5.花園迷路
――逃げるんだ、死の剣の届かぬところまで。
■Scene:クラウディウス・イギィエム
「鳥が飛ぶのは、その先に陸地がある証拠」
乾いた声音でクラウディウスは言い切った。有無を言わさぬ口調は、二十名の精鋭を率いる将の貫禄を滲ませている。
「しかし旦那。旦那は海のことは得意じゃねえでしょう。こういう波風じゃあ船を出しても、先の岬より外には……」
「二度言わせるつもりか?」
潮風がプラチナブロンドの巻き毛をくすぐり、いかにも育ちのよさそうな細面をあらわにした。
「軍令違反で投獄してもいい」
望むならば、と付け足すと、それきり船頭はへえ、と背を丸めた。
やがて、部下とともに乗り込んだ船が陸地を離れると、クラウディウスは再び船頭を呼んだ。萎縮しきった船頭の手に皮袋を渡す。じゃら、とこすれた金貨の音に、船頭の背がしゃんと伸びた。皮袋には、帝国の紋章が描かれていた。
「だ、旦那方は、もしかしてその……ランドニクスの……!」
クラウディウスは無言で、ちらりとダークグリーンの瞳を走らせただけだったが、船足は確実に速くなっていた。
ランドニクス若獅子騎士団、小隊長。
二十の部下を与えられたのにはもちろんそれなりの理由がある。そして、理由があれば、責任もあった。若獅子騎士団に課せられた使命、それはもちろん行方不明の新帝陛下を探し出すことに他ならない。《大陸》全土を統一することが出来うるのは、《十二の和約》をもたらしたランドニクス新帝、ルーン統一王アンタルキダス陛下のみ。
新帝らしき少年を見かけた、という情報を追って、小さな港町までは辿りつくことができた。その先で姿を消した少年は、どこへ行ってしまったのか?
金髪に抜けるような白い肌。聡明な瞳は灰まじりの青。
海辺の街ではその外見は、さぞかし目立つに違いないのだが。
「この先に島なんぞないよ、旦那」
同じ言葉を繰り返す漁師たちの相手をするのにも嫌気が差してきたころ、伝書鳩を見たのだ。
白い伝書鳩は、海の彼方を目指して飛んでいた。
海鳥の類でないことは、クラウディウスにも分かる。陸の鳥。その先の島を目指す鳥。
「鳥? どこにおりますか隊長?」
「そこに飛んでいるではないか」
クラウディウスは幸運を信じる性質ではなかったが、それはどちらかと言えば彼の背負った使命が後から形作った性格だった。
もしも。
クラウディウスが小隊長ではなく、閣下などと揶揄される立場でもなく、ただの……よく宮廷を手持ち無沙汰にうろついているような、たまに悪い連中とつるんでは根も葉もない噂を広めたり火遊びに手を出してみたりする、毒にも薬にもならないただの文官のおぼっちゃまであったなら、あの伝書鳩を目にしてこれほどの熱意をもって追いかけることもしなかったに違いない。
それは暗いおき火のような熱意だった。しかしダークグリーンの瞳はあくまでも海に近い色で行く手を眺めていた。
「この先に島がある。必ず、鳥の住める島が」
唇を引き結び潮風に吹かれ、クラウディウスは自分の判断を信じた。その鳥を目にしたのが自分だけであっても、隊長である以上、判断はクラウディウスの役目である。
忠実な部下を5人も連れて上陸すれば、新帝らしき少年の行方はすぐに知れるだろうと思った。
■Scene:グレイブ=シンフォニー
グレイブ=シンフォニーは狩人だった。狩人に育てられ、気づくと自分も同じ道を生きていた。 疑問をはさむ余地はない。定めた獲物の習性を読み、森に罠を仕掛け、誘い出しては弓をひく。森は時に川になり、海になった。街の中で人と過ごすよりもずっと長い時間、グレイブは自然の中にいた。
もちろん疑問などはさむ余地はない。
見慣れぬ白い鳥も、グレイブの目には珍しい獲物として映るのだ。
その日は、妙な予感がした。大きな猪を仕留めた日のような胸騒ぎ。長年追いかけていた獲物とあいまみえる時の、あの焦燥と興奮の入り混じった気持ちに似ているように思えた。
あの鳥は、いったいどこからやって来たのか。
弓を手にして、グレイブは鳥をそっと追いかけた。
……すぐに射なかったのは、いつでも仕留められる自信があったからか。正直なところ、よく分からない。勘と経験から、毒や魔法の力を持った危険な相手はそうと感づく。だがあの白い鳩からは危険な匂いは感じなかった。
追いかけるものと、追われるもの。グレイブはいつも「追いかけるもの」である。
■Scene:スティナ・パーソン
動物たちは、スティナに優しい。
ひとりでいる時にはいつも、どこからか誰かがやってきて、そっと寄り添っていてくれた。それは小さなリスのこともあれば、野の馬のこともある。鳥が来てくれることも多かった。森の中には、スティナの友だちがたくさんいた。
「そう、そう。それです。ぐみの実。おいしいですよね〜」
そうやって、足元や肩を駆ける小さな友だちに話しかけながら、スティナはよく森の果実を集めた。茂みを覗き込むたびに、新しい草花を見つけることが出来る。森にいると飽きなかった。人里に下りるより、スティナはひとりでいることを選んできた。
ゆったりとした白いシャツは、袖がたっぷりととられている。袖なしの黒い長衣を羽織りベルトを締めると、袖口からさっそく子ねずみが頭を出した。腰まで伸ばした白銀の髪は、引っ張られるがままにしておいた。
「ぐみの実、木いちご。あけびに、どんぐり……は、まだ季節が少し早いですね〜」
気ままな一人暮らしでは、たくさんの実を集めても仕方がない。スティナが食べるのに必要な分は、すでにかごの中にあった。おじいさんとおばあさんがいた頃は、同じかごにいっぱい取って帰ったものだけれど。
この日はなぜか森から去りがたく、スティナはもう少し獣道をさまようことにした。一人で食べ切れなくても、煮詰めたジャムを街に売りに行けばいい。たまには街に出るようにしなければ、人々の声なき声に慣れることなどできない。人間の友だちだって、森にいても普通はできない。分かってはいるのだけれど。
「わあ……」
思わず漏らした感嘆の声は、目の前を飛ぶ白い鳥に惹きつけられたから。
まるで誘うように飛んでいる。その姿はスティナの目に美しく映った。
「とても綺麗で、とても不思議な鳥ですね〜」
友だちになれたらいいな。白い鳥はスティナの心の中を見透かしたのか、低く飛ぶや近い枝に羽根を休めた。
「どこから来たのですか? 綺麗な鳥さん……伝書鳩ですか〜?」
たった二枚の翼で、どこから飛んできたものか。
こっそりとその距離を想像して、スティナはひとり微笑んだ。
そういえば、獣たちは笑わないのだと教わったことがある。微笑むことができるのは人間だけなのだという。
教えてくれたのは誰だったか。
伝書鳩は硝子玉のような目に束の間スティナを映し出し、ひとたびその回りを巡って飛び立っていった。
そして、追いかけたはずの鳩をいつしか見失ったスティナは、やっぱり微笑んだ。
「ここは、どこでしょう〜?」
見渡す緑は、元いた場所よりも随分と濃い。そして感じる、誰かの視線。
気にすることなくスティナは歩き出す。新しい森では、どんな子と出会えるのだろう?
■Scene:ルーサリウス・パレルモ
固い木机は古臭く、ところどころにインクをこぼした染みがついていた。ルーサリウスが汚したのではない。この都市に任地として赴いたときにはすでに、この机が彼を待っていた。前任者のつけたと思しき染みはそのまま、ついでに前任者の残していった書類の山もそのままに。
都市と呼ぶには中途半端な大きさの、地方都市ペルガモン。
広場の一等地に建つ壮麗な屋敷が彼の仕事場だ。ランドニクス帝国が派遣した役人たちは、この屋敷からさまざまに腕を振るった。ルーサリウスは主に文官として仕事をこなしていたが、中には賄賂という手段で経済に介入する者、近隣のミュシアやカイコスと繋がりを持ち利を得る者もいた。もっとも帝都の縮図は、地方都市のどこででも見られる光景だ。
「ルーシャ、聞いたか」
帝国印で封をした包みを抱え、ルーサリウスに声をかけたのは、同期の女性ゼフィだ。建物外周の通路から、ルーサリウスの執務室を覗き込んでいる。たまたま通りがかった風の彼女は、なかなかに渋い表情をしていた。
「どうしたんです」
ルーサリウスは休めた手を頬杖に変え、彼女を促した。
余計なことを考えずに付き合うことのできる女性は、彼女くらいのものである。仕事で顔を突き合わせる意外に、女性とどうこうするつもりは、今はもうない。
もうないのだ、と言い聞かせているだけかもしれないが。
「どうもこうもあるか。さっき鳥が来たよ」
「鳥? ああ……中央からの」
帝都から地方都市への連絡に、特殊に訓練された鳥を用いる部署がある。ルーサリウスも目にしたことはなかったが、知識はあった。その部署の、これまた特殊に訓練された人間たちは、おしのびで各地を巡っては、さまざまな情報を収集し、帝都へ持ち帰るらしい。部署の名称は確か……内務省。役人たちの間では、公然の秘密とされている花形職。
しかし一介の地方都市の役人にしてみれば、これほど縁遠い部署もない。
第一、ルーサリウスは中央省庁へのコネもなければ、それなりの血縁とも無縁であった。
「で、その鳥が何ですって」
「……《パンドラ》」
「は?」
「《パンドラ》なる存在に関するあらゆる情報を集め帝都に至急送ること」
ゼフィは一息で言い切った。
「《満月の塔》だけじゃなかったんですね、帝都の皆さんが見つけたいのは」
「帝都の皆さんがというか皇帝が、だな。小出しにせずに最初から言いつけてくれればいい。塔を探しにいった連中を呼び戻し、もう一度頼めばいいのか? 人手は無限ではない。手間も時間も金も倍かかる」
彼女の語気には押し殺した怒りが感じられる。
「それでも探さなくてはいけないでしょう」
「仕事だからな」
ひとくさり愚痴を垂れると、女役人はふいと廊下に姿を消した。同期の自分にあたったことで、少しは満足したのだろうか。
仕事だから。たとえ行き詰っても、選んだ仕事がここにあるから。
ルーサリウスは再びペンを手にとって、インク壷にその先を浸す。
視界の影に何かが揺れた。まだ満足し足りなかったのだろうかと思い、戸口に目を遣った。
白い伝書鳩がそこに待っていた。
■Scene:ルシカ・コンラッド
オルゴール職人ルシカには、何よりも恐れているものがあった。
模倣。自分の手から生まれる旋律が、他の誰かの手になる旋律と重なってしまうこと。
ルシカに限らず、たいていの職人はそんな気持ちを多かれ少なかれ抱いているものだ。自分の作品が《大陸》唯一の存在であり、これまでの作品とはまったく異なる、新しい存在だという自負。
「だめ。だめなの。これじゃあ全然だめ」
ルシカががくりとうなだれると、胸元を飾る銀色の球が心地よい音を奏でた。メルヘンクーゲル、旋律球、などと呼ばれる飾りも、オルゴール職人の手で作られた珍しい品である。が、それとてルシカの耳にはまったき不協和音に聴こえた。
「……あたしの魂は、どこにいってしまったの」
あの日から、ルシカは自分のオルゴールを作ることができなくなった。
外箱、装飾、内張り、仕掛け。それらを作ることはできる。しかしそれらを組み立てても精巧な細工にしかならない。肝心の魂、ルシカの音楽が中に込められていないのだから。
かぶっていたキャスケットを投げつける。作業室の壁に跳ね、赤と黒の格子模様が歪んだ。
ルシカの動きに合わせて胸元の球が揺れる。不協和音。まるでルシカを責めるように。
『作曲には、作曲者の魂が染み出てくるものだ』
わかってる。わかってるよ、師匠。あたしは、あたしの魂を見失ってしまったの。
唇を噛むルシカの脳裏に浮かぶ旋律は、すべて彼らの模倣にすぎない。
彼ら――《クラード・エナージェイ》。ルシカの心を奪った楽団。友人に誘われ出かけた演奏会で出会った5人の演奏者たち。
彼らの音楽は激しくルシカの心を揺さぶった。元々得意ではない作曲も、それ以来まったくできなくなってしまった。
代わりにルシカは楽団を追いかけた。演奏会があると聞けば、何としてでもチケットを手に入れた。作曲ができなくなっても、ルシカは満足していたつもりだった。自分のオルゴールを作れなくても、《クラード》の旋律を打ち込めばそれでよかった。彼らの音楽さえあれば生きていけるはずだった。
「探しにいかなきゃ……どんなことがあっても探しださなくちゃ」
作業台についた両手に力がこもった。
紅色の瞳が炎のごとく輝きだす。その炎はどこか危うさを秘めていたが、ルシカはそうと気づかない。こっそりと師匠がついたため息にも、彼女は気づかない。
「あたしの音楽。あたしの魂。《クラード・エナージェイ》」
あたしがあたしの音楽を生み出せなくても、あたしの代わりに《クラード・エナージェイ》が奏でてくれさえすればいい。《クラード》があたしの魂だから。
『ランドニクス内乱、《クラード・エナージェイ》消息を絶つ』
その報を受けたとき、辛くも戦乱を潜り抜けることができたルシカは思ったのだ。
「探しにいかなきゃ……どんなことがあっても探しださなくちゃ。《クラード・エナージェイ》のメンバーを探し出して、あたしの音楽を奏でてもらわなくちゃ!」
赤と黒。格子模様のキャスケットをかぶる。ベルトのついたごついブーツを引き上げて、ルシカは魂を取り戻す旅に出た。失われた彼らの音楽を、小さなオルゴールに閉じ込めて。
白い鳥は、彼女の頭上を遥か行く。
青い空を見上げるとなぜか涙が出た。
「蒼穹を往く伝書鳩、《クラード》の曲にあったわ」
失われた音楽に導かれるように、ルシカは鳥を追いかけた。
■Scene:双頭の仮面
旅人たちを待っていたのは見知らぬ島だった。波の音と濃い緑。青い空と青い海に囲まれて、森の中をくぐる道はいつの間にか彼らを導いていた。その先にある不思議な館へと。
ふたりの姫君に目通り後、女使用人ジニアが旅人たちを案内していく。自室をあてがわれるより先に、一行は選択を迫られた。
「好きなものを選び、身に着けなさい」
その部屋にはありとあらゆる種類の仮面、覆面、つけ耳やつけ鼻、飾り尾や飾り羽根が揃っていた。手甲や足環の類もあった。旅人たちは促されるがまま、神妙に、あるいは不満げに、その中から自分のものを選び取るのだった。
オルゴール職人ルシカが選んだのは、ちょっと変わった仮面……片目だけを隠す黒い眼帯だ。紐が二連になっていて、左目が隠れる。隠れた目の位置には、見開いた赤い瞳が刺繍してあった。
「これかわいい! あたしこれがいいな」
すぐにルシカはキャスケットをはずし、自分で眼帯をつけてみた。赤と黒の色合いは、彼女の服装にもよく合った。キャスケットだけでなく、半袖のシャツもぴったりしたパンツの上に重ね履きしているミニスカートも、赤と黒の格子模様なのだ。
「でもこれ、前に誰かが使っていたものなの? んー不思議」
見知らぬ誰かの持ち物だったなら、その人と自分は仲良くなれるに違いないと思う。見知らぬその人なら、ルシカ憧れの《クラード・エナージェイ》のこともきっと理解してくれる気がした。
ルシカと同じく、黒を基調とした服を身につけている狩人グレイブは、手袋一組を手に取った。
「……ふむ」
手の甲にあたる位置には、大きな丸い黒水晶がついている。
指先が自由になるもののほうがよかったが、ぱっと見て好みのものが指先のわかれた普通の手袋だった。単に一番綺麗だと思ったものを選んだだけだ。根気よく装飾品の山をあさる気にはなれなかった。なあに、指先だけなら切ってしまえばいいことだ。グレイブは実用性を重視した。
スティナは白い翼を選んだ。肩から吊る飾り羽根だ。つばの広い帽子をかぶっていたのを脱いで、羽根を片方着けてみる。
「あれスーちゃん。それ片方しかないよ?」
目敏いルシカが比翼の片割れを探し出した。もちろんこの手の飾り羽根は、左右が対になっているのだ。
「ああ、いいんです。いらないんです」
悲しげなアルトでスティナは答える。ルシカは首をかしげた。
「だって片方だけだと肩凝るよ?」
「そんなに重くないですし、それに……」
帽子をそっとかぶりなおして、スティナは目を伏せた。
伏せられてはじめて、彼女の瞳が金目銀目のオッドアイだったことに気づく。
「片方だけしか必要ないんです。私は対なるものを失ってしまいましたから」
「あ……そ、そう。ごめんねー」
必要のない片翼を、ルシカはそっと足元に置いた。
「では私はこの指輪にしましょう。貴方は?」
ルーサリウスは選んだ指輪をはめた手をかざし、クラウディウスに向けてみる。
金属でできた大振りの指輪は薔薇の意匠のものだ。ルーサリウスが手指で作る輪よりも大きく、ずっしりと重量感がある。はめてみて感じたのは、やはり相当に目立つということだ。右手の人差し指にはめたのだから、書き物をするたび目に留めることになるのだろう。
「私は……」
クラウディウスは口元を引き結び、ひとわたり装飾品の間を眺めて言った。
「何もつけない」
ジニアがついとクラウディウスを見やった。背の高い彼女は、同じ高さでクラウディウスのダークグリーンの瞳を射る。
「理由を尋ねても良いかしら」
「……これらの装飾品を身につけさせる理由の方を、先に尋ねたい」
クラウディウスも退かない。
「しきたりだという一言では、納得しかねるというだけだ。例えば……あの者たちは無防備に言われるがまま、この部屋の品々をつけているが」
すでに選んだ装飾品を着けているスティナやルシカをゆっくり眺めて、クラウディウスは続けた。グレイブが顔を上げる。
「何かの魔法が仕掛けられていないという証拠はどこにもない。違うかね?」
スティナとルシカは顔を見合わせた。ルーサリウスは、見るからにランドニクス騎士であるクラウディウスの言い分を、半ば頼もしく半ばやれやれといった面持ちで聞いている。
「私も仮面をつけている。証拠といわれればそれくらいしか見つからない。そこまで言うのなら無理強いはできないけれど……その代わり」
クラウディウスはうなずいた。何らかの交換条件はあるだろうと思っていた。
「貴方の身に何が起こっても知らない。それでかまわなければご自由に」
「元よりそのつもりだ」
軍靴を鳴らしてクラウディウスが背を向ける。
「あ……どこへ行くんだ」
グレイブが彼の背に問いかける。クラウディウスの言動は……というよりもジニアの言い方が気になった。
「外へ。部下を探さなければ」
部下たちの姿がひとりとして見えないなどと、ありうべき事態だった。まして船頭の姿もない。何か不慮の事故に巻き込まれたのだ。もしくは、隊長である自分を見捨てて逃げたのか。
何が起こっても知らないだと?
それは、同じことだ。何かが起こるということと。
■Scene:花園迷路(1)
スティナ、ルシカ、ルーサリウス、グレイブ、クラウディウスの5名は、あてがわれた部屋に留まることなく、島の中を見て回ることにした。グレイブに至っては端から部屋を使う気などなく、いつものとおり野宿の道具一式を持ったままである。
「で……《クラード・エナージェイ》なんだけどっ!」
森の小道を案内されたとおりに歩きながら、ルシカが切り出した。
案内されたとは行っても「まっすぐ行けば海」程度の話を聞き出せただけだ。残念ながらジニアたち使用人は、憧れの楽団について聞いたこともないようだった。
5人は元々別行動するはずだった。
歩き回って地図をつくるつもりなのだとルーサリウスが告げると、
「それならば私が乗ってきた船があるはずだ」
とクラウディウスが切り出した。ルーサリウスをランドニクスの役人と察し、彼には幾分丁寧に接しているらしい。
「ああ、イギィエム君。貴方はどうやら、船でこの島に辿り着いた唯一の人間のようですね」
「船には5名の部下が共に乗っていたのだがな」
「なるほど」
うなずいた役人は、クラウディウスの話をさらさらと書き付けた。すぐに記録に残すのは、ルーサリウスの職業病だった。
「船着き場があるならば、《大陸》本土との行き来は可能なわけですね。物資はそこから運ばれているのでしょうか」
「船着き場? そんな上等なものはない。入り江に停泊させた船から、小舟を出して上陸しただけだ。浅い砂浜だったからな」
「もやい綱もないと? では定期的な交易はまずないということでしょうね」
考えたのは、まず島に幽閉される危険性があるかどうかだった。船があるならば万一の事態にも逃げ出すことはできるだろう。館に閉じこめられれば話は別だし、船に何人乗れるかどうかは別の問題を引き起こしそうではあるが。
マロウに尋ねてみたところ、特に島の中で禁忌とされている場所や立ち入り禁止の場所はないという。
「姫さまが、おまえの物語を許したんだろう?」
そう言って捻れ角をつけた男は興味なさげに顎をしゃくったのだった。ルーサリウスにしてみれば、これで島の外を取り仕切る男からの許可もとれたことになる。不用意に出歩いて余計な揉め事に巻き込まれるのだけは勘弁であった。
ぱたん。軽い音はルーサリウスが手帳を閉じた音。
「住人があの姫さまたちと使用人、4人しかいないというのですから、そう大規模に交易しているとは考えにくいですが……まずはその入り江を確認してみましょう」
「《クラード・エナージェイ》も、きっとそこに流れ着いたに違いないわっ!」
ルシカは両手のこぶしに力を込めて力説した。
■Scene:花園迷路(2)
森の中。
ゆるゆるとスティナが歩く。細い小道のあちこちに、彼女の視線はさまよった。歩くたびに片方だけの白い翼がひょこひょこと動く。どこか、風に飛ばされてしまいそうな危うげな背中である。
「それでルシカさん。くらーど……というのは、探し人の名前なんですかー?」
「んっ、スーちゃん知ってる? 《クラード・エナージェイ》っていうのは人じゃなくて楽団の名前。メンバーは5人いてね。凄い素敵な音楽を奏でてくれる人たち。あたしの魂を歌ってくれる人たち……って、これはあたしが勝手に思ってるだけなんだけど。内戦に巻き込まれたらしくって」
名前を縮めるのはルシカの癖らしい。怒濤のように語り始めた彼女はそれでもふいにせつない顔を見せ、「ずっと行方が分からないの」と呟いた。
「だから彼らを探したい。彼らに会って、もう一度あの音楽を聴きたいの。でもジニちゃんやマロ君に聞いてもぜんぜん埒があかなかったし」
「じ、ジニちゃん……」
やりとりを無言で聞いていたグレイブが、思わず声を漏らした。
「うん。ここの人たちって、《大陸》のこと、情勢のこととか全然知らないみたいだよね? まあ《クラード》は、まだまだ知らない人のほうが多いかもだけど。帝国のこととか、内戦のことも知らないみたいだったんだよ? ねーおかしくない?」
並んで歩くふたりのランドニクス人も、そうだな、あるいはそうですね、とうなずいた。
クラウディウスはあちこちに、失われた部下の行動の手がかりがないか目を光らせている。ルーサリウスは地図を描きながらスティナの歩調に合わせている。
植生が独特だ、とは先から感じていたことだ。熱帯地方のそれに似ている。人の背丈よりも大きな椰子や羊歯が、行く先の視界を狭めていることがしばしばあった。
グレイブは小型の弓を手放すことなく、数歩離れて彼らに着いていく。装飾品として選んだ手袋は、もう指先を切って指を動かしやすいようにしておいた。
……本当に住人は、先に会った4人しかいないのだろうか。だとしたら、背筋にちくちくと感じているこの感覚は何なのだろう。まるで、追われる者になったみたいだ。
しかしグレイブは口には出さない。良くない目つきをいっそう険しくしただけだった。
森の中でひとり過ごすことが長い狩人にとっては、言葉を口に出して伝えるということが、ひどく面倒に思えるのだった。その部分において、グレイブとスティナはよく似ていた。
グレイブは小動物を狩って生計をたてていた狩人であり、その場合獲物となるのはしばしばスティナの「お友だち」なのだが、無益な殺傷をしないという点では、これまたふたりは似ているのかもしれなかった。
「みなさん。海が見えましたよ〜」
スティナの声は嬉しそうである。
それに最初に気づいたのはグレイブだった。彼は無言で駆けだしていた。
「あ、グレイブさん気をつけてくださーい」
狩人の目に映ったのは、白く輝く砂浜にしぶく波。
半壊の筏と、しがみついている人物であった。
「《クラード》!?」
ルシカも即座に後を追う。残りの者も浜辺へと急ぐのだった。
■Scene:未散花(1)
「……おい」
伏している人物に声を掛けるグレイブ。抱きかかえて起こすと、グレイブとは対照的な金髪の少年だ。白い肌が海の日差しに焼けて真っ赤にただれている。漂流者だ。
「足を持ってくれ」
「う、うん!」
ルシカのブーツが浅い波打ち際を駆けてくる。グレイブに指示されるがままに、その少年を陸へと運ぶ。
「……金髪が見えたから、《クラード》のボーカルかと思ったのに」
「こんなに若い野郎なのか」
ルシカは首を横に振った。演奏会で生の姿を見たことがある。ボーカルのティトナは、ルシカよりも年上だった。
この少年は、まだまだ幼げな顔つきをしている。ルシカより若いに違いなかった。まぶたや唇は、痛々しく腫れ上がっていた。この子はどんな思いをしてここまでやってきたのだろう。その苦痛を考えると、
クラウディウスは一目見て血相を変えた。
「新帝陛下……!?」
アンタルキダスの外見は金髪に抜けるような白い肌。聡明な瞳は灰まじりの青。側近を預かる若獅子騎士団員として少年皇帝に拝謁したとき、クラウディウスはその姿を目にしていた。
「まさか、この少年が?」
ルーサリウスは驚きを隠せない。一介の地方役人にとっては天上人にも等しい存在。
「すぐに館に運んだほうがよろしいですね? 私も少しなら薬草を持っていますけれど」
「ジニちゃんに頼もっか、そのほうがいいよね? ね?」
「手厚い看護が必要だ。くれぐれも丁重に扱っていただかなければ」
両足を水に浸したまま、ふとグレイブが空を見上げる。
突き出した崖のようになっている岬から、ちょうどマロウとリラがやってくるところだった。
■Scene:花園迷路(3)
助け出された少年は、館に運び込まれるや、クラウディウスにあてがわれた部屋の寝台に寝かしつけられた。スティナが持ち合わせていた薬草と、ジニアが持ってきた膏薬を塗布すると、少年の呼吸も少しずつ落ち着いてきたようである。
彼の持ち物を検分していたクラウディウスが見つけたのは、ぼろぼろに汚れた少年の肌着と帝国貨が少々、上着の裏に隠すように縫い止められていた帝国紋の懐中時計――海水が入って壊れている――である。
他にも、彼を落胆させることはあった。
島を歩き回ってもっとも探し出したかったもの、それは部下たちの足跡である。小舟をもやった跡、野宿に備えて定めた野営地の跡……浜辺を歩き回れば確実に残るであろうそれらの痕跡は失われてしまっていた。そして最も状況を難しくしているのは、船そのものが見つからないことだった。
「皇帝を得ても船がなければ戻れない」
「……そういうことですね、イギィエム君」
少年の休む寝台の傍らでしかめ面をしている騎士に、ルーサリウスはうなずいた。
「ここは不思議な島です。不思議なというよりも、奇妙な……と表現すべきですね。たった4人の住民で――旅人の往来はあるようですけれど、隠れ住んでいるといった雰囲気を感じます」
手帳を開くルーサリウスの人差し指には、大きな金の指輪が光っている。
「連絡手段は例の伝書鳩のみ、というところか」
かすれ声のクラウディウス。彼も薄々気づいていた。このすべての仕掛けは、自分が目にしたあの鳥に秘密があるのではないか。第一部下たちはあの鳥に気づかなかったのだ……。
「それもまた……謎です」
「謎? 伝書鳩がか」
「島をひととおり調べてみても、鳩舎がどこにもないのですよ」
描いた地図を示して見せた。南北に円弧が伸びている。島は細長い形をしているようだった。円弧がたわんでいる場所が、少年の流れ着いた入り江である。
自分が上陸した入り江と新帝の辿り着いた入り江。
果たしてそれらは同じ場所なのか。失った部下のことを考えると、そんな思いも胸をよぎった。
■Scene:未散花(2)
翌日、少年はわずかに体力を取り戻していた。
ふたりの使用人と旅人たちの見守る中、かすかに唇を動かした。
「……ここは」
ひび割れた唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「名前のない場所。あるいは《贖罪の島》などとも呼ばれるが」
マロウが答えた。
「……そう」
少年はまぶたを持ち上げようとした。顔を苦痛に歪めながらようやくうっすら開くことのできた瞳は、醜く灰色に濁っていた。
「……目が、見えない、な……」
「海で焼かれたのね」
ジニアが首を振る。膏薬はあっても、視力を取り戻す力は持たないのだった。
「お名前をお聞かせ願えますか」
柔らかな調子でルーサリウスが問う。答えがあった。
「……レオ。それだ、け……だ。覚えて……いる、のは……」
しきたりによる装飾品は、レオが自分で選ぶ必要があるのだとジニアは言った。
回復するまでのあいだは、目の見えない少年は飾りなしで眠り続ける。
第2章へ続く