第4章|空へゆく道|彼方からの風|夢路の迷子|誰が為に鐘は鳴る|マスターより|
3.夢路の迷子
「追うな、手を出してはならん!」
医師フォリル・フェルナーの短い声で、混乱していた旅人たちがはっと我に返った。
王城探索、そして《なりそこない》との遭遇。それを追う者数名。だがフォリルが叫んだときには、すでに彼らの姿は見えなくなっていた。フォリルの周りには女医コルム・バルトローとローズ・マリィ、そしてシャッセが残される。危険な王城でフォリルの下した判断は。
「せ、先生!」
「何かね、コルム」
シャッセが口を開くよりはやく、鳩尾に正確な一撃がたたき込まれた。大変失礼と呟いて、フォリルは気を失った姫の身体を軽々と担ぎ上げる。
「……いえ、的確なご判断だと」
あっけにとられたコルムは、それだけ言うのがやっとであった。最近フォリルの言動がますます過激になっているような気がしてならない。
「無茶する先生だこと! まったく、荒療治にもほどがあるわっ」
ローズがかみつくが、フォリルは意にも介さない。自分でも荒っぽいやり方なのは承知である。しかし今はとにかく、領主と話がしたかった。
「離宮へ」
フォリルの言葉に残った者たちは従った。だがコルムはひそかに唇を噛んでいる。シャッセの側についていなければ。分かっているのに、魔法陣の先が気になってしまう。あの向こうに行きたいなら、シャッセを行かせればいいではないか。気を失っているシャッセの顔は、安らかだった。想いの間でコルムは揺れる。
シャッセの寝室では、郵便配達人カミオ・フォルティゴも皆を待っていた。彼はシャッセが手紙を書いた相手に興味があったのだ。シャッセの意識が回復するまでの間、戻ってきた者たちにも自分の考えを話す。
「手紙の宛先の、《白馬の君》って《なりそこない》と関係があるんじゃないかなあって思うんだけど」
「どうして《なりそこない》に手紙なんか書かなきゃいけないワケ? 夢の中じゃ、全然別人だっていうの?」
「そうだよ。夢って不思議だよね。知ってる人を知らないって思ったり、ぜんぜん違う場所や時間に、いるはずのない人が出てきたりさ。だから、《白馬の君》も絶対姫の知っている人だと思うんだ」
「これから会う人かもしれないしな……というのは、ロマンチックすぎるかな」
口に出してからコルムが頬を赤らめた。さすがに話が飛びすぎた気がしたのだ。
「まあそういう可能性もあるかもしれないけどさ。それにしても初めてだよ、夢の中の人に配達なんて」
「郵便配達人って大変なのねぇ〜」
ローズが変なところで感心している。
「でさ、実際に姫がどこかで会っている人なら配達することも可能じゃないか。だからさ。……って姫はいつ起きるの?」
「さぁね。フォリル先生に聞いてみたら? すごかったんだから。こう、シャッセ姫を横抱きにしてさー」
「へぇ」
カミオは王城でのフォリル武勇伝を聞きながら、人は見かけによらないものだとつくづく思った。
一方、そのフォリルは戻ってきてから、姫の絶対安静を指示した後は、領主の部屋にこもりっきりであった。王城からシャッセが運び込まれたと聞いて蒼白だったボーペルは、滝のような汗を流していた。
「シャッセ……シャッセは大丈夫なのか!?」
「大丈夫です。ただ、あれ以上あの場にいるとショックが強すぎると判断しまして、できるだけ安全にお連れしようと」
「そうか。いや、ありがとうフォリル殿」
「礼には及ばない。それよりいくつか質問があるのだが」
ここぞとばかりにフォリルが続けた。
「姫は王城で《なりそこない》と遭遇し、数人の仲間が《なりそこない》を追っていってしまった。血気にはやって早まったことをしていないといいのだが、姫の、父君であらせられるのだろう?」
その瞬間、ボーペルははっきりと分かるくらい狼狽の色をみせた。
「ふむ、図星というところかな」
「何を根拠に、そう言うのかね」
領主の視線はふらふらと部屋をさまよい、定まらない。
「ちょっとした推理なのだが事実であればすべてがつながるというもの。すなわち、あまりにも似ていない親子、話題にのぼらない母親、姫の赤毛、そして貴方のその過保護ぶり……秘密めいている。おそらく、領主殿とシャッセ姫は血のつながりはないのでは? いやいや家庭の事情、国の事情と言い換えてもかまわないが……に立ち入るつもりはないのだ。ただ、シャッセ姫の病の原因がそこにあるとはっきりしさえすれば。具体的なことを申し上げると、姫の夢に繰り返して出てくる青年が鍵だと思われる。姫が異界から呼ばれている事を知っている以上、その青年も異界の住人と考えるべきだろう。それでいて、姫には優しく守ろうとまでしている。となると彼は姫と深く関わっていた人物ということになる、違いますかな」
「青年ですと?」
「そうですよ。そして姫は、その青年を《なりそこない》の中に見いだされたようだ。心当たりが?」
領主は棚から林檎酒の瓶とグラスを取り出した。フォリルは無言でグラスを満たす。ぐい、とそれをあおった領主は切れ切れにその秘密を語り出した。
「こればかりは、隠せる限り隠しとおすつもりでした。シャッセと、フューガス様と、そしてモース殿のために」
「賢者殿もか。まったくとんだ家族ごっこですな」
口調とは裏腹に、フォリルは自分の推察が正しかったことを感じてうなずいた。モースも関係者であるのは想像通りだ。このもつれた糸のなかで、彼らはどういった役割を演じているのだろうか。
「いやいや、仕方なかったのです。幸いディルワースではどういうわけか、辛い記憶が薄れるのが早い。……林檎酒はいかがですかな」
「結構です」
「あれは、そう。シャッセが産まれたばかりのころだった」
再びグラスが空になる。ボーペルは目頭を押さえながら、今度は手酌で注いだ。
その昔、フューガスとモース、そしてボーペルは、《精霊の島の学院》で共に学ぶ学友同士であったという。学友とはいえ、モースとフューガスの力は抜きんでていたという。モースが錬金術で命を作り出す方法を探す一方、フューガスは《竜》について興味を持った。《学院》を出て故郷に戻ったフューガスは、より《竜》についての研鑽を深め、そして……。
「ディルワースは《竜の通い路》。この場所と《竜の牙》を用いて、フューガス様は竜王を呼び出すのだと言っておった。でも、その頃のフューガス様はなんだかおかしかった。何かにとりつかれたようで顔色も優れなかったのだ。モース殿の力も借りたということだったので、大丈夫かと思っておったのだが結果は……王城がまるまる廃墟に……」
「《竜》を呼び出した目的は、何だったのだ?」
領主は力無く首を横に振った。
「そこまでは知らぬ。ただ、フューガス様は『ディルワースを悪夢から救うため』とおっしゃった。あの方は嘘はつくまい。だから恨んだりはしていない」
「ということは、シャッセの親というのは」
「フューガス様だ。ディルワースの、亡き王の。私はディルワースの国土も民も、シャッセのことも、みんな預かっておる身にすぎないのだ。だが信じているよ。いつかきっとフューガス様が戻られることを。ディルワースに本当の王が戻る時を」
《なりそこない》は、ではやはり、シャッセの父たるディルワース王、フューガスの姿なのだろうか。王自身が危険な力に手を染め、《竜の牙》で力を欲する……その代償は自分自身というところか。あり得ない話ではない。むしろ今の領主に嘘を並べる余力はなさそうである。フォリルは自らもグラスを手に取り、薫り高い林檎酒を流し込んだ。
もしも。
フォリルの思いは、苦い記憶の中にさまよう。もしも、シドが甦って私の元にやってきたら……どんなに血にまみれた姿であろうと、私の心臓をえぐりに来たのであろうと、私もまた、あの時の賢者殿と同じような目をして、同じように話しかけるだろう。きっと。
シド。私が今この場で果たす役割のために、あの記憶はあるのだろうか。
私自身の人生は、私が自分の考えで選び取り、信じ、戦い取ってきた生き方のはずだ。その味が、どんなに苦くても。
「なるほど、よく分かった。ただひとつ。私も仲間たちも、よかれと判断した場合には、シャッセ姫に真実を話すだろう」
「もちろんだ。仕方ない、シャッセの命には代えられないからな」
「現在の私の姿こそが、私の生きてきたあかし。私が自分の手で作った、まことの姿だ」
詩の一節のような抑揚で、フォリルがくちずさむ。ボーペルと目が合うと、彼は口の端を持ち上げて笑った。
「私は親を知らないし、産まれたところも分からない。名前すら、最初の雇い主が便宜上つけたものだ。それでも私は自分で決めてここにいる。願わくば、シャッセ姫にもそれくらいの豪気があらんことを」
フォリルは空になったグラスを置くと、領主の部屋を辞した。
シャッセはまだ目を覚まさない。コルムはシャッセの額の熱を確かめたり、清潔な布で彼女の身体を清めたり、とあれこれ世話を焼いていた。王城に行くといつもあの発作がでるのかと心配したのだが、周りの人間の話を聞いてみるとそういう訳ではなさそうだった。
「ねえ、ねえ、ねえってば」
ローズはちょこちょこコルムの後について話しかけている。
「お姫さまも、ランディおじーちゃんも、最近ずっと寝たまんま。ホントに大丈夫なの? 林檎食べてるだけで大丈夫なのかしら?」
「大丈夫だ、賢者様がそうおっしゃったのだから」
コルムとしても、そう答えるしかない。その答えに一番満足していないのは、自分なのだが。
「あなたお医者様でしょう、もっと何かいい治療方法ってないの? わたしが知ってる医者のおにーさんってばすごかったわよぉ。わたしもお手伝いするから、ね、何とかしてよ」
「世間に知られている病気と、《狂乱病》は違う。君も気をつけた方がいいぞ」
「いいのよ、ランディおじーちゃんもサンディおばーちゃんも、わたしもみーんな病気になっちゃえば。みんなで《まことの国》で暮らせばいいじゃない」
「行ったこともないのに、そんなこと言うものじゃない」
コルムは栗色の瞳を見開いた。とんでもない、という表情で。彼女にとって、なんであれ健康であることが一番なのだった。きっとフォリル先生もそうお考えだ、だから私たちは協力してシャッセ姫の看護にあたっているのだ。
「人の命は代えられないものなのだぞ」
子どもをたしなめるような口調は、かえって口達者なローズに火をつけてしまう。
「そりゃあわたしだってわかるわ。でも健康でいるのと、《まことの国》で好きな人とふたりでいるのと、どっちが本人にとっていいのかしらって思うわけ。お姫さまをこうやって治そうとしてるのって、もしかして余計なお世話かもよ?」
「論点がずれているぞ」
清潔な布で手を拭きながら、コルムが答える。背を向けてローズと目を合わせようとはしない。黒鞄の中身と、必要な品々のチェックに集中している。だがローズの問いがコルムに開けた小さな穴は、塞ぐことができずにいた。余計なお世話だって? 病気の人間同士、別の世界で暮らすだって?
「もうそのへんにしておきなよ、ローズさん。家族が同じ病気で辛いのは分かるけど」
みかねたカミオが口を出す。とたんに攻撃の矛先は彼に向けられた。
「ふん! あなた、恋したことある?」
「え? こ、恋……? そりゃあその、人並みには、たぶん」
「じゃああなたも分かるわよね、好きな人に会いたくて、会えるのが夢の中だけだったら? 恋の病というけれど、これはお医者さまにも治せないのよ」
「なんだいそれ。シャッセ姫は、《白馬の君》に会いたいから、《狂乱病》を治したくないって考えてると言いたいの?」
「もうたくさんだ!」
くるりとコルムが向き直った。ハスキーな声がいつになく激昂している。ローズはしまった、という表情を浮かべた。カミオは、やれやれ、とどちらのフォローに回るか考えている。
「ここは病人の部屋なんだぞ。非常識にもほどがある。シャッセが治りたくないだと? 君にそんなことをいう権利がどこにあるんだ? 人の痛みは、その人にしか分からないと君は言ったな? いいだろう、その痛みを抱えたまま生きていくのはその人間の自由だ。だが、痛みを痛みと気づかないままそれを背負い込む人間も世の中にはいるのだぞ。正しく治療すれば逃れられる苦しみだということを、知らずに死んでいく人間が!」
「ご、ごめんなさい、わたし……」
黒鞄を持つ手を突き出しローズの言葉を慇懃に遮ると、
「お湯をもらってくる」
とコルムは大股で部屋を出ていった。
村でたったひとつの小さな病院が、コルムの家だった。両親と、もうひとりの神官が共同で運営していたその病院は、「医は仁術」を絵に描いたようなところだった。街道からはずれた辺鄙な場所柄、薬などもどうしても少なくなるのだが、来院する患者を拒むことはなく、お代はあとでいいよと繰り返されるのが常で、当然のように資金繰りには苦労していた。
それでも。痛みが治まった、先生ありがとう。その言葉を聞くとうれしかった。だから自分も医者になろうと思ったのだ。村の病院の設備をもっと整えたい。勉強して薬草学も身につけたし、その道の才能があるともいわれた。しかし……目の前で苦しむシャッセひとり救えなくて、何が医者だろう。より多くの人の命を救うために、なんてもう言えやしない。それとも自分が、ひとりの患者に固執しすぎなのか。
ある意味で、ローズの生き方がうらやましくもある。バルトローの一族は、きっと代々人の痛みに敏感すぎるのだ。母も出奔した姉も、他人の分まで痛みを背負い、すりきれていく。確かに余計なことだ、頼まれもしないのに共感し、同情し、積極的に治療を薦める医師。偽善ではない、そうせずにはいられないのだ。
「ふん」
湯気たちのぼる厨房の前まで来て、コルムはくるりと踵を返した。
彼女の足は再び王城へと向かう。
「フォリル先生はシャッセを無理矢理連れ戻したけれども、私には私のやり方がある。《まことの国》へ赴き、一気に現状打破だ」
「遅いわね、コルム先生」
ふわぁ、とあくびをかみ殺しながらローズが呟いた。カミオと同じソファにすっぽりおさまりながら、シャッセの目覚めを待っているのである。コルムには逃げられてしまったし、カミオのコイバナはどうもガードが堅く引き出せない。こんな午後は退屈である。
「フォリルさんも遅いね。話がたてこんでるのかな?」
カミオがちらりと窓の外に目をやった。
何かきらりと光るものが見えた。窓の外? いや、部屋の中だ。シャッセの寝台だ。カミオは姫にかけよった。寝息が乱れ、頬が上気している。
「発作だ! ローズさん、先生たちを呼んできて!」
だが有閑奥様の返事はなかった。ソファに沈んだまま、こちらは健やかな寝息をたてている。
「マジ? や、やばいぞ〜っ」
カミオは自分がこの場を離れてよいものか逡巡した。ローズの眠りは奇妙に深そうだった。コルムの言葉がカミオの脳裏に浮かぶ。そうだ、彼女もディルワース人なのだ。《狂乱病》が移ったのだとしたら? ローズさんは《竜の牙》に触れたことがあるのだろうか。分からない。
「くっそー!」
とりあえず、彼は手元に愛用のハンマーを引き寄せた。できることといったら、これで相手をめたくたにのすだけである。
シャッセの息が荒くなる。ふいに、林檎の香りがあたりに満ちた。す、と寝台の上からシャッセの身体が浮かび上がる。上掛けが音もなく姫の身体を滑り落ちた。
「これは、糸だ!」
カミオの目にもはっきり分かった。シャッセの身体から幾本もの糸が伸びている。身体の奥から光が漏れ出ているように、まっすぐ伸びているのだ。一本はカミオの身体も貫いた。林檎の香りが強まった。そして中でもひときわ強く太い光の糸の先、天井ほどの高さから、見慣れた猫が姿を現した。
「う、あなたは……カロンさん?」
カミオはハンマーを下ろし、猫に手を伸ばした。光の糸にぐるぐるまきになっていたのだ。
ばちん!
冬場に猫の毛並みをなでた時のような青い火花が散り、カミオの指先を焼いた。
『…… ………… ……』
「え? 聞こえないですよカロンさんー」
カロンの姿は幻のようで、ゆらゆらと定まらない。別の場所から姿だけを送ったのだろうか、とカミオはなんとなく理解した。シャッセの身体はカミオの胸ほどの高さまで浮かび上がっていた。
「あなたの仕業ですか、これ」
『………… ……… ………………!』
猫はカミオにぐっと親指をたてたような仕草をして見せた。そして、光の糸で絡め取られたまま、ひょいとシャッセの上に飛び降りると、そのまま姿は見えなくなったのだった。シャッセは浮かんだときと同様ゆっくりと沈んでいき、すとんと寝台の上におさまった。シャッセが放つ光の糸は、次第に薄れていった。その表情は穏やかだった。
「よくわからないんだけど、大丈夫ってことなのかな?」
カミオが肩をすくめ、ローズがすやすやと眠っているのを確認した。そしてもう一度、寝台のシャッセを見、シャッセの上に浮かんだ大きな銀色の鎌がきらりと一閃した幻影を、見た。
『邪魔だワ、コイツ』
ぞくりと背筋が震える。どこか遠くから、幼い子どもの声が聞こえた。
第5章へ続く

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