「宴会とか好きなんですよぉ。やっぱり仲間がいないとね、料理も作り甲斐がありませんし。あ、見てくださいバードさん」
アゼルの指さす砂丘の先に、《聖地》のシルエットが見えた。隕石を囲むように、こんもりと小さな森ができている。
「植えたのか、野菜」
アゼルはうなずいた。
「生長、早すぎねーか?」
「……そーですかぁ?」
あの森は、野菜じゃなくて木の芽が生長したのだと言おうとして、アゼルは言葉を飲み込む。どっちにしても、木の芽が数ヶ月でここまでの森に育っているのだ。アゼルが持ち込んだ魔法野菜は、どんなことになっているのやら。
「もしかしたらすごく面白いことになっているのかも」
「回収しなくていいのかよ」
「研究中ですからね、勿体ない。結果が出たらご馳走しますよ」
アゼルは基本的にアイリと同じ人種なのだ、とバードは思った。じゃあ俺は?
それに答えを出すときはもうすぐだ。
「流れ星!」
サーチェスが暮れゆく空を指さした。いつの間にかあたりは夕闇に満ちている。来し方は闇が恐ろしかったけれども、今は。
「サーチェスは目がいいわね〜」
胸の中でジェニーが星空を見上げた。
「お父さん、お願いちゃんとした?」
「もっと早く教えてくれ。ダメだ、消えちまった」
願いなら決まっている。どうかもう少しこのままで。ジェニーが成長する様を見せてください、神さま。そこまで考えて、ふと違和感がある。
「神さまって、あいつらだろ。どーも調子が狂うな」
「サーチェスのお願いかなえてくれるのは、ミダスおとーさんなの」
「あら!」
ジェニーが憤慨して、バードを振り返る。
「私のお願いだって、お父さんが叶えてくれるんだから! ね」
バードは顔の半分だけで笑った。