第2章|森の影離宮主なき場所光に向かってマスターより

2.離宮

子どもの頃に夢中で探したものが
今ほら目の前で 手を広げている

 そんなこんなで、モースを含めた一行は夕刻のディルワースに到着した。賢者はさっそくシャッセを見舞うつもりだ。
 魔導操師クーレル・ディルクラートは、
「もしも邪魔でなければ、俺もついていく」
と珍しく意思をあらわにした。道中も、モースが他の旅人たちとあれこれ話している姿をそっと見ているだけで、自分からは話し掛けることはなかったクーレルである。
「俺の知らない、俺の知識の中に力になれるものがあるなら、協力する……」
 モースはうなずいた。
「ありがとう、迷子ちゃん」
「貴公は、俺よりはるかに多くを知っている。貴公の見ているものに、俺はとても興味があるんだ」
「僕はね、賢者になろうと思っていたわけじゃないんだけどな。かわいい迷子の道しるべくらいにはなれるかもしれない。ホント、なれたらいいよね」
 だぶついたフードの奥に隠されたクーレルの紫色の瞳が、何かを求めて暗く沈んだ。
「シャッセちゃんは、また違うものをきっと見てるよ。僕だけじゃない、誰でも」
「ずるいぜ! 俺もついていくかんなっ」
 二人の世界に遅れじと、召喚師見習いリュカ・シー・オーウェストが手を挙げる。
「行くったら行く! さー行こうぜお城へっ。お姫様、どんな人なんだろな」
 小柄なリュカの肩に、どこからか白い毛玉のようなものが出現した。猫そっくりの尾がある存在。猫よりも鼻面は長く、細い感じで、カロンよりもかなり大きいサイズだ。
「きゅるるる〜」
「重っ!」
 よろよろとバランスをくずしたリュカの肩から飛び降りたそれは、白い毛を揺らして一行にお辞儀した。
「大きな猫だね」
 と、カミオ・フォルティゴ。
「違う違う。コイツ、キュルっていうの」
 キュルの重みできしんだ肩をぐるんぐるん回しながら、リュカが言った。キュルは彼の呼び出すことの出来る数少ない召喚獣のひとり(? )だ。ただし、キュルに限って言えば、呼び出しても命令を聞いてくれるかどうかは定かではない……というのはまだ内緒である。
 「猫のキュル?」
「違うってば! 猫じゃないの。ちなみに女の子だぜ」
「どーみても猫だけどなぁ……」
「きゅるるるる」
 カミオは珍しい猫もどきをしげしげと眺めた。
 姿をあらわしてくれた以上、キュルもシャッセ姫に興味があるのだろう。今回は協力してくれそうな気がする。リュカは安堵した。

 離宮への途中、リュカはこっそりとキュルに聞いてみる。
「なァ、もしかしておまえ、お姫様の病気とか治せたりしちゃう?」
 それとなく、そういう展開に期待しながら。自分の命令を聞かないのは、たぶんキュルが力ある存在だからなのだ。リュカは出会って日の浅いこの猫もどきとの関係を、そう理解するようになっていた。《精霊の島の学院》のお偉方にも、正体は分からなかった巨大猫。そしてモースも、キュルのことを知っているのかもしれない。
 だが、キュルはふんふんとひげをゆらし、鼻歌まじりでとことこと脇を歩くばかり。
「ちぇ、都合の悪いときはこれだから……」
 リュカは両手を頭の後ろで組み、この謎の存在について思いをめぐらせていた。

 離宮。
「お待ちしておりましたぞ、モース殿!」
「いや、そんな堅苦しい挨拶はなしにしてほしいって、何度も言ってるじゃない、ボーペル」
 くつろいだ笑顔で、モースは領主ボーペルと握手した。心労がたたってやつれ気味の領主も、久方ぶりに安堵の笑みを浮かべて一行を出迎える。
「お変わりなさそうで何よりですな、モース殿」
「そう?  これでも年をとったと思うんだけどな。シャッセちゃんは?」
「うむ、先日居室を離れに移したところだよ。訪ねてやってほしい」
 領主の部屋を辞し際に、モースが一言付け加えた。
「警備を固めたほうがいいと思うよ」
 ははっ、と近衛隊長が敬礼する。

 寝室を移すことを進言したのは、医師フォリル・フェルナーだった。彼は献身的にシャッセの治療にあたっていたのだが、ひとつ懸念されるのは、《狂乱病》が伝染病だった場合のことだった。経路は不明だが確かに罹患者が現れる以上、最善の策として患者の隔離をあげたのである。さらにディルワース出身者は発病の怖れがあるとして、姫の近辺からはできるだけ外すようにした。あともう一つ、女医コルム・バルトローに手伝ってもらいたいというのがあったのだが、これもあっさりコルムがうなずいた。
「隔離といっても、渡り廊下が1本増えただけだが……」
 見舞いに来たモースにおしぼりを渡しながら、フォリルが言った。
「気休めにはなるだろう。医師として、尽くされない手があるのを我慢できない性質でして」
「そうだね、子猫ちゃん」
「こ……」
 モースと初対面だったフォリルが、彼の物言いに眉をひきつらせた。

「やあモース様!ごぶさたしてますっ」
 シャッセは寝まき姿のまま、軽やかに寝台から飛び降りてモースに抱きついた。
「元気にしてたかい、シャッセちゃん」
「ううん、病気なんです僕」
 青白い顔でシャッセが答えた。
「血の気は多いくらいですがね」
 フォリルがかちゃかちゃと診療道具を整理しながら補足した。
「これまでいくつか、考えられる病気の検査を行ったのだが、いずれの症状にもあてはまらなかった。ひとまず目指すべきは、姫君の体力の回復だと思われるが」
「だって僕、食欲ないんだ」
 シャッセがぷうとふくれて、フォリルに言った。
「患者は医者にたてつくものではない。治るものも治らなくなりますぞ」
「まあまあ、フォリル先生もどうか穏やかに」
 コルムが間に入ってなだめる。彼女もまた、シャッセの側について献身的に世話を行っていた。もちろん姫づきの世話係や警備兵はいるのだが、どうしたわけかぴりぴりしたシャッセは、彼らとあまり話をしたがらなかったからである。そしてこれまたどういうわけか、おしかけてきた旅人たち……フォリルやコルムは医師なのでまあ別として、ジェイスやルイン、カロン、ミューなどとは仲良くやっているのである。フォリルに言わせれば、下手にディルワースの人間と関わると伝染してしまうからだろう、ということだが、コルムはもっと単純に、話し相手が欲しかったのかな、などと考えていたのだった。
 さらに新米のコルムにとって、敏腕のフォリルの側で働けるのはとてもうれしいことだった。彼の行動を見ていると、自分の実力不足を痛感する。もっと頑張らなければ、と思っていたところなのだ。

  「林檎も食べることができないの? シャッセちゃん」
 モースはオシアンが持ってきた大ぶりの林檎を取り出した。コルムがそれを受け取ると、ルインを呼びつける。
「ハイっ、お呼びで?」
 盗賊ルイン・ディル・オークは、今やすっかりふたりの医師たちの小間使いと化していた。言いつけられるがままに、薬の調合だの器具の準備だの、果ては姫の話し相手だのを勤め上げている。その様子を満足げに眺めている、赤オウムのクラッカーであった。
「……ったく、ちっとは休ませろっての! 人づかいの荒いねーちゃんだよ」
「何か言ったか?  ホラこれ、シャッセ姫にむいてあげなさい」
 聞こえないふりをするコルム。彼女は彼女で、機敏でちゃんと仕事をこなせるルインのことを、なかなか評価していたのだった。弟子をとるには早すぎるけれど、この子は見どころがありそうである。
「まかせてくださいっ!」
 ルインは林檎の皮を長く長くつなげてむいている。むいた皮は、端からクラッカーの餌食となった。
「魔法の林檎か何かですか?」
「いや、ディルワースでとれた林檎だよ、子猫ちゃん」
 ふくれっ面のルインに、モースがにこやかに答えた。
「林檎が《狂乱病》の特効薬?」
「昔は、それを研究していたのだけれど、残念ながら明確な答えにはたどり着いていないんだ。ごめんね、シャッセちゃん。それに、シャッセちゃんのお友達」

 つい、とクーレルがシャッセの前に立った。林檎をかじっているシャッセは、長身の魔導操師と名乗る男を面白そうに眺める。
「……失礼。少し思いついたことがあるので、やってみてもいいだろうか」
「どうぞ?」
 シャッセは言われるままに、肩までめくった腕をクーレルに差し出した。
「……《我はここにあり またあり続けると この世はかくあり またあり続けると》」
 クーレルの低い詠唱に伴い、シャッセの腕から不思議な光が漏れ出でる。
「初めて聞く詠唱だな」
 コルムが眉をひそめながら、クーレルに注目する。
「……《たとえまた 時の闇に 緩やかにもつれ 寄せて返す調べの中に 還るとも》」
 クーレルにも、この詠唱が何を引き起こすものなのか分からない。彼の記憶はほとんど失われたままだ。ただ時々、どうしようもなく言葉が口をついて出てくるだけである。気のせいか、ディルワースに来て以来、詠唱の衝動に駆られることが多くなったように思う。
 シャッセの腕から放たれた光は、ある形をとってクーレルの目に映った。
「これは!」
 シャッセの全身から伸びる、何本もの光の糸。この様子はまるで……クーレルに旅立ちを促した師匠たる操術師そっくりだ。違うのは、師匠は糸を操る方だったということ。糸は光の彼方まで伸びて消えていたが、その中の一本だけは、先にあるものをとらえることができた。
「古い城が見える……」
 もっとよく見ようとしたクーレルだったが、糸は強制的に切断されてしまった。
「(まさか、見ていたことを気づかれた?  だが誰に)」
 子どもの笑い声を遠くで聞いたような気がする。そこでクーレルの意識は薄れていった。
 モースが崩れ落ちた魔導操師をよいしょ、と支える。よしよし、と彼の長い髪をなでた。
「まったく無茶をする子だね」

 疲れたというシャッセの人払いに応じて、一行は一旦彼女の部屋を辞した。コルムだけがシャッセの側に残る。即座ジェイス・オールドマンがモースに切り出した。
「この数日姫と過ごして考えていたのだが、本当に姫は病気なのだろうか」
 ひきしまった腕をきつく組んで、彼は疑問をぶつける。何か大きな悩み事や隠し事があるために、シャッセは衰弱しているのではないだろうか。しかし彼自身が、領主や近衛隊長などに尋ねてみても、思い当たる節はないという答えが返ってきたのである。
「例えば、姫も妙齢だ。縁談が持ち上がっていても不思議ではないと思うのだが」
「それは僕も調べてみたんだけどさー」
 消印ハンマーに身体をあずけてカミオがつなぐ。彼らの帯びている武器は、特にとりあげられてはいない。モースが一緒だということで警備もかなりゆるめられているのだった。
「ひととおり情報を集めたんだけど、そういう話はないみたいなんだよね」
「やはり、そうか」
 ジェイスが肩を落とした。医学の知識がない自分には、そうなると手も足もでない。
「というか、シャッセ姫が縁談に乗り気じゃないんだって聞いたなあ」
「王族のたったひとりの娘でしょう。拒んでいてはディルワースという国の存亡に関わると思うのだがな。領主はどういうおつもりなのだろう」
「ボーペルは、シャッセちゃんに甘いから。縁談はまだ早いと思ってるんだろうね」
 モースが答えた。ほんとにもう、ちっとも変わらないんだから、などと口の中でぶつぶつ良いながら。
「あ、そうそう、あなたジェイス・オールドマンっていうんだよねえ」
 カミオがふと、思い出したようにたずねた。
「サーカスやってた人?」 
「そうとも! いやぁうれしいねー、もしかして君、サーカスに興味ある?  私と一緒に、サーカスを再建したりしてみない?」
 冷静沈着でとおっているジェイスの表情が、あっという間にほころんだ。彼の夢は再び芸人を集め、舞台に立つことなのだ。サーカスに興味ある人間とみれば、すかさず勧誘に走ってしまうのである。
  「んー?  そのうちね。ほら、これ預かってきたよ」
 カミオは大きな肩掛けかばんから、一通の封筒を取り出した。
「宛先がジェイスさん。けっこう探したよ〜。はい、配達完了♪」
 それはかつてジェイスが興行した村の子どもからの手紙だった。みるみるジェイスの黒い双眸が潤む。
「見てくれよこれ……すごく楽しかった、また来てほしいだと! もちろん行くよ。なぁカミオ……これがあるから芸人はやめられないんだぜ!」
 筋肉質の腕が、ばしばしと郵便配達人の背をたたく。
「うん、僕もね、これがあるから配達をやめられないんだよ」
 カミオがにっこり笑って答える。

 フォリルがびっしりと書き込まれたカルテをモースに見せた。
「ここ数日の診察の結果だが、単刀直入に言って、私は《狂乱病》……由来がはっきりしていないからあくまでも仮の名前ではあるが、《狂乱病》には何らかの魔術的要素が深く関わっているものと推測する」
「……続けて」
 モースはカルテの束をめくりながら、フォリルにうながす。
「姫の目には、時々奇妙な光が宿る。法則性はないが、そのときの姫は、何か見えないものを見ているかのように振る舞うのだ。白昼夢とでも言えばよいか。高熱で幻覚が見える症例ならば分かるのだが、姫の場合は必ずしもそうではない。さらに……」
 フォリルは咳払いをすると、つやのあるバリトンで続けた。
「夢遊病だ。姫は時々寝室を抜け出しておられるご様子。これは私ではなく、今中に残っている女医コルムの指摘なのだが、姫の寝台が土で汚れているのだという。側付きの者に確認したが、そんな癖は昔はなかったそうだ。間違いなく夢遊病と《狂乱病》は関係がある」
「なるほどね、ありがとう子猫ちゃん。とてもよくわかったよ」
 カルテの束を医師に返すと、モースは豪奢な前髪をそっとかきあげた。
「さて、どうしようかな。こんなことならもっと研究を続けておくべきだったかも。ごめんね、シャッセちゃん。キミを傷つける結果にならないといいんだけど……」
「どういうことです」
「夢遊病のシャッセちゃんに、会いたいな。できるかい?」

 リュカは、姫に会った感想をキュルに聞こうとしたのだが。どうしたわけか巨大猫は毛をつんつんに逆立てっぱなしなのだった。
「おい、どーしたわけ?  そんなにあの子のこと、タイプじゃないの?」
 リュカの様子に気づいたモースが、そっとキュルの毛をなでた。彼の手が触れると、キュルの白い長い毛は、しなしなと元のように落ち着いていく。
「あっ、ありがとうございます……」 
 リュカは改めて、この賢者の力に感嘆した。いつか自分も、この人のようになれるのだろうか。今は少しでも一緒にいて、彼のあらゆる部分を吸収したかった。
「無理をいっちゃいけないよ、子猫ちゃん」
 キュルをなでた同じ手で、モースはリュカの帽子をかぶった頭をなでる。その仕草にむっとしながらも、リュカは黙っていた。
「この子には、分かったんだよね。シャッセちゃんのまわりにあるものが」
「お姫さまのまわりにあるもの?」
 巨大猫は、うんうんとうなずいている。
「僕もね、子猫ちゃんの様子を見て思い当たったことがある。夢遊病のシャッセちゃんが見ているものを、知りたいんだ。おそらくそれが鍵になる。シャッセちゃんの衰弱の原因は、おそらく睡眠不足と栄養不足……」
 フォリルと目を合わせたモースはうなずいた。
「でも、シャッセちゃんが眠っている間に、なにかが起きているんだ。そうでしょ?」
「なるほど、了解いたしました。姫君がお休みの場合も注意して、見張っていることにしよう。適任がいることですし……ルイン! ルイン・ディル・オーク!」
 黒衣の医師に呼びつけられて、ルインはまたため息をついた。まったくそろって、人使い荒すぎだ。そんなルインに目をつけているのはまたもやジェイス。ルインの器用さがあれば、きっといい芸人になるだろう、と悦に入っているのであった。

 そのころのコルム。
 シャッセの寝台の脇に座り、眠りにつこうとしているシャッセの赤い髪をそっとなでる。
「ん……お母さんみたいだ」
 シャッセが寝返りをうちながら、誰にともなくつぶやいた。コルムは、離宮にシャッセの母らしき人がいないことに思い当たる。父の領主とふたり暮らし。考えてみれば奇妙な家族構成だ。王族というものは、もっとものものしく、誰が王位を継承するだのなんだのという話がつきものだろうに。
 シャッセは、寂しいのだろうか。
 たとえ街の人々に人気があっても、他の悩みがあるのかもしれない。口癖のように離宮は退屈だと言うのも、全部。
 そこまで考えて、コルムはあまりにすべてが想像の域を出ないことに気が付いた。フォリルのようになるにはまだまだ時間が必要だ。
「姫、退屈でしたら明日は王城へ行ってみませんか?」
「ほんと? 僕……王城に行ったことないんだ。約束だよ……」
  「はい」
 シャッセの寝息を確認してもなお、コルムは彼女の髪をすき続けた。

第3章へ続く


第2章|森の影離宮主なき場所光に向かってマスターより