《里》のはずれに、奇妙な《大陸の民》が来ているという話は、冒険者たちだけが知っていた。
ジャニアス=ホーキンスがいう。
「あー、あのオッサン訳ありやったな。これで《星見の民》に会わせてみぃ。オレらまで、意味もなくまた疑われるで」
「しばらく内緒にしておくってことですか?まあたしかに《星見の民》に、これ以上厄介ごとを増やすわけには……せっかく、《大陸の民》への偏見を減らしてきたところですからね」
と、自分は厄介ごとが嫌いではないファーン・スカイレイク。
「ちゅうわけで、オレとしてはこのまま、あのオッサンを見守ろうと思う。あの神官が《夜魔》を使役しとったんなら別やけどな」
仲間を前にして、派手な衣装に身をつつんだ商人は、うんうんとうなずいている。
「まぁ、他の人たちの話も聞いてみた方がいいと思うんですが……
」
慎重にアゼル・アーシェアは答えた。彼は、巡礼の神官が手にしていた書物が気になっている。
フィーナ=サイトは《白羊の集会所》で巡礼の話を聞き、ぜひ自分も会わせてほしいとジャンに頼んだ。
「《痛みの剣》教団なら、フィーナのところとは兄弟だもん」
「フィーナは《愁いの砦》の神官さんやったな?」
「うん。見習いだけど」
先週《万極星の神殿》でイェティカたちとともに過ごしたフィーナである。そこでの経験は、フィーナにとっていろいろ考えさせられるものだった。銀色の獣は彼女を押し倒し、巡礼かと問うたのである。
「でも巡礼なんて、聞いたことなかったですぅ。その、噂で、いたんのおしえがあるって話はあったけど……」
「異端、ですか」
「ふむ、三柱の兄弟神はまだ力を残しとって、その名を呼べば顕現するっちゅう教義やな?それとも、兄弟神のかわりに《魔女》に祈るっちゅうヤツか?」
「ジャンって詳しいですねぇ」
「あ、いや。まーな。いろいろあってな」
ジャンはフィーナよりも異端について知識があった。何しろ、それが彼の本職なのであったから。実のところ、《大陸》では《魔女》の存在は禁忌ともいえる。《偉大なる神々》と人々が共存していた《神話時代》。その終わりを告げたのが《悪しき魔女》だったからである。異端云々の話ができるのは、ここが《忘却の砂漠》だからだ。《大陸》で下手に魔女だの異端だの、という話を(まじめに)していれば、場合によっては法の下に引き出される国もあるかもしれない。
そういった神話がどの程度真実を伝えているかはさておいて、実際に巡礼がたてられているならば、立派にその神話は機能しているのだ。機能しているならば、それはやっぱりジャンの守備範囲内に入ってきてしまうのである。
「異端の巡礼とはね、さすがのオレも気がつかんかったわ。フィーナが知らんのは無理ない。まっとうな神官さんは、縁がないもんやしな」
群立している国家群と宗教組織の行為の監察。ジャンの帯びている密命だ。本業に話が関わってきたこともあり、彼は普段よりもはるかに真剣に調査をすすめていた。
「ダグザもいっとったな。物事の善悪はしばしば主観に従属する。や〜さすがにベテラン冒険者やな」
「なんですかジャンさん。ひとりで納得してないで、説明してくださいってば」
「んー」
ジャンはぽりぽりとあごをかき、以前ダグザとかわした会話を再現するかわりに、アゼルに炙り串をおごらせる約束をとりつけた。
「《悪しき魔女》が復活する、と?」
「うっ、そこまではわからんけどなあ。オレらの住んどる《大陸》の常識やと《魔女》は《兄弟神》に封印されたことになっとる。《忘却の砂漠》のどっかに、今でもな。そんでもって《星見の民》に伝わる話やと……」
「そう、長い眠りについている黄金の姫が、人々を導くのだと聞きました」
ファーンが続けた。片手でそっと月琴の曲線をなでる。
「ふたつの言い伝えには、妙な符合がある。封印は眠り、黄金の姫が魔女。そう考えられなくもありませんね」
黙って聞いていたフィーナが、突然泣きそうな声で叫んだ。
「違うもん!魔女は復活なんかしない。《星見の民》は、魔女の仲間なんかじゃないもん!」
ファーンがフォローするよりも早く、おじさんに話を聞いてくるもん、とフィーナは集会所を飛び出していった。
「お、追いかけなきゃ」
本当は、フィーナも恐ろしくて仕方がなかったのだ。次第に金色の姫が魔女じゃないかという考えにとらわれていく。息がつまってしまう前に、何とか誰かに否定してほしかった。あこがれの《星見の姫》、自分が目指した《星見》の力。ふるさとで待つみんなの苦しみを、和らげるはずの存在は、けして《悪しき魔女》ではないのだと。
イェティカちゃんには、とてもいえない。自分の恐ろしい想像のことは。
フィーナはどきどきする胸をはずませ、《痛みの剣》の神官が身を潜めている門の裏手へ急いだ。金色の鍵の聖印が胸元で踊る。涙が一筋頬を伝った。ああ、かみさま、《愁いの砦》さま……フィーナは間違ってるのでしょうか。イェティカちゃんはお友達です。もしも《星見の姫》が《悪しき魔女》だったら、フィーナは……イェティカちゃんをせいばいしなきゃいけないんでしょうか。
巡礼の神官は、凄惨な姿をしていた。《忘却の砂漠》を身一つで渡ってきたために、目も足もひどくやられている。若くはない禿頭の神官は、駆け寄るフィーナの姿を認めると呵々と大笑した。フィーナはびくりと身を堅くするが、すぐに癒しの祈りを唱え始める。
「ふはははは、こんなところで《愁いの砦》の祭句を聞こうとはな!」
枯れた腕が、フィーナをぐいとつかんだ。
「そなたはなにをしとるのかね?神の声を聞きし者か? まさかの、《愁いの砦》様のお声などそなたには届かんだろうな!」
またまた泣きそうになるのをこらえる。つかまれた腕から、いやな気持ちがさらに伝わってきたような気がしたのだ。まだ消えない朱印が熱くなる。
「水ならありますよ、ここに!」
アゼルは少女を背後にかばうと、憮然とした表情で乱暴に水袋を置いた。どこの神官が、子どもを泣かせるというのだ。神話での《痛みの剣》とは、自ら諸刃の剣を携え、傷つきながらも人々を守る戦神なのではなかったか。
「《聖地》への巡礼といいましたね。失礼ですがそのあたりの事情を説明してもらえませんかねえ」
「ふん、《聖地》はただひとつ」
「アストラではなく?」
「アストラだと、ふははっ、いかにも私はあの虚飾の大神殿からこちらに参った。何をも求めぬのならば、おとなうがいい。そこでは何もないということを得られようぞ。いや、持てるものを失う旅となるかもしれぬがな」
「……」
「水の礼はいう。そなたに兄弟神の加護がありますよう」
戦だけの加護ならばいらない、とアゼルは思ったがそれは口にはしなかった。横のファーンは、人当たりのいい彼には珍しく、うさんくさそうなまなざしを神官に投げかけている。振り返るとフィーナが目に涙をためながら口をとがらせていた。
「イェティカちゃんは、魔女なの……?」
「ふん?なんと?イェ?」
「だからあ!イェティカちゃんって、神様の敵なの!?」
アゼルは革表紙の本を取り出して調べようとしている神官に、イェティカは今の《星見の姫》のことだと通訳した。神官はにごった魚のような目をこする。
「金色の姫、そうか、そんな話が《星見の民》に伝わっておったか! ふははっははあ、見よ、まこと口に戸は立てられぬものよ!」
神官は書物のぼろぼろにすり切れたページを開いた。あるくだりを示す。
「これここに、かつての《悪しき魔女》のみめかたちが記されておるぞ。戦いの果て、片手を失うも神々と対立を続けた魔女の髪は、燃えるような黄金だったということだ! そしてその瞳はあやかしの力を宿しておったとも。神おわす天宮の光届かぬ夜空の力もて、月光の翼をまとって飛来したという」
「魔女は神様たちと同じ力を手に入れようとした。それで神様たちは魔女のおごりをいさめようとした」
フィーナは、かつて習った教えをつぶやいた。
「そうだとも、幼き同胞!魔女こそは《大陸》の永遠の敵である。《大陸》追放となった身で、さらに《魔女》は彼方の地に逃げたのだ! そして最後の力で、緑なす大地に隕石を呼び寄せ3神も道連れにしたのだぞ! 我ら兄弟神のしもべは、魔女をうちほろぼしてこそ真に神の子となれ」
「《愁いの砦》様は、そんなこと教えてない! 優しい女神さまだもん! それに魔女はもう封印されてるでしょ、戦う必要なんてないじゃないっ」
「戦いは、必要があって行われたものなのか。望まれて行われたものなのか、見てはおらぬものが、神の言葉に逆らえるか? 同朋よ」
「なんで!? フィーナわかんないよぉ、《星見の姫》は、《大陸》の大戦争も予言して防いだじゃない。《悪しき魔女》が《大陸》の敵なら、どうしてそんなことするんですか」
「うるさい!」
巡礼はフィーナを制した。同朋と呼びながらも、彼は本質的にフィーナとは違うようにジャンには見えた。巡礼はフィーナの涙混じりの激昂にはろくに答えず、《契約の書》にあるとおり神の声を実践すべきだ、と述べるのみであった。
「聖地に向かえば、何が起こるんや?」
「次なる戦いのために兄弟神が復活する。千年の時を経て、《忘却の砂漠》の悪意が目覚めようとしているのだ。砂漠の外へと《魔女》の力が広がる前に、正しき鉄槌を振り下ろすべく」
「《魔女》は蘇るんか!?」
「じきに時が満ちる。千年の封印が解けようとしているのだ」
巡礼の言葉は時代がかっており、分かりにくい。ガガがいたらまた彼は怒ったことだろう。ジャンはポケットの中の無紋ナイフに手をやった。彼の仕事道具は、懐かしい冷たさで応えた。今度ばかりは不用意にことにあたるわけにはいかない。ええっと、仕事道具で足りんものはないやろうか。薬類はガガに分けた火薬以外は揃とるし、《星見の民》謹製のもんもいくつか分けてもらお。《砂漠の悪意》とやらに勝てるかもしれん。
アゼルが視線を落とすと、神官の持っている本が見えた。
「あ、すいません、ちょっとそれ貸してくださーい」
いらえを待たずに彼は老いさらばえた手から書物をひったくり、ぱらぱら眺めてみた。読める。《大陸》の共通語で書かれているようだ。題名は記されていないが、教典のようでもある。神の言葉らしき対話が、平易な言葉でつづられていた。全ページが細かな筆跡で埋まっている。
「この本はいったい?」
「よくぞ聞いたな! これこそが、我ら大陸の選ばれし巡礼のみが手にする、まことの聖典にして最後の神との対話である《契約の書》」
冒険者たちは顔を見合わせた。フィーナだけは、異形の神官をきっとにらんでいる。
「写本のようですね」
「これを書き写すのはは大変だったでしょうね」
「でも、図版がないですね。《聖地》って、場所は近くなんですよね? 地図が記されているわけじゃないんですか?」
アゼルの言葉に巡礼は砂漠の彼方を指さした。
「俺、一緒に行きますよ」
「「「えええっ」」」
仲間たちは、アゼルの顔をまじまじと見た。反響の大きさにちょっとびっくりする彼だが、また続ける。
「だって、聖地があるなら見てみたいじゃないですか」
「あ、僕も」
手をあげるファーン。
「アゼルだけ見に行くなんてずるいでしょ」
本当は彼も神官の行動と、その書物が気になっていたのだ。しかしその言葉はどうにもうさんくさく聞こえた。人を見る目は培ってきたつもりである。ファーンは警戒を怠らず、神官が聖地に向けて出発したならば、こっそり姿を隠して跡をつけるつもりだった。彼が《星見の民》にとって危険な存在にならないかどうか見極めなくてはならない。
「正直な話、僕にとっては神様がどうのって話はあまり重要じゃない。神様に頼らなくても、種を蒔けば芽が出るし、畑を耕せば少なくとも実りが出る。鍛えるために努力すれば技術は磨かれるし、地道に学んでいけば知識は身につく」
神官はにごった瞳をファーンの青い瞳に向けた。ターバンからのぞくファーンの薄茶色の髪が、砂漠を渡る風にそよいだ。月琴の二本弦が鳴る。
「真剣に信じている人には悪いけど、そうとしか思えないんです。信じることは、ただ心の支えになる以上のものにはならないってね」
そう考えているからこそ、僕みたいな見方が必要になるかもしれない。そうファーンは結んだ。
「貴方にとっての聖地でも、それは誰かにとっては危険を呼ぶ存在かもしれない」
「たとえば……《悪しき魔女》は、《星見の民》にとっての神、ということか」
神官の言葉に、フィーナはびくりと震えた。
「そこまではまだわかりません。でももし貴方が里の人の生活を壊そうとするならば……」
神官はファーンをさえぎって言葉を挟んだ。
「そなたらも同席して、その目で確かめればよいであろう。我らが大陸の3兄弟が、魔女の力を放逐する瞬間に」
また大笑する。巡礼の神官は機嫌がよさそうだ。神官に調子をあわせたアゼルは、しばらく《契約の書》を読ませてもらうことにした。
そして《白羊の集会所》に戻ってきた一行。
「ああ、まだ《朱の大河》にいった人は戻ってきていないようですね」
ファーンががらんとしたままの集会所をひとわたり見渡して、ため息をついた。
「ということはきっと、すごい発見があったんですよ」
慰めるかのようにアゼルが答える。
「パレスが戻ってきたら、じっくり話したいと思ってるのになあ」
「ファーンは、ああいうタイプが好みなんですか」
「んなわけないでしょうアゼル君。僕はただ……彼は若いのに苦労を背負いすぎなんじゃないかと思っただけです。人生なんて、開きなおった者が勝つ。僕はそう思うんですよ」
書物の文字を追いかけていたアゼルが顔をあげ、えへんと腕組みしたファーンを見て吹き出した。
「若いのにって、ファーンだって若いでしょう」
「そやそや」
「ジャンがいうのならともかく」
「そやそや……って、なんでや!」
「なんか、いつになくまじめな顔をなさってたもので」
「そら、オレはもーじき三十路やけどなァ」
がく、と肩を落とすジャン。ファーンは腕組みしたまま、フィーナの様子をうかがった。彼女は窓際でほおづえをつき、どこを見ているのかぼんやりしている。少女は教団で習った神話を、呪文のようにつぶやいていた。
「……魔女は神様に迫りました。私は大陸の人間に、欲望を与えます。欲望のために戦うことを教えます。……天宮の神様は、欲望にとらわれてしまった人々を救うため、魔女の追放を3兄弟に命じました……」
「わかりましたよ、聖地の場所」
アゼルは手製の地図に印をつけた。
「ここは……」
「《万極星の神殿》、《朱の大河》の洞窟、そしてここ、《星見の里》。これらを結んだ三角形の中心です。あるいは《忘却の砂漠》それ自体が、広義の聖地であるともいえそうですけど。少なくともあの巡礼は、この場所を目指してます」
「オッサンの話を信じるとしたら、戦いが行われた場所イコール聖地、イコール魔女が封印されとる場所、なわけやな」
「《夜魔》は、魔女の力の現れだったのでしょうか?」
「ってオイ! 聖地とやらって、ここからむちゃくちゃ近いやんか!」
「ですねー」
「どないせぇっちゅうねん。アゼル、ここが戦場にならんうちに、早いトコ約束の炙り串おごってやー」
「戦場になんか、させませんよ」
ファーンが顔をしかめた。彼は長い長い式をいくつも紙に書いて計算していたが、最後の答えを導き出すと、ふう、と大きく息をついた。
「二度解きましたから、たぶん間違ってはいないはずです。《契約の書》にあるとおり、封印の有効期間を計算してみました。千年めの期限は次の新月。それまでにも徐々に封印は弱まっているそうです」
「封印を強める方法とか、もっかい封印する方法とかは?」
「……それが」
アゼルは、書物の後ろのほうを開いた。
「この写本は中途半端なものらしくて、尻切れとんぼで終わっちゃってるんですよねえ」
「あちゃー」
「原書には書いてあるみたいですけど」
「ま、あと一ヶ月近くあるしな。なんとかなるかいな」
「……」
「な、なるといいな」
フィーナは相変わらずほおづえをついたままだ。彼女の中にわだかまる生温かいかたまりは、蠢動し続けていた。
第5章へ続く