第6章|絶望を歌うもの約束人心を守る槌女神の右腕マスターより

3.人心を守る槌

■Scene:神殿〜みにくい白鳥

 聖騎士イオに同行し、傭兵アーサー・ルルクと付与魔術師アルテス・リゼット、冒険商人ユズィル・クロイアの三人が、奴隷市の最後の始末に赴いた。
「この件で一方的に利益をあげていたのは、とにかくあの会長たちだけだからな」
 イオの言葉に、アルテスはうんうんとうなずく。
「やっぱり彼らを捕まえなくちゃ、元は断てないですもんねえ」
「この混乱に乗じて逃げられたり死なれたりされたら、厄介だからね」
 アーサーも片手で肩をほぐしながら相槌を打った。
「ハルハのことも、あいつらならよく知ってるだろうしな」
 ユズィルが懸念しているのは、会長たちとサーカス団長との関係についてだった。ハルハの名前に、イオがふと思い出す。
「ハルハ団長なら、この前神殿にも来ていたが」
「らしいね。何しに来たんだか……ただ祈りにってだけじゃなさそうな気がする。ま、会長どもからゆっくり聞き出すとしようか」
 妙に凄味のある、ユズィルの声である。
 かくて四人は、未だ闘技場から出てこない会長たちを捕縛するため、地下へと降りていく。

 双子の会長たちは、互いに口汚くののしりあっている最中だった。ふわふわの羽毛でしつらえた特製衣装も、土埃に薄汚れ貧相さを漂わせている。
「アンタがいけないのよ!」
「どこがマズかったっていうのよ、参加者の手配はアンタに任せてたじゃないの!」
「秘密が漏れたのよ、アンタの口からに決まってるわこの尻軽っ」
「んまぁ言うに事欠いて尻軽とはナニよ! アンタのやり口が甘いから、バウトにも逃げられちゃうのよ!」
「バウトちゃんは関係ないじゃない! それに《薔薇の精油》はもう……」
「精油? 精油!」
「「こうしちゃいられないわっ」」

「あちゃあ、相変わらずだ」
 こんな状況でよくもここまで平常心を保てるものだ。アルテスは半ば尊敬の念さえ覚えながら、彼らのやりとりにうええと顔をしかめる。
「あー、胸糞悪いったらありゃしない。イオ、ちょいと手荒にやっちまってもいいかい?」
「無論」
 イオの言葉が終わるか終わらないうちに、ユズィルは素早く腰の得物を引き抜き構えた。
「へえ……」
 隣のアーサーは、ユズィルの動作を面白そうに見守った。彼女が手にしたのは、不思議な形の、おそらく魔法の武具だった。

「オッジ殿、パーチェ殿、そこまでだ!」
 駆け出す白鳥の背に向かって、高らかにイオが勝利を宣言する。
「「イオ!!」」
 同じ角度と動作で振り返った会長たちの両頬を、何かが掠めて飛び去っていった。
 かきん。乾いた音は、彼らの後ろの石壁に、それが当たって跳ねた音。
「動くんじゃないよ!」
 かきん、かきかきかきかきん!
 ユズィルはそう叫びながら、手にした魔法の銃から目に見えない弾を吐き出させて威嚇する。
「な! あ、アンタは確か……」
「《黒字》? 《黒家》? アンタ……!」
「今頃思い出してももう遅いさ」
 唇をぺろりと舐めあげる。ユズィルは狙いをあやまたず白鳥の嘴を射抜いた。
「あ、アイツのせいよ! 大事な市がぶち壊しになったのは、みんなアイツのせいだわ!」
「それは違いますよ」
 ユズィルが魔法の銃を下ろしたと同時に、だだだとアルテスが駆け出した。その手には、魔法の道具が淡い光を放っている。大型犬の首輪ほどの輪が二つ、短めの細い鎖でつながれていた。よからぬ道具っぽいな、とユズィルは値踏みして、自身はふう、と大きく息をつく。魔法の銃を用いると、ユズィルも少し消耗してしまう。もうちょっと鍛えたほうがいいのかもしれない。もっとも普段は、秘境の薬草や高価な鉱石などが、彼女の仕事相手であるのだが。
「あなた方が自分のことだけしか考えなかったから、こうなったんだよ」
 アーサーは広刃剣を鞘走らせて、アルテスの動きを支援する。
「これまで荒稼ぎしてきた分を、返してもらわないとね」
「はいよー」
 アルテスの手からするりと光る鎖が伸びて、魔法の首輪が飛んだ。
「「きゃあ!」」
 首輪は会長たちの頭上でぐにゃりとふくらみ、一瞬後には収縮を始める。無様な二羽の白鳥たちは、いともたやすく首輪をはめられ、アルテスの手元の鎖にたぐり寄せられた。
「ううっ、ちょっとアンタ、ナニすんのよううう」
「乱暴はよしてよお!」
 苦しげにわめく会長たちに、アルテスはのほほんとした口調で言った。
「いえ、こういう方法はお好きかなぁって」
 アーサーは付与魔術師の脇を小突くと、すごいもの持ってるねと呟いた。
「これですか? 以前とある秘密の依頼で作ったものなんですけどね」
 ごほん、とイオが咳払いをひとつ。
「ああっイオさん、ええとその。これはけして俺の趣味ってわけじゃあ……」
「とにかく」
 イオが会長たちの前に進み出、ふたりの顔をのぞき込んだ。
「神殿までお越しいただきたい。奴隷市の件、じっくりと話し合いたいのだが」
 イオの両脇はユズィルとアーサーが固めている。文字通り首根っこを捕まえられた会長たちは、それでもぎゃあぎゃあと口角泡を飛ばし続けた。
「一体全体、アタシたちを捕まえてどーする気よ、この後家が!」
「《ミゼルの目》なきミゼルドが、神官たちの手に負えるとでも思ってるのかしら」
「だったらこっちにも考えがあるわ! 蛇の道は蛇だもの。逃がしてくれたら、あの壊れかけた神殿も再建してあげる、ってのはどうかしら」
「馬鹿馬鹿しい」
 鼻息荒く、イオはその申し出を斬って捨てた。
「なんか勘違いしてるんじゃないかい」
 アーサーは剣でつんつんと白鳥たちのお尻をつつく。
「……別に神殿も、ミゼルドから評議会を無くそうなどとは思っていない。ただ、奴隷市を元にした会長殿のやり方だけは、許すわけにはいかないのだ」
「ああ、あたいが説明してやるよ、イオさん」
 イオの物言いでは堂々巡りだと踏んだユズィルは、彼女の前に立つ。
「協力次第で、あんたたちの刑だって軽くなるかもしれないよ。どうせ外には、評議員たちが手ぐすね引いて待ってる。分かるだろ? あいつらもご立腹なんだ、あんたたちだけがうまい汁吸ってたことが、もうバレてるんだからね」
 商人の言葉は、確かに会長たちの耳に届いているようだった。
「恨みをこれ以上かって、そこの断頭台にかけられちゃお仕舞いだろ? 死んでからじゃあどんなにいい男とも会えないからねえ。それに」
 言葉を切ったユズィルは、封書を取り出し突きつけた。ニクスが裏工作として置いていった秘密文書。中身は彼女も知らないが、はったりには使えると思われた。
「帝国にこれを流せば、ミゼルド経済は終わりだろうね。でもあんたたちが知ってることを教えてくれれば……」
 封筒を目の前でゆらゆら振りながら、ユズィルはイオに片目をつぶって見せた。
「命ぐらいは、助かると思いますよ」
 しゃきん、と鎖を引くアルテス。ぐええとみじめな声をあげる会長たち。
「イオさんなら命まではとりませんけど、他の人に見つかったら……ねえ?」
「……と、いうことだ」
 旅人たちの言葉を受け、渋面のイオが結ぶ。
「カイーチョ家の財産に対しては、評議会ですべて差し押さえると聞いている。処分も同様、評議会が決するだろう。だがミゼルド神殿としては減刑を申し出てさしあげるつもりだ」
 お尻にはアーサーの剣、首にはアルテスの首輪。いとも情けない格好で、ついに会長たちは観念した。
 そして神殿の一室へと引き立てられていく間、二人の会話は、よからぬ目的に有用な首輪をアルテスから幾らで買い取るか、という話題に終始した。彼らの商人魂は見事な回復ぶりを見せつけたのだった。

■Scene:神殿〜ミゼルド商人道

 さて。神殿の一室に隔離された会長たちは、強制的に白鳥の衣装を脱がされ、身体を拭いたうえで信徒の着る簡素な胴衣に着替えさせられていた。ただしアルテスの首輪は、はめられたままだ。
「これは預からせてもらいますよ」
 アルテスはその胸元にきらめく黒い鍵を見つけると、素早く取り上げた。
「あ! こらっ!」
 非難するパーチェの声もむなしく、収縮する首輪の元にぐうと息を飲むだけの会長たち。
「これ使えば、あんたたちのコレクションにされた人たちを元に戻せるんだろ?」
「ちょっと、大事なコレクションに手を出さないでよ……きゅう」
「そうはいかないよ。全員元に戻してあげるんだからね」
「アーサー殿の言うとおりだ」
 イオは相変わらず態度の大きい会長たちを相手に嘆息した。
「踊り子殿をはじめ、競りにかけられた人々は全員神殿で保護している。大事なコレクションとやらも同様だ。先ほどブリジット殿から報告を受け、秘密の部屋からはすべての人形を回収した」
 なんですって、と声にならない悲鳴をあげる会長たち。
「あの小娘!」
「謀ったわね!!」
「ミゼルドの人々を長いこと謀ってきたのはそっちだろうが」
 ユズィルがやれやれと肩をすくめた。同じことをされて悔しいのなら、もう少し我が身を振り返ればいいものを……それが出来ていれば、このようなことにはならなかったのだろうけれども。
「それはそれ、これはこれ。でも残念ね。その鍵だけじゃ、人形を完全に元に戻すことはできないわ」
「ええー」
 アルテスは手の中で弄んでいた鍵を、もう一度じっくりと眺めてみる。握る指先がほのかに温かかった。会長の温もりだけではないことは、確かだ。
「でもこの鍵、ちゃんと魔法の力を持っているっぽいですよ」
「お馬鹿さん。その鍵の力で戻せるのは、身体にかかった鍵だけ。小娘はそれも言わなかったのかしら」
 言いぐさにむっとするアルテスを、まあまあとアーサーが諫めた。
「ということは、心までは戻らない?」
「そうよ」
 会長たちがうなずくと、首輪の鎖がしゃらりと音をたてた。
「この鍵は、ハルハが作ったものなんだろ? だったらこれが《薔薇の鍵》じゃないのか?」
 ユズィルは胡散臭いものを見る目つきで、会長たちを見やる。そうだ、そもそも彼らとハルハは、どこに接点があったのだろう? 明らかにハルハのほうに力がありそうなのに、彼が会長の下につき、会長に利をもたらしているのは、一体何故なのだろうか。
「薔薇の? ハルハが昔、そんなようなことを言ってた気もするけど、その鍵は違うと思うわ」
 オッジとパーチェは、かわるがわるハルハとのなれそめを語る。

 カイーチョ家は昔から、ハルハの祖父やその祖父が率いる旅団とつきあいがあったということ。おそらくそのつきあいは、カイーチョ家の興った時にまで遡れるであろうこと。ハルハの一族は、どうやらこの場所に深い関わりがあるらしいこと。
「そのために、かどうかは分からないけど」
 オッジが記憶をたどる。
「旅団は毎年必ずミゼルドにやってくる。ううん、どうも来なくちゃいけない理由があったみたいなのよねぇ」
「じゃあずっとミゼルドで興行すればいいじゃないですか」
「お馬鹿さんね」
 本当に馬鹿にした目つきで、パーチェが鼻を鳴らす。
「ハルハは蒐集家よ。アタシたちと同じ人種なのよ」
 それはどうかと思ったが、アルテスはこらえた。
「一つ所にいても、お宝は手に入る訳じゃない。新しい出会いのために、自分から動くことだって必要なのよ。もちろん……アタシたちくらいになっちゃえば、お宝は向こうからやってくるんだけど、ねぇ?」

■Scene:神殿〜終わりの始まり

 会長たちの言うとおり、黒い鍵では人形たちは完全には戻らなかった。
「手も足も動くのに。まばたきだってしてるってのにねえ」
 身体の鍵を外された人形の一体をのぞき込み、ユズィルは呟く。
「会話や、能動的な動きはできないみたいですね……あっ」
 アルテスの手の中で、黒い鍵はぼろぼろと崩れ落ちた。人形の最後の一体に、鍵を差し込んだ直後のことだった。
「もう! 使いすぎなのよ!」
 部屋の隅から、会長たちの声が飛ぶ。
「また新しいのをハルハに作ってもらわなきゃ」
「ハルハ、もどって来てくれるかしらねぇ」
「あと一年待たなくちゃ駄目かしら……」
 そのコレクションも、もう無いんですけどね。アルテスは手のひらで消し炭のように変わり果てた鍵を眺め、独りごちる。
「仕方がない、人形たちは廃園へ連れて行こう。バウトも向こうで治癒したそうだから、ここにいるよりも効果はあるだろう」
 腕組みしたイオが、旅人たちにそう伝えた時だった。

「聖騎士さまは、いらっしゃる?」
 ノックとともに、評議員が姿を現した。《ミゼルの目》のナンバー2、ユズィルが協力を仰いだ宝石商の老婦人である。会長不在の今、実質彼女が評議員たちをとりまとめているのだという。その彼女は険しい表情で、頭ふたつ分ほど高いイオの顔を見上げた。
「これは、オパール殿」
 居ずまいを正すイオ。評議員オパールはちらりと周囲に視線を走らせ、そのまま固い口調で続けた。
「良からぬ噂を耳にしました」
「奴隷市で、何か不始末でも?」
 イオの眉も、ぴくりと寄せられる。旅人たちはそのままごくりと息を飲んだ。
「西の丘にあるという廃園のことですよ。ご存じ?」
「ええ」
「生返事はおよしになって」
 老婦人の声はぴしりと強かった。
「住む者のない荒れ果てた庭園に、人の生き血をすする魔物が住み着いたと聞きました。評議会で口止めしておりますので、街の住民にはまだこの噂は広まっておりませんが、放っておけば混乱を招くでしょう」
「魔物だって?」
 アーサーが勢いよく立ち上がる。彼は廃園に行ったことはなかったが、他の旅人たちからは、夢に出てくる少女たちが住んでいるのだと聞かされていた。そして、仕事中もきょろきょろ落ち着かなかったバウトが、そこに関わっているらしいことも耳にしていた。
「あなたは傭兵?」
 アーサーの出で立ちを見て取った老婦人に、彼はうなずいた。
「それは好都合ですね。すぐにでも依頼したい仕事があります」
「まさか……」
 口を開きかけたアルテスとユズィル。だが有無を言わせぬ口調でオパールは告げた。
「ミゼルド評議会として、ミゼルド神殿と、力ある旅の方々に正式に依頼いたします。今すぐ魔物の住む庭園を焼き払ってください」
「しかし」
 イオが口ごもるが、言葉が出てこない。オパールの言葉は、まったくの正論だった。
「黒い影の時とは違い、今回は実害が予想されるのです。街の人々が襲われてからではどうにもなりません。ましてや相手は、生き血をすするというではありませんか。よろしいですか、これはミゼルドの意思です」
 明後日に視察に行くと言い残し、オパールはその部屋を後にする。評議員たちのざわめきが、扉の向こうから漏れ聞こえていた。
 魔物など……これ以上ミゼルドで問題を起こすわけには……皆の安全のために……。

 残されたのは旅人たちとイオだ。
「バウトでさえ、意識が戻るのに数日かかったらしいというのに」
 珍しくイオがぽつりと呟いた。
「女神よ、我らは何を選べばよいのだ……?」

第7章へ続く


第6章|絶望を歌うもの約束人心を守る槌女神の右腕マスターより