終章|《星見の里》フィヌエスクル=ピュール地上の星々マスターより

地上の星々

 ルーファは待ちくたびれていた。この日を何ヶ月も指折り数えて待っていたのだ。そして、その日が来てからも、まだ待たされるはめになるなんて。街道沿いの村。入り口に築かれた石垣によじのぼると、両足をぶらぶらさせながら彼女は待った。行き交うのは、作物をいっぱいに載せた荷車や家畜の群れ。見慣れた故郷の景色だった。この街道を、ずうっと行けば……《忘却の砂漠》に行けるし、アストラ大神殿にも行ける。アストラでは、兄弟神が今日もお茶を飲んでるのだろうか。たぶん飲んでるだろう。ルーファの隣に、赤とんぼがついと羽を休めた。  

「ルーファ!」
 大好きな声に呼ばれてルーファは振り向いた。屋敷のほうから領主の息子、つまりルーファの夫、アルが降りてきたのだ。背丈近くもある石垣の上に陣取る新妻を見上げ、まぶしそうに声をかけた。
「ここにいたのかい? 待ちきれないんでしょう」
「そりゃそうさ!」
 新妻はその高さからぽんと地面に降り立った。晴れ着のドレスの裾が幾重にもひらひらと広がり、一瞬ルーファの視界をふさぐ。珍しくドレスなんぞ着た日でも、やっていることはいつもと一緒なのである。
「見えちゃうよ」 
「えっち! 何の用だい? 俺の仕事を邪魔するなんて」
「仕事?」
 アルはルーファの言葉に笑う。
「仕事、してたの?」
「そうさ、ゲストのお出迎えだよ」
 今日はこの近隣の収穫祭。とりしきっているのはもちろんここの領主だ。大地の恵みに感謝して、新しい季節の実りを願うお祭りなのだった。
「そのゲストのことだけど……」
 言葉を続けようとしたアルの後頭部に、黒い物がしがみついていた。ばさばさとそれは羽ばたいている。
「大五郎!」
 懐かしいジャンの飼い鳥に、ルーファは手を伸ばした。心得ている大五郎は、アルの赤髪を放してルーファの腕にとまった。ぐしゃぐしゃになってしまった髪をとかしながら、アルは苦笑する。
「やれやれ、やっぱりうちの奥さんの知り合いだったか。その鳥使いのいる馬車が、屋敷から見えたよ。もうじき到着する……」
 そのせりふが終わらないうちに、ルーファは石畳の坂道を駆け下りていった。カーブを曲がって、ちょうど登り坂にさしかかろうとしている馬車が見える。
「みんなあ! 待ってたよお!」
 ルーファはドレスの裾をたくし上げて走る。

 突如、辺り一帯にものすごい音が響き渡った。ブオオとも、プアアアともつかぬ、破裂音のような衝撃に、そこらの林から一斉に鳥たちが飛び立った。馬車の屋根に陣取っているアイリが吹き鳴らす、金管楽器の音色だった。
「ああ〜。やっぱ大自然の中で吹くのは気持ちいいねえ」
 そう言って彼女は、自分の胴ほどもある楽器をまた抱えなおし、もう一曲。
「よおぼうず! すっかり女の子らしくなっちまって……ないな!」
「師匠! みんな〜! ようこそ!」
 ルーファはのろのろ進む馬車に手をかけ、ひょいとよじのぼった。後ろにもう一台、荷馬車が見えた。
「あ、あれ? 祝い酒や」
 大五郎をとまらせて、ジャンがにやりと笑った。
「酒が足りんようなったらアカンやろ。極上のやつ買い占めたった。間に合ってよかったわー」
「はいこれ」
 ツェットが小さな封筒を差し出した。差し出し人は、グレイス・アーリア。封筒を開けると、綺麗なハープの音色が流れ出してきた。魔法のカードだ。
「グレイス、言い寄られてるんだ……」
 うっとうしく声をかけてくる許嫁から逃げ出したくて冒険に出たこと、見つかってしまい、連れ戻されたこと、それでも、やっぱり冒険してること。今日は参加できなかったけど、ルーファの結婚を心から祝うということ。
「へぇ、なんか俺と逆なんだな、グレイスは」
 ルーファはつかの間一緒に旅した美人の姿を思い出した。
「おいアイリさん! ちっとは静かにしてくれよ、グレイスのハープが聞こえやしない」
「はん、ここはあんたの土地かい? 違うだろうが! 私は吹きたいときに吹くのさ!」
「かなわんな」  窓から首を出していたダグザが、アイリに勝てずに引っ込む。ジャンがそのせりふ聞いて、真似すんな金とるで、と笑う。
「エエやないか、破鐘の一曲や二曲ぐらい。まだまだ収穫祭はこれから始まるんやで」
「破鐘で悪かったな! アンタにゃこの素晴らしさは分からないんだね!」
 馬車はちょうど石垣の前を通過する。再びルーファはするりと馬車から抜け出して、夫に抱きついた。広場のほうから、いい匂いが流れてくる。そろそろ収穫祭の食卓の準備が整う頃だ。馬車を敷地に停めるのを眺めて、ルーファはしみじみと言った。
「これからみんなで、おいしい食べ物がいっぱい食べられるなんて、俺って幸せだなぁ」
 それを聞いたアルは、妻の身体を抱きしめながら答えた。
「キミってひとは、本当に、昔からちっとも変わってないね!」

ほんとにおしまい


終章|《星見の里》フィヌエスクル=ピュール地上の星々マスターより