第2章|夢の少女と、少女の夢と無限のかたち支配するもの、されるものマスターより

1.夢の少女と、少女の夢と

■Scene:森

 魔道剣士ニクス・フローレンスは、引き続き森の中を探索していた。此度の連れは、ニクスと同じく《精秘薬商会》に投宿している少女、アルティト。アルティトも少女の夢を見るようになり、ニクスの調査に興味を持ったのだった。
 目を皿のようにして、森の下生えの中から花びらを探し出しているニクス。見よう見まねで、アルティトもそれを手伝っている。薔薇の花びらがどこに続くのかを確かめるつもりだったが、いくらもしないうちに、二人は以外と大変な作業であることに気づいた。
「仕方ない」
 ニクスはぱきぽきと肩を鳴らすと、左の腕をそっと伸ばした。ひらいた手の内側に、ちかちかと小さな光が集まる。彼の知る魔法の一つだ。
「光があまり差し込まないこの森でも、これくらいならできるだろう」
 独り言のように呟くと、ニクスの手のひらから光の粒が飛び立った。アルティトはその様子をじっと見つめている。
「ほんとに、見つかるのかなあ?」 
「見つかると思うから、やってるのさ。信じてないな?」
「別に信じてないわけじゃないわ。面白そうだったから」
「そうかい? サーカスを見に行った方が面白かったんじゃないのかい?」
「何よ」
 アルティトはむっとしながら腰に手をあてた。よく通るソプラノが、ニクスに詰め寄る。
「子ども扱いしないでよ。私だって夢の女の子のことが気になったから、手伝ってあげてるのに!」
「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。ただ、もし俺の予想が当たってたら、危ない目に遭うかもしれないと思って……」
「だから、子ども扱いしないで、っていってんの!」
 見つけた花びらをぞんざいに差し出して、アルティトはニクスをにらむ。
「……あっちに、続いてるみたいよ。丘の上のほう」
 受け取った青年は平謝りした後、ふうとため息をこっそりついた。子ども扱いされたくない、か。そんなつもりは、本当になかったのだけれど。
 がさがさと茂みをかきわけながら、丘をのぼっていくアルティトの小柄な後ろ姿が、ふいに「娘」のそれに重なった。
「うあ、いかんいかん……おーい、アルティト! ひとりで行っちゃダメだ!」
 ニクスが追いかける。娘を追いかけるようにして。銀色の籠手が、細い肩をつかんだ。
「評議会の連中が噛んでるかもしれないんだぞ。下手に目立つと厄介なことになるかもしれない」
「あれを見て、ニクス」
 アルティトは細い首を丘の上に向けた。光の粒がほんのりと輝きながら、彼の周りに戻ってきた。行く手にあるものの形状を、いくばくかニクスに伝える。ニクスは茂みの間から、アルティトの示す先に目をやった。
 丘の上に見えたのは、人の手が入っていないような森だ。そこだけ急に、木々が密集して伸びている。だが、魔道の光は、目に見える以上の存在を感じ取っていた。古い建物。建物というよりも、廃墟といったほうが的確かもしれない。そんな人工物が、森の中に隠されている。
「森の中に廃墟がある。そこに少女がいるかどうかまでは、わからないが」
 ふう、とニクスは息を吐いた。光を呼んだ疲労がゆっくりと襲ってきたのだ。
「行こうよ。花びらは続いてる。私にもニクスにも、セイエスの夢にも出てきた子だもの。きっと私たちを呼んでるんだよ」
「ああ、何かを伝えたいとか、救いを求めてるとか、な」
「評議会に捕まってるのかな」
 ニクスはしばらく無言だった。アルティトの目が、彼の次の言葉を待つ。
「……一度、街へ戻ろう」
「ええっ。せっかくここまで来たのに?」
「場所は分かったんだ。しっかり準備してから、夜を待って侵入しよう。それに街から数時間もかからないじゃないか。無謀に突っ込むのは、愚の極みだぞ」
 諭すようなニクスの言葉に、アルティトはうなずいた。

 二人は《精秘薬商会》に戻ると、さっそくバウトに調査の結果を報告した。
「丘の上の廃墟だって?」
「そーよ。廃墟ってよりも、すごい森って感じだったけど」
 方角はあっちかな、とアルティトは、東向きの窓から身を乗り出した。
「街の中からは見えないのかー」
「その廃墟について、バウトは何か知らないか?」
「……《大門》の外のことはなあ。いつもは夜になると《大門》が閉ざされちまうんだが、《ハルハ旅団》の公演がある日は、開放されているという話だ。まあ、街に帰ってこられなくなることはないだろう」
 遅くなるならお弁当もつくってやる、とバウトはとってつけたように付け足した。
「持っていく道具は、ロープと、煙幕と、あとは着替えるくらいで事足りるだろう」とニクス。
「あんたの今着てる、その土色の服も、目立たないっちゃ目立たないが」
「なんだか随分手慣れてるのね、ニクス」
 隣で自分の荷物をまとめながら、アルティトは舌を巻いた。
「銀の籠手は外さないの?」
「外せないんだよ、これは。大丈夫、光らないように隠していくから。それじゃあバウト、セイエスが戻ってきたら、伝えておいてくれよ」
「……ああ」
 じゃ、後で。そういってニクスは店を後にした。アルティトが振り返る。バウトは出かける二人を見送りもせず、じっと東の窓に目を向けていた。

■Scene:西の丘

 昼の間、大市をあれこれと見物した旅人たちは、はしゃぎながらメインイベント《ハルハ旅団》開演の会場となる西の丘へと向かう。
 とりどりの旗が翩翻と翻るテントの周りは、名高い旅団を人目見ようとやってきた人々で身動きもとれないほどだ。
「こっちこっち!」
 カルマ・アイ・フィロンが友人たちに手招きする。
「待ってよ、カルマ。僕はスイみたいに、うまく通り抜けられない。こら、ノヴァは顔を出しちゃだめだってば」
 ラフィオ・アルバトロイヤは、愛犬を抱きながらやっとの事でカルマの側に辿り着いた。カルマのお供たちも慣れているのか、するすると人波をすり抜けていく。
「やあ、これは面白そうですねえ。いったいどんな出し物が見られるんでしょ」
 スイは相変わらず涼しげな顔をしている。これだけの人混みにあって、汗すらかいていない。それでも、手には黒扇子。
「スイさんって、奇術師みたいだね〜」
「なんだって分かりますとも」
 スイは気を悪くしたふうもなく、長衣のポケットからから取り出した何かで、カルマの鼻先をくすぐった。それは、かわいらしい手作りの、うさぎのぬいぐるみだった。どうやらスイは意外にも、というかやっぱり変わってる、というか、こういったぬいぐるみやお人形が好きなのだという。
「動物も大好きなんですけど、カルマさんたちの見たお人形さんも、楽しみなんですよねえ。ええ」
「……実はね、さっきこれを買ったんだ」
 カルマは照れながら、小さな花束を取り出した。散策している間に、路上の花売りから求めた白薔薇の花束だった。
「わ、よくここまで持ってこれたね」
「えへへ。あのお人形に会えたら、この花束をあげるんだ」
 白い薔薇はもちろん、カルマが夢に見る、名も知らぬ少女にあてたものだ。彼にはどうしても、夢の少女と人形が、近しいものだと思えて仕方がなかったのだ。
「黒い髪の人形だったからね。きっと白い薔薇は似合うと思うよ」
 ラフィオがうなずいた。
「黒い髪、おや。私にもその薔薇を一輪くださいな。ほら、ほら〜。似合います?」
「あ、だ、だめだよスイさんっ」
 カルマが手を伸ばしても、長身のスイには届かない。腰まであるスイの黒髪が、カルマとラフィオの鼻をくすぐった。ノヴァが小さくくしゃみする。ラフィオは心配したものの、ノヴァにはスイを噛む気はないらしい。謎めいているけれど、悪い人ではないってことかな、とラフィオは自分を納得させた。

「お」
 精霊使いライ・レーエンベルクは、片手に色風船、もう片手に焼き栗の袋といういでたちでテントの前をうろうろしているところを、スイたちに発見された。
「いいですねー、いいなあ、その焼き栗、おいしそうですねー」
「……一口」
 びっくりしながら、ライは焼き栗の袋を差し出す。
「これはどうも、遠慮なくごちそうになりますよ。それじゃあお返しに、私のミゼルドまんじゅうをおすそ分けです。どうぞどうぞ」
 袋を抱えたライの腕の隙間に、スイはどんどんとお返しを積み上げていった。ライは蒼瞳を見開いてそれを眺める。納豆味、からし味、トマト味、甘いのが好きな人用プルーン味。
「スイさん、どこにそんなにいっぱい持ってたの?」
「ああラフィオさん、この味はまだ食べてませんでしたっけ。ささ、どうぞどうぞ」
「うわー、ステーキ味……ノヴァ、食べるかい?」
 青灰色の子犬は、一口齧って何とも奇妙な顔をした。
「まだまだありますよ、ほうら」
 ピンク色のひよこに、ちいさな亀。仕上げにミゼルド、とでっかい縫い取りのあるペナントを、ひらひらした袖から取り出すスイ。ライがぱちぱちと拍手を送る。

「ラフィオ、あっちに《竜》がいるよ!」
 カルマがラフィオの袖を引っ張った。子犬がふるふると毛並みを震わせる。カルマが見つけたのは、舞台の大道具置き場だ。真っ黒い鱗を張り付けた大きな張子に、いかついとげとげや角がくっついている。
「ラフィオは《竜》のこと研究してるって言ってたよね?」
「あ、うん。うちはみんな、《竜》おたくだから」
 青年はあいまいに返事をかえした。そういえば、そんなことも言ったっけ。普段は方術士で通している分、ふいに話を振られるとラフィオはとまどってしまう。
「あれ、ニセモノ……」
 本物の《竜》が見えるかと、ライは期待していたのだが。
「《竜》たちは、ですねえ。偉大な王様を最後に残して、みんないなくなっちゃったんですよ。それで、目がいいひとだけ、たまーにしか、《竜》を見ることができなくなったんです」
「それほんと、スイ!?」
「あはは、嘘です」
 からかわれたカルマは、ぽこぽことスイの背中をこぶしでたたく。アルトとリリプーもそれを真似る。
 なんか、こういうの、楽しいなあ。楽しいって、こういうことなんだっけ。そういえば。
 わいわい騒ぐ彼らを眺めながら、ライはぼんやりとそう思った。
「あ」
 ふと気をとられたすきに、ライの手から色風船が逃げた。暮れかかる夕空に吸い込まれるように、消えていく。
 そして木戸が開き、人の波がゆっくりとテントの中へと押し出されていった。

■Scene:西の丘、裏手

 テントの陰、幌がいくつも並んでいるあたり。同じ年頃の二人の少女が、声をひそめて言い合いを続けている。
「だめですよう。人のものを勝手に持っていっちゃうなんて、いけないことなんです」
 アルフェス・クロイツハールは、使い魔の小猿たちを抱き、おろおろしながらエレインを説得しようとしていた。
「欲しくて盗むわけじゃないし、ずっと借りっぱなしにするつもりもないの。ちょっとよく見てみるだけでしょ。何が悪いの?」
「でも持ち主さんに黙って借りたら、やっぱり泥棒さんになっちゃいます」
「あなたは変な夢を見ていないから、そういうことが言えるのよ」
 エレインは決めたら譲らない。菫色の瞳が、まっすぐにアルフェスを射た。彼女は誰がなんと言おうと、サーカスの少女人形を調べるつもりだった。
「すぐそこに、夢に出てくるのとそっくり同じ人形があるのよ。いろんな人の夢に出てくるってだけでどうかしてるのに、おかしいと思わないの? 裏には絶対何かあるわ。邪悪な魔法みたいなものがかかっていても、あたし少しも驚かない」
 だったらなおさら、正体をつきとめてやろうって気になるじゃない。一息にまくしたてるエレイン。
「じゃ、邪悪な魔法……ですか」
 アルフェスが使い魔たちを抱く手に、力がこもった。
「でも何のために? もしもそのお人形が、エレインさんや他の人たちの夢に登場する女の子でも、別に悪いことしているわけじゃないですもん。邪悪とか、そんなことないですよう」
「例えよ、ただの。それに、リヴが困ってるわ。不眠症で」
 あの人本当にどうかしてるわ。あのお坊ちゃんのこと、神さまだなんて。
 呟いたエレインは、幌の中にもう一度視線を投げかけた。すぐそこに人形がいる。アルフェスと出会った時は、ちょうどいいから手伝ってもらおうなどと考えていたエレインだが、どうやら彼女は、きっちりした親にしつけられたお嬢様らしく、変に曲がっておらず、まっすぐで、人懐こく、人を疑わない。
 わああああ。
 歓声とともに、拍手が沸き起こった。高らかに喇叭が吹き鳴らされる。いよいよサーカスの始まりだ。
「ぐずぐずしてる暇はないわ。もうあなたの手は借りないから、黙って見てて」
 エレインは唇を引き結んだ。アルフェスはふるふると首を横に振る。
「そうはいかないです。黙って見過ごすのも同じことです。それで、思いついたんですが、こういうのはどうでしょう……」
 拍手が静まり、前口上が聞こえてくる。

■Scene:開演

 喇叭の音を聞きながら、イリス=レイドは早足で丘を登った。
「いかん、急がないと。登録証を受け取るのに、まさかこんなに時間がかかるとはなあ」
 暗い色の服を好んで着ている筋肉質の巨躯は、暮れていく空にしっとりと沈んでいる。今夜はとことんサーカスを楽しむつもりで、愛用の長剣も宿に置いてきていた。テスラ戦役で親を無くして以来、祖父と二人で鍛冶場にこもる日々を過ごしてきたイリスにとっては、珍しくも華やかな見物になりそうだった。最近見るようになった夢について、もしかして何か分かるかもしれないという予感も、イリスにはあった。

『……自治都市ミゼルドの皆さま、あるいは旅の方々、果てはその他の方々、今宵はようこそいらっしゃいました。私ども《ハルハ旅団》一同、満ちゆく月が中天にかかりますまで、しばし皆さま方のお心を頂戴いたしますことをお許しください』

 年若い男声の前口上。道化か、それとも団長か。
 イリスは空っぽのテントを次々通り過ぎ、丘の真ん中の大テントを目指す。

『団長をつとめますのは、このハルハ・シーケンス。皆さま方を今宵の宴にご案内いたします……』

 挨拶が終わると同時に、観客席のそこここから嬌声があがった。まばゆい灯火がテントを照らし出す。期待をこめた観客たちの、割れんばかりの拍手。イリスは持ち上げられたテントの下から、何とか大テントの中へとすべりこんだ。ふと目の端に映った二人の少女たち……エレインとアルフェスを気にかけながら。ひとりはたしか同宿だった。あの二人は、せっかくのサーカスを見ないのだろうか。それとも、何かを企んでいるのだろうか。

「ねえねえ、聞いた? 今の男の人が団長さんなんだね!」
 カルマはすっかり興奮している。公演が終わったらすぐにでも、入団申込みに行く気満々だ。
 彼らの陣取った席からは、舞台がばっちり見える。ハルハ・シーケンスは、白い礼服に身を包んだ、物腰の上品な美青年だった。年はラフィオと変わらないくらいだろうか。
「おばさまたちに、すっごく人気あるって街で聞いてたけど、本当なんだ」
 ハルハに向けられた黄色い声援に振り返るラフィオ。確かに団長は大人気のようだ。
 ライはもぐもぐとまんじゅうを食べている。少女人形の出番を待っているのだ。いつもはうるさいほどライの周りにいる精霊たちは、今夜はいない。さすがにテントの中までは入ってこれなかったのだろう。
「ハルハ・シーケンスさんはね、3代目なんだそうですよ。おじいさんの時からキャラバンを組んで《大陸》中を旅していたとか。今日おまんじゅう屋さんに教えてもらったんですけどね。ハルハまんじゅうをつくろうか、なんて、お店のおじさんは言ってましたけどねー」
「へえ、旅芸人の一族なんだね。ああー、ますます入団したくなってきちゃったよぉ!」
 カルマは感極まって、子羊を抱きしめた。

 演目は次々と進んでいく。魔法を駆使した派手な演出の中で、おどけた道化が一輪車を曲乗りする。
「あの人、見た。面白」
 怖い声で人形の盗み見を叱責された、赤白の道化は、舞台の上では別人のように笑って泣いた。
 薄絹の踊り子たちが、大きな虎と一緒にくるくるとダンスする。
「おお、あの時の踊り子さんですねえ。街角でお見かけしたんですよ。いやあ、お仕事中も素敵ですねぇ」
 張子の《竜》が本物のようにテントを飛び回り、幻の炎を吐いた。戦士役が大きな弓矢で《竜》を射落とす。お姫さまに扮した踊り子は、磔にされているところを助け出された。
「よくできてるなあ。ノヴァ、だめだよ吠えちゃ! それにしてもやっぱり《竜》って、悪役なんだなあ」
 残念そうなラフィオ。

 一方その頃。
 エレインは周囲の人影に気を配っている。アルフェスの知る魔法のひとつを、少女人形にかけてみることになったのだ。ちなみにもう一案、旅団の仲間に入れてもらって調べるという手も思いついたアルフェスだが、そちらはエレインにすげなく却下された。
「あなたはいいわ。その使い魔たちをちょいと踊らせれば、立派な一座のお成りになるもの。でもあたしは嫌なの」
「はにゃ? エレインさん、踊りも笛や竪琴もできるって、この間」
「音楽も踊りも好きよ。でもあたしは自分の好きなときに好きなようにしたいの」
 はふう、とアルフェスは吐息をついて、エレインに準備完了のサインを送る。彼女の持つ札には、魔法の力が込められていた。彼女はこれを符術と呼んでいた。旅に出る時、両親と一緒にいくつも作った札は、もうあまり残っていない。
「いいですか、みんな手伝ってくださいね」
 3匹の使い魔にそうささやくと、アルフェスはエレインと同時に少女人形の置かれたテントに滑り込んだ。
 少女人形はまるで眠っているかのように、ひっそりと出番を待っている。つややかな黒い髪。赤い唇。これで白い服と白い薔薇があれば、夢の少女とそっくり同じだ。だが彼女が着ているのは、ごてごてと飾りのついたサーカスの衣装だった。
「早く。見つからないうちに」
「いきます〜」
 アルフェスは、少女人形に貼った魔法札の力を解き放った。

『それではお待たせいたしました。次なるは我が旅団の誇る歌姫、聖なる和音を操る癒し手ソラが、皆さま方に異界の歌を披露いたします……』
 大きな拍手と、歓声。カルマは花束を握り締める。
 イリスはどうしてもエレインたちが気になって、そっとテントを抜け出した。何かをしでかしそうな、そんな子たちだった。

■Scene:聖なる和音

 魔法札から一筋、ほの白い煙がふわりとたちのぼる。エレインがぐっと拳を握った。
 試みたのはアルフェスの符術のひとつ、命のないものに、かりそめの命を吹き込んで動かす技だ。うまくいけば、少女人形が見聞きしたものについて、話してくれるのではないか。
 煙はうっすらと少女人形を取り巻いて、次第に色を変えていく。少女人形のまぶたがわずかに震え、彼女はゆっくりと目を開けた。
「はにゃ、お人形さん、お人形さん。お話しましょう〜」
 アルフェスが、少女人形に手をさしのべた。彼女はなめらかな動きで黒髪をゆらし、アルフェスの手にその手を重ねた。アルフェスの使い魔たちが、キィキィわめきながらその姿を隠した。
「わたし、アルフェス。あなたのお名前は?」
『……』
「魔法がちゃんとかかってないんじゃないの?」
 エレインがうろんそうに呟いた。
「ふむー。確かにあまり使ったことない術ですけど、お人形さんも目を覚ましましたし……」
「じゃあ言葉が分からないのよ、この子。夢の中の子も、別の言葉で歌ってたもの」
 エレインは肩をすくめた。やっぱりこの人形を借りたほうが手っ取り早い。
「もう時間がないわ」
 エレインは少女人形の腕をかついでテントから引っ張り出した。
「約束が違いますよ〜」
「いい? 怪我人を介抱する振りをするの。この子の服は、これで隠して……」
 手近な布でぐるぐると巻かれる間も、少女人形は抵抗しなかった。ただ、何かいいたげに唇が数回動いただけだった。
「も、もう知りませんから!」
 アルフェスは半べそになりながら、少女人形をひとりで担いでいくエレインの後を追う。

 大テントの中が次第にざわつき始めた。口上が終わっても、噂の歌姫が姿を見せない。急場しのぎに道化の楽隊が現れて、適当なメロディを奏でていたが、それもやがて引っ込んだ。
「どうしたんだろ? 歌姫さん、具合が悪いのかなあ」
「練習で喉を痛めたのかもしれないよ。僕もそういうことあるもん。新しい歌を覚えようとしたときなんかはさー……」
 突然ライが立ち上がった。空色のローブから、まんじゅうだの栗の皮だのがぼろぼろところげ落ちる。
「聞こえる」
「ライ?」
「歌。ほら、また」
 彼は一心に駆け出した。あの子だ。間違いない、きっと。
 さっき手放してしまった色風船のことが、ふいに思い出された。覗き見た少女人形と、見知らぬ精霊のことも。
「待ってよライ、どこに行くの?」
 友人たちもばたばたと、彼を追いかける。

 幌の裏手につないでおいた馬は、あらかじめエレインが準備しておいたものだった。馬上の身にさえなってしまえば、あとは大丈夫。もちろん調べた後で、この人形は返せばいい。あたしのしていることは、悪いことじゃない。だって、目的が正しいんだもの。
「アルフェス、サーカス団員が来たらめくらましをお願いよ」
 そう言いながら振り向いたエレインが見たのは、赤白の道化に逆手をとられているアルフェスの姿だった。
「どこへ行く」
 道化は愉快な化粧のまま、いびつな笑みを浮かべていた。夜風にエレインの金髪が翻る。少女人形の黒髪もまた、なびいてエレインの頬をくすぐった。
「うちの団員を返してもらおう」
 道化は微笑んだまま、アルフェスの腕をより強くひねりあげた。アルフェスの顔がゆがむ。この体勢では、彼女の魔法も技も封じられたも同然だった。

「何」
「……をやってるんだ!?」
 やってきたライとイリスが、双方向からその場にやってきた。ライはただ茫然とその場に立ちすくむ。イリスは咄嗟に状況を飲み込んだ。自作の長剣がないことを悔やみながら、その巨体で道化に体当たりする。アルフェスは身体をひねって逃げ出した。
「おじさん、ありがとう!」
 エレインが隠し持っていた発煙筒を、思いっきり道化に投げつけた。すさまじい煙が、幌の間中に満ちる。
「乗りかかった船だ。君の熱意は、私が君のすべてを信ずるに値する」
 たとえ、その手段がどうであれ。
 イリスは自分の直感を信じることにした。エレインはまっすぐな瞳をしていたのだから。彼は馬を落ち着かせると、3人の少女たちを馬上へ押し上げた。エレインが手綱を握り、拍車をかける。夜の闇をひらりと飛び越えて、少女たちを乗せた馬は駆け去っていった。
「ソラ」
 ライが呟いた。彼女は、目覚めたのだ。見知らぬ精霊は未だ彼女とともにいた。精霊は喜んでいるようだった。だったら、きっと良いことをしたんだ。
 イリスの姿はなかった。道化も姿を消していた。団長の口上が聞こえてくる……。

「どこに行ってたの、ライ。今夜は歌姫の出番はなしだって」
 帰り支度をしている友人たちがライを迎える。 精霊使いはぼそぼそと事件の様子を話した。
「なるほど、お人形さんが、歌姫さんですか……ふむふむ」
「たぶん。行っちゃったし」
「ちぇ。具合が悪くてお休みなんだったら、花束持ってお見舞いに行きたかったのに」
「でも、お見舞いには行ってもいいんじゃないかな。団長は、歌姫がいなくなったなんてことは言わなかったんだし、ファンがお見舞いに行くのは変じゃないよ、きっと」
「ああ、そうしたら、うまいこと団長さんとお話もできますしねえ」
 そんなわけで、一行は舞台袖の控え室に立ち寄ることにした。ついでにいろいろ話を聞こうという算段である。

■Scene:ハルハ・シーケンス

 舞台袖には、大道具らしきがらくたが積み上げられており、ごちゃごちゃした雰囲気だ。団長ハルハは快く旅人たちと面会した。緊張したライは、スイの影に隠れるようにして様子をうかがう。
「せっかくソラに会いに来てくれたのに、残念だったね。長旅の疲れが出たようだ。しばらく大事をとって、休養させることにしたんだ」
 ハルハは変わった形のパイプをくゆらせながら、彼らに謝った。その話し方に、よどみはない。
「それは大変ですねえ。一日もはやく、元気になった歌姫さんにお会いしたいものです」
 スイは、さも残念だという口調で続けた。
「……あの、これを」
 カルマは白薔薇の花束を見せる。
「歌姫さんに、あげようと思って……ぼ、僕、カルマといいます。カルマ・アイ・フィロンです。僕も歌を歌えるんです。楽器もできます。それで」
 ぎゅっと目をつぶったまま、カルマは深く頭をさげた。
「ぜひ僕も、《ハルハ旅団》に入れてくださいっ! 雑用でも宣伝係でも、なんでもやります!」
 ハルハは少年を見つめた。ラフィオとスイ、そしてライの視線も、ふたりに注がれる。
「君はどんな歌を歌えるのかな」
「いつもやってるのは、共通語じゃない歌が多くて……あ、女の子のように高い声を出すのは得意です!」
 カルマはがばと身を起こした。後ろでひとつにまとめた金髪が、ごほうびをもらった犬の尾のように揺れる。
「なるほどね。ソラの代役とまではいくまいが」
 ハルハは値踏みをするように、カルマの全身を見渡した。
「見たところ、旅人かい。ミゼルドの住民じゃないようだが。家族はいるの?」
 家族という言葉で、カルマの脳裏にまっさきに浮かんだのは、よく知らない両親ではなく、かつて一緒に住んだ仲のお嬢様だった。でも。
「……いません。この、アルトとリリプーは別だけど」
「食い扶持分は働いてもらうことになるよ。それでもよければ、ついてくるのはご自由に。出番のことは、また考えるとしようか、カルマ君」
 ハルハは面白がっているふうだった。白い礼服に包まれた足を投げ出して、パイプを持ち替える。そしてさも、ふと気づいたかのようにラフィオに問うた。
「カルマ君の友人かい? 名前を聞いてもいいかな」
「ラフィオ……ラフィオ・アルバトロイヤといいます」
 すうっと、団長の目が細められる。不意に居心地悪さを感じて、ラフィオはノヴァを抱きしめた。気づかれただろうか。この名前で。
「私はスイですよ。こっちはライ」
「その、きれいな毛並みの犬は?」
 気づかれた。きっと。ラフィオはそれでも答えざるを得ない。
「ノヴァです。あの、それじゃあ僕たちはこれで」
「そう。また見においで」
 ラフィオは挨拶も早々に、その空間を辞した。あの団長の、あの威圧感は何だろう?
 それでもカルマの望みがかなったのだから、きっとよかったんだ。

■Scene:神殿

 3人の少女たち、正しくはふたりの少女たちと少女人形は、どうにかミゼルド神殿に帰り着くことができた。後から彼女たちを追ったイリスも同行している。
 夜更けに何事かと現れた神殿騎士イオに、エレインは口早に謝った。
「ごめんなさいイオさん。困らせるつもりも、迷惑をかけるつもりもないの。そもそも請け負ったのは影の件のお手伝いだったものね。でも、どうしても必要なことだったから」
 思いを曲げないエレインでも、イオを困らせることはしたくなかった。故郷の神官たちは、神の権威をかさにきているいけすかない連中ばかりだったけれど、イオは違う。そう直感したからだった。
「だろうな」
 イオは彼らを自室に招きいれた。アルフェスのむきだしの膝に、すりむいた跡を認め、彼女はそっと塗り薬を差し出した。
「それでは、どこで何が起きたのか、教えてもらおうか」
 エレインとアルフェスは、その意図したところをすっかりイオに吐き出した。足りないところは、イリスが補足する。
「……エルフィリアが見たのと同じ、夢の少女がどうやらこの少女人形らしい、と?」
「イオ殿は、その夢を見ていないのですな。一度でも見ればおそらく、この人形がそっくりだということが分かろう」
 少女人形は、うつろな目をしていた。赤い唇が震えていた。
「……寒いのか」
 イオは不思議そうに、少女人形に厚い毛布をかけてやった。アルフェスの魔法は、1日くらいは続くという。
「前にこの魔法をかけたおもちゃは、自由に走り回って大変だったんです。この子、元気がなさそうですね。ゆっくりと動くことはできても、ひとりでは歩けないみたい」
「随分すごい技を使うんだな、アルフェス君」
「ほむむ。母さまと父さまに、教えてもらいました〜」
「そうか。これで夢の秘密が解ければいいが……下手をすると旅団の奴らが、返せと乗り込んでくるのではないか?」
「それもこれも、この子がしゃべってくれなきゃお話にならないわ。ねえ、あなたも帰りたいなら教えてちょうだいよ。あたしたちの夢に毎晩やってくるのはなぜ?」
 少女人形は、ゆっくりと首を振った。
 うっすらと開かれた赤い唇から、ほんの少し、音が漏れる。
『…… …… …………』
「何だ?」
 イリスがかがみこんで聞き取ろうとする。
『rllll rrrr r rr♪』
「この歌は」
 彼はエレインと顔を見合わせる。夢の少女が歌っていた歌に、とてもよく似ていた。

■Scene:丘の上の廃園

 ニクスとアルティトの目の前に、荒れ果てた廃墟が広がっている。丘を回りこむと、ミゼルドから見えなくなる場所に、石畳を敷き詰めた道らしきものがあった。
「またあったわ。薔薇の花びら」
 アルティトが、石畳に落ちていたそれを拾って、月光にかざしてみた。小さなハート型はかさかさになっていた。
「間違いない。ここには何か手がかりがある」
 ニクスは自分でうなずくと、アルティトと一緒に石畳を登っていった。道の両側は、雑草だか雑木だか判断つかないような緑が生い茂っている。時には道を覆い隠すばかりに、奔放に伸びたその緑は、人手を失った歳月を思わせた。
「少なくとも十年くらいは、軽く放置されてると見たね、こりゃ」
「昔は綺麗なお庭だったのね、きっと」 
「それにしたってこの生長ぶりは、尋常じゃねえなあ」
 声を潜めて歩く二人の前が、急に開けた。視線を遮っていた木々の高さが低くなり、視界が広くなる。森だと思っていたものは、外周だけだった。そしてそこに広がっていたのは。
「……薔薇園だ」
 低い木と見えたものは、薔薇の植え込みだったのだ。石畳は、薔薇のアーチをくぐりながらさらに続いていた。すでにその先にあるものは見えている。薔薇園の真ん中に位置している、天井が崩れ落ちたような石造りの廃墟。廃墟の周囲の茂みには、ぽつんぽつんと白薔薇が咲いていた。
「すごいな。なんて立派なんだ」
「ミゼルドの人たちは、ここのこと、誰も知らないのかなあ」
 ふたりが思いもよらない景色に気をとられている間に、石の廃墟にほわりと灯りがともった。
 ランタンを手にした女性が、そこから現れた。ふたりが身構える間に、彼女はゆっくりとランタンを持ってやってくる。黒い髪が、ランタンの光に照り映えた。年は20代だろうか、その表情は不思議と温かい。評議会の連中がいるとばかり踏んでいたニクスは、力が抜けた。彼女の周囲には、ミゼルドの喧騒や銀貨の取引といった俗世の匂いが、微塵も感じられなかった。
 そしてニクスもアルティトも、もう長いこと知っている人と再会したような気分を味わっていた。
「おかえりなさい」
 ランタンをかかげ優しい声でそう言うと、彼女は安らかな笑みを浮かべた。

第3章へ続く


第2章|夢の少女と、少女の夢と無限のかたち支配するもの、されるものマスターより