第7章|万華鏡|モモ|竜の牙|そして|マスターより|
4.そして
そして。
変わらず離宮で休んでいるシャッセの元に、使いが訪れる。
扉を開けたコルムが目にしたのはミューだった。
「おや、どうしたんだい? カロンはいないのか?」
てってって、とシャッセの枕元に駆け寄るミュー。
「ああ、疲れが出ただけだよ。熱は下がったし、奇妙な夢を見ることもあるまい。ただの睡眠不足さ」
コルムが両手を洗いながら言う。
《竜》の影響は薄れつつある。一朝一夕にはいかないようだが、シャッセも無事にディルワースに戻ってきた。マリィ家のランディ氏も、体調を持ち直したという報が入っていた。もちろん旅人たちは、全員無事に帰還していた。
「これ、おくりものなんよ、お姫さまに」
ミューがコルムに差し出したのは、綺麗な玻璃瓶だった。
「なんだい、これ。香水かい」
コルムが装飾のついた蓋をあけると、あたりに芳香が漂った。
「カロンがつくったんよ。あのね。お日さまとひまわりのにおいなん♪ お姫さまにぴったりなん」
「なるほどね」
コルムは深呼吸して、その香りを胸一杯に吸い込んだ。
腐臭の中にいただけに、お日さまの香りは身体の奥も清めてくれるように感じた。
「えっとね、えっと、他のもあるん……」
ミューはシャッセの枕元に、同じような玻璃瓶をきれいに並べていった。青、紅、緑。綺麗な色が光に透けている。
「これはね、お母さんのなん。冬の雪と、元気な新芽」
コルムはしばし黙考し、少女の言うお母さんがエシャンジュのことだと思い至った。
「これは、たかーいところ……たかーい原っぱ」
「高原?」
「そう、高原の、岩も覆って広がる、苔の赤い花。知ってる? 小さいけど、とっても綺麗なお花があるんよ」
これはモモの香りなのだ、とミューは言う。最後の緑の瓶は、アングワースのものだった。
「ひろーい、沼。湿原。そのなかの、おっきな木。ね?」
「大したものだな」
「ほんとはね、この香り、みんなにあげたかったん。でも、みんな……いなくなっちゃったんよ。だからお姫さまにあげるん。これからの日々の助けになりますようにって」
コルムはうなずいた。
みんな、いなくなってしまった。
すべてはフォリルがお膳立てをすませていたらしい……コルムが知ったのは、ずいぶん後になってからだった。
ディルワースの国民たちの記憶は、そのまま戻ることはなかった。
コルムはこれを、モモの記憶の破片を直接浴びていないから、と理由づけた。取り急ぎの急患はいなかったので、彼女はそれを問題だてたりしなかった。時が解決することもある。
シャッセが目覚めて後、ボーペルは彼女の了承を得て、王政を廃止し、領主職を任期制の公開立候補制にすると発表した。
「ディルワースは、ディルワースを愛する人々のものだから」
というのが、ボーペルの弁であった。人気の面から、いずれはシャッセが領主となるのだろう。それでも、彼女を補佐する人々が出て、うまくやってくれれば何も言うことはない。
「本当にいいんですか?」
奇妙な依頼をボーペルから受けたディルウィードが、目を丸くする。
「王城を……破壊してしまうなんて」
「かまわんとも」
ボーペルはうなずいた。フューガスもモースも、もういない。ボーペルの役目は、ディルワースの未来に道を造ること。王政なき今、もはや王城はただの形骸だった。
「そうですか。わかりました」
王城の前に立つと、さすがに感慨深いものがあった。荒れ果てているけれど、確かにここに栄華を誇った一族がいたこと。竜の姿を模した風見鶏。そびえ立つ鐘楼。
まだ残っているくせで、ディルウィードは薬指の指輪をたしかめる。アメジストはローズの指にはまっているのだろう。ディルウィードの母のことも、ローズのことも、もうディルウィードは思い出していた。そして、どうして彼が指輪をローズに渡したのかも、しっかり覚えていた。
「《原初の炎》……《終末の氷》……我が両手に集いて……うち砕け」
赤と青に輝く光が、魔法使いの手の中で輝きを増していく。二つの星のように輝くその塊を、ディルウィードは思い切り城門へとぶつけた。
魔力が普通の魔法使いよりも弱いから、と両親を責めた日々。
母親が作ってくれた、魔力増幅器。アメジストに依存していた自分。そして今。
「大丈夫。指輪なしでも、僕は魔法を使うことができる。ねぇ、リーフ?」
王城の基部に打ち込まれた星は、花火のようにとりどりの火花を散らし……。
ルナリオンは、林檎の木の枝に寝転がっていた。
しゃく。林檎をかじりながら、崩れていく王城を眺める。ディルワースの上空に浮かんでいた《まことの国》も、もう消えてしまった。しゃく。林檎がおいしかった。
「アングワースたち《竜》も、《悪夢の軍勢》なんかえさにしてないでさ、林檎を食べて生きて行けたらよかったのにね」
ぺ、と林檎の芯を吐き出した。少ない荷物の中から、細長い包みをとりだして眺める。
「《竜の牙》、今回のお駄賃にもらっていくわ。もしかして夢の中で……また夢魔に襲われたら困るもんね」
グレイの元から、拾ってきていたのだ。お気に入りのまくらを失ったことに比べれば、こんなのは安い物。そう決めると、ルナリオンは枝から飛び降りた。
「これで、いい」
フォリルはディルワースのはずれ、ルナリオンが寝ていた林檎の木の下に来ていた。小さな包みが、丁寧にその根元に埋められる。
「ねずみ、頼んだぞ」
アフリートは面倒くさそうにフォリルの腕にとまる。
「ここにディルワース王家の印章を埋めた。落ち着いたら掘り出すように、おまえのご主人に伝えて欲しい」
念のためアフリートに手紙を持たせる。重そうに黒ねずみは飛び去った。
「これで……生まれたばかりのディルワース領を、諸国がつけねらうこともあるまい」
フォリルは、ディルワースの敵を演じるつもりだった。
印章を持ち去ったのは自分だといわんばかりの証拠は、たっぷりと残してきた。いかに領主の頭が冴えていなくとも、フォリルがディルワースを裏切ったのだ、ということぐらいは伝わるだろう。国賊フォリルを追うという大義名分が、諸国の食指をそらすに違いない。
「シド、旅の終わりはいつも苦いよ」
元、反ランドニクス帝国活動諜報員は、ディルワースの眺めを堪能し、姿を消した。
「また会えるって言ってたよね」
シャッセは起きあがり、窓から外を眺めやる。蒼穹には雲一つ無い。
「待ってるから……」
青年の面影を思いながら、シャッセはいつまでも空を見上げ続けていた。
そして、これから先はまた別の物語である。
おしまい

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