3.La rivière du sang

 見渡す限り、砂ばかり。風が吹くと姿を変える砂丘では、らくだの足跡もすぐにかき消えてしまう。中天にかかる月の光は、満天のはずの星もあまり見えないほどこうこうと明るい。

 アゼルの提案で、砂漠を移動中にも常に戦闘態勢がとれるよう、グループ分けがなされていた。
「う〜ん、そういうの、苦手なんやけどなァ」
 ジャンだけが自信なさげにもらしたものの、剣士たち、魔法使いたち、子供たちそれぞれが自分の得意な戦法で戦えるように、らくだや荷物の位置も話し合っていた。
「ま、この策が役立たんことを祈らせてもらうで」
「念には念ですよ。ジャンさんだって、こんなところで骨をうずめたくはないでしょう?」
「なんや脅す気かいな自分!」
 それでも、日頃単独行動が多かったジャンにも、何か違う意識が芽生え始めている。

 一方アゼルはなんとか自分のいる位置を把握しようと、毎日星を見ながら計算していた。
 アイリの持ってきた方位磁針はふらふらと揺れ続けてひとところにとどまろうとしない。温度計の方は毎日激しく寒暖をいったりきたりして、こちらは正しく機能しているとすると毎日体温が沸騰しそうな酷暑の世界に身を置いていることになる。
 砂中の行軍も数日で慣れた。
 移動は日が沈んでから。肌を焦がす太陽がでている間は休む。快適なキャンプとはいえないまでも、グリーンがかかさず淹れてくれるお茶がみなの心をくつろがせた。
 グリューン自慢のらくだたちもさすがに慣れていて、冒険者たちのいうことをよく聞いた。らくだたちが踏みしめる砂が少しずつ堅い感触にかわる。

 もうじきに日が昇るというころ、彼らの目の前に、砂漠を貫く大河が姿を現した。《朱の大河》というらしい。
 中天にはかすかに上弦の月が残っている。
「川っていうから、こう、砂のなかをちょろちょろって通っているやつを想像してた」
「立派なもんだな」
「なぜかは知らないが、ここの地形だけは砂漠の中でも変わっている。岩盤が露出してるんだ」
 足下はずぶずぶとめりこむ砂ではなく、堅い大地である。幾重にも折り畳んだような岩岩がごつごつと構え、その間、はるか下を滔々と水が流れゆく。これでは川というよりも渓谷である。岩の色は赤茶けたものもあり、黒っぽいものもある。切り立った崖は水面まで何十mあろうか。

 ルーファが岩肌によじのぼってのぞきこんだ拍子にからりと乾いた音をたててこぼれた小石は、耳をすましてみてもぽちゃんという音は聞こえなかった。川幅も広い。一呼吸では半分もわたれないだろう。
 水面は崖を映したり空を映したり、見る角度によって色が定まらない。赤土の崖を映すとなるほど、名前のとおり朱に染まったように見える。
 ジェニーはひさしぶりに元気な大地の精霊の力を感じていた。砂漠にはいないと思っていたのに。
 しかしどんなに集中しても、水の精霊の力は感じない。あるいは弱すぎて、届かないのかもしれない。

「この川はどこまで続くんだ?」谷をのぞいてバードも尋ねる。ジェニーが落っこちたらどうしよと考えながら。
「しばらくいくと、砂丘に飲み込まれる。水はオアシスとなって何カ所かに湧いている」
「生き物なんかいないの」
「夜魔がよくこのあたりに出る。ああ、きっと今は大丈夫だ。いつも現れるのは夜だからな」
 パレスの言葉に不安になって、ファーンははるか先を見渡した。朝焼けにたなびく雲。遠くて風が強く渦巻いているようだ。
「あれ、竜巻?」グレイスも目をこらした。砂が宙に舞っているように見える。
「この距離じゃ逸れるはずだが……気をつけろよ。巻き込まれたらどこにとばされるかわからんからな」
「今日はここで野営になるのかしら?」
「あの先に、ちょうどいい岩のくぼみがあったよ」めざといクロードが答えた。

 日が高くなってきた。じりじりと影が短くなる。岩陰は全員が入れるくらいの広さがあったので、交代で番をしながら休む。ジャンが虫除けの香を焚いた。
「教えてもらえます? 《夜魔》のことを」
 グリーンが、アインの背をなでながらたずねた。パレスは瞳を閉じたまま、剣に体をもたせかけて答える。
「俺の友人も、この前やられた。大陸にも魔物はたくさんいるだろうが、《夜魔》は違う。砂漠にすみ、砂の力を自在に操るようだ。詳しくはわからないが、ずっと昔から、何度も《夜魔》は出現していると聞いた。ただここ数年はとみに出現の割合が高いのだと。俺もそう思う。小さい頃は、《夜魔》なんておとぎ話だと思っていたからな」
「俺たち大陸にとっての、星見の民みたいなもんか」
「剣はもともと星見の民を守るため組織されている。小さい頃から武勲をたてたものが志願する。この剣は、砂漠の韻鉄をけずりだして作った由緒ある剣さ」
「《夜魔》と戦ったときの様子を詳しく教えてくれないか」とダグザ。手にはどこから出したか酒瓶がある。パレスにも飲め、と突き出すが、彼は首を振って話を続ける。
「あのときは、《剣》が10人。3人一組で、襲われたと報告があったところへ向かった。砂が真っ赤に染まっていた。襲われたやつの体はあとかたもなかった。そして砂の中から突然、大きなとかげそっくりのやつが現れた……」
 体長はおよそらくだの5倍。長い首の先にらんらんと光った二つの紅玉。砂色の巨体。
「斬りつけても斬りつけても、体表をさらさら砂が流れるばかりで、ちっとも傷をおわせられない」
「剣たちは、魔法はつかわないの?」
「星見の民には魔法は伝わっていない。砂漠じゃ魔力が不安定だと聞いたことがあるが」
 ジェニーがうなずいた。
「さっき、そう思ったわ。精霊たちの力のバランスが、見たことないくらいくずれているの」
「そして、世にも恐ろしい咆吼をあげたと思ったら、姿が消えていた」
「それはいつ頃の話?」
「一月もたっていない。そして《姫》の星見に、力を借りよとのおつげがでた」

 ルーファは夢うつつであったが、ふとツェットの言葉がよみがえった。
(星見の姫って、なんでうちの店のこと知ってたんだろうね?まさか、主力商品の《ファイアグラ》をご存知だったわけじゃないよね〜)
 うーん、ほんとになんでだろうな?
 またルーファは短い眠りにおちていく。

「そうだ、聞こうと思っていたの」フィーナが自分の番とばかりに飛び起きた。
「星見って、どうやるの? あたしにもできる?」
「どうだろう……今はもう空が明るくなってしまったけれど、見えるか? 天の中心、万極星という星がある」
 パレスは遠く北の空を示した。フィーナには、その光はまだ見ることが出来ない。
「ほかの星の位置は、暦によって動くけど、万極星は常にそこにある。万極星とほかの星との位置関係から、法則を読みとるのさ」
「学問だね」とアイリ。天星魔術師という者たちが使用するという魔法ににているな、と思った。この類似については改めて資料を集めなければ。
「そうともいえるかもしれない。我々にはひとりひとり、守護星がある。その星の力をより強く身体に受けるために朱印をいれる。成人の証だ。その力を身につければ強くなれる」
 それを聞いたフィーナはなにやら考え込んでいる。星見の力を身につけたいのだ。
「話を聞いた限りじゃあ、あんまり詳しいことがわかるとも思えないんだけどねえ」
「星がウンメイを決めてるわけじゃないんでしょ〜」
「そうだな。姫は先を見るだけだ。すべての先を」

「ふうむ、気になるんだよな」
 ごく、と喉をならして酒を飲み、ダグザはアインに話しかけた。
「お前はどう思う?」
「(……どうって、夜魔のことか?昔からいるんだとしたら、すごく長生きだよな)」
「でも、最近よく出現するようになった、と。現れた場所は川近く。まだ星見の里を襲ってはいないんだろ? アゼルが起きたら、地図を作ってもらうか」
 ごろりとマントの上に横になりながらも、ダグザの胸のもやは晴れない。どうもすっきりしない……。

 グリューンはすぐに目覚めた。どうも不安な感じがとれないのだ。緑の瞳をこらしてあたりを見渡す。ごつごつした岩と川さえ視界に入らなければ、故郷の砂漠と変わるところはないように思えた。グリューンの生まれた砂漠ははるか南にある。砂はいつも彼のそばにあったが、こわいと思ったことはなかった。
 《忘却の砂漠》は大陸の民を拒むというけれど、それならば自分はむしろ歓迎されるはずだのに。グリューンの血を刺激するものがある。悪意?いや、ちがう何か。別の方向に目を転じる。パレスがいったとおり、竜巻は遠くにそれたようだ。
 ツェットの寝顔が目に入った。砂漠鼠がちいちいと鳴きながら、背後の岩をつたってどこかへ消えた。

Escarmouche Préliminaire