第1章|緩やかな流れ|時の訪れ|絡みだす夢|守るべきもの|《ミゼルの目》|マスターより|
4.守るべきもの
セイエスは、旅人たちとともに神殿に向かう。アルフェス、リヴ、エルフィリアと、若い女性に囲まれて、セイエスは落ち着かない。
「セイエスさん、聖地ってどんなところですか?」
アルフェスはお供の獣たちを両手に抱きながら、とてとてと歩く。
「聖地アストラは、《大陸》最大の神殿です。ひとつの街そのものが、神殿の中にあるんです」
「わー、すごい!」
「それはいいわよね。雨が降っても濡れなくてすむもの」
アルフェスと対照的に、リヴは極めて現実的に答えた。きらびやかな人々が一様に白い衣をまとい、妙なる聖楽の調べの中で祈りの時を過ごす……それが、リヴが想像する聖地であり、想像できる限界だった。偉大なる神々が《大陸》を去ってこのかた、聖地には信仰に生きる限られた人々しか立ち入ることができないと聞いていた。
「いつか行ってみたいな。聖地の人たちが、踊りとか歌とか好きっていうんなら、あたしにも行く機会があるかもしれないし」
太目の踊り子は、そう言うとため息をついた。
前いた街からは逃げ出したも同然だった。ぱっとしないスタイル、流行らない衣装、子どもっぽい顔つき。そして何より、目立つことを恐れている自分。その街でのリヴはあまりに評判が悪く、彼女はそれに耐えられなかった。新しい街で変わりたい。頑張りたい。セイエスもバウトも、自分を笑ったりはしなかった。温かいスープも嬉しかった。
でも踊りを見たら?
彼らは変わるだろうか。罵倒するだろうか。
きっとしない。半ば打算、半ば自分を騙しながら、リヴはセイエスについていく。
「依頼の件も気になりますが、わたしは夢のことを尋ねてみようと思っています」
「ああ、エルフィリアさんも夢を見ていたんですよね」
セイエスは、彼女のめくった女帝のカードを思い出した。少女はうなずき、続ける。
「わたしたち皆、この街に来てから夢を見ています。ということは、何か古い伝えでも神殿に残っていたりしないでしょうか」
「可能性はありますね」
「調べさせてもらうことができればいいのですが」
セイエスは内心で驚いていた。森へ出かけたニクスにしても、エルフィリアにしても、あの夢に自ら近づこうとしている。積極的に、さまざまな角度から。
少女とめぐりあったとき、僕たちはどうなるのだろう。
さて、女性たちに囲まれた神官は、道行く人の目を引いていた。例えば、深い緑の衣服に身を包んだ青年。例えば、華やかな金の巻き毛をくゆらせる、しなやかな肢体の少女。
青年は、以前から《精秘薬商会》に投宿している冒険者のひとりだ。愛用の皮鎧がきつくなっていたのを、この機会に新調するつもりで市にでかけたのだ。彼の名はハル。
「珍しいな。聖地の神官……か」
ハルは人ごみの中でも目立つ一行を、目を細めて眺めた。セイエスとは《商会》でもすれ違ってはいたが、向こうはきっと自分のことなど覚えているまい。それでも、珍しい聖職者にふと興味を覚えたハルは、彼らの後について歩くことにした。何かのきっかけで、セイエスが人手を必要とした場合、自分の力ならそれに応えられる、という自負もあった。それに何より、新しい皮鎧をしつらえるには、もう少し路銀の足しが欲しかったのである。
かたやの少女は、鋭利な刃物のような菫色の瞳を素早く光らせた。彫りの深い顔立ちと、細く長い手足は、彼女を中性的に見せていた。金色の巻き毛も、男の子のように短い。
「……あいつに決めたわ。聖地の神官なんて、おあつらえむきね」
あたしは、生きていかなきゃいけないんだもの。聖地から来たですって? どんなところか知らないけれど、きっと神さまの恵みでぬくぬくと育ってきたに違いないわ。お金だってたっぷり持ってるはず。お優しくて、困っている人を見たら放っておけないんじゃないかしら。顔だって利くかも。
だったらあたし、うまいことやってやる。
少女エレインは、ちろりと小さく舌を見せた。
「そこの神官さん!」
人波をかきわけ、エレインはセイエスの前に立ちはだかった。ハルもそれに気づく。護身用の小剣に手をかけるが、思い直して視線だけエレインに留めた。なりゆきを見守る。
「はにゃ? あなた、セイエスさんのお知りあい?」
「ええ、そんなところかしら」
つっけんどんに答えたエレインと、リヴの目が合った。互いに同じ職を持つと気づいた二人は、瞬間身をひいた。エレインは、嫌悪と同情の入り混じったような奇妙な表情を見せ、リヴは幸いにもそれに気づいた。その表情は、リヴに向けられたものではない。リヴの中の、踊り子の部分に対してのようだった。不思議な子だ、とリヴは思った。矛盾している。これが若さってやつかしら。ああ、わたしももっと若かったらなあ。
「神さまは困っている人を助けてくれるんでしょう。神官なら、そういう教えを守るんでしょう?」
エレインの問いは、誘導尋問のようだ。
「僕は初めてお会いしたと思いましたけれど……忘れていたらすみません。おっしゃるとおり、苦しむ人たちを助け、救いへ導くのが僕たち神官の定めです」
セイエスはエレインを見つめた。
「苦しんでるのよ。助けてほしいの」
リヴはまた思う。不思議な子。あたしと同じことを、セイエスに求めてる。
エレインは凛とした口調で続けた。
「あたし、家出してきたの。さしあたって生きてくために、お金が必要。でも勘違いしないで。物乞いじゃないわ。何か、お手伝いできることはないかしら。もちろん……報酬はいただくけれど」
「おい」
その時、ハルの腕がエレインの細い肩をつかんだ。青年は無茶する少女を見かねたのだ。
「なあに、山だし」
ハルはエレインの挑発を流し、肩の手に力をこめたまま答える。
「あのな、そのやり方は脅迫って言うんだ。人の優しさにつけこむような真似はよせ」
「何が分かるというの?」
エレインは、素早くハルの外見に目を配る。がっちりした体格と、褐色の肌。くせのある赤髪。なぜだろう、何一つ似ていないのに、その姿はどこかエレインの父を思い出させた。本当に、何一つ似ていないのに。エレインの手から力が抜けた。
「それでいい。差し出たことを、すまなかった。俺はハル。あんたと同じように、仕事を探してる」
ハルはそう言って、セイエスとエレインを交互に眺めた。エルフィリアたちは、ただあっけにとられていた。
「そういうことでしたら、いずれ必要なときにお力をお借りするかもしれません」
セイエスは二人の手をとると、互いに握らせ微笑んだ。
「でもさしあたっては、特に何も。後で友人を紹介しましょう。僕よりも、そういうことに長けていますから」
ミゼルド神殿は、街の中心部にあった。こぢんまりとした古い石造りの建物で、向かいの評議所に比べると、無骨な雰囲気だ。《大陸》でよく見られる、三柱の兄弟神をともに祭る形式らしく、両開きの扉が三つ並んでいる。それぞれの信徒を等しく受け入れる証だ。常に開かれている門の奥、身廊の突き当たりに祭壇が見える。聖地の大神殿を見慣れたセイエスには、小さな神殿は目新しく映った。奥に垣間見える神像も、聖地風ではない。縛られ目をふさがれた女神像だろうか。
「……というわけで、聖騎士イオ殿はおいでになりますか?」
聖騎士イオ。セイエスが携えてきた手紙は、その人物に宛てたものだった。セイエスの取り次ぎの話はついていたとみえ、使いの信徒が一行に待つように告げる。
「聖騎士なんてかっこいいなあ」
「ミゼルドには、自警団があるとバウトさんがおっしゃってましたよね。それとはまた別のものなのかしら、聖騎士団って……」
「見て、あの神像。立派よね。高く売れそうだわ」
旅人たちが想像を巡らしている間に、聖騎士が姿を現した。金の鍵をかたどった紋様を染め抜いた聖衣に身を固め、切り揃えたさらさらの銀髪の間からは、涼やかな瞳が覗いている。まだ年若い女性だった。彼女は居並ぶ旅人たちを眺め、待たせたことを一言詫びて彼らを別室に案内した。
「はるばる聖地からご足労いただき、恐縮だ。私が、ここミゼルド神殿を預かる聖騎士イオ。聖地のお力添えと女神に感謝を」
イオはそう言って、祈りの聖句を付け加えた。ハスキーで力強い言葉だった。
「僕はセイエス、この方々は《精秘薬商会》の冒険者のみなさんです。僕の用件は、この手紙をあなたにお届けすることでした……」
イオは小さく会釈して、セイエスの手紙を受け取り、それに目を通した。怜悧なイオの表情が、ふと緩む。セイエスは、手紙に何が書かれているのか知らなかった。
「セイエス殿、そして冒険者の方々。ともにお願いしたい用向きは同じなのです」
「と申されますと」
「しばらく前から、我らはある問題を抱えていた。それを解決するために、聖地の大神殿に協力を仰いだのです。その返事が、この手紙とあなた、セイエス殿だった」
セイエスはきょとんとイオを見上げている。イオは一行に手紙を見せた。装飾過多な筆遣いで書かれていた内容は、こうだった。この手紙を携える人間が聖地を代表し、能う限りミゼルド神殿の助力となる……。
「さっそく本題に入らせていただくが、実は目撃されているのだ。ミゼルドの街で……亡霊が」
イオは言葉を切る。旅人たちは顔を見合わせた。
この依頼はミゼルド神殿の総意ではなく、自分をはじめとする亡霊目撃者の独断に基づいている、と聖騎士は言った。
「イオさんも、ご覧になったんですか」
「この目で見るまでは信じられなかった。誰しもそうだとは思うのだが。私が見たのは、まだ大市が始まる前。人通りの少ないスラムのあたりで、夜更けだっただろうか。誰かがすすり泣くような声が耳元で聞こえた。風の音ではなかった。黒い影が近づいてきて……私の身体をすり抜けて消えた。夏の盛りだったのに、急に背筋が冷えたのを覚えている。他にも何件か、そんな話が寄せられているのだ」
「すすり泣く、黒い影……」
イオの口調は、一貫して堅かった。
彼女の話を聞く限り、黒い影は直接被害を与えたことはないようである。目撃報告のいずれも、泣き声を残して消えたというたぐいのものだった。夜のこととて影の細部まで見て取ることはできなかった、とイオは付け加えた。
「ただのお騒がせですめばいいのだが、どうにも心配でね。街の人間をいたずらに怖がらせるわけにもいかないし。というわけで、応援を頼みたい」
「わかりました」
セイエスは、自分がただ好奇心から手をあげたことは黙ったまま、イオの頼みを引き受けることにした。自分がミゼルドに来たのも、それこそ神のお導きかもしれない。夢の少女のことを思いだし、セイエスはイオに微笑んだ。聖騎士は深くお辞儀する。
「無論、そちらの方々の助力を強制するつもりは毛頭ない。何分得体の知れぬ影が相手ゆえ、勝手が違うこともあるでしょう。それに実を申せば我らには、あなた方に支払うべき十分な報酬も……その、この殺風景な神殿をご覧になればお分かりかと」
そのかわりに聖騎士は、調査期間中の寝台と食事を提供することを約束した。
「なかなかいいじゃない。食・住を保証してくれるわけね」
エレインが鼻を鳴らす。これで選択肢が増えた。しかし、エレインの予想以上に神殿の中は質素だった。寝台と食事もつつましいものには違いない。
「こちらには、他にも聖騎士の方々がいらっしゃるのですか」とアルフェス。
「いや、私ひとりだ。この神殿は、騎士団を組織しておらぬので」
イオは数年前に志願して、ミゼルドに来たのだと言った。それまでは他の大きな国にいて、聖騎士の位もそこで得たものだった。けしてその位をひけらかすつもりはなかったのだが、大きくない神殿に望んで来た聖騎士とあって、ミゼルド神殿のほうが彼女を押し立てたらしい。
「常々思うのだ。我らの槌は、人を守るためにふるわれるべきだと。ましてや神に仕える身であれば、うつし世の槌は他に任せ、我らは此方で人心を守るべきではないか、と」
「イオさん……」
聖騎士は、はっと表情を引き締めた。
「すまない、戯言は忘れてくれ。それではセイエス殿、ミゼルドの民の平穏のため、よろしく頼む」
夢の少女について調べたい旨を申し出ると、イオは快く承諾した。
「あいにく私はその夢を見ていないので、何も申し上げられないが、何か役立つものがあれば幸いだ」
「ありがとうございます」
エルフィリアは丁寧に礼を述べた。神殿に出入りする信徒たちに聞いてみるが、その中に夢を見た人間はいなかった。また、黒服の男性に連れられた少女についても情報は得られなかった。
「……そう気を落とすな。大市の間は、ミゼルドの人口は10倍になるとさえ言われている。白い服の少女というだけでは、探すのは難しいだろうな」
「それもそうですね」
エルフィリアは目を閉じてため息をついた。午後の祈りの時間だろうか。賛美歌の歌声が聞こえてきた。
一行が神殿を辞するとき、セイエスは不思議に思っていた見慣れぬ神像について尋ねてみた。
「あの、目をふさがれているお方は一体?」
「《愁いの砦》の女神像だ。変わっているだろう? 私もミゼルドに来た当時は驚いた」
「ほんとね。まるで縛られているみたい」
《愁いの砦》は三柱の兄弟神の中でも、癒しを司ると伝えられていた。長兄と末弟がそれぞれ剣と盾を持ち、苦難の道を切り開く間、長女たる女神が人々を抱き守るのだと。
だが神像の女神は、両腕で自らをかき抱いていた。まるで、絡みつく茨から己の肉体を守ろうとするように。
「あれでは、人々を救うことができませんよね」
セイエスは胸元の聖印を握りしめた。《愁いの砦》に至ると伝えられる、金色の鍵。
「女神が受けた苦難を表しているのだそうだ」
イオもまた、鍵の紋章を染め抜いた衣を翻し、跪いて祈りを捧げた。
第2章へ続く

第1章|緩やかな流れ|時の訪れ|絡みだす夢|守るべきもの|《ミゼルの目》|マスターより|