終章|《星見の里》フィヌエスクル=ピュール地上の星々マスターより

フィヌエ

 時を遡ること数ヶ月。《星見の里》を後にした冒険者たちは帰途についていた。《大陸》の玄関口、フィヌエの街まで来ると、懐かしい石畳の街道が目に入る。
「うーん、固い石だぁ」
「(やっぱ、砂漠は辛いよ。足の裏やけどしそうになるし)」
 ぶるぶるっとアインが身を震わせて、ツェットの腕から抜け出した。しっぽでぱたぱた街道の感触を楽しみながら、一行を見上げる。
「(人数減っちゃったな)」
「みんな行くところがあるんだよ」
 そう言うツェットも、長い間冒険をともにした仲間たちとの別れを寂しく感じていた。

 《星見の里》に残ったクロイツェル親子とサーチェスの分の報酬は、《聖地》を再訪する予定だというアゼルに託された。
「酔狂な奴だなあ、《聖地》に戻るなんて」
「《星見の民》との交易を考えているんですよ。そのついでに、ちょっとあのあたりの調査も続けたいんで。調査の方はアイリさんとも協力して……」
 魔導師は、傍らの学者に視線を移すが、アイリはちっとも話を聞いていない。報酬として配られた大きな宝石をためつすがめつ、屈折率だのなんだのを一生懸命ノートに書き留めている。
「……協力して、あの《聖地》の仕組みを解き明かしてみたいんです」
「うーん、この反射の具合といい赤色の深みといい、《夜魔》の目ん玉と似てるねぇ!」
「(……頑張ってな)」

 ジャニアス=ホーキンスは、いつの間にか姿をくらましていた。ラクして金儲けしたい、と常日頃言っていたわりには、今回の冒険の報酬もまだ受け取りそびれている。
「ジャンにはきっと、あたしたちが知らないジャンがいっぱいいるんだねぇ」
 5つ子ちゃん状態のジャンが、サラウンドで怪しげな方言をまくしたてている様子を想像してしまったファーン・スカイレイクは、吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
「ツェットさんがいいたいこと、なんとなーく、分かりますよ」
「ひいきの酒場があちこちにあるって言ってたぜ」
とダグザ。たぶん近いうちに、再会できるだろう。あの黒い鳥を連れたド派手衣装の商人と。

 ガガは砂漠狼を連れて、仲間の元を訪ねると言っていた。もらったばかりの報酬で、彼はバクちゃんの自由を買い取った。ガガの仲間たちは南方にいるという。寒いところじゃなければ、砂漠狼も生きていけるのかもしれない。
「ガガの仲間にも会ってみたいよね」
「ほんとほんと、赤ちゃんもやっぱり大きいのかな?」
「そりゃ、大きいでしょうね〜」
 《大陸》には、まだまだ知らない場所がいっぱいある。

 アーネスト・ガムラントも、生き別れの姉妹に会いに行くと言う。家族が元通り暮らせるようになるには、まだ問題はありそうだ。しかし、ラステルとディリシエの生き方を目の当たりにして、彼の荷物もだいぶ軽くなったようではある。
「ここからは少し離れているけど」
と、彼は港街の名を告げた。たまには寄ってくれ、と言い残し、アーネストは本当に探し求めていたものを手にする旅に出ていった。
「港街〜似合うよね、アーネストに」
「(キミは《精秘薬商会》のカウンターの中が似合うよ)」
 アインは軽口の代償に、しっぽの毛を一本抜かれるはめになった。

「俺も、ここまでだ」
 シウスもそう言って片手をあげた。もう片手には、大切なロンパイアが握られている。アゼルが魔力を付したそれは、今も淡く光を帯びている。
「クスターと、出かけなけりゃならんからな」
 ロンパイアは、シウスに反応するように光を強めた。
「そっか、地図の場所を探しに行くんだね」
「今ではこいつの考えていることが分かる気がするんだ。探し当てて見せるさ。心配するな、ぼうず」
 シウスはルーファの茶色の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「ぼうずじゃないったら……」
「じゃあ元気でな、ツェット、また店に顔を出すよ」
 シウスはフィヌエの雑踏に紛れていった。ツェットは長い間、目立つ巨躯とロンパイアの柄を見送った。雑踏のどこにあっても、シウスがシウスだと分かったのだ。

「あれ、トリアは?」
「(シウスを追っかけてったよ)」
 アインの言葉に、一同は驚いた。
「(帰る道すがら、ずっと言ってた。みんな帰る場所があっていいなーって)」
「トリアは、お師匠のとこに戻るんだとばっかり思ってたのに」
「(なんかあるんじゃないの、帰りたくない訳が。それか、別に師匠だからって一緒にいることはないしさー。トリアの師匠ってもう隠居しちゃってるらしいから、旅してるのが性にあってるのかもね)」
 訳知り顔で毛繕いをしているアイン。

「ね、シウス! ボクも連れてって!」
 戦士に追いついたトリアは、彼の太い腕にしがみついて叫んだ。
「ボク、戦うことだってできるし、足手まといにはならないから、ねっ、お願い」
 シウスは自分の胸ほどの背丈しかない小柄な少女を見下ろし、相変わらずの低いかすれ声で言う。
「しかし……俺と来ても面白いことなんかないぞ」
「いいんだ、旅してるだけで面白いんだから! ボク、シウスの好きそーな甘い物売ってるとこ、知ってるよ」
 好奇心にあふれたトリアの瞳の輝きに、シウスは幾度かまばたきし、そしてついに肩をすくめながら答えた。
「まぁついてくるのはかまわんが」
「やったぁ! よろしくね、ロンパイア」
 ロンパイアはまた輝きを増す。

 フィーナ・サイトもフィヌエでお別れとなった。
「えへへ、ありがとうでしたです〜」
 精一杯の笑顔でにこにこしているのは分かるが、その両目は涙でぐしゃぐしゃだった。
「フィーナの村、ここからお山のほうにいかなくちゃいけないんです。だからサヨナラなんだけど……ツェットさん、みなさん、ほんとにありがとう……」
 山道へ向かう馬車に乗り込んで、彼女は見えなくなるまで手を振り続けていた。
「フィーナ、りっぱな神官になるだろーな」
 もらい泣きしてしまったグリューンが、ずずっと鼻をすすりながらつぶやいた。
「彼女のことは、ドゥルフィーヌさんが見守ってらっしゃるでしょうからね」
 ファーンが答えた。
「グリューン君は、どうなさるおつもりですか?」
「……戻って、商売に励むさ」
 袖で涙をぬぐいながら言う。
「はやく親父みたく、一人前のトレーダーになんなきゃ。そ、そ、そんでもって……」
 その先は言わなくても分かります、と言いたげにファーンがくすりと微笑む。

「ねぇグリューン、砂漠でバザールなんてあるの?」
 フィヌエ街角の張り紙を指さして、ツェットが叫んだ。近いうちにグリューンの故郷で開催されることになっている。年に一度のお祭りでもあり、武闘大会も開かれる。参加者募集の張り紙だった。
「ああ、うん、コレなかなか面白いんだぜ。砂漠の部族が全員集まって、一番の強者を決めるんだ」
「見たい!」
「そんなんでよければ、つ、つ、つ、つ、つ、つ、連れてってやるよ」
 高い声がうわずっていた。
「グリューンは出ないの?」
「……え?」

 フィヌエで宿をとったのは、結局6人だった。クロード、ルーファ、ファーン、ダグザ、アイリ。それにツェットとアインである。グリーンは近くに知り合いがいるからといって、いつものように深々と礼をして辞した。
「おっと、この後はどうするんだい?」
 さりげなさを装って問いかけるダグザに、グリーンは小首をかしげながら、
「知り合いにご挨拶がすみましたら、《商会》にまた寄らせていただくつもりですわ」
「その後は?」
「ええっと、その後、ですか? その……近くの森に小屋を借りておりまして、しばらくは森で過ごそうかと」
「そうかい。それじゃまた《商会》でな」
 片手をあげてグリーンを送るダグザには、仲間からの非難が集中した。

「師匠! それでいいのっ? 《商会》で、なーんてカッコつけちゃって、すぐにでも森に会いにいきなよ!」
「そうですよダグザさんらしくもない、このあたりじゃいろいろ浮き名を流してるそうじゃありませんか。ずばっとがばっと、こう……」
「何だよぼうず、それにファーンまで! だいたいその浮き名ってのは何だ!」
「浮き名ってのは、浮かれ宿での武勇伝かい?」
「こらアイリ! 目を輝かせるな!」
「あっ、あたしも聞きたい〜」
「浮かれ宿って何?」
 クロードはなんだか面白そうなことの成り行きを、興味津々で見守っている。
「師匠はずるいよ、前に約束したじゃないか、娼館に連れて行ってくれるって。それなのに、報酬をもらってないからっていう理由で反故にしたんだぜ!」
 ダグザは内心、ルーファがそんなに娼館にこだわっていたとは思っていなかったので焦っていた。ツェットはツェットで、報酬は払ったけど、いらないってダグザが言ったんだよ、とルーファに加勢している。だいたい、心に決めた女性がいるなら、そういう話をするなと言ってきたのはルーファだったのに、まったく女心というやつはこれだから……。

 

「いいよ、もう師匠には頼まない。ねーファーン、前にフィヌエに知り合いがいるって言ってたよね?」
「ああ、ローズですか……いいですよ、紹介しても。僕も会うのは久しぶりですから」
 と、月琴を片手に立ち上がるファーン。やったぁ、とルーファがジャンプした。
「ツェットも来る?」
 なんとなく、クロードとアイリも立ち上がり、結局みんな、ぞろぞろ連れだって出かけていってしまった。後に残されたのはダグザ一人。
「はぁ〜。冗談じゃねえよまったく」
 懐から酒瓶を出して口をつけた。
「男の隠れ家だっていうのが、分からないかねぇ子どもたちには……」
 ぶつぶつつぶやきながらの一人酒は、ペースが速い。

 娼館は、全体がとてもいい匂いがした。お白粉の匂いはどうも好きになれないクロードだが、ここのはそれとは違う。何かの花のような香り。こういうのが、大人は好きなんだろうか、とクロードは考えた。ファーンに聞いたところによれば、ここはフィヌエの花街の中でも、かなり高級な部類に入るのだそうだ。
「入店するには、それなりの額が必要なんですよ。今日は関係ありませんけどね」
「大人って、大変〜」
「ローズマリーは売れっ子ですから、僕よりも収入がいいくらいです」
「売れっ子かあ。ファーンって顔が広いね」
「それほどでもありませんよ。友達って言ったでしょう」
 そうこうするうちに、一行は小さな部屋に招かれた。やはり、気持ちの良い香りが満ちている。そして暖かだった。

「久しぶりね、ファーン! ティアマラは元気?」
 クロードが扉を開けるなり、薄絹をまとった女性が飛び出してきて抱きついた。燃えるような赤毛に、緑色の瞳。なるほど、ローズマリー。なるほど、薔薇のごとし。アイリはうんうんとひとりうなずいた。
「……あら? ごめんなさい」
 胸の谷間に顔をうずめさせてしまったクロードに謝ると、ローズマリーは改めてファーンとの再会を喜び、自己紹介をした。
「ああ、キミだったのね、クロードって。聞いてるわ!」
「聞いてるって、ファーン何を……」
「いや、今回の冒険の話を少々、ね」
 ふかふかのクッションに腰を据え、月琴をつまびきながら詩人が答えた。
「ティアマラなら、元気すぎるくらい元気ですよ。分かってるくせに」
「珍しいわね、こんな大勢で訪ねてきてくれてうれしいわ。それも……女の子ばっかり」
「わかります?」
「あら、私の人を見る目を疑ってるのね? 失礼ね。ね、クロード、これ着てみない?」
 クローゼットからローズマリーが取り出したのは、彼女が身につけているのに負けず劣らず、薄手のきらきらしい布地だった。それを見て取るなり、クロードの顔がひきつる。
「俺がぁっ!?」
「うん。絶対似合うと思うんだー」
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
「そうですよローズ、クロードはまだ13才なんですよ」
「何よ、私だってここに来たのは15の時だわ」
「2つも違うじゃありませんか」
「2つしか、よ。……ほら、できた! きゃーかわいいーっ」

 おもちゃにされてしまうだけあって、クロードは「良くできて」いた。紅い短髪とそばかすが元気の良さを引き出しつつ、丈の短い白いドレスが健康さと純粋さを、ドレスの裾から伸びた細い足がアンバランスなあやうさを醸し出している。どこぞのお嬢様といった感じだ。
 鏡の前で一回りさせられて、クロードはため息をついた。これでは、アクアとフレアを差す場所がない。こんないでたちで家に帰ったら、弟はなんと言うだろう。そもそもクロードだと分かるだろうか。
「なかなか良いですね」
 ファーンが腕組みしながら微笑む。
「俺、こんな格好イヤだ……」
「どうして? とても似合っていてよ」
 ローズマリーが、クロードに頬をよせる。その姿勢のまま鏡を指さした。
「ほら、私たち、きょうだいみたい。そっくりだわ」
「二本の薔薇だな」
 アイリがほおづえをつきながら、その様子を眺めている。

「ごめんなさい、イヤだった?」
 元の服に着替えたクロードにローズマリーが謝った。そして先の白いドレスをきちんとたたんで、クロードに差し出す。
「これあげるわ。今日来てくれたお礼よ」
 受け取ったものか、ローズマリーの表情をうかがうクロードに、彼女はとびきりの笑顔で言った。
「せっかく女の子なんだもの、たまには飾らなくちゃね?」
「……」
「それにたいくつしてたの。あなたの話、ファーンから聞いて会ってみたくなった。勇気あるのね」
「そんな」
 クロードの手に半ば無理矢理ドレスをぽんとのせ、ローズマリーは他のメンバーを振り返る。
「さぁ、次はルーファ、キミよ!」

「いやぁ、いいものを見せてもらいましたよ」
 ファーンはご満悦だった。その彼のゆるんだ頬をルーファが引っ張る。
「最初からこういうつもりだったのかー?」
「いえいえ、違います。ルーファさんだって、ためになるお話聞けたでしょう?」
「ああ、アレね。男をとろかせる……って違う、それもそーだけど……」
「いつもはもうちょっと忙しいんですがね、ローズも」
 ローズマリーはこっそりファーンに耳打ちしていた。今度来るときは、ひとりでね。
「ああ見えて、いろいろ大変なんですよ。売れっ子だけに、常連さんとのやりとりもあるし、他の女の子ともなんだかんだと」
「楽しかった!」
 ルーファとツェットは口々に言った。
「それは何よりでした。またローズを訪ねてやってください」
「私は、クロードがカワイかったのが、一番驚きだったぞ」
 アイリの口振りはともすれば失礼なものだったが、その言葉はクロードの胸に深く刻み込まれることになる。そうか、俺って、ちゃんとすればかわいいのかな……。
 ドレスを受け取るとき、ローズマリーは遠慮するクロードに小声で言った。
「いいのよ、私のものは何もないんだから」
 いろんな人がいる。
 勇気あるのね。彼女の言葉を大事にしよう、とドレスを手にクロードは思った。

   宿に戻ると、ダグザが大の字になって転がっていた。
「珍し〜い、ダグザがつぶれてるなんて」
 あたりは酒の匂いが充満している。
「いいもの見そびれたね、師匠」
 ルーファは、いびきをかいて眠っているダグザの頭をぺしんとはたいた。

スクル=ピュール


終章|《星見の里》フィヌエスクル=ピュール地上の星々マスターより