第6章|遠い日の歌私は主の名を呼ぶ傷ついた心我が神よ憐れみたまえ主よ、人の望みの喜びよマスターより

私は主の名を呼ぶ

包帯を巻いてやれないのなら、他人の傷にふれてはならない


「何か忘れているような気がしてならないんだけどさあ」
とツェットが切り出した。彼女を囲んでいるのは騎士きどりのグリューンと、イェティカをつきっきりで護衛しているクロード・ベイル、そしていつもにこにこサーチェスである。 アインは仲間たちの間をぐるぐる回った後、クロードの膝に落ち着いた。
「ラステルさんも戻ってきたじゃん、あとはあのスケベ狼がこれ以上《星見の民》にめーわくかけなけりゃいいんだって」
 クロードがびしっと指を立て、ツェットに向ける。もちろん人差し指である。

「封印と神さまの話は?」
「それは、はっきりいって俺たちの手には大きすぎると思う」
「あ、やっぱり」
「だってわかんないことがまだ多いじゃんか。《金色の姫》が戻ってくるとかさあ、いかにも冒険物語にありそうだけど、あのスケベ狼が何を望んでるのかなんて、ホント直接聞いてみなけりゃわかんないって」
 まくしたてるクロードをあからさまにガキだなっ、と思っている目つきでグリューンが言う。
「甘い、あまいぜクロード! あんなやつ、スケベ狼なんかじゃない」
にこっとするサーチェス。しかし彼女の《おとーさん》に対して、グリューンはさらに容赦なかった。
「グリーンさんがいなくなっちまった。あのひと優しいからな、きっとあの狼のいいなりになってるに違いないぜっ。あのときグリーンさんも一緒に神殿にいたから、ずっと狙ってやがったんだ! そんなやつは、たらし狼に決定! たらし狼っ! 許さないからなっ」
 グリューンは熱く連呼する。サーチェスがグリューンの白マントをくいくいとひっぱった。
「どうしてぇ? おとーさん、やさしかったよ」
「そりゃあいつが女好きだからだ」
 きっぱりとグリューン。緑の瞳に固い意思。
「な、クロードもそう思うだろっ」
「ヤな奴ってのには賛成する」
 クロードは紅い短髪に手をやり考えた。英雄色を好む……イヤ、違うな。そうじゃなくって。
 どんな大意があるにせよ、人を利用して叶えようとするなんて最低だ。血のつながった姉妹を傷つけさせようとするなんて、悪役以外の何物でもない。それだけは間違ってるとはっきり分かる。
 そしてクロードは悪い奴が大嫌いだった。好きなものは、という質問には「腹いっぱい食べた後昼寝すること」と答えるあたりがクロードらしいのだが。

「スケベ狼、もとい、たらし狼がイェティカに何かするまえに止めなくちゃ」
 ツェットの言葉に、一同はうなずいた。
「あいつの目的をはっきりさせようぜ!」
「そうと決まったら……会わなくちゃ。会えるかな?」
「え、会いにいくの?わざわざ?」
 一瞬グリューンはひるんだ。いけすかない奴だけれど、あいつには思慮遠謀がありそうなのだ。手出しされない限り防衛に回ろうと思っていたのだが、ツェットがそのつもりなら、彼はそんなことおくびにも出すことはできない。
「あ、会えるとも。もちろん」
 グリューンはクロードと同じ緑色の瞳をごしごしとこすった。グリューンの身に流れる砂漠の王族の血。それは、敵と認識した相手の在処を教えてくれるのだ。眉間に片手をあてて目をつぶる。ほんの少し、「うわぁグリューンってスゴイんだぁ〜!」という展開を期待して。
「あっち、じゃないかな」
 ぼそっとつぶやいたクロードは、北東を指した。
「サーチェスもそう思う〜おとーさん、近くにいるの」
「えっ、わかるの? みんなすごーい!」
 そうして一行は銀狼のもとへ向かうことにした。

 警備に巡回しているシウスやアーネストとすれ違い、里の門をでたところにパレスがいた。
「この砂嵐の中、どこに行くだって?」
「いや、黒幕のトコに」
 いつものように深い深いしわを寄せて、剣士はひとくさり4人と一匹を眺めると、ため息混じりに同行すると言った。グリューンは無言でほっぺたをふくらませた。
「おまえたちだけで外に出して、何かあったら里長に申し訳がたたないからな」
 それはパレスの精一杯の優しさだったのかもしれない。語り部に商人、踊り子、店番に猫。どう考えても戦闘向きのメンバーではなかった。

 サーチェスとクロードはたしかに、間違うことなく彼らを銀狼のもとに導いた。グリューンもふたりの不思議な力を認めざるをえない。自分の《邪視》が告げる方角と同じなのだ。
「グリューンおにいちゃん、どうしておとーさん、イェティカちゃんをねらうのかな。サーチェスには優しかったのよ、ほんとなんだよ。イェティカちゃんのおとーさんもおとーさんなら、サーチェス、イェティカちゃんの家族なのに。どうして?」
「イェティカを狙うのは銀狼じゃなくってディリシエ個人かもしれないぞ」
 パレスを気にしての小声で、グリューンは答えた。
「でもディリシエさんも、イェティカちゃんのおねーさんでしょう? どうして、きょうだいなのに、いやなことするの?」
 サーチェスの声に、前をゆくパレスが振り向いた。その目はじっと小さな踊り子に注がれている。サーチェスの額の朱印が、ずきずきと脈打ち始めた。
「(熱!)」
 アインが跳ねるようにして、クロードの腕の中から抜け出した。クロード自身も、自分がすごい熱を帯びていることに気がつく。この感覚は、《万極星の神殿》の時と似ている。あのとき流し込まれた塊が蠢いているのだ。
「出やがったな、たらし狼っ」
 二振りの剣の柄に手をやると、クロードは叫んだ。

 大きな銀の狼が、天を駆けてくるところだった。砂嵐はその勢いを弱めたが、いまだ砂漠には暗雲がたれ込めている。狼は大きく尾を一振りして、静かに降り立った。
「おとーさん!」
 すかさずサーチェスが、スキップしながらその毛皮に飛び込んだ。
「おとーさん、サーチェスの仲間がね、おとーさんのことたらしっていうの。たらしってなあに?」 「こ、こらっ、ちくっちゃだめじゃないかっ」
 グリューンは蒼白になりながら棍を両手に構えた。
「……ディリシエは?」
 クロードがアクアとフレアを抜いてたちはだかり、狼を見上げるようにして尋ねた。身体の内側からわき上がる熱は、我慢するのがぎりぎりの温度になっている。
 狼はその頭を起こすと、彼方に見える塔に視線を投げかけた。

 パレスがその隕鉄の剣を抜き放った。アインはツェットの背中にはりつくようにしてしがみついている。ツェットは狼に聞きそうな呪文をいくつか思い浮かべていたが、結局どれも使い物にならなさそうだったので、狼にずばっと切り出した。
「ディリシエさんは、ラステルさんを返してくれたわ。そしてあたしたち(の仲間)が、彼女の心もまっとうに連れ戻した。あんたたちが何をしたいにせよ、これ以上《星見の民》をもてあそばないで!」
「そ、そうだっ」
 グリューンが続く。
「あんたは主を蘇らせて、それで良いかもしんないけどな……人にも心があるんだ! 目的のためだろうがなんだろうが、それをもてあそんで良いと思ってんのかよっ!? 冗談じゃないぞ、そのためにどれだけの《星見の民》が涙を流してると思うんだ!」
 脳裏にイェティカの涙が浮かんだ。そして、美貌のディリシエの哄笑。あの笑いはいまにして思えば、ディリシエの心の裏返しのようにも見えた。
「出てこい、って思ったらホントに出てくるんだなスケベ狼め!」とクロード。心の迷宮の中で剣を振るった時のことを思い出しながら叫ぶ。
「《金色の姫》を降臨させて、それからどうするんだ? やりたいことがあるならはっきり言えよ! イェティカがほしいならその理由を言え! 言えないってことは、悪いことなんだろ、そうなんだろう! ディリシエをあんたが操ってるんなら、すぐにやめてくれ。イェティカの望みなんだ。家族いっしょに暮らすだけでいいんだ。ディリシエ、血がつながってるんだろう! お願いだから、叶えてやってよ。あんた、みんなの《おとーさん》なんじゃないのかよ!」
 どくん。塊が脈動した。

 パレスが剣の刃に指をすべらせながら、静かに口を開いた。
「10年前……ディリシエが教えてくれたことの意味が、たった今、ようやく分かった。あんたは俺たちを、自分のためだけにつくり、利用し、そして捨てるつもりなんだな。すべて計算ずくで」
『だったら、何だというのだ、小僧』
「あの晩、ディリシエが消えてから、俺は何ヶ月も探し回った。夢では何度も見つけたのにな、洞窟の中を、飛び回る鳥を。だが……見つからないわけだ。あんたが手駒にするために、ディリシエをかくまっていればな。砂漠で命を落としたのかと……思えればまだよかった」
 ぎらり、とパレスの瞳に暗い炎が灯る。
『我が目が砂漠に行き届く限り、許しなく命を奪ったりはしない。だが』
 狼はその真っ赤な舌でぺろりと唇をなめた。
『子どもは例外だ』

「その子どもってどうなったんだよ」
 グリューンが声を張り上げた。硝子玉のような真っ赤な瞳がグリューンに向けられる。
『知りたいか? その子どもは生まれないはずの赤ん坊だった』
 グリューンはどうしようもなくいやな予感に襲われた。この先は、聞かない方がいいような気がする。
『未婚の《鏡》が自分のために呼び寄せた結果だからだ。あれの願いは聞き届けられた。恋しい男とともに過ごすこと。他のすべてをかけてそれを願ったのだから』
「なんだよそんなの、もったいぶって言うほどのコトか。そんな願いなんて、好きな人がいれば当然じゃねーか!」
「そうよねー」
ということはツェットも、そう、なのだろうか? 恋する少年の心はとっても忙しかった。
「《鏡》とか《あれ》とか……ひどいじゃんかそんな言い方!」
 クロードは狼の言い草に腹を立てている。
 サーチェスはさっきから、きょとんとしっぱなしであった。とてつもなく話が難しい。話題の中心がイェティカであることは想像がつくのだが、《おとーさん》が何をいいたいのかがさっぱり分からなかった。ただ朱印がずきずきする。

『子どもは《鏡》の《鏡》となって、母親を蝕んだ。願いにはかならず代償が必要だ。あれは呪詛を自分と自分の子どもにかけ続け、《星見の民》を捨てた。何の呪詛か、おまえにはわかるな? パレステロスよ』
「子どもには、何の咎もない!」
「分かったぞ」
 脂汗をにじませながらクロードが言った。
「ディリシエはあんたに、パレスとの恋を願ったんだな。そしてあんたはそれを叶えたんだ、そのときに授かるはずの子どもと引き替えに。でもディリシエはそれを知らなかった。ただで望みが叶ったと思っていたのかな? パレスも知らなかったんだろ。ディリシエが里を出た後、生まれる子どもを《利用する》ために、あんたは親子をかくまった。そしてディリシエは、お腹の子に力一杯呪いをかけ続けた。《星見の姫》なんて、とかそーいうカンジのことを」
 今度はサーチェスにもしっかり分かった。
「の、呪われちゃったほうの子どもは、どうなるの……」
 ツェットが両手で顔を覆う。
『どうなると思う?どうなったと思う?』
「ええっと、生まれてこない、かな」

 乾いた笑い声をあげたのはパレスだった。
「生まれるさ。それをあんたが利用しない手はないからな。何に代えても産ませるだろうさ。《呪われた子ども》。結構。それもすべてあんたのいいようになったってわけだ」
「まさかそれが、イェティカ?」
 ウオオオオォォン、と狼は一声吠えた。あたりの砂が激しく舞い上がり、冒険者たちの顔を刺した。
『満足したかね』
「それならなおさら、ディリシエとイェティカは一緒に暮らさなきゃ、だな!」
 クロードが剣を高く掲げた。攻撃は最大の防御。先人の教えを胸に刻んで、戦うつもりだった。
「できればあんたもね、パレステロス。他人事のふりはもうナシだよ。俺、みんなで仲良く幸せに……末永く暮らしました、ってせりふでこの物語を締めるの、決めてんだから」
『その細腕で刃向かうつもりか、幼い語り部よ?たいした気力だ。だがもうそれも限界に近いはず。どうだ、熱くてたまらないだろう』
 たらし狼の言葉に、かぶりを振るクロード。ここで素直にはい、なんて言ったら、自分もどんな目にあうかしれたもんじゃない。けれども、したたる汗までは隠すことはできなかった。
『どうやらおまえの方が適性があるのかもしれぬな』
「いらないいらない、力なんか俺、欲しくないから」
 次第にもうろうとしてきた頭でクロードはうち消した。
 そうだよ、俺の願いは、《星見の民》も《大陸の民》も、イェティカもディリシエも里長もパレスも、みんなで仲良く暮らすこと。できないことじゃないよね? 物語はやっぱ、ハッピーエンドが一番だもんな。悪いことしてない奴が幸せじゃなくなるなんて、俺、それだけはゼッタイ嫌だよ。

『願えばかなうぞ。その力が今おまえの中にある。その力の名前は、欲望だ』
 熱にうかされたクロードは、ふらふらと砂漠を歩き出した。

「やめろ、《大陸の民》を巻き込むな!」
 パレスの剣が一閃するが、太刀筋は狼の毛一本すら切り裂くことができなかった。
「(だめだよパレス、あんたらの武器は《父なる者》にゃ効きゃしない。おんなじ隕鉄だから!)」
 アインの言葉にかぶさるように、ツェットがささやかな風を起こす呪文を唱えたが、
「(ばかっ、こんな風の強い日に、ちょっとばかり風を強くしたからってどーなるっ!?)」
「くっそー、俺たちみんな、たらしの歯車だったのかよ!気分悪いぞーっ」
 グリューンがぐぐっとこめかみに力を込めた。《邪視》の力で狼の精神に直接揺さぶりをかけたのだ。
 花火のようにはかない映像が、次々とグリューンの脳裏に映し出されて消えた。緑の大地、銀色の髪の男、それをとりかこむ、3人の人物。そして倒れている里長と血を吐いているディリシエ。
『ウオオオオオオオン!』
「うわあああああああっ」
 絶叫をあげてグリューンが地につっぷした。その手からぽろりと棍が転がり落ちた。
『ディリシエを覗いたな?……あれの闇を払うことはできない。最後の砦を失ったようだからな』
 咆哮をあげながら、銀狼の片足がパレスの剣をはねとばした。もんどりうって剣士は倒れた。
 座り込んでいたサーチェスは、グリューンとパレスに駆け寄ると魔法の円陣を描き、得意の回復魔法《ヒーリングスマイル》を発動させる。ツェットが叫んだ。
「待ちなさいよ! クロードをどうする気!?」
『なかなか相性がよさそうだ。器になるかもしれん。ふん、そうか、小娘。おまえもそういえば神殿にいたな』
 きゃあっとツェットが叫ぶ間に、狼は高々とツェットをくわえあげた。
「おとーさん、サーチェスのちからじゃだめなの?」
『だめだ。おまえでは血が薄すぎる』
「まって、おとーさん。おとーさんはごしゅじんさまが戻ってきたら、いなくなっちゃうの? ごしゅじんさまと一緒にどこかへいっちゃうの? そんなことないよね?」
 狼は踊り子を一瞥した。
『おまえも来るか?』

 サーチェスが逡巡している間に、狼はさらにクロードをくわえ、駆け去っていった。
「(ど、どうしようサーチェスっ)」
 へたりこむアイン。サーチェスより早く、グリューンがそのしっぽをにぎりしめた。砂にまみれ激しい頭痛に苦しんでいる間に、彼の頭を包むターバンは解け、砂の上にするすると広がっていた。
「……あ」
 その隙間に見えた銀髪の束に気づいて、グリューンは、はっとそれを隠す。
「ツェットと、クロードを助けなきゃ。そんでもってあとはディリシエを……あの人に伝えなきゃ。まったく、とんでもねーたらし狼だよな……」
 消耗しきった少年は、深い眠りに落ちていった。

第7章へ続く


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