第1章|緩やかな流れ|時の訪れ|絡みだす夢|守るべきもの|《ミゼルの目》|マスターより|
3.絡みだす夢
自治都市ミゼルドを臨む、小高い丘。
木々が奔放に生い茂る森の中を、注意深く歩き回る人影があった。
「ニクスさん、いかがですか〜?」
「ああ、このあたりに間違いないと思う」
呼ばれた魔道剣士、ニクス・フローレンスが振り返った。女魔術師ユン=セレスティアは、裾の長い術衣をからげながら、ニクスの手招きに応じる。
彼女も夢を見ていた。黒髪に白い服、薔薇の花を手にした少女が、不思議な言葉で歌う夢。その少女に会えるなら、ユンは友だちになろうと思っていた。どうして歌を歌っているのか、どうして花を差し出すのか、どうして……そんなふうに、暖かく微笑んでいるのか。それとも、向こうはわたしのことを知っているのだろうか。
そんなことを考えていると、同じ目的で森に向かうという青年ニクスと出会ったのである。
「見てごらん、馬車が通っていく」
「この道を通って、ミゼルドに向かうんですね」
ユンは木々の間から、馬車道を見晴るかした。桜色の長い髪が、風になびく。巻き上げられた土埃が落ち着くと、ミゼルドの街並が遠望できた。そんなに遠くまできたつもりもないのに、とユンは驚く。
ここまで来るのに道らしい道はなく、馬車道から途中逸れて森の中に分け入ったのだが、意外にも森は深く、馬車道を臨める場所を探すのは大変だった。
「荷馬車が通れそうなのは、あの道しかない。セイエスも俺もユンさんも、ああやってきたわけさ」
「ずいぶん狭い道ですね〜」
「ああ。揺れたわけだ」
「……馬車に乗ってしまえば楽なのに、どうしてその女の子たちは、この森を歩いていたんでしょう? よほど、酔いやすい質だったんでしょうか?」
ユンは小首をかしげた。彼女のまとっている術衣は、動きやすいつくりになっているとはいえ、森の中を歩いて回るには難儀した。もっと小さい子どもを連れているなら、さぞ移動に苦慮しただろうと思う。
「たしかに、そうだな。馬車に乗らない理由、というよりも、乗れない理由があったのかもしれない」
ニクスは銀の籠手を顎にあてて考える。馬車道はミゼルドの大門まで続いていた。旅人たちに開かれているのは大門だけで、街は石の壁で囲まれていたから、ミゼルドに出入りするには、どうしても大門を通過しなければならないことになる。
「ニクスさん、見てください、これ」
ユンの弾んだ声で、ニクスの思考は中断された。魔術師は、手のひらに載せたものをニクスに差し出した。
「落ち葉かい?」
茶色っぽいそれを、ニクスはそっとつまみあげた。
「いいえ。枯れた花びらではないかしら」
日にすかしてみた。いびつなハート形は、元はみずみずしかったのだろう。
「薔薇の?」
ニクスの言葉に、ユンはうなずいた。
「白薔薇だったら、手がかりになりませんか? ほら、ここにも……枯れ葉に混じって、見つけにくいけれど、ほら」
もう一枚。魔術師は腰をかがめて、細い指で花びらを拾う。
「たどっていけるかしら」
お伽噺のようだわ、とユンは思ってひとり微笑んだ。この先に待つのは、お菓子の家か、それとも。
「よっぽど目が良くないと、お菓子の家に着く前に迷っちまうよ」
ニクスが嘆息する。これは意外と骨が折れそうだった。
ミゼルドの中にも、治安のよくない場所がある。
崩れかけた石の建物を背にバラックが立ち並ぶ一角は、かつて牢獄があったといわれ、住民もあまり足を踏み入れない。半壊したアーチをくぐると、狭い通りにせりだすようにいかがわしい店が並んでいた。鼻腔をつく異臭は、何かの没薬か、それとも香か。《ミゼルの目》は、バラックを取り壊し流民を街中にさまよわせるよりは、彼らを懐柔するほうを選んでいるようだった。
「……ふん」
鍔広の帽子を目深にかぶった男は、あたりをひとわたり見回して鼻を鳴らした。羽織ったマントはすっかり色が褪せ、裾はすりきれてぼろぼろだ。その背にはバスタードソードを背負っている。腕の立つ者でなくとも、彼の姿を見れば、ある種の気迫を感じるに違いない。
「どんな街にも、こうした吹き溜まりはあるものだな」
しわがれた声で、剣士ジェシュはつぶやいた。いかにも柄の悪そうな者どもが寄りそうな酒場の前で、彼は歩みを止める。入り口の下世話な落書きを一瞥し、彼は酒場に足を踏み入れた。
「おっとお客人。飲みたきゃ背中の得物は置いてきな」
カウンターに群れるごろつきは、ジェシュがよそ者だと知ると声高に叫んだ。
「それとも何だ、俺たち全員に樽酒でも振舞ってくれるかね」
「全員にだ。全員に樽1個ずつだぜ! ご挨拶がわりによ」
ジェシュは銀貨を一枚取り出し、一杯だけ酒を注文した。
「おいおい、冷てぇじゃねえか。おまえ俺たちと仲良くする気がないってことかい?」
「……表へ出ろ。強い奴にはおごってやろう」
ジェシュは静かに答えた。彼の目に宿る光は澄んでいる。彼はひたすら、強さを求めてここまで流れてきたのだった。柄の悪い店を見つけては、強い相手とめぐりあうためだけに乗り込む。たいていは喧嘩を売ってきたほうが、ほうほうのていで逃げ出すのがおちだった。
「やめな、客人」
声をかけたのは店主だった。頭に血がのぼり始めたごろつきたちをカウンター越しに制しながら、ジェシュに首を振る。
「あんたみたいに血の気が余ってる奴は、ここには似合わんよ。荒くれを相手にして名をあげたいなら、もっと日のあたるところでやりな。路銀稼ぎならなおさら、評議会の連中ならいくらでも金を持ってるだろうから、そっちへ行けばいい」
「……」
ジェシュは不満げな視線を投げる。店主は打って変わった口調で続けた。
「知ってるかもしれんが、このあたりは昔の牢獄跡さ。生きるわけでも死ぬわけでもなく、ただ日を過ごす奴らのために俺はこの店をやってる。あんたの力は、もっと生きている者のために使ったほうがいい」
「ここは、変な店だな。変わった店主もいたものだ」
「ミゼルドは自治都市で自由都市。よそでは暮らせない流民たちも、居心地のいい場所を求めてやってくるのさ」
ごろつきたちの顔が、少しにやけた。
「自由都市?」
「『ミゼルドの空気は自由にする』ってな、聞いたことねえか? 裏の界隈に生きる者にとっちゃ祈りの聖句みたいなもんさ」
店主はそう言って肩をすくめる。店の雰囲気が、和やかに変わった。
「……邪魔したな」
「なんの。悩みがあればまた来ればいい」
店を出たジェシュは、ふと考える。
悩み? 自分に悩みなどあっただろうか。強さを求め、強さとの出会いを求める。そこに悩みなど入る余地はない。
不思議な面持ちで、彼はまたミゼルドの雑踏の中へと身を任せた。
また別の、とある酒場。流しの吟遊詩人が舞台に立ち、客のリクエストに応えて人気の戦歌を歌っている。吊り看板には、両目を閉じた女性が描かれていた。
歌声に惹かれて、ブリジット・チャロナーはその店に立ち寄ることにした。所狭しと酒樽が並んでいる店内に一歩入ると、酒と人いきれの、独特の臭気が立ち込めている。ポケットの銀貨で、ブリジットは隣の客と同じものを一杯注文した。
「あら、同業者?」
隣の客のいでたちを一目見て、ブリジットは人なつこく話しかけた。使い古されたマントと、動きやすいブーツ。そろえて置かれた手袋もなめし革製で、よく使い込まれていた。
「あん?」
グラスを手にして振り向いたのは、灰色の髪の青年だった。ブリジットはその顔を見て、息を飲む。青年の頬に彫られている、変わった形の紋章には見覚えがあった。青年は青年で、彼女が思いきり露出している胸元と太腿を目にしてしまい、慌てて視線をそらす。その勢いで強めの酒を飲んだものだから、げほげほと咳き込んだ。
「目の下の、その彫り物! 罠師ね、あんた。珍しいのね、街中に出てくる人もいるんだ?」
ブリジットはくるくるとよく動く大きな瞳で、罠師の青年、ジャグ=ウィッチに畳みかけた。
「こないだ、エライ目にあったわ。あんたの流派かどうだか知らないけど、遺跡の中にすんごい性格悪い罠があってね……」
「おまえ、遺跡荒しか?」
「ちっがうわよ、人聞きの悪いー。あたしはトレジャーハンターなの」
じゃらじゃらと身につけている装身具の数々を、得意げにひけらかすブリジット。ジャグはめんどくさそうに、同じじゃねえかと呟いた。
「俺はどっちかってと猟のための罠をつくってる。おまえの怒りの矛先なら、おかど違いだぜ」
「あんたには分かんないのね、お宝を見つけた時の感動も、そこに至るまでの謎を解いた時の爽快感も」
ブリジットは肩をすくめた。同じ価値観の人間に巡り会うことは、なかなか難しい。いずれは自分だけの宝物、このロマンを理解してくれる、愛しい愛しいだんな様を見つけるのが彼女の夢だったが、見つかるのはまだ先のようだ。
「そういえば、評議会にはもう顔を出したか?」
ジャグはすでに空になっているブリジットと、周囲の客の分も酒を頼む。生意気なトレジャーハンターでも、情報を交換できるならありがたい。
「すごい行列だったの。商売するのに登録しなきゃダメだなんて野暮よね! ま、店を出すつもりはないから、将来の優良顧客を探すつもりでいったんだけど」
ブリジットは昼間のことを思い出しながらごちた。……たしかに評議会は、ヘンな人が多かった。評議会長そのひとも、彼女の装飾品に興味を持ってくれたから、いずれは彼らを相手に商売もできるかもしれない。評議所の、必要以上に絢爛なつくりからも、《ミゼルの目》が相当潤っているだろうことは見て取れた。
「だからって、人の服装にケチをつけるのはどうなのよ!」
「お客になるならいいじゃねえか」
ジャグはいつの間にか、ブリジットのなだめ役になっている。彼らの商売話を聞きつけた隣の商人たちも話に加わった。
「店を開かなくても、ミゼルドで成立した取引すべてに、取引税を納める義務がある。バレたら怖いぞ。商売の可能性があるなら、面倒がらずに評議会に登録しておいたほうがいい」
あんたの技術を売るような場合は別だがね、と商人は付け加えた。
「でもミゼルドの外でやれば無効でしょ? ばれないんじゃないの? いや、もちろん《ミゼルの目》をかいくぐるようなコト、するつもりはないけどさ」
「理屈はそうだが、ミゼルドは防壁に囲まれてる。馬車も出入りする大門からしか、外には出られない。街中は意外と、見られてるもんだ」
ふうん、とブリジットは答えたが、納得はしていなかった。質問ついでに、《ミゼルの目》の仕組みについても尋ねてみると、商人は親切に教えてくれた。
《ミゼルの目》こと、ミゼルド評議会は20人の評議員で構成されている。任期は2年。1年ごとに半数が入れ替わる。評議員は、その年に高額な税金を納めた家からひとりずつ選ばれる。
「ははあ、いいわねー。評議員はみなさんお金持ちってことじゃない。ジャグ、あんたもお近づきになっておきなよ!」
「……俺は、探そうと思ってることがあるんだ」
「何よ、歯切れ悪いなあ」
「夢を見たんだ。少女と薔薇の花……ちょっと調べてみようと思ってね」
ブリジットは、疑問符を書いたような表情になる。ジャグは照れ隠しに、もう一口酒をあおった。
「少女のことはどうだか知らないが、昔は薔薇の精油を売りに来ていた男がいたよ。そこから仕入れた精油はとびきりの品で、評判もよかったもんだが、男が亡くなってからは仕入れ先が分からなくてね」
「ほんと? もしもその精油を見つけたら?」
ブリジットの目が輝いた。
「高値で引き取ろう。あとは、そうだな。《ハルハ旅団》の歌姫が、それは美しい少女だと聞いたぞ。行ってみてはどうだ?」
それまでは話半分に聞いていたジャグも、商人に礼を述べる。少しずつ、夢の少女に近づいているのかもしれない。
だが、その夜は弾みのついたブリジットにつき合わされるはめとなり、やがて彼女を《精秘薬商会》まで送らされたジャグは、その夜は夢をみるどころではなく、くたくたに疲れて眠りについたのだった。
第2章へ続く

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