第2章|森の影離宮主なき場所光に向かってマスターより

3.主なき場所

何もかも 思い通りになったとしても
すぐ次の不満を探してしまうだろう
決して満たされない 誰かが傷ついても

 王城探索の許可は、なかなか下りなかった。正しくは、シャッセの許可はあっさり下りたものの、領主がなかなか首を縦に振らなかったのだ。今やシャッセ付きの医師ともいえるフォリルの強硬な主張により、姫の寝室は離宮のさらに隅に移されていた。

「王城なんてからっぽだよ。たぶん湿気がすごいことになってると思う」
 寝台の上で足をぶらぶらさせながら、シャッセはオシアンに言った。
 いったんは賢者の家まで行ったものの、城の話が気になって戻ってきたオシアンである。ディルワースのどこからでも、森の中にそびえる王城が見えるというのに、そこが打ち捨てられているというのが理解できない。さらに付け加えるならば、妙齢の高貴な女性が、寝室に無頓着に旅人を招きいれ、しどけない姿で会話しているという恐るべき事実だって、理解に苦しむところである。彼は故郷に帰れば、身分ある身なのだ。
「ですから姫、なおのこと調査の必要があります」
 ちゃっかりと姫の寝台に陣取っていたカロンが口を挟んだ。オシアンは、ものいう茶猫をうろんな目つきで見やる。
 カロンはカロンで、例によって従者の少女ミューを顎で使いながら、ディルワース全体に漂う香りの正体をつきとめようとしていた。城門前でも香りを感じたなら、中に入ればきっと……というのが、カロンの考えだ。そして、姫の寝室が別室に変わっても、香りは漂っているのだった。
「それにな、あんな立派なお城だ。使わないなんて勿体無い」
「カロン、貧乏性なんねー」
「ウルサイぞっ。ミュー、いいからおまえは姫のお相手をしていてくれ」

 父さまが城門の鍵を持っているから、とシャッセがなげやりに言うので、オシアンとカロンは連れ立って領主の部屋に交渉に行ったのだが。近衛隊長はともかくとして、領主が鍵を貸し渋ったのであった。曰く、どうせ何も無い、行くだけ無駄だ、中は荒れ放題だろう、以前盗賊団が入ったが、何もとられはしなかった……。
「王城とは、領土を護る要であり、領内の秩序と安定の象徴であるべきものです。それを離れるのには、何か事情があるのでしょう」
 オシアンは、好々爺たる領主の目ををじっと見て説得する。
「でも、シャッセ姫が苦しんでいるのは事実です。原因が不明な以上、姫君の苦しみをとるために、私たちは全力を尽くします。王城に行けば、何か手がかりがあるかもしれないのです」
 こくこく、とうなずくカロン。ついに領主は折れて、引出しから小ぶりの宝石箱を取り出した。やや大きめの銀の鍵は、年を経たものらしく黒く曇っていた。

「察するところ貴方も訳ありなのですね」
 領主の部屋を辞した後、前をすたすた歩くオシアンの背中に向かってカロンが言った。
「シャッセの病気話を持ち出して、肉親の情に訴える手際といい……ふむ、心得たお方だ」
「訳もなく生きている人間などいないだろう」
 振り返ったオシアンは、足元で毛づくろいなど始めたカロンに言った。硬く尖ったような声だった。
「……私はただの旅人だ」
「人はみな、旅人です。いや、私は猫ですが」
 カロンは、オシアンの暗青色の瞳を見上げた。三白眼に小さな猫が映っている。
「さあ、お城に出かけましょう」
 にゃあ、と猫らしく鳴いて、カロンはオシアンの先に立って歩き出した。

 探索には、妖精族のグリースボーナも加わった。彼女はしばらくシャッセについて、身の回りの世話などを続けていたのだ。相変わらずぼろぼろの長衣をまとったまま、指先だけ出して鍵を眺めた。赤黒い髪が長衣から垣間見える。
「柄の装飾はすっかり黒くなっていますけど、鍵穴に差し込む部分は少し綺麗。もしかしたら、使われた形跡なのでは?」
「しかし城門の鍵穴は、このとおり錆びさびです」
 茶猫が憤慨する。猫が示すとおりだった。オシアンが手にしていた杖をいろんな角度に傾け、あたりの魔力を調べてみる。
「魔法の目くらましではなさそうだ」
 グリースボーナが鍵を差し込む。しかし彼女の力では、鍵を回すことすらできないほど錠前はさび付いていた。オシアンが彼女に代わると、ようやく城門は悲鳴にも似たきしみをあげて、ゆっくりと旅人たちを中に招き入れた。

 エントランスは日光が差し込み、意外にも明るい。それだけにいっそう、荒れ果てた様子が無残だ。窓のカーテンは色褪せ、床のモザイクもぼろぼろにはがれてしまっている。2階へとあがる螺旋階段は、ところどころ板がはずれていた。鎧かぶとの類は、無造作に転がっている。
「きゃ!」
 グリースボーナが何かにつまずいて、小さく声をあげた。
「何だ!?」
「あ……いえ、平気です」
 足元にあったのは、彫刻の頭部だった。見上げると台座の上に、首と手がもげてしまった大理石の裸婦がたたずんでいた。
「ひどい荒れようですわね」
「ふーむ、怪しい。実に怪しい。奇妙な香りがぷんぷんします」
 カロンが鼻面にしわを寄せた。
「例えるならば、さわやかなのに毒がある、と言うか。だがよきものではなさそうです。この香りの元が、シャッセ姫のお体を蝕んでいるならばなおのこと……これは、腐臭です」
 そこまでしゃべると、猫は激しく咳き込んだ。
「うう、ここは空気が良くないですね。ホコリだらけだ。これじゃ姫でなくとも身体をこわしかねない」

「そういえば、ディルワースの城下で噂を集めた中に、盗賊団がやってきた、というものがあったのだが」
 残された手がかりを探しながら、オシアンが切り出した。
「それは領主も言ってましたね。何もとらずに逃げていったと」
「その話を知っていたのは、年長者ばかり。若者までは知らない話のようだった」
「盗賊団の目当ては《竜の牙》かもしれませんね」
 グリースボーナが、どこか不思議そうにつぶやいた。彼女は人間との関わりや、人間の営みに興味を持っていた。妖精族のグリースボーナにとって、時に利己的とも映る人間たちの行動は不思議なものなのだ。
「それにしたって、お城には貴重なものもたくさんあったでしょうに。何もここまで破壊しなくたっていいと思いますわ」
「破壊されたから捨てたのか。それとも捨てられたからここまで荒れたのか……いずれにせよ、並大抵の事情ではない。盗賊団の侵入は放棄の後だろうから、少なくとも一世代前の話ということか。時期を特定できるものを探すぞ」
 グリースボーナはきょとんとしている。ああ、とオシアンは説明しなおした。人間の一世代、すなわち約二十年。1400年を生きてきたグリースボーナにとっては、ほんの一瞬だ。
「たった二十年で、ここまでなるものかしら。人の手を加えたものは、いったん手を離れると儚いといいますが……」
「それをこれから、調べるんだ」
 オシアンの胸には、ここ数日繰り返された疑問がまたも浮かび上がる。
 街の象徴たるべき場所を廃墟にするなど、ここの領主は何を考えている?
 それに、《竜の牙》………その存在がこの街の独立を支えているのならば、いくら愛娘のためとはいえ、領土を売り渡すような行為は、果たして是なのだろうか。
 愛と国とを量りにかけること。重すぎる痛みは眩暈が紛らわせてくれた。

 疑問のひとつの答えは、2階の奥にあった。今にも崩れ落ちそうな階段をどうにか上っていく3人。円を描くように伸びる廊下は、片側が吹き抜けになっていてエントランスが見下ろせる。反対側には扉がいくつか並んでいた。扉はどれも木製で、ひどく朽ちていた。
「構造的に、このあたりが居住区だと思う」
 城内の様子を脳裏に描きながら、オシアンが言った。
「見て、一番奥の扉!」
 口元を抑えたグリースボーナの、陶器のような指が示す先に見えたのは。
「……できれば見たくなかったな」
 黒い炭と化した人間だった。扉の前に、置物のように転がっている。何かに跳ね飛ばされたような姿勢で、胸にはこれも黒焦げの矢を何本も受けていた。グリースボーナは、そっと大地への祈りを口ずさむ。
「王族か? それとも侵入者のほうか?」
「盗賊のようだ。見てくださいこの扉、固く閉ざされている。他の扉はどれもこれも朽ちているのに、ここだけは頑丈そうですよ。そして、例の香り……というか腐臭が、ぷんぷんします」
「私の杖も、異様な魔力を感じている。開けるぞ」
「罠に気をつけて!」
 そうして、閉ざされていた扉は開いた。

「……?」
 城の他の部屋で見たのと同じような、打ち捨てられた一画だった。窓は鎧戸が下りたままで締め切ってあり、真っ暗だ。目がなれてくると調度の類が見えてきたが、壊れているか崩れているかどちらかしかない。よれた布がかぶさっているのは寝台だろうか。壁には絵のひとつもなかった。
 そして漂う腐臭。カロンは言うに及ばず、オシアンとグリースボーナにもはっきり分かった。
「この匂いは一体?」

 つかの間、その部屋に明かりがともった。暖かな陽光の差し込む部屋に響く、家族のだんらんの声が聞こえた。もうすぐ家族がふえるね、と優しい声。男の子がいいかしら、それとも女の子。楽しみね。と温かい声。きりきりきり、とぜんまいの音。オルゴールの澄んだ音色。

「何だこれは!」

 気づくと、元のとおり荒れ果てた部屋だった。誰もいない空間に、オルゴールの音だけが響いている。グリースボーナはそっと手を伸ばし、小さなオルゴールを手にとった。 
「みんな感じたのね。オシアンさんも、カロンさんも」
「ああ。何かのメッセージだろうか」
「でしょうね。元の持ち主に返したいけれど……あののんびり郵便配達人くんは、こんな宛先不明のものも、運んでくれるのかしら?」
 きりきりきり。グリースボーナがぜんまいを巻く。
 オルゴールの音色は、まだその相手に届かない。

第3章へ続く


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