第3章|波紋|誰彼|流転|夢現|マスターより|
4.夢現
オシアンとアーシュは、王城の端にある狭い石階段から鐘楼にやってきていた。
「何だってこんなところに隠すんだ」
鍛えているアーシュでさえ足腰に来ているのだから、いわんやオシアンをやである。口は開かず、錫杖をしゃらしゃら鳴らしながら身体を支え、やっとのことでてっぺんまで辿り着いた。最後の梯子をようやく登り終えた二人は、しばらく言葉もでない。
「……ああ、酒持ってこればよかった」
石段は300まで数えてあとはわからなくなった。その後、ぐっと幅の細くなった螺旋階段がぐるぐると続き、さらに詰め所らしき小部屋を過ぎて、またぐるぐると続き……最後には人一人がようやく上れるほどの梯子が垂直に伸びていて、ようやく鐘楼に着くのである。
石造りの鐘楼は山側の一方だけを石壁にして、残りの3方はほぼ吹き抜けである。高所恐怖症でなくても、背筋が涼しくなってくる。上から見下ろすと、梯子の穴は井戸のように部屋の石床にうがたれていた。青銅の鐘がふたつ、天井につるされている。
「もう、二度と上りたくないねぇ」
「それが狙いなのかもしれぬな」
肩で荒い息をはずませながら、オシアンは汗でしめったターバンを巻き直した。青銅の鐘がふたつ、そこからひもが一本。だが彼らの目的はその鐘ではない。領主に聞いたとおり、石の床をずらして調べると、小さな取っ手が見つかった。アーシュがぐぐっとそれを持ち上げる。すっぽりとはめこまれていたのは細長い包みである。しゃらんと乾いた音がする。
「開けて見ろ」
オシアンに言われるがままに、アーシュが包みを開いた。
「矢筒だ。矢も入ってるみたいだぜ……」
アーシュは眉をひそめたきり黙り込む。オシアンがそんなアーシュをうろんそうに眺めた。
「どうした、武具に詳しいのではなかったか?」
「いやあ、こりゃいい仕事してる」
円筒形のそれは、肩から指先ほどの長さ。アーシュが片手で持ってつかめるかどうかという太さである。肩ひもがついているだけで装飾はない。なめらかなその材質は一体何だろうか。飴色に鈍く光り、経てきた年月を思い起こさせる。そっと傾けると、中の矢がかたんと音をたてるのが聞こえた。
「あの領主殿にこれ以上偽りを言う気力など、残っていそうになかっただろうが」
「誰かさんが、さんざんおどしたせいでね」
オシアンも、この矢筒が発しているおびただしい魔力に気づかないではなかった。
「触れることができないと言っていたな?」
アーシュの手から矢筒を取り、開封を試みるが。
「……」
オシアンの細い手ではもちろん、アーシュのたくましい筋肉をもってしても筒を開けることはできなかった。そもそもふたが見つからないのである。
「ふん、魔法で隠してあるというわけか」
「やっぱ、関係ないヤツが使えないようにするためかねぇ」
「関係はおおありだというのだが……」
予想通り、この鐘楼が一番腐臭が強い。《竜の牙》が《狂乱病》の源であるとするならば、これを街中に移動させるわけにもいくまい。それにさんざんこの瘴気を浴びた身である。アーシュともども《狂乱病》を振りまくキャリアになっているかもしれない。《竜の牙》の持つ作用についても調べるつもりだったが、開けないでは仕方がない。
「なんかちょっとだけ、温かくなってきたみたいだぜ、この筒」
アーシュが矢筒を頬にあて、すべすべと頬ずりしている。
「ん? これはまた、奇妙な魔法陣だな」
山を背にした一面だけの石壁に、オシアンは古い魔法陣を見つけた。彼が見たことのない文字が、二重の円のように書き連ねてある。直径はちょうどオシアンの背丈ほどだろうか。鐘楼自体、天井がそんなに高いわけではないから、ほぼ壁いっぱいを使った魔法陣ということになる。
オシアンはふむ、と目を細めてすべをめぐらした。
賢者モースのまわりには、彼の身を案じる者たちが集っている。女剣士ベネディクトン・ヴァリアントは《なりそこない》にモースが襲われないよう警護にあたっているのであった。同じように吟遊詩人のレイスも、モースの側にそっと付き従っていた。
レイスは《清流弦》を抱きながら先日の問いかけの答えをモースに伝えた。
「恋、ですか……長い旅路にはそういうことがあったといえなくもないと思います。ただ、そうなる前に皆さんと別れてますから。永遠の別れもありましたし」
深緑の髪をもてあそびながら、しばしレイスは思い出にふける。行き過ぎていったたくさんの人々。時に忘れ去れているような自分。《清流弦》をくれた高貴な人も、今は遠い昔の存在だ。次第に記憶の中で思い出が薄れていく。
なぜ人は、大切な思い出も風化させてしまうんだろう。
「……そうでない場合も、ありましたけれど。モース様の場合はどうなのですか?」
「子猫ちゃんたちが、いるからね」
モースはレイスが予想したとおりの答えを返した。やはり、そんなものなのか。少し寂しく思うレイスは、自分で自分の思考に驚いている。
「ああ、モースさま。傷の方は、もう大丈夫なのか? 肩の古傷もあるし、その、心配だと思って」
「大丈夫だよ。これくらい」
ベネディクトンの気遣いに、モースは笑って肩をぐるぐると動かした。
召喚師リュカ・シー・オーウェストは追っかけ弟子状態で、モースと一緒にいたがった。
「ねえねえ賢者さま、弟子ってとったりしないわけ?」
「弟子? うん、いないよ。だって僕に教えられることなんて、ちっともないからね、子猫ちゃん」
「えーっ、《精霊の島の学院》ではあんなに有名なのに? ガッコに石像もあるんですよ。知ってます? 夜に動くってうわさがあって、七不思議のひとつになってんの。すっげーよくできてるから、あれはホンモノの賢者が石になっちゃったんだなんてゆーヤツもいたくらいなんだ」
リュカが身振り手振りで話すたびに、深くかぶった帽子の下で、金褐色の髪が揺れる。召喚獣の巨大猫、白い毛並みのキュルがそれにじゃれついていた。
「ああ、それね」
モースはくすりと笑った。
「昔、ちょっといたずらしただけなんだ。まだ動いてるかい?」
「え! じゃあじゃあ、あれってホンモノの人を固めて……」
「そうじゃなくてね、子猫ちゃん。僕が錬金術を学んでいた頃、石に生命を与えられるかどうかやってみたことがあったのさ」
「石に生命を?」
ベネディクトンが言葉を挟む。レイスもリュカの持ち出した話題にあわせた。
「そういえば賢者さまの専門は錬金術、ですか」
「……何もないところから命を生み出せたら、と思ったんだ」
モースはそっと呟いた。ベネディクトンはレイスと顔を見合わせる。
「無から有を生み出すのは、神の技ではありませんか。人の身で成功したという話は、聞いたことがありません。……いえ、モース様のお仕事に口を出すつもりではなく、それが成功したのなら、サーガのひとつも歌えるのにと思っただけです」
竪琴を携えた吟遊詩人は、ゆるやかな曲線を描く深緑の髪をかきあげ、賢者の表情をうかがった。ベネディクトンが続ける。
「そうだな。私は魔法の技にはあまり詳しくないが、人形たちを見る限り、その術は完成しているように思えるぞ」
「あれは僕ひとりで研究していたんじゃないんだ」
「もしかして……コイビト?」
リュカの言葉に、モースは笑って首を振った。その眼はどこか悲しそうだ。
「一緒に学院に通っていた親友だよ。彼が僕に研究のヒントをくれた。僕は彼のために、一生懸命研究を続けたんだ。でも彼はもういない。だから僕にできることは、ここディルワースで彼の志をまっとうすることだけさ。ね、子猫ちゃん。僕の弟子になんかなっても面白くないよ?」
「むう〜」
リュカは口をとがらせて、それでもモースについていく意思を示した。それにあわよくば、《なりそこない》を召喚獣として使役できちゃったり、しないだろうか。
「さあ、そろそろシャッセちゃんのところに行かなくちゃ」
モースが立ち上がる。
外は燃えるような夕焼け空だった。シャッセは医師たちを連れて王城へ行ったというので、モースたちも王城へ向かう。ベネディクトンもレイスも、《なりそこない》のことが気になって仕方がない。
「《なりそこない》とは悲しい響きだな」
とベネディクトン。もしも《竜》になれていたら、何か違っていたのだろうか。あの敵意の塊のような存在はなぜ生まれたのだろう。
「過去にも襲われたとおっしゃったが、それはその時一度だけ? いや、その時の状況が詳しくわかればと思ったのだが……」
うまい言葉が見つからずに黙り込むベネディクトンの後を、レイスが引き継いだ。
「ベネディクトンさんの言うとおりです。モース様には何か心当たりがあるように見えるのですが、あれが私たちの敵だという理由は何ですか?」
「過去に襲われたのは一度きり。その時と同じ《なりそこない》だと思う。なぜなら……」
「モースさまぁ!」
賢者が言葉をつと切って振り返ると、森の小道を駆けてくる少女と飛びうさぎの姿があった。
「ジェラさん、どうなさったのですか?」
レイスが息を切らしているジェラに水袋を差し出すと、そのただならぬ雰囲気にかたちのよい眉をひそめた。
「《なりそこない》……あいつが、賢者さまの家にやってきたんです……探してるとか何とか……」
ジェラはレイスに礼を言うと、顔を上げてモースをひたと見すえた。
「今は風に血の匂いがしない、でもきっとあいつはやってきます」
「けがはなかったかい、子猫ちゃん」
「はい。でも……でも、人形たちは」
一瞬口ごもり、それでもジェラはモースにたずねた。
「《なりそこない》をつくったのがモース様だって、言ってました……それが、モース様が狙われている原因ですか? モース様は《竜》をつくろうとしたの?」
4人の視線が、モースに集中した。賢者は愁いをおびたまなざしで、彼らを順繰りに見つめて首を振る。
「こんなことを言っても信じてもらえないかもしれないけれど」
「おっしゃってください。どうか」
レイスが静かに答えた。
「ありがとう、子猫ちゃん。これからする僕の話には、確証なんてない。ただの推論の部分が多い。それでも聞いてくれるなら、うれしいな」
一同はこくりとうなずいた。
モースの研究によれば、《貴石の竜》族は《大陸》にとても古くからいる種族だという。そんな彼らの持つ力に目をつけた親友は、何とかして《竜》の力を手に入れる研究をはじめたのだ。ディルワースは《竜の通い路》、ほどなくして親友は、《竜》を呼び出すことに成功したのだ。その時に協力していたモースも、それを見た。
「あの絵はその時に描かれたものだったのですね」
「うん、でも残念ながら僕は、そのことをもう覚えていない。……そうだな、それが20年くらい前になるんだね。どうも、昔のことがあやふやになっているよ、ごめんね子猫ちゃんたち」
「《竜》を呼び出したと同時に《なりそこない》も出現した、そういうことか?」
「でもそれなら、モースさまが《なりそこない》をつくったのではないわ」
「僕が手伝わなければ、彼一人では《竜》を呼び出せなかっただろうから。やっぱり僕がつくったことになるのかもしれないね」
ごめんね、こんな昔話をして。
そう言ってモースは背を向けた。
「おまえどー思う?」
そっとリュカはキュルに尋ねる。白い獣はきゅるきゅると鼻をならした。
「賢者ってのも、なんか大変そーだよな。でもさあ」
リュカは灰水色の瞳を輝かせ、キュルに耳打ちする。
「《竜》って召喚できるんだ! すっげーじゃん! 俺いつか絶対やってやるんだ!」
キュルははたりと尾を振った。
王城の一角。耐え難い眠気に抗しきれずに午睡を楽しんでいたルナリオンが目を覚ますと、もう夕焼けの頃だった。真っ赤に染まる空が窓で切り取られている。燃え上がっているようにも見えて、ルナリオンは少しぞくっとした。
「ふあ、よく寝た。相変わらず夢見はよくないけど、こんなとこで寝ちゃったからだな、きっと」
夢の中で、燃えるような赤い髪の青年に出会った。森の中の小道である。彼はルナリオンの前をずんずん歩いていく。ルナリオンはその背中を眺めながら、誰だっけこれ、と思い続けていた。いや、旅人たちの中には赤い髪の青年はいない。誰なのよ、勝手に人の夢の中に出てくるなんて。
「出ておいで、夢魔法バク!」
左手をぶんと振るって魔法を唱える。金の腕輪がきらりと光り、黒と白に塗り分けられたかわいい獣が姿を現した。夢魔法の初歩、悪夢をいい夢に変えるバク。
「正体をみせなさい、アンタ誰?」
愛用の巨大まくらで、ばふんとバクをひっぱたいた。そのままバクはくるくると回転しながら、青年の背中にぶちあたる。彼はゆっくりと振り向いた。
シャッセ?
違う。でもよく似ている。
そこで目が覚めた。ポケットの小瓶が、淡く輝いている。
「来た!《なりそこない》だっ」
最初に気づいたベネディクトンが、一同に声を掛けた。緊張が走る。
「《なりそこない》……ほんとうに、敵なのでしょうか」
「降りかかる火の粉は払うもの。わかってはいるんだがな。無益な殺傷はすまい。撃退するだけだ」
「ええ……」
レイスはどこか疑念を持ったまま、竪琴をそっとしまうと魔法を唱えられる体勢をとった。敵意の塊。それはわかるのだが、いやらしいとか嫌悪感はない。
それはもう一度、その姿を見たときも同じだった。鱗につつまれた肌。ぼろぼろに錆びた剣。しゅるしゅると不快な音を立てているそれは、モースと見るや真っ先に切り込んできた。
「させるか!」
身体を低くしたベネディクトンが、右手の剣であっさりと錆びた剣をはじきとばす。レイスはためらいがちに魔法を準備した。……自分だって、中途半端な存在だ。なりそこないとは呼ばれていないだけで。戦いたくない。襲ってくるから、防御するのだけれど。
「……どこだ」
《なりそこない》が低い声を発した。
「僕はここだよ」
「ああっ、モース様、どうして!」
モースが答えたことにベネディクトンは焦る。このままモースが黙っていれば、守り通すことができるというのに。レイスの魔法が完成し、きらきらと輝く光が鱗にぶつかって弾けた。
「……どこだ」
だが《なりそこない》は、同じ言葉を繰り返しながら執拗にモースを狙い続ける。素手とはいっても、切れ味のよさそうな爪がある。ベネディクトンは油断せずに斬りかかった。
「何だ? 賢者さまを探しているんじゃないのか?」
「……かくすとよくない」
「隠してなんかいない」
ベネディクトンの背後からモースが続ける。
「僕はここだ。20年近くも来てくれなかったね。忘れてしまったのかと思ったよ」
「モースさま?」
「……ころす、ころすころすころすころすころす」
突然キュルが、くるくると喉を鳴らしたかと思うと巨大化した。くわ、と歯を剥いて《なりそこない》の尾に肉球パンチを繰り出した。《なりそこない》はのけぞってキュルを振り落としにかかる。キュルはさらに皮翼の上にのしかかった。
「ナイス! よーしそれじゃあ出ておいで、召喚獣シルフィー!」
リュカが両手をかざすと、次々に召喚獣たちが姿を現す。ベネディクトンはその隙に、《なりそこない》の足に斬りつけた。ばふんと跳ねた尾の動きを飛びすさってよける。ジェラはモースの白い長衣にしがみついて、賢者が《なりそこない》に話しかけているのを聞いていた。
「来てくれなかった? 賢者さまは、《なりそこない》さんが来るのを待っていたの?」
「……ころすころす」
「ねぇ、やめてよ《なりそこない》さん! もしかしてお二人は、お知り合いなんじゃないの?」
「危ないよ子猫ちゃん、下がっておいで」
「イヤです!」
ジェラはモースの制止を聞かず、戦場に飛び出した。驚いたリラが口汚く主の無鉄砲をののしる。ところが。
「……みつけたぞ」
《なりそこない》はジェラを見て、満足そうに呟いた。そのままひょい、とジェラをさらうと、片手で肩にかつぎあげる。そしてあっという間に空へと飛び立ってしまった。片方の翼には、キュルをのせたまま。
「えっ? ええーっ!!」
リュカはあんぐりと口を開け、《なりそこない》の背に小さくなる白い毛玉を見つめていた。その行く先には、赤々と夕日に照り映える王城がそびえている。
シャッセはふらふらと熱にうかされながら、王城の中をあるいていた。コルムとフォリル、ローズがその様子を見守っている。彼女は初めて来たはずのお城の中を、まるで長く暮らしていたことがあるかのように迷わず進んでいった。さっきまでのはしゃいでいたシャッセとはうってかわって、目に妖しい光が灯っている。
鐘楼への階段を見つけると、ゆっくりと、機械仕掛けの人形のような動きで一段一段上っていく。
「やはり、鐘楼に何かがあるのだ」
フォリルはいつでもシャッセを正気に戻せるよう、小さなナイフを握りしめながら呟いた。自分もいつシャッセのように、精神を奪われるかわからない。その予防でもある。シャッセの目には、何が映っているのだろうか。
「《まことの国》へ……」
シャッセはついに鐘楼のてっぺんへ上る梯子に手をかけた。
時を置かず、はるか地上から飛来した《なりそこない》がジェラとキュルを連れて鐘楼にやってきた。
「!」
予想もしていなかった来客だ。オシアンもアーシュも、普段なら反射的に攻撃をかけるところなのだが、肩に乗せられたジェラの存在がそれをためらわせた。《竜の牙》が次第に熱を帯びてくる。アーシュが持っていられないほどだ。
「反応してる!」
オシアンは、シャッセの側にいるように命じた使い魔アフリートが戻っているのに気が付いた。皮翼の生えた黒ネズミが、しゃらんと音をたてて錫杖の上にとまる。
「シャッセ姫が、ここに来たのか!」
同時に梯子の先からシャッセの赤毛がのぞいた。《なりそこない》はシャッセに背を向けている格好だ。背中にキュルをぶらさげたまま、そしてジェラをかついだまま、《なりそこない》はオシアンが見つけた魔法陣の中に飛び込んだ。
「待って、あなたは……!」
シャッセの声に、《なりそこない》が振り向く。肩に乗せたジェラを見て、次にシャッセの顔を見た。そして、シャッセの顔を見つめたまま、石壁の中に吸い込まれていった。
がらーん、ごろーん。
ディルワースに来て初めて耳にする、鐘の音。
主なき王城に、鐘の音がむなしく響きわたっていく。森を越え、山々を越え。
第4章へ続く

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