第7章|万華鏡|モモ|竜の牙|そして|マスターより|
2.モモ
荒野のすべてに翳が降りた。夢魔を縛り上げている防護陣と、クーレルの持つ杖に宿る明かり、そして王子のまとう光が、わずかに視界を照らしている。人の輪の真ん中で、夢魔は竜を、リュカをにらみつけていた。その隣にミューの姿を認め、
(ミュー……逃げろよ)
それがリュカの思考の限界だった。アングワースの激しい衝動がリュカを飲み込んでいく。
巨竜がわずかに目を細め、そして口を開いた。鋭利な牙が並ぶその奥にまばゆい星が生まれ、見る間に光を増していく。ばちばちと閃光の走る光の球が太陽のようにあたりを照らし出したとき、その光の息はまっすぐに夢魔を貫いた。
ごぼ、とくぐもった音と共に、どろどろとした液体が夢魔の身体から流れ出した。にごった赤は、ミューの服を染めた。夢魔の身体を縛っていた防護陣がはらはらとちぎれ落ち、再びモモは自由の身になった。
「しまった」
なりゆきを見守っていたオシアンは唇を噛む。アーシュは槍をひっつかむと、勢いをつけて夢魔の元へとつっ込んだ。モモは小さな翼で飛び上がり、ひらりと槍の一撃をかわす。ついでに柄にのっかると、おしりぺんぺんをして見せた。
『うふ……助かったわ』
巨竜は再び光の息を準備する。流星のような吐息は、もう一発モモの片手に命中した。ぽーんと腕がはじけ飛び、どろどろしたものをしたたらせて消えた。
まさかアングワースが負けるはずはないと思っていたが、さすがに敵も、古代の生き残りだけあり頑丈にできているらしい。この空間の中では心配がないとはいえ、昔から体力のなさに劣等感を抱いていたオシアンが呆れるほどだ。
「あれでは子猫ちゃんが持たない。精神が流されて戻れなくなるよ」
同じことを、オシアンも考えていた。夢魔とアングワースは、別個に処理したほうがよかったのかもしれない。だが一度決めたのだった。あえて難度の高い方法を選んだのは、オシアン自身の賭けだった。
一度捨てた使命を取り戻し、完遂すること。
オシアンは見たかった。アングワースが再びその牙を奮う姿を。それこそ一度は存在意義を見失った《竜》の再生だからだ。救われたアングワースの姿を見ることができれば、あるいは自分も。
「これだけは、私のわがままだった」
夢魔との戦いから目をそらすことなくオシアンが呟いた。危険にさらしたリュカに対するわびだったかもしれない。
アーシュは相変わらず槍を振り回して攻撃をしかけているが、モモはそれを楽しんでいるようにひらひらと飛び回った。
「くそ。遠くに逃げられないのは分かってるんだ。とどめを差してぇんだけどな」
渾身の気合いをこめたひと突きも、一重でかわされる。
「助太刀するぞ」
それまで手を出せずにいたベネディクトン・ヴァリアントが抜剣した。右手が剣のベネディクトンは、槍使いのアーシュよりも間合いが狭い。夢魔の動きさえとらえることができれば、ふところをえぐることが出来る。彼女は最小限の動きで夢魔の動線を読みとり、体勢を挟撃に変えた。
『かはっ』
槍の穂先がモモの片足を切り裂いた。
「片腕に片足、次はどこだ?」
ベネディクトンの一閃がモモの髪を薙ぎ、後頭部にかわいくない部分をつくった。
「仲間に入れて!」
珍しく起きたままでいたルナリオンがぴょんと跳ねると、後頭部を押さえてうずくまっていたモモのお尻にするどいキックをお見舞いした。
「大事なまくらをだめにしてくれた、お返しっ」
『きゃぁん』
「奪われたものはぜーんぶ、返してもらうから。それに」
ルナリオンが片腕を回して魔法を準備する。その間にもアーシュとベネディクトンは攻撃の手を休めない。
「知ってたら教えてよ、夢から戻る方法を……夢魔法《ドリームメーカー》!」
『う、いやあああああ!』
「効くでしょう、夢の中にいるからこそ、夢に影響を与える魔法はじかに響くのよ。この前はよくもバカにしてくれたじゃないの」
くるくると回転しながら、ルナリオンは着地する。モモは頭を抱えて悲鳴をあげていた。ルナリオンの魔法は、もともと相手の見る夢の内容を変えてしまうものだった。だから彼女は、夢魔に夢を見せたのだ……アングワースに滅ぼされる夢を。
ハート型のしっぽをぐるぐると槍に巻き付ける。最後にアーシュは、ハートを貫くように夢魔を縫い止めた。
もう一度、アングワースは大きく息を吸い込んだ。
「だめだよ子猫ちゃん、戻ってくるんだ!」
モースがモモの前にたちはだかった。
(……モース様)
「無理をしちゃいけない!」
声は遠かった。リュカは渾身の力をふりしぼり、アングワースに語りかける。
(アングワース、これで終わりにしようか)
漆黒の竜は首をもたげ、身動きのとれなくなった夢魔をたやすく口にくわえた。
つややかな牙が夢魔の身体に深々と突き刺さり、どろりと何かがしたたった。壊れた人形のように、夢魔はひくひくと同じ動作を繰り返す。
『あああぁぁ……』
断末魔の叫びをあげて、モモは動きを止めた。
どろどろとした滴は、やがて透明に変わる。一瞬の後、夢魔の身体は幾千もの破片になって四散した。さっきまでモモだったものは、何一つ残らなかった。アングワース自身の《竜の牙》が打ち砕いたのだ。
そして風が吹いた。
アングワースの姿は薄れゆき、その翼が形作っていた翳も消える。あたりには鈍い陽光が戻ってきた。夢魔が弾けた幾千の破片が風に舞い、旅人たちのもとへ運ばれてくる。それらはすべて、奪われたはずの思い出たちだ。
花吹雪のように、破片たちはひとつひとつ大切な場面を映し出しながら降り注ぐ。音もなく、けれど思い出たちが共鳴しあう美しい旋律を奏でながら降る破片を浴びて、旅人たちは失われた記憶を取り戻していった。
『我が宿敵、討ちとってくれて感謝する』
その言葉とともに、漆黒の巨竜の姿は薄れていく。
巨竜の頭の高さから、役目を終えた召喚師が落ちてきた。麒麟が静かに宙を駆け、リュカの身体を優しく毛皮で受け止めた。
「ありがとう、子猫ちゃん」
モースの声に、リュカは目を閉じたままVサインを返した。アングワースの精神は、どこかへ去っていった。けれどリュカの身体の奥では、アングワースが残した灼熱が、おき火のようにくすぶり続けていた。目の裏が赤く染まっている。身体が熱かった。
それでも、きっと。あとはみんながうまくやってくれるはず。
リュカの思考は、深い闇に沈んでいく。
還ろう。
3.竜の牙 へ続く

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