第1章|緩やかな流れ時の訪れ絡みだす夢守るべきもの《ミゼルの目》マスターより

2.時の訪れ


 自治都市ミゼルドでは、いよいよ大市が始まった。街の中心近くにある《精秘薬商会》に宿をとる旅人たちも多い。バウトはいつもより早起きして、旅人たちのための食事の準備に忙しい。
「食事まで、バウトさんがつくるの?」
 カウンターに両肘をついて、忙しく働くバウトの様子を眺めているのはアルティト。空の蒼を映したような半袖の服から覗く細い手足は、まだ子どものそれだ。空色の髪もあいまって、どこか青色の精のような雰囲気である。
「食事ったって、スープくらいだけどな。パンはパン屋で焼いてもらってるし、夜の食事や酒なんかも知り合いのところから仕入れるし……」
 バウトは、ずらりとスープが並んだトレイをカウンターに置いた。危ないぞ、と言われたアルティトは半身をずらし、頬杖をついたまま尋ねる。
「手伝ってあげようか?」
「結構。嬢ちゃんまだ若いのに仕事探しかい? 待ってな、支度がすんだら見てやるから」
「そこまで言うならしょうがないな〜。早くしてよね、待ってるから」
 アルティトは肩をすくめ、大きな木のテーブルについた。バウトに関われば、きっと何か面白いことが起こるに違いない。乙女の勘でそう決めると、アルティトは「何か」が起きるのを心待ちにした。

 テーブルでは、他の旅人たちもわいわいと雑談していた。中のひとりが、アルティトに声をかける。
「おはようございます〜。あなたもこちらにお泊りのお客さま?」
 ほわわんとした雰囲気の少女は、アルティトより少し大きいくらいだ。大きな帽子から、明るい茶色の髪がするんと伸びている。
「違うんだけど、こっちに来たほうが面白そうだから、宿を替えようかなって」
とアルティト。だって向こうの宿主はなんだか無口なおっさんだったの。バウトさんと一緒にいたほうがぜったい面白いわ。お仕事のこともあるし。
「ほむむ。わたしアルフェス。アルフェス・クロイツハール。よろしくです〜」
「私はアルティト。よろしくね!」
 よく似た名前の二人の少女は、すぐにうちとけて話をはずませる。年かさのアルフェスは、小さな獣たちをつれていた。鳥や犬、小猿が、アルフェスの帽子や服の間から、顔を出しては遊んでいる。アルティトは面白がって木の実を差し出した。小猿がそれをつかむと、するりとアルティトの服の中にもぐりこんだ。
 きゃあ、と身をすくめるアルティト。アルフェスが小猿のしっぽをつかみ、め、と叱った。

「神官さまは、まだかな?」
 魔道剣士ニクス・フローレンスは、聖地から来た神官が滞在中と聞き、ひとつからかってでもみるかと《精秘薬商会》に顔を出したのだが。
「セイエスなら、朝早く散歩に出かけてったぞ」
「やっぱりどこでも、坊さんの朝は早いもんなんだな。しょうがない、俺も特に予定がある訳じゃないし、待たせてもらうぜ」
 丸太を切っただけの椅子に腰掛けると、ニクスは《商会》の中をひとわたり眺めた。怪しげな品々が壁中を埋め尽くしている。額装された絵画の中には、ミゼルドの地図もあった。手持ち無沙汰に、馬車で来たルートを確認する。ミゼルドはいくつかの小高い丘に囲まれていた。車窓の景色を思い出しながら、自由交易都市なら、《街道》沿いにつくればもっと便利なのに、などと考える。
 ニクスは自分の右手を見下ろした。銀色の篭手が輝きを放っている。左手で篭手をそっとなで、ふたたび視線を地図に戻した。
 これだけでっかい市がたつんなら、篭手の秘密について、何か知ることができるかもしれない。淡い期待を抱きながら、青年は神官の戻りを待つ。思いはいつしか、今朝方の夢に飛んだ。見知らぬ少女……いや。面影はどこか娘に似ていた。そう考えるのは、感傷にすぎないのだろうか。


 ぼわーん。ぼわん、ぼわん。
 突然響いた、気の抜けた音に、旅人たちは眉をひそめた。
「何だ、この変な音」
「……ドアベルだよ、はいはいいらっしゃいませ、と」
 バウトはすばやく戸口にまわり、木の扉を引く。たしかに獣の置物のようなドアベルがついていた。
「趣味わるぅい」
とアルティト。悪かったな、とバウトは少女をひとにらみする。戸口に現れたのはセイエスだった。
「お帰り。何だかあんたをお待ちかねのようだぞ」
「それよりバウトさん……」
 セイエスの言葉は、隣の女性が発した叫びにかき消された。
「お願いっ! 神さま! た、たすけて!」
 自分の腕にかじりついている小柄な女性を、困った顔で見ているセイエス。バウトはふたりの顔を交互に見た。
「あんた、神官のくせにさっそくナンパしてきたのか? うちはお客どうしのトラブルはごめんだぜ」
 黒髪をおかっぱに切り揃えた女性は、すでに涙目だった。ぽっちゃりした体つきと愛嬌のある顔立ちが、セイエスの趣味なのだろうか、などと不謹慎にもバウトは考える。
「違うんですバウトさん。僕が歩いていたら、いきなりこちらのお嬢さんが」
「助けてほしいの。あの、《聖地》から来た神さま……神官さまがいるって聞いて、それであたし……あなたがホントに神さまみたいに見えて……女の子が……薔薇が……!」
「ま、落ち着きなって」
 バウトは彼女の背中をぽんぽんとたたきながら、スープを差し出した。

 女性はリヴ=スプリングハートと名乗った。踊り子だという。セイエスもバウトも驚いたことに、どうやら自分たちより年上だった。先ほどの様子では、もっと頼りなく、幼げに見えたのだが。
 テーブルについていた旅人たちも、がやがやと集まってくる。衆目を集めてしまったことで、リヴはそばかすの浮いた頬を真っ赤に染めてうつむいた。ああ、目立たないように、ひっそりと暮らすつもりだったのに。自分の奇行が招いた事態だということを棚に上げ、リヴはぎゅっと目をつぶった。
「僕を神さまだなんて、後生ですからやめてください。僕はただの神官です。それでも、何か相談事があるならお力にはなりたいと思います」
 セイエスはリヴの隣に座り、まだ吐息の荒い踊り子にそっと声をかけた。
「あたし変なんです。変な夢を見るんです。お願いします、助けてください。女の子がずっと謎の歌をうたってるの」
 神官は、はっと顔をあげた。涙に濡れたリヴの瞳が、セイエスの視線をしっかりとらえる。突然リヴは、がばとセイエスに抱きついた。
「お願い、このままじゃ仕事にもありつけないの。変な少女の歌が頭から離れなくて、だから仕事ください! なんでもする。お仕事ください!」
「あ、あの……夢のお話は伺いましょう。でも」
 どぎまぎしながら、セイエスは助けを求めてバウトを見上げた。バウトはやれやれと肩をすくめた。
「仕事なら、ないこともない。だからまず、落ち着けってーの」

 リヴがひととおり夢の話を終えると、ニクスも自分の夢について話した。
「俺も変な夢、見ちまったよ。黒い髪の女の子ってところも、なんかくれるところも、そのお姉さんと同じだな」
「ニクスさんもですか。僕も同じ夢を見ています」
 セイエスはまじめな表情で考え込む。
「あんたもか。こりゃ面白いな。きっと何か秘密があるぜ」
「お、面白い?」
 不安げなリヴの背を、ニクスは力強くたたく。
「そうさ。同床異夢というけれど、ここには3人も同じ夢を見た人間がいるんだぜ。探せばもっといるかもしれない。なぁセイエス、夢の景色に心当たりは本当にないのかい? 遠慮なく言ってみてくれよ。調べてみたいんだ」
「僕は《聖地》育ちで、これまで他の街へ出かけたこともありませんでしたから、心当たりもまるでありません。夢も、目覚めが悪いわけではなくて、むしろいい夢といいますか、不思議と懐かしい気持ちになるだけなんです」
 そして、見間違いかもしれませんが、と前置きし、セイエスは続けた。
「夢の少女によく似た女の子を、馬車の窓から見たように思います。たしか、ミゼルドに入る手前の森で」
「丘のところだな。詳しく聞かせてくれるかい」
 セイエスはうなずいて、思い出せる限りを話した。黒ずくめの大人に、手を引かれていたことも。黒ずくめの人物の顔は見えなかった。少女はおそらくアルティトよりも小さく、飾り気のない白い服を着ていた。
「ねえ、ニクス……それってお仕事?」
「あん? 単純に自分の好奇心。こんなことでさすがにセイエスから金なんてとれねえよ。な、セイエス」
 屈託なく笑うニクスを、リヴはぎこちなく眺めた。リヴにとっては、バウトもセイエスも、そしてニクスも、どこか余裕があるように見えたのだった。

「実は私も、その夢を見ているのです。……すみませんが、店主さん」
 控えめに声をかけたのは、それまでのなりゆきを黙して聞いていた少女だ。小柄で華奢なうえに、腰より長いプラチナブロンドが、彼女をより年若く見せている。彼女は自分をエルフィリア・レオニスと名乗った。
 呼ばれたバウトは、ぴくりと眉をあげてエルフィリアを見やる。
「店主さんは、その夢を見ていらっしゃらないのですか?」
 言いながら、少女はちいさな箱から銀色のカードを取り出した。
「……見た覚えはないな。忘れちまってるだけかもしれないが」
 その言葉は、どこか不機嫌そうだった。エルフィリアは細い指で、カードを切ってはテーブルに並べていく。彼女は占いを得意としていた。
「セイエスさんが、馬車から少女らしき人影を見たとき、店主さんは……」
「向かい合って座っていたから俺には見えなかった。森のどのあたりだったかくらいなら、教えられるがな。あんたたちが調べるなら、協力はするよ」
 エルフィリアがカードをめくった。十字の形の中心は、女帝。
「私も一緒に調べましょう」
 エルフィリアは、テーブルを囲む一同に微笑んだ。菫色の瞳には、こころなしか店主の表情が曇ったように映った気がした。

 ぼわーん。ぼわん、ぼわん。
 再び店の扉が開く。また新たな客人がやってきたのだ。バウトはこころよく彼らを迎えた。いかつい体格の、壮年に近い年の男性が二人立っている。
「《精秘薬商会》というのは、ここでよいのか。《大陸》中に顔が利くと聞いたんだが」
 いかつい筋肉質の男が、低い声で問い掛けた。もちろん、とバウトは答える。男はすっと目を細めた。無愛想な仕草と、体つきに似合わぬ軽装から、バウトはその客が刀剣を鍛える鍛冶屋と見て取った。客の返事より先に、言葉を続ける。
「うちは専門は薬だがね。あんたのお探しの武器防具も、いくらかは扱ってる。それに今は大市だ。ご要望とあらばどんな得物でも仕入れてみせるが、どうするね?」
「心強いことだ。俺はイリス。イリス=レイド。しばらく逗留させてもらう」
 ぶっきらぼうにそういうと、イリスは背中の荷物をごとんと置いた。金属片のこすれる独特の響きが店内に混じる。
「イリス、注文があれば何でもいってくれ。通好みのモノを仕入れるのは、俺にとっても楽しいんでね」
 イリスは太い腕を片方あげた。
「この店は宿もあるのかい?」
 それまで店内をきょろきょろ眺めていたもうひとりが、カウンターに身をあずけて尋ねた。
「店の奥が厨房で、上が寝室だよ。ちなみに地下は店の倉庫だ。おういイリス! あんたも泊まりなら、宿帳に書いてってくれよな! ……ああ、失礼」
「いいね。私はアーサー・ルルク。良い宿と店を探していたんだが、まったくこの店はおあつらえむきだね」
 バウトはにやりと白い歯を見せて笑った。アーサーは短い赤毛をなでつけ、店内を見渡した。新しい街ミゼルドの拠点として、《精秘薬商会》は申し分ない場所に思われた。後は仕事を見つけ、金を稼いで街に馴染むだけだ。アーサーは傭兵だ。これまでの根無し草の生活に終止符をうつつもりでミゼルドへと来たのだった。
「ここは良い街さ。なんたって自由だ。《ミゼルの目》には施ししなきゃならんがな」
「仕事の種類は選ばない。長く続けることができればありがたいけど、まずは身を落ち着けたいからな」
 バウトはうなずき、イリスが意外にも几帳面な字で記帳したのを確かめると、大きな帳簿をひっぱりだした。

 旅人たちの輪の中、帳簿をめくりながらバウトはうなずく。
「《ミゼルの目》から依頼が一件。大市期間中の警備ほか、いわゆる評議会のお手伝い募集。支払いは日当、食事付き。もう一件は……神殿から。霊感の強い人募集だと」
「それだけ?」
 アルティトは残念そうだ。バウトはひとにらみして帳簿を閉じた。その表情を見たアーサーは、おやといぶかしんだ。
「いやなら引き受けなくていいぞ」
 一瞬、視線を戸口に投げ、何かいいたげな表情で旅人たちを見回すバウト。次の瞬間には、彼の顔つきはいつものそれに変わっていた。

 さて。
 大市の間は例年、ささいな諍いや小競り合い、不正取引などが後をたたない。金が絡めば汚い手口も使う人間も流れてくるし、懐ゆたかな相手を狙うスリにとっては絶好の機会となる。評議会が自前で組織している自警団だけでは裁ききれず、腕の立つ人間を雇いたいというのが、最初の依頼の骨子だった。
「……評議会の奴ら、癖がある連中ばかりだから、長くする仕事としちゃどうかと思うが、ミゼルドのことを知るには丁度いいかもな。特に、腰を据えようってんならね、アーサー」
「見てから決めるさ。いいんだろ?」
「評議会に推薦もできるから、気が向いたら教えてくれな」
 赤毛の傭兵は、鷹揚にうなずいた。この店主の、人を量るような目つきには何かありそうだ。アーサーは心に留めた。もっと彼と打ち解けたなら、この目つきの意味も、分かるときがくるだろうか。とりあえずは、そう。いつものようになんとかなるさ、とアーサーはひとり納得していた。
 セイエスがミゼルド神殿に行くというので、神殿に興味がある者は、セイエスと一緒に出かけることになった。
「聖騎士のイオという方に、手紙を預かっているんです」とセイエス。
「じゃあ俺は、森に行ってくる。後で報告するからな」
とニクスは出かけていった。

3.絡みだす夢  4.守るべきもの へ続く


第1章|緩やかな流れ時の訪れ絡みだす夢守るべきもの《ミゼルの目》マスターより