突然だった。
先を急ぐ一行の目の前に一陣の風が渦巻いたかと思うと、たちまちのうちにそれは大きな竜巻に変わり、ごうごうと音をたててあたりの砂を巻き上げはじめた。らくだたちは目をつぶってその場に立ち止まり、がんとして動かなくなってしまった。ご丁寧に耳までぴったりふさいでしまっている。
「まずい、伏せろ!」
パレスの叫び声も、風の渦巻く音にかき消されていく。満月に照らされていたため、明かりを灯していなかったのも裏目に出た。視界を奪われた冒険者たちの耳には、砂と風の音しか聞こえない。大陸の民を拒むかのように襲い掛かった竜巻は、しばらくあたりを荒れ狂い続けた。
「(こわいよ!)」
「(目も耳も痛い!)」
「動くな!通り過ぎるのを待て!」
じゃりじゃりの口の不快を我慢して、シウスは年少組に声をかけ、少しでも自分の巨躯が盾になるよう体をずらした。胸も背中も鉄のプレートで武装しているシウスは、愛用の大剣ロンパイアを構え油断なくあたりを注意している。
アインは飛ばされないように、ちゃっかりグリーンのクロークにもぐりこんだ。
そして現れたときと同じように唐突に、竜巻が止んだ。
風とともに踊りつづけていた砂はまるでスローモーションのように一瞬空中で静止し、また大地へと戻っていく。緊張でこわばっていた体の力が抜け、一行はようやくらくだの上に身を起こした。
『ぐぉあぅああああああああああああああああああああ』
そこに、それがいた。
誰が声をあげたわけでもないが、その場にいたみなが瞬時に理解した。
(これが、《夜魔》だ!)
砂色の体表は、さらさらと流れ変幻する砂そのものでできているかのように見えた。
らくだに乗ったガガのさらに倍はある高さに、目らしきものが二つ、血の赤に光って見える。
長い首を下に向け、その二つの紅玉が一行を凝視した。
大きすぎ、近すぎてその全体はよく分からない。
満月の光を全身に浴び、それはまた咆哮をあげた。
『うぐぁああああああああああああああ』
なぜか、その咆哮は、うれしそうに聞こえた。
と、サーチェスは思った。肌が粟立つような恐怖と、全身に針を打ち込まれたような苦痛を同時に感じながら。
「援護を頼む!」
パレスがその剣を抜き、動こうともしないらくだの背を足場にして《夜魔》に切りつけた。
ばっと体表の砂が舞い上がる。
「まかせて!《虚空の風よ、非情の手をもて……》」
ツェットが続いて風刃の呪文を唱えたが、ちっちゃな真空の刃が砂をえぐっただけに終わった。
「う、風の魔法じゃだめか〜」
「ウオォ!」
負けじとガガがその手に手甲をはめ、首の下と見える部分に殴りかかった。
「みんな、こっちへ!あいつから離れて!」
懸命にアゼルが子供たちを誘導する。とにかく距離が近すぎた。
「こりゃ食材にしてもおいしくなさそうですね」
子供たちを守りながら、防御のルーンを宙に描く。
「《内に眠りし炎の力よ……》」
ジェニーが火球の呪文を唱えはじめた。慣れているはずの初級魔法だが、緊張しているのと砂が目に入るのとでうまく集中できない。しかたなく、目標をしっかり定めて目をつぶる。
「危ない!」
呪文の完成と同時にバードがジェニーをつきとばした。
「きゃあ!」
ばふっ、とジェニーはらくだから落ち、出現した火球はあさっての方向に飛んでいく。
そしてブン! と風を切る音。さっきまで彼女がいたところをなぎ払う、砂の爪。
「なにコイツ、爪まであるの!」
「ジェニー、大丈夫か?」
髪を乱して心配そうに娘を覗きこむバードの真剣そうな顔に、思わずジェニーは微笑んだ。
「あたしのことはいいから、早く、パレスさんを」
「あ、ああ」
よくできた娘だ、と思いながらバードも漆黒の剣をすらりと抜き、戦列に加わった。
「知性があるかどうかだな」
冷静に戦況を見極めるグレイスには、《夜魔》の全貌が見てとれた。
たとえるならば、砂から生まれたとかげ。あるいは竜。身の丈は5m近い。月光をさえぎって立つ様は、神話の時代の生き物を思わせた。
「こんなのたしかに見たことないな。ふーん、来た甲斐があったね」
興味津々といった口ぶりのアイリだ。腕には覚えもあるのだが、彼女の体術が砂相手に効果があるかは分からない。もうしばらく観察を続けることにする。
「ウー、コイツ、体、ない!うがー!」
先ほどから《夜魔》に打突攻撃を加えていたガガが叫んだ。
どうやら殴る手ごたえはあるものの、体表の砂が邪魔をして有効なダメージを与えていないようだ。
「腹じゃだめだぜガガ!どっかに弱点があるはずだ」
「ウウー」
「(それにしてもちょいとこいつは苦戦するかもな。《剣》たちの手に負えなかったのも分かる気がするぜ)」
ダグザが今まで相手にしてきたどんな魔物とも、《夜魔》は違うように思えた。
「面白いことになってきたじゃないか?この俺が、こいつを倒してみせるさ!」
「パレステロスさん、大丈夫ですか?」
グリーンが、爪に投げ飛ばされたパレスに走り寄ろうとしたが、砂に足をとられて思うように進めない。
「ああ、大丈夫だ……」
答えるパレスの目には、今までにない憎悪が燃えていた。
アーネストの太刀が、月光をきらりと乗せて一閃した。業物《心羅》。上段に構えて切りつける。もう片手には、小太刀の《冥羅》。自慢の二刀流だ。
ずぶり、と手ごたえあって引いた手をまた返し、攻撃の手をゆるめない。
『うぐぉあぅああああああああああああああああ』
魂ごとつんざくような咆哮がまた響いた。アーネストの脳を直撃し、手を震えさせる。
そして、こころなしか、砂竜がひとまわり小さくなったような気がした。
「やったか!?」
「いや……逃げる気だ」
「そうはさせない!」
より激しく剣技を繰り出すアーネストに、砂竜は反撃もせず、真っ赤な瞳を閉じたかと思うとからだの中心から爆発したかのように砂を四方に飛び散らせ、消滅した。
現れたのと同じように、突然だった。
「倒したわけじゃないのね」
「ああ。残念ながら、な」
「ウウ、ガガ残念。あいつ強い」
あたりを見回し、被害を確認する。らくだが2頭逃げ出してしまったほかは、警戒していたこともあって大きなけがをしている者はいない。
「しゃあないな。次のときにケリつけりゃあいいだけのこっちゃ。どうせ今夜はもう襲ってこうへんで。ほれ」
ジャンが、らくだが放りだしていった荷物を拾って振り分け、
「けが人もおらんし、オレの薬もなかなか売れへんな」
とおどけた口調でつぶやいた。
「もうじきなんやろ、《星見の里》まで」
「明け方には着く」
パレスはむっつりと答えて、剣をかちりと鞘におさめた。
「ほらほら、そんな顔しないでよみんな。あと少しで《星見の里》なんだからさ。とりあえず僕はこの砂まみれの顔を洗いたいね」
それでも陽気にファーンが笑いかけた。ともかくも、最初の危機は乗り越えたのだ。
「もう、ほんとにファーンったらひどい汚れようね!」
ようやく一行に笑顔が戻った。あまりのあっけなさに、物足りない想いを抱えながらも。