「わくわくしちゃうよな、《忘却の砂漠》から来た《星見の民》だって!」
憧れに目をきらきらさせ、興奮した口調でしゃべるルーファ=シルバーライニング。
くりくりした瞳と短いくせっ毛の彼は、ここ最近毎日のように《精秘薬商会》にやってきて新たな飯の種を探し求めていたのだ。そしてついに胸躍る冒険にめぐり合えたのである。先週片付けてきた仕事というのが「錬金術師の家の掃除」という、めんどくさいうえにちっとも冒険の要素がなく、得意の戦輪の出番もなかったのだからなおさらだ。
これが喜ばずにいられようか、と普段は飲まないアルコールも勧められるままに口にしたりして、とにかくごきげんなのであった。
ルーファと同じテーブルについていた冒険者ダグザは、飽きることなく繰り返されるルーファの話を、うなずきながら、ときにはがははと笑い飛ばしながら聞いている。10年以上この世界に身を置く彼には、なかなか新鮮なのであった。
「錬金術師の家なんていくもんじゃなかった。動くホウキなんてまだいいさ。人工小人とけんかしちゃって。あんた知ってる? あいつら、やり口がきたねーんだ。俺は知らずに踏んじゃっただけなのに、陰険でさー……」
身の丈2m近くのダグザの巨躯と華奢なルーファが並ぶ姿は、どことなく巨人と子猫といった雰囲気だ。ダグザはルーファのカップが空いたのを目ざとく見つけ、次の酒を注文した。
本当は常連客のひとりに会えるのを期待して来たのだが、今日はどうもあてが外れたらしい。しかしまあ、子猫の相手も悪くない。
彼のペースもいつもより早いようだ。
冒険者たちがたむろする《商会》の酒場は、今日の剣士の話題で持ちきりである。夕方までの雷鳴と土砂降りは、ランプを灯す頃になって少し落ち着いていたものの、やむ気配もないので冒険者たちは長居を決め込んだようだ。依頼人の剣士パレステロスは旅の疲れが見えたため、店主の気配りで2階の寝室で休んでいる。
「砂漠の夜魔って、どんなヤツなんだろうな」
「きっと《大陸》じゃ見たこともないような魔物だぜ!」
伝説を肴におだをあげる歴戦の戦士たちに、少年組はまた鼓動を高鳴らせる。晩遅くに店に来た者などは、《星見の民》の頬の朱印を見れなかったことを悔しがり、一目でいいから顔を見たいと2階へ侵入しかねないのを、階下でツェットが引き戻すというありさまだった。黒猫アインはカウンターの上の指定席で、耳の後ろをかきながら例の本を読み耽っている。
「(《星見》……天の星座の位置と輝きから未来を読む……ふうん……)」
その時、階段を降りてくる軽やかな足音がした。
店中の注目を浴びながら姿を見せたのは、歌姫グリーン・リーフ。豊かな黒髪を腰までの三つ編みにしている彼女は、そのおっとりとした雰囲気にそぐわず、幾度も重ねた冒険で薬学や治癒の術を心得ていた。
《星見の民》登場を心待ちにしていた者をがっかりさせてしまったことに申し訳なさそうな表情を浮かべて、
「もう大丈夫。うなされていたようだから、安眠の処方をしてきました。見かけよりもずいぶんと衰弱なさっているようでしたわ」
「ホント、ヨロイを脱がせるの苦労したヨ!」
細身のグリーンの陰から大きな緑のリボンが、その次にピンクのポニーテールがぴょこりと顔をのぞかせた。手にはしっかりとくまのぬいぐるみ。幼いながらも回復の魔法を身につけているサーチェスは、自分の力を発揮することができて満足そうだった。
「ジャニアス、貴方の薬も役にたちましたわ」
グリーンの声に、酒場で大きなジョッキをあおっていた男ジャニアス=ホーキンスが片手をあげて応えた。
「当然やんか、ウチの薬は死人も生き返らすんで有名なんやで。それよかジャンて呼んでくれて、いうたやんか」
低いけれども、にぎやかな酒場でも通る大きな声だ。ジャンことジャニアスは彼女に向かってひらひらと手を振るが、
「パレステロスさんには今晩一晩ゆっくり休んでいただいて、出発は明日にしませんか、ツェット?」
さらりと話がツェットに流れたため、目が合ったサーチェスに仕方なしにその手を振りなおした。
本当は一刻も早く旅立ちたいところだったツェットもうなずく。
「わくわくしちゃう……《忘却の砂漠》から来た《星見の民》だって……」
ろれつの回らなくなってきたルーファがことん、とテーブルにあごを落として寝息をたてはじめた。
「やれやれ、今日もだめだったか」
隣でダグザは、グリーンの後姿とルーファの寝顔をかわるがわる眺めていた。
翌日。
雨は夜半にあがり、朝日がさしこむ寝室に最初に来たのはクロード・ベイル。そばかすが浮かぶ小鼻をこすりながら階段を2段とびに駆け上り、寝室の扉を力強くノックした。
「おっはようございますパレステロスさんっ」
いらえも待たずに扉を開け、部屋にとびこんだクロードが見たのは、すでに身支度を整え、ベッドの端に腰を下ろして大剣を磨いているパレステロスの姿だった。
クロードの声が耳に届いているのか、パレスはひたすら剣の手入れを続けている。
「あの、おはようございますー……」
遠慮がちにもう一度声をかけると、パレスはようやくクロードに目をとめた。背伸びをしながらカーテンをあけると、小気味いい音と共に真っ青な空と朝日が部屋に満ちる。
「夕べの雨は上がって、いい天気! さ、みんな階下で待ってるんですよパレステロスさん!」
「わかった、行こう」
立ち上がるパレスの背中をクロードが押した。
そして、ツェットの呼びかけに答えて集まった仲間たちは、昨日よりもかなり増えていた。
指折り数えて11人。
最年少は、ピンクのポニーテールのサーチェス。パステルカラーの衣装は、まるでこれから旅芸人の興行に行くかのようだが、踊り子たる彼女には、このほうがしっくりくるらしい。東方の道衣のように体も袖もすっぽり隠れているものの、足さばきはいいように工夫されている。リクエストに答えてさっそく踊りのステップを披露している。色がくるくると混じってきれいだ。
その次に若いのは13歳のクロード・ベイル。朝早くから元気いっぱいで、好奇心も人一倍だ。語り部として世の中の不思議を見聞きするために、いの一番に《忘却の砂漠》行きを志願した。腰には二振りの小剣が携えられている。ときどき腰に手をあてて、剣を確認するのがクロードの癖だった。
「悪いやつなんだろ、《夜魔》って。人を傷つけるようなやつは許さない!」
トリア・マークライニーはツェットもよく知っている。明るい栗色の髪に帽子をかぶり、ショートパンツが活動的だ。ほとんど旅の空で暮らしてきたという彼女は、ずっと師匠といっしょだったため、ひとりで冒険の扉をくぐるのはこれがはじめてだ。しかし緊張というよりも、その表情にはこれからの期待が溢れていた。
ルーファ=シルバーライニングは重い頭をひきずるように店に現れた。
「うー、ちょいと調子に乗りすぎたぁ……」
しかし、何としてでも《星見の民》をこの眼で見たい。《剣》たるパレスの剣技も見たかったし、ここは気分が悪いくらいで遅れをとるわけにはいかないのだ。
気づいたダグザが
「ごめんな、ぼうず」とまたぐりぐり頭を揺らす。
重戦士シウス・ヴァルスも、名乗りをあげた。「俺も行こう」と無骨な手を差し出す。
ツェットはしっかり握り返した。ごつごつした手。ちらりと武器を見るが、それは見たことのない形の大きな刀剣だった。刃の部分が1m以上、木の柄も同じくらい長い。
「ああ、これかい。俺の相棒《ロンパイア》さ。こいつとなら、《砂漠》でも煉獄でも、どこでだってお前たちを守ってやれる」
低い声には自信が溢れて見えた。
「私も同行させていただこう」
さらさらと黒髪をなびかせ、美人剣士が店にやってきた。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳が、白い服と薄緑の鎧といういでたちのなかでひときわ目立つ。アーネスト・ガムラント、二刀流の達人だ。
アーネストの脇差を眺めて、自身も二刀流であるクロードは、いつか自分もああなるぞ、と誓っていた。
「《星見の民》に会えるならば、是非とも尋ねたいことがあるのだ。力になろう」
ベテランの戦士たちもたくさん加わってくれていることに、アインは安堵していた。
「なあに、ぼっちゃん嬢ちゃんだけで行かせるわけにはいかないさ。さすがの俺もまだ《忘却の砂漠》には行ったことがなかったし、こりゃ腕がなるぜ」とダグザ。
ジャンことジャニアス=ホーキンスも朝早くから店で待っていたひとりだ。褐色の肌に、白い髪、サーチェスにも負けない派手な衣装。
彼はひとりパイプで煙草をくゆらせて様子を見ていたが、
「これ飲んどき」
とルーファに薬をぽんと投げた。
「効くで〜。1時間後にはまた飲みたくなる薬や。
《星見の民》もウチの薬使てくれんかな。他に入り込んでる商人もおらんやろから、行く価値アリアリやな〜」
そういって、新たに店に来た美人に手を振る。
やってきたのははじめての客だ。腰までの金髪のウェーブヘアが、ぱっと店内を明るくした。ジャンに軽く会釈すると、
「《忘却の砂漠》にいくって聞いたんだけど、私も一緒にいいかしら?」
にっこり笑って、マントの下の片手剣をちらりと見せる。
「ちょっとだけ、剣の心得があるわ」
「うん、もちろんよ〜」
「私、グレイス=アーリア。よろしくね」
ツェットはその白い肌と波うつ金髪を見て、不必要にどきどきしながら握手で答えた。
「面白そうなことをはじめるじゃないか、わたしも仲間に入れてもらうよ」
白衣の学者、アイリは商売道具一式とともに店の一番いい席に陣取っている。
彼女はアインと仲がいい。ツェットはよくわからないが、神話時代の宝物の紋章についてだとか、月と星の位置の相関だとか、そういうことでよく議論もしているらしい。
「うん、ノートに眼鏡に替えのレンズ……」
「(あれも必要だぞ、サンプルをいれる容器)」
「あーわかってる。猫に指図されなくても忘れないよ」
アイリは興味がないものには頼まれても動かない。今回は、たまたま《忘却の砂漠》関連に夢中になっているところだったのだ。
「(まさに渡りに船。砂漠にらくだ)」
「つまんないこといってるなよこの猫。ま、研究所の中で書物をあさってんのにも飽きたところなんでね。護衛付きで砂漠にいけるチャンスなんて、もう来ないだろうしさ。おい猫、その本見せとくれ」
「(俺が読んでるの!)」
「あとまだ声かけたやつがおるんやけどな〜まだ来んなあ」
ジャンがふうっと煙をたなびかせてつぶやいた。
「あー来た来た。おおい、ガガ!」
「ジャン、ガガ、来た」
体をかがめてやってきたのは身の丈2.5mのまさに巨人。ぼさぼさの頭に小鳥をとまらせている。その岩のような肌をぽんぽんとたたいてジャンが言った。
「なあツェット、こいつ、自分の故郷を探したくて旅してたんだ。《星見の民》なら、分かるよな? きっと。連れてってやってくれよ。力もあるし、働き者だぜ。な?」
「ガガ、行く。探す!」
とまっていた小鳥がピチチチと鳴きながら店の中をはばたき、ぐるりと回ってまた扉から出て行った。
これで11人。パレスは知らず目を丸くしていた。いちどにこれだけ多種多様な冒険者たちが集まるのは、《商会》でも珍しいことかもしれなかった。
「お前が今回の依頼者かい?」
シウスが立ち上がり、不躾にパレスを見た。胸と背中を鉄のプレートで武装した赤銅色の肌には無数の傷が走っている。パレスを見下ろし、手を差し出した。
「よろしくな」
パレスは一呼吸おいてシウスの大きな手を見、それから顔を上げて彼を見て、握手を返した。
「こちらこそ」
シウスはその手を力強く握り返した。赤い跡が残るくらいに。
「おはようございます、これでおそろいですか〜?」
厨房からエプロンをつけて登場したのは魔導師アゼル・アーシェアだった。ほかほか湯気をたてているのは特製ホットケーキ。朝ご飯のかわりのつもりらしかった。
「《砂漠》に行っちゃったらしばらく食べられませんからね。ほら、パレスさん、召し上がってください。こういうのも《大陸》の味なんですよ」
何枚ものホットケーキを手早く切り分け、配って歩く。パレスが一口ほおばった。
「シロップはねぇのかよ、シロップは!」
かすれるような低い声はシウスだった。
「ないわけないでしょう、はいはい」
トリアは早くも二切れ目に手を伸ばしている。その様子を満足げに見守るアゼル。
「飲み物はこちらよー」
続いて奥から出てきたのは、お湯を借りていたグリーン・リーフだった。
持参のティーセットを幸せそうに並べて、人数分きちんと特製紅茶をふるまった。
「(なーんかのんびりした旅立ちだなぁ、この瞬間にも《砂漠》では《夜魔》が暴れてるかもしれないんじゃないのかよ)」
「ん〜おいし」
ツェットは聞いちゃいなかった。