終章|《星見の里》フィヌエスクル=ピュール地上の星々マスターより

スクル=ピュール

 スクル=ピュールの遺跡。バードの故郷、港街ポルポタにアゼルやラステルたちを置いて、父娘は早馬でこの遺跡まで駆けてきた。ジェニーは次第に無口になっていき、目的地に着く頃には黙りこくってしまっていた。
「おまえに言わなきゃならんことがある」
「聞きたくないわ」
「あのな、まだ何も言ってないだろうが。俺は12年前、ここでおまえを拾ったんだ」
 ジェニーは黙ったまま、じっと木々の間から見え隠れする古びた塔を眺めている。
「そういうわけで、今まで内緒にしててすまなかった。おまえは俺とは血はつながってない。でもな」
 バードはジェニーに、杖を手渡した。一瞬父娘の手が重なった。
「俺はいつだっておまえのお父さんだ。もちろん、これからも。親子に本当も嘘もない。俺たちは、親子だよ、俺がそう決めた」
 杖を両手に握りしめるジェニー。杖の先にはめ込まれた二つの宝玉に、おきのような光が宿る。
「行くぞ」
 バードはジェニーの手をひいて、遺跡の中へと足を踏み入れた。

 右手にランタンをかざし、左手にジェニーをつれながら、《星見》で見た部屋へと急ぐ。
「お父さん、どうしてここに私を連れてきたの?」
 びっくりするくらい、静かで大人びた口調だった。
「どうしてって、ここがおまえのいた場所だからさ」
 あたりは静寂の闇で、ジェニーの顔はバードには見えない。ランタンの光も、すぐ闇に吸い込まれそうなほどだ。発した言葉もすぐに遺跡の底に沈み、静寂に帰る。古い塔。息苦しいのは、気のせいだろうか?
「私……行きたくない」
 ジェニーの杖の宝玉が明るさを増した。
「引き返すか?」
 答えは分かっていたけれど、いちおうバードはそう聞いた。ジェニーの答えは無かった。ランタンの光が、ふと消えた。
「おい、ジェニー?」
 つないでいたはずの左手は空を切った。闇の中にふたつの炎が燃えている。赤と黄色。ジェニーの杖の宝玉の色。

「お父さん、私を捨てるの? こんなとこに、捨てていくのね? 私、そんなにいやな子だった?」
「ジェニー! どこにいるんだ?」
「「私はここよ」」
「違う、おまえを捨てたりなんかしない! でもおまえはここに来たがってた。おまえの知らない、おまえが呼んでた」
 すすり泣く声が聞こえる。ジェニーが泣いてる。行かなくては。あの子を拾った時のように。
「「私はここに来たかった……ここが私のいた場所だから……知りたくなかった……」」
「おいで、ジェニー!」
 バードは闇雲に両手をのばした。四方に触れる物はなにもなかった。孤独。天涯の。
「「私は、私に帰らなければ」」
「「さよなら、お父さん」」

「ジェニー!」

 自分の体まで炎上したのかと、バードは思った。あたりが紅蓮の炎に染まっていたからだ。その中にゆらめく姿は、《星見》で見たのと同じ深紅のラミア。彼女の身体が発する魔力だろうか、夕日に照らされているかのように、全身が赤い。バードはラミアと対峙し、全身でその赤を受け止めた。血のようだ。返り血。

 手を伸ばせば届く位置にラミアの顔があった。泣きじゃくっている声は、幼いジェニーのものだった。その手に巻き付くトパーズの蛇も、のたうちながら泣いているようだった。だからバードは手を伸ばし、彼女の頬の涙をぬぐった。熱いしずくがバードの指先ではじけた。
「おまえがどんな姿でも、俺はおまえを愛してる」
 父親として? 男として? 恋人として? 

 ラミアは泣きやんだ。ゆっくりと目を開く。赤と金のオッドアイがバードを見つめている。
「やっと会えたのね、アデルバード」
「……いつも会ってただろ、ジェニー?」
 ラミアの瞳は、すう、と閉じられた。トパーズの蛇はするりとバードの腕に巻き付き、きつく、きつくふたりを結びつける。
 なんでまた、ラミアじゃなくって人間に転生しちまったんだ? ラミアちゃん……。

 バードの腕の中でラミアはその肉体の年齢をどんどん遡っていった。絶世の美女から、美少女へ。そして、もとの、バードの娘としてのジェニーの年齢に。

 目が覚めると、遺跡の上だった。塔の中ではなく、入り口に、親子ともども横たわっていたらしい。さほど時間はたっていないようだ。塔は崩れ去っていた。そこに塔があったとは誰も気づかないほど、跡形もなく。ジェニーの横には、折れた棒杖が転がっていた。そっと拾ったバードは、渾身の力を込めてそれを森の中にぶん投げた。

 ポルポタに戻ってようやく、ジェニーは目覚めた。
「ジェニーおねぇちゃん、お目めが変わったのね!」
 サーチェスがジェニーのオッドアイをのぞき込む。彼女の瞳は、ラミアと同じ赤と金になっていた。
「なにこれ〜! お父さん、何かしたでしょう!? もう、こんなのかわいくないー!」
 鏡を見てショックをうけたジェニーを、サーチェスやイェティカがフォローするが、
「ヤダ……どうせならイェティカちゃんみたいに、両方とも金色がよかったわ」
 目の色ぐらいですむなら、何色だって。とバードがほっと胸をなで下ろしたのは秘密である。ジェニーの記憶からは、「バードの実の娘ではない」という部分はすっぱり抜け落ちているようだった。何かまだ、正常ではない力が働いているのかもしれない。でもまあ、それは後から考えることにしよう……。ジェニーの首筋に、蛇が巻き付いているような形のあざを見つけ、バードは再び嘆息した。これに気づいたらまた、ジェニーは荒れるんだろうなぁ。

 海はなかなか評判良かったですよ、とアゼル。父娘がいない間、みんなでポルポタを観光して回っていたのである。
「それでですね、なんと」
 アーネストもここに住んでいたのだ、と付け加えた。
「なーるほど、《大陸》も狭いなあ」
「ですねー。うわさの姉妹らしき人は見なかったんですけどね。元気そうでしたよ」
「そうか……じゃ、出発するかぁ!」
「バードおじちゃん、おじちゃんのおうちがあるんじゃないの?」
 サーチェスがきょとんとしている。
「あ〜、あるんだけどね。ちょっとホラ、いろいろ面倒だからさ〜」
「分かった、バードさん、昔悪いことしてたんじゃありませんか?」
「しーっ。あの、あまり大きい声を出さないようにね」
「ああーっ、ヘンなあざがある! こんなのイヤ〜!!」
 ちぇ、せっかくラステルと夜の海で語らおうと思っていたのに……バードの計画はもろくも崩れ去ることになる。出番を失った背中の琵琶が、風に鳴らされて悲しげな音を奏でた。

地上の星々


終章|《星見の里》フィヌエスクル=ピュール地上の星々マスターより