PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第1章

4.花園の疵

――誰かの犠牲の上にある平和。それでもいいのかい?

■Scene:エルリック・スナイプ

 エルリック・スナイプは生真面目な性質だった。
 今日もきっちり懐中時計を確認し、約束の時間の少し前に着くよう計らったつもりだった。出掛けに上司から呼び止められるまでは。
 地方都市ペルガモン。中央広場に面した一等地に、ランドニクス帝国から派遣された役人が滞在する壮麗な建物がある。周囲の商業地区を回るのがエルリックの主な仕事であった。
 外回りといってもたいていは税金の徴収だ。エルリックは役人の中でも下っ端であったから、彼の手に余るような仕事は即座に上司から他部署へと回された。
 おおむね、エルリックの生活はまったり平穏に過ぎていたといえよう。
 もっともここ最近は、にわかに忙しくなった。帝都から急使が来たとかで、対応に追われているのである。エルリックのような下っ端は急使の顔も見ることは出来なかったが、急使が運んできた情報だけは彼の職務にも大いに影響を与えた。
「喜べ、エリック」
 上司の女役人が、苦虫を噛み潰したような顔でエルリックを呼び止めた。つきあいの長いこの上司は、エルリックを愛称で呼ぶのだった。
「はい、何でしょう?」
 愛想よく笑みを浮かべ、エルリックは振り向いた。時折この女上司は、自分のことを嫌っているのではないかと思ってしまうことがある。商業地区の揉め事は、エルリックが情報を上げるや否や彼女によって裁かれる。鮮やかな手並みを見るたびに、エルリックはいつか上司のように仕事ができる人間になりたいと思った。
「喜べ」
 上司ゼフィはもう一度繰り返した。明らかに彼女は喜んでいなかった。
「帝都からお願いその2だ」
「お願いそのに」
 言われるがままに、エルリックは手帳に書き付ける。確かその1は先日から調査を続けている件、例の《満月の塔》についてであった。そのに、と書いたところで顔を上げると、ゼフィがにらみつけていたので、すぐまた手帳へ視線を戻した。
「《パンドラ》なる存在に関するあらゆる情報を集め帝都に至急送ること」
 ゼフィは一息で言い切った。
「ぱんどら? それ、何です? 名前ですか?」
「知らん」
 書類の山に乱暴に手のひらを落とす。上司の仕草はわかりやすいデモンストレーションだった。
「それも含めて調査しろ。得意だろうエリック」
 得意ではないことは、女上司が一番良く知っている。エルリックは答えずに、手帳にペンを動かした。自分でも分かっている。押しが弱く、気が弱いことを。
 しかし、ここペルガモンで多少仕事に余裕のある人間といえば、自分くらいしかいないことも分かっていた。
「至急って、いつまでです?」
 女上司は眉根にしわを寄せ「今日中だ」と言った。
 わざわざ急使を仕立てるほどの、これは重要な使命なのだろうか。不思議に思いながらもエルリックは広場へ、その先の商業地区へと目を向けた。
 見慣れぬ白い鳥が、すぐそばで羽根を休めていた。
「鳩?」
 照りつける太陽に向かって鳩は飛び去る。エルリックの視界には、羽根を広げた鳩の輪郭が残像となってくっきりと焼きついた。
 そして……。
 鼻をくすぐる潮風に吹かれ、エルリックは立っていた。

■Scene:ローラナ・グリューネヴァルト

 これが、答えなのでしょうか。
 白い鳥を目にしたのは、夫の墓の前だった。
 ……それとも、救い?
 ローラナの隣にいつも立ち、答えてくれた夫はもういない。魔術師用の黒いローブの足元には、きっと絡みつくようにたくさんのむなしい問いが留まっているだろう。
 ローラナはゆっくりと立ち上がった。女性にしては高い背で夫の墓標を見下ろすと、どうしようもなく涙がとまらなくなった。 
 夫を失ったのは自分の責である。あの日、後ろから近づいてきた敵を察知できなかったのはローラナだ。危険な魔物を狩っている最中だったのだから、いくら注意を払っても払い足りなかったはずなのに。
 結果、夫は身を挺して魔物に接近戦を挑んだ。魔法使いにとってはまず勝ち目のない接近戦を。
 グリューネヴァルト夫妻といえば、息の合った作戦で危険な魔物を狩ると評判だった。あるいは今でもまだ評判かもしれない。夫を失ってもなお、評判だけが《大陸》を漂っているかもしれない。
 幸い、まだ誰かに問われたことはない。
『失礼ですが、もしやグリューネヴァルト夫妻ですか? あの、魔物ハンターの』
 ……そうやって尋ねられでもしたら、何と答えればよいのだろう?
『いいえ。もう夫はいませんの……私をかばって、命を落としてしまいましたわ』
 鮮血のしぶきを思い出すと、恐ろしさにいたたまれなくなった。悲しみがローラナを蝕んでいた。
 死んでしまいたかった。
 だから夫の墓の上に止まるその白い鳥を目にしたとき、ローラナは考えた。
「答え、それとも救い……どちらでもなければ、その先にあるのは死のみね」
 夫が何かささやいた気がした。鳥はローラナをじっと見つめている。
「ええ、あなた。分かっているわ」
 長いまつげをつと伏せて、未亡人は寂しく微笑んだ。空を見上げる。涙はもう零れなかった。
「ついていくわ、私」
 飛び立つ鳥の指す方へ、ローラナも足を踏み出した。

■Scene:セシア=アイネス

 とある城下に広がる街の一区画いっぱいに、その図書館は位置していた。
 司書セシア=アイネスは、毎日図書館の門をくぐる度に、わずかに口の端を下げたものだ。
 だいたいセシアは暗くて狭いところが苦手だった。学院の導師に楯突き、半ば追い出されるように仕事場を図書館と定められたときも、思い描いていたのは学院の図書室に毛が生えた程度の部屋だった。
 それがどうだろう。
 この街の図書館ときたら半地下の設えで、光は大敵だからと常に薄暗く、おまけに未整理の棚が山と控えていて歩くのも難儀なくらいだった。……ただし、たいていの街の図書館というものは、おおむねこのようなつくりであったのだが。
 魔法の明かりで煌々と照らされた書見台や、豪奢な書架、細工物のプレートなどは、選ばれた者だけの世界にすぎない。選ばれなかった、否、選ばれる資格はあったが飛び出してしまったセシアは、暗くて狭い職場に毎日通う羽目になった。
「いいんだ、別に。導師の機嫌をうかがいながら勉強することもないさ」
 たまに学友とすれ違うと、セシアは嘯いた。
「それに、こっちの図書館はめったに人が来ないしね。好きなだけ、好きなようにやれるのが楽だね」
 そういって肩をすくめてみせる。ハニーブラウンのショートヘアが、さらさらとものいいたげに揺れるのだった。
 セシアの天邪鬼を知っている学友は曖昧に笑ったきり、それ以上突っ込むことはしない。
 そんな生活の中……乱雑な図書の整理をひたすら繰り返す日々の中で、珍しいものを目にした。
「あ、白い鳥」
 日干しのために古臭い本を数冊、外に出す作業をしている途中の出来事だった。
 しばらく鳥を観察した後、セシア自分でもびっくりするくらいの声で叫んだ。
「館長、突然ですが暇をもらいます!」
 やや低めの声が図書館中に響き渡る。館長が返事をするよりも早く、セシアは白い鳥を追いかけ始めた。
『白い鳥を追いかけた人は、幸せになるんだってさ』
 学友の誰かが言っていた。
『でも本当かどうかなんて、わからないよな』
 どうしてそんなことがわかる? 確かめてみなければ、何だってわからないじゃないか。
 真実を見極めようとすることが、なぜいけないのだろう?
「僕は、真実を見極めてやる」
 暗く狭い図書室から解き放たれた彼女は、今、ようやく目指すものを手に入れたのだった。

■Scene:スコット・クリズナー

 からっぽのワゴンとトランクを見るのは、それなりに感慨深い。
 交易商人スコットは中身のなくなった入れ物を見下ろし、ふうと息をついた。腰からぶら下がった虹色の鳥の羽がふわりと揺れる。
 斜陽に影が長く伸びていた。くすんだ金髪をかきあげたスコットは、皮製のトランクを持ち上げてみた。拍子抜けするほどの軽さだった。故郷は雪に覆われている。重たい荷物は邪魔になるが、これなら問題なさそうだった。
 故郷を出てから手に入れたものは全部売り払って金貨に変えた。仕事用の財布はずっしりと重い。独力で、一年で得たにしては相当の額である。
 黒い七分丈のズボンのポケットに片手を突っ込む。どこかの国の紙幣が出てきてまたスコットはにやりと笑った。
「これだけあれば、家族もしばらく楽ができるよな」
 しんしんと雪に閉ざされた故郷を出て5年。交易商人として独り立ちしてから1年。大見得きって出てきた村に、そろそろ帰ってもいい頃だった。虹色の羽根がまた揺れた。
 軽いトランクを肩に載せ、片手でワゴンを引いていく。
 目の前に伸びる影に、見慣れぬ形が加わっている。
「鳥、じゃねえ。伝書鳩……?」
 足を止め、茶色のベレー帽を親指で押しあげる。白い鳥がワゴンの屋根に休んでいた。
「なんだい、あんたも来たいのかい? 俺様の故郷はちょっと寒いよ?」
 伝書鳩は首を傾げ、そのままワゴンに止まっている。
「止まり代はいらないよ。話し相手になってくれりゃいい」
 機嫌よくスコットはウインクしたが、鳩がメスかどうかはわからない。ぽんぽんと口から言葉が出るに任せて、スコットはあれこれと話を続けた。
 まだ独り立ちする前に世話になった商人のことを思い出す。行き倒れ寸前だったスコットは、その交易商人に拾われなければ二度と故郷にも帰れなくなるところだった。二人旅も悪くない。昔を思い出して、少し子どもに戻ったみたいな気になるけれど。
 街道の分かれ道まで来て、ようやく鳩は飛び立った。
 それは、スコットの目指す故郷とは反対の道。
 スコットは、鳩の選んだほうを目指した。
「家に帰る前に、もうひとつふたつ土産話を増やすのも悪くない。そうだろ?」
 くすんだ金髪を、いつの間にか潮風が吹き抜けていく。

■Scene:ヴァッツ・ロウ

「思い出したくない場面ほど、何度も何度も思い出しちゃうのは何故だろ……? ねえ……」
 裕福な商家の広い自室にぽつんとひとり、座り込んだヴァッツは泣きじゃくっていた。
「うう……マリィ……」
 どうして振られたのかわからない。
 嘘だ。本当はわかっている……別れ際の台詞がすべてを物語っているから。
 ああ、一目ぼれして一念発起。経験豊富な下の姉にまで相談した挙句、ようやくものにした可愛い可愛いお人形のような彼女なのに。
 いや。彼女だったのに。
「マリィ……マリィ……」
 うわごとのように呟きながら、ヴァッツは大事そうに小さな袋を取り出した。ヴァッツの大きな両手の中で、袋はいっそう小さく見えた。
 夢のような1年から、立ち直ることはできるだろか。もはや姉たちには相談できない。何を怒鳴られるかわかったものではない。
 ふと顔をあげると、立派な張り出し窓の向こうを、横切る白い鳥がいた。
 ごしごしと骨ばった手で涙を拭いて、ヴァッツは立ち上がる。2メートルに届こうかという長身をわずかにかがめて、窓を開けた。
 白い鳥はヴァッツの鼻の先をかすめて飛んでいった。
「……あれ?」
 もう片方の手に小さな袋を持ったままで、見知らぬ場所に立っている。むっとするほどの緑に囲まれて、不気味な鳥の鳴き声も聞こえる。
 白い鳥は見えなくなっていた。
 けれど袋と一緒であることに心底安堵して、ヴァッツは道なき道を辿り始める。

■Scene:アレク・テネーブル

 地味な服装の中にただ一点、銀の首飾りだけがきらめいて残る。
 アレクはそういう男だった。つとめて印象は残さない。けれども街中では黒ずくめは不自然だ。ひたすら地味に、ひっそりと、アレクは暮らした。それが間者に求められる生き方だった。
「話が違う」
 その情報を伝え聞いたとき、眉根をひそめてアレクは毒づいた。
「どういうことだ? 俺は俺の任務を果たしたはずだ」
 アストラ神聖騎士団の動きを追いかけ報告すること。依頼主の希望は、はっきりいって簡単すぎた。その割りにそれなりの報酬を提示された、そのことをもっと検分するべきだった。
 情報どおりに神聖騎士団員を見つけ出し、そっと動きを見張ったところ、どうやらランドニクス皇帝を追いかけている気配である。正直、そこで手を引いておけばまだ助かったに違いない。
 しかしもう遅い。そこここにお尋ね者の張り紙が出てしまっている。
「冗談じゃない」
 小さく舌打ちしてアレクは壁を蹴った。人目につかぬよう高所を伝って身を隠す。
「何が起きてるんだ? アストラの騎士団が、何だってランドニクスの皇帝を……いや、そもそも皇帝は不在なのか?」
 その意味するところは明白だ。
 《大陸》に再び戦乱の世が幕を開ける。
 アレクの雇い主はその幕に一石を投じ、重要な役柄を演じるつもりに違いない。そこまで考えて、でもあのおっさんには無理だ、と思いなおした。少しだけ気が晴れた。
 それでもこの状況は変わらない。一刻も早く街から逃げ出さなければ、神殿騎士殺しの汚名をかぶせられてしまう。
 冗談じゃない。心中で繰り返しアレクは天を仰いだ。
 蒼穹を、白い鳩が横切るのが見えた。

■Scene:アンナ・リズ・アダー

 この工房で機を織るのも今日で終わり。
 アンナは最後の布の端を丁寧にかがると、そっと糸切りはさみを置いた。
「終わったかい。随分早かったねえ。あと三日は終わらないと思っていたのに。紡ぐ糸ももう残ってないときた」
 アンナの雇い主は、この街の工房主でもあった。機織りも糸紡ぎもできるアンナは、頼まれるがままに仕事をこなした。
「あんた仕事が速いねえ。本当に助かったよ」
 手放しの褒め言葉にアンナは照れた。それを隠すようにふいと他所を向く。視線の先に荒れた指が映った。
 とりわけ手早く仕事をしたつもりはない。いつものようにひたすらおさを通していっただけだが、心は込めていた。それは、アンナに紡ぎ手の技を教えた祖母や母の教えだった。
「お給金だよ」
 差し出された生成りの小袋は、アンナの予想よりも少し重たかった。
 思わず顔を上げると、工房主は笑って言った。
「あんたとは最初、日払いの約束だったからね。後から仕事を引き伸ばして日にちを稼ぐようなら、悪いがそのまま出て行ってもらうところだったよ」
 アンナはお辞儀をすると、小さく指印を切ってから給金をしまった。機織りの動作によく似た印だったが、工房主は特に何も言わなかった。アンナは安堵した。神に感謝をせずに給金を受け取るわけにはいかない。
 アンナの故郷と深くかかわりのある神さまは、帝国が版図を広げてからは、ふたつのまなざしで眺められるようになっていた。昔から住んでいた者は敬虔なまなざしで。帝国に居場所を追われた者は奇異のまなざしで。アンナの故郷は、アンナの知らぬうちに複雑な問題を孕むようになっていたのだ。
「来年また来ておくれ。仕事をたっぷり用意しておくよ」
 気のいい工房主に見送られた後、ようやくアンナが腰を伸ばして天を見上げると。
 白い鳥が見えたのだった。

■Scene:愚神の仮面

 旅人たちを待っていたのは見知らぬ島だった。波の音と濃い緑。青い空と青い海に囲まれて、森の中をくぐる道はいつの間にか彼らを導いていた。その先にある不思議な館へと。

 ふたりの姫君に目通り後、女使用人ジニアが旅人たちを案内していく。自室をあてがわれるより先に、一行は選択を迫られた。
「好きなものを選び、身に着けなさい」
 その部屋にはありとあらゆる種類の仮面、覆面、つけ耳やつけ鼻、飾り尾や飾り羽根が揃っていた。手甲や足環の類もあった。旅人たちは促されるがまま、神妙に、あるいは不満げに、その中から自分のものを選び取るのだった。

 紡ぎ手アンナは、足輪を選んだ。木の鈴がついていて、揺れるとくぐもったような乾いたような音を立てる。
「仕事柄、手先が不便になると困るからねえ」
 足首に輪をはめると立ち上がり、アンナは腰を痛そうに伸ばした。
 ローラナは、コウモリのような飾り羽に決めた。
「鳥の……羽毛の羽根よりも、皮翼のほうがいいと思ったの。どうしてかしら」
 自分の選択に自信が持てず、ローラナは儚げに微笑んで見せた。
 アレクは最初に目に付いた飾りの尾をつけることにした。
「いろんな国や街を見たけど、こんなしきたりは初めてだな」
 数回腰を振る。飾りの尾は一拍遅れてアレクの尻を打った。
「……どうしてこんなのをつけなくちゃいけないんだ?」
 ジニアは「しきたりだから」の一点張りだった。
「僕も、アレクさんと同じになってしまいますけれど」
 役人のエルリックが手にしたのは、アレクと同じ飾りの尾。白くてすらりと長いさまは、猫のそれを思わせる。
「座る時に気をつけないと、忘れてしまいそうですね」
「うーん。慣れるのかねえ……」
 大の男がふたりで尻尾をつけて、振り合っている。
 その様子をこれまた大の男であるヴァッツは、内心焦りながら見ていた。
 みんな、決めるのが早すぎる。どうしよう、いや、どうすることもできないのだ。焦りを顔には出すことなく、ヴァッツはおずおずと手を伸ばした。
「こ、これ……」
 頭からかぶる狼の仮面、そして毛皮と、手の甲につけるつけ爪がひとそろい。爪は利き手じゃない左だけに装着することにした。
 服飾品専門の商人であるヴァッツには、まるで宝の山のような部屋である。自分の飾りを選んだあとも、ヴァッツの視線はあちこちをさまよった。
「俺は今のところ、装飾品をつけないつもりなんだけどさ、いいかな?」
 スコットがジニアに片目をつぶってみせる。この交易商人は、女性と見れば口が倍回る質であった。
 ジニアは仮面の下の目をすっと細めると、スコットを見つめて告げる。
「貴方の身に何が起こっても知らない。それでかまわなければご自由に……しきたりとはいえ、嫌がる方に無理強いするのは本意ではありません」
「ありがとう、ジニアさんが話の分かる人でよかった」
 スコットは自分の腰を軽く叩いた。虹色の羽根飾り――故郷を旅立ったときから唯一変わらず身につけている装飾が、ひらりと揺れた。
「俺にはもうこの羽根飾りがある。これで十分かねと思ったからなんだよな。ここにある装飾品もなかなか立派だが、こちとら初めからそういうアクセサリーを身に着けちまってる人間だからさ、別に必要ないかぁって」
「ただしお忘れなきよう」
 いつまでも続きそうなスコットの調子を遮るジニア。
「……何が起きるかわからない。しきたりを守らないまろうどを助けることはできない」
「ああ」
 スコットがうなずく。
「覚えておくよ。悪く思わないでくれよな、ジニアさん……俺はこういうやり方が好きなのさ。君子危うきに近寄らず、ってな」
 別に俺、君子じゃないけど。そう言って朗らかにスコットが笑う。
 ジニアはちらと一瞥をくれただけだったが、彼のやりとりによって場の雰囲気は明らかに和んだ。
「それでは僕はこの首輪と、飾り耳を選ぼう」
 最後に残ったセシアは、飾りの首輪と飾り耳を手にしていた。
「ふたつ選んでも構いませんか?」
「まあいいでしょう」
 セシアはハニーブロンドの髪を揺らし、首輪をつけた。
 何か危険な感触があればすぐさまむしりとろうと思っていたが、特に何も起こらないようだ。さすがにつけ耳には違和感があるが、やがて慣れれば問題はなさそうである。
 元々セシアは銀細工のアクセサリーを好んで身につけていた。こういう飾りは、嫌いではない。
「……ちょっとした仮装大会だね」
 居合わせた一同を見わたして、セシアは呟いた。低めの声が古色の館によく響いた。

■Scene:花園の疵(1)

 旅人たちの中で、館に興味を持った者は中を歩き回ってみることにした。アレク、アンナ、ヴァッツ、スコット、そしてセシア、エルリック、ローラナの7人だ。
 ジニア曰く「あるじはあなたがたの物語を許したでしょう。好きにすると良い」ということらしい。彼女は自分の仕事があるといって、厨房へと姿を消した。
「仕事もあるし……首になるまえに戻らなくちゃ」
 エルリックが館の天井を見上げてひとりごちた。厳しい女上司は、エルリックの無断欠勤を決して許さないだろう。
「あんたの仕事、役人だっけ」
 アレクの問いに、うなずくエルリック。ペルガモンの街の、と言葉を続けて、エルリックはかつてアレクを見かけたことがあったかもしれないなどと考えた。
「忙しいんですよ、僕のいた部署」
 正確には、エルリックの部署のエルリック以外の人間が、忙しいのだ。
「それじゃあ帰り道を探すのかい」
 ペルガモンの地名が出た時、アンナの表情がわずかに和らいだ。
 アレクはそれに気が付き、おやと訝った。紡ぎ手アンナ。ランドニクスの地方都市には警戒を緩めるとは、どういう素性の持ち主だろうか。
 しかし、今やアレクも行く当てのない身だ。仕えるあるじがいない以上は余計な口出しはすまいと思う。
「帰り道、そうですね。見つかるものならば」
「帰り道?」
 セシアが口をとがらせた。つけ耳がひくりと動いたように見える。
「なんて勿体ない。この場所の秘密を解き明かそうとは思わないのですか」
 そういうと、司書だという彼女はひとつの扉に手を掛けて、ずかずかと中へ入っていった。
「そうね。少なくとも、ここがどういう場所なのか調べてみるのは悪くないと思うわ」
 ローラナもセシアの後を追う。
「夫の代わりに伝書鳩が導いた場所……救いかしら、それとも答え?」
 女性ふたりが先に部屋に入ってしまったので、アンナと残る人々も続く。アンナの足輪がからりと音を立てた。
「あ……え……」
 ヴァッツは口ごもりながら彼らの背に話しかけようとして……諦めた。
 みんないったいどうやって、タイミングを逸せずに会話を続けられるのだろう?
 ヴァッツには不思議で仕方がない。でもいいや、とすぐに諦めるのもヴァッツが身につけた技だった。マリィと一緒ならば、それでいいのだ。

■Scene:花園の疵(2)

 どうやら館の構造は、主たる通路が2本平行に走っており、その先に姫君たちの円形の広間がつながっているつくりらしい。
 地図を作ろうとしていたエルリックとスコットが調べたのだ。
通路は曲がりくねっていて多少段差もあるけれど、単純に描けば、化学実験のフラスコが、2本の首を持っているような形状である。
 彼らが割り当てられた部屋は、このフラスコの首部分にあたる通路の左右に並んでいる。
「館の入り口から、あの大広間までの間にあるのが、いわば居住区というわけだね。変わったつくりに見えたけど、考えてみればそんな珍しくもないかな」
 スコットがこめかみにペン軸をあてて揉む。
「この広間に並ぶ扉の先には……?」
「さあ。開けてみなくちゃわからないでしょう?」
 セシアが選んで開いた扉は、旅人たちにあてがわれた部屋のひとつである。
 居住区の部屋はどこも似たり寄ったりだった。
 寝台がいくつかと、上着を掛けられる衣装台。小さな燭台とろうそく。調度の類はどれも大差ない。鏡台のある部屋は女性のためにということだろうか。セシアはふんと鼻を鳴らした。
「古いねえ……」
 アンナは床にしゃがみこんでいる。敷布の織りを確かめているのだった。
 荒れた指先で、織物のほつれに触れてみる。意外にもしっかり目の詰まった織られ方だった。
「古いけど、上等の布だね。糸の染めにもむらがないし」
 立ち上がり、着衣の裾をはたく。埃はついていなかった。ジニアがきちんと掃除をしているのだろう。硬い表情を浮かべている彼女の手にしていた長い箒を思い出し、アンナは納得した。
「後で私は余り布を見せて貰うとしよう」
 スコットもアンナの真似をして、敷布の端をめくりあげる。
「金になりそうかい?」
「そんなんじゃないよ。丁寧な織りだから、新しければ相当値が張っただろうけどね」
「どこから仕入れたんだろうね。もしかしてこの館が建てられたときのものかな?」
 スコットが立ち上がると、腰の虹色の羽根が揺れる。
「私はただ、ここの余り布を使って、服でも仕立てようかと思ったのさ。エルリックさんと違って、日雇いの旅だったからね」
 アンナは青灰色の瞳でエルリックを見つめた。
「……私は私にできることしかできないよ」
「あ」
 ヴァッツが割って入った。織物の話題ならついていかなくてはと思ったのだ。彼は服飾販売業である。糸や織りの目利きなら、商売でやっている。
 これまた正しくは、実家が商家であり家業を手伝っているという状態で、独立した交易商人として《大陸》を回るスコットとは少し異なる。
「なんだい、ヴァッツさん」
「織物の、話してたから……これ。古いんだ……昔の、神殿なんかにある織りに似てる」
「へえ。あんたも詳しいんだねえ」
 アンナが驚いた顔で長身のヴァッツを見上げた。狼の仮面をかぶった男はぼそぼそと口の中で何やら呟いていた。照れているらしい。
「神殿か。その割には、知った形の聖印を見た覚えはないけれど……まだ名前の知られていない神に捧げられた場所なのかもしれませんね」
 アレクはまた気づいてしまった。アンナが何か不思議な仕草をしたのを。
「音に尋ねてみましょう」
 コウモリの羽根を背に持つローラナが提案した。
「私、音術師ですから。運が良ければ、ここで交わされた会話を甦らせることができるかもしれませんわ」
「なるほど音術師ですか。以前にこの島に立ち寄った旅人がどんなことをしていたのか、知ることができれば帰り道も分かるかもしれませんね」
 安堵まじりの役人を、セシアはつまらなさげに見ている。彼女にとっては、知識と真実こそが求めるものなのだ。
 ローラナはしばらくの間静かにしてほしいと頼み、自分は目を閉じた。発動の印を描き、集中して意識を送る。ローラナの念に応えるように、雑音が混じった過去の会話がかすかに甦った。
 少し音が遠い。調律の要領で、ローラナは音をたぐりよせ、過去の会話を導いた。

(姫君たちはいつもああなのか)(……どういう意味だ)(つまり、謎めいた問答をするのかということだ)(俺には分からない)(知っているはずだ、外から来たのなら)(分からないんだ)(分かろうとしないから)(なぜ悪いんだ、知ろうとすることが)(知りたい)(知りたい)(知りたい)(知りたい)(寝食を忘れて没頭したい)(他には何も要らない)(知りたい、そこに秘密があるから)(どうして外から来たなんて?)(仮面をかぶっているから)(隠されると知りたくなる)(隠してなんかいない)(知りたい)(知られたい)(残しておけば……知ってもらえるだろうか?)(シストゥス・ラダニフェルスの秘密を)(隠すために作られた秘密を)

 ローラナが目を開ける。
 一同の呆然とした顔を見れば、今のやりとりが聞こえていたのがわかる。
「秘密とか、隠すとか……穏やかじゃないね」
 ようやくアンナが、ぽつりと言った。
「残しておくって言ってた。ありゃ誰の声だったんだ?」とアレク。
「さあ……そこまでは特定できませんわ。過去の旅人の誰かなのでしょう」
「女声だったね」
 スコットは自信ありげに胸をはる。
「シストゥスとかっていう女の人が、この部屋にいたってことじゃないかい? そして何かを隠したんだ」
 スコットはそう言うと、ゆっくりと部屋をひとめぐりする。あちこちに視線をずらしながら。
「およしよ、気味が悪い」
「っと失礼」
 動線上のアンナの両肩に両手をそっと乗せるようにして歩き回るスコット。だって知られたいって言っていたじゃないか、というのが彼の弁であった。
「探し物なら、きっとここだと思う」
 スコットの意図を汲んだアレクは、寝台と壁の隙間に手を差し込んだ。ぼろぼろの手帳がそこにあった。表書きは几帳面そうな字面で、シストゥス・ラダニフェルス、と読めた。
「読めるますか、アレクさん」
「ああ。《大陸》と同じ文字だ。でも中身がごっそり抜け落ちてるな」
 表書きの字面からして、持ち主のシストゥスという女性はきちんとした人物だったのだろうから、中身が抜けているというのは奇異に思われる。
「最後のページしか残っていない」
 アレクは肩をすくめて読み上げた……。

■Scene:シストゥスの手帳(最後)

 私の生には、いかなる意味があったのか。
 私は私でなくなる前に、その意味を知りたかった。
 願わくば住人たちがその意味を取り戻さんことを。
 演じる部分がまだ残されているうちに。

 必要なのはただ選び取る勇気である。
 気高き姫君にそのことを教えてあげたかった。それが心残りだ。
 死の剣の切っ先は誰の上にあるのか。
 伝書鳩に心を許してはならない。
 帰り道を求めるならば外ではなく内へ。
 内はいつも外よりも広いのだから。
 
 シストゥス・ラダニフェルス記す――

■Scene:花園の疵(3)

 あてがわれた部屋で旅人たちが談笑していると、誰かが扉をコツコツと叩く。
 アンナが頼んだ余り布を持ってきたのだった。
「この館の地図を?」
 エルリックとスコットが、敷布の上に手製の地図を広げているのを見て、ジニアはけげんな顔をした。
「あなた方も地図職人だったのかしら」
「違いますよ。俺様は交易商人。こっちのエルリックは……」
「僕は役所に勤めています。ペルガモンの」
「前に地図職人が滞在していた時に描いていった地図があるわ。まろうどのひとり、リラという子が持っているはず」
 余り布を詰め込んだ籠をアンナに手渡し、ジニアが言う。
 ふと触れたジニアの手の冷たさに、アンナは驚いた。手指はアンナに劣らず荒れていた。これだけ大きな館なのだ。それでいて使用人はジニアとマロウのふたりきりである。やはり大変なこともあるのだろう。そう思って、心を込めて礼を述べた。自分のわがままに応えてくれたことへのせめてもの心遣いだった。
「リラ、ね……ついでに聞いてもいいかな。この広間の扉の先には、何があるんだい?」
 スコットの指先は、姫君たちの玉座がある大広間を示している。
 円形の大広間の両側に並ぶ扉。それはまだ開けていなかった。
「絵が掛けてあるわ。その広間から先は展示室。気になるなら開けて見てみればいい。でもその先の地図は描いても無駄」
「なぜ?」
「変わるから」
 旅人たちは顔を見合わせた。アンナは一気に不安になって、籠を持つ手に力を込めた。
「変わる? 部屋のつくりが? それとも、掛けられている絵が変わるのですか?」
「両方とも変わる」
「それは……面白いね」
 セシアは本当に面白そうに言った。
「まるで人を選んでいるみたいで」
 ジニアはうなずいた。
「掛けられている絵は姫さまがたのコレクション。くれぐれも見物には気をつけることね」
 面白くもなさそうな顔つきだった。

第2章へ続く

1.花園の婢女2.花の波辺3.歪な花園4.花園の疵5.花園迷路マスターより