第1章|緩やかな流れ|時の訪れ|絡みだす夢|守るべきもの|《ミゼルの目》|マスターより|
5.《ミゼルの目》
ミゼルド評議所は、街の中心部にある。大理石をふんだんに使い、入り口には噴水までしつらえてあるという豪華な建物だ。屋根には歴代の評議会長の像が並び、ごった返したミゼルドの街並みを眺めている。向かいにある古い石造りの建物がミゼルド神殿なのだが、これではどちらが神殿だか分からない。
太い柱の立ち並ぶ柱廊には、旅装のままの商人たちが長い列を作っていた。
「うへー。アレに並ばなきゃいけないんですか」
付与魔術師アルテス・リゼットは、遅遅として進まない行列を目にしてうめいた。行き場のない手をぶんと振り上げ、ぽりぽりと頭をかく。彼の手指には、とりどりの指輪や腕輪がはめられていた。
ミゼルドの大市といえば、買えないものなどないと噂されているのは知っていたが、これほどの規模とは思わなかった。自分も店を出したいと考えていたアルテスは、しばし思い悩む。
「でもせっかくやって来たんだし、来たからには商売したい……」
行列にもう一瞥くれて、彼は荷物を再び手にとった。登録窓口を横目に、装飾過剰な大理石のプレートが掲げられた評議会所の入り口をくぐる。
「人手が足りないって話を聞いたし、ここはひとつお近づきになることにして……うまくいけば、いい場所にお店を出させてくれるかもしれませんね」
ついでに自作の魔法道具も売り込んでみよう。気に入ってもらえたら、一石二鳥ですし。
そう決めたアルテスは、案内地図で会長室を探す。
アルテスと同じように、評議会所を訪ねてきた旅人がいる。ユズィル・クロイアは、行列を見たなり驚いてぶんぶんと首を横にふった。ぞんざいにまとめた黒髪が、ターバンに収まりきらずゆるい波をえがいて揺れる。
「嘘、こんなに並んでるなんて信じらんない。やっぱ、例の火山遺跡に行っとけばよかったかな……。いやいや、こっちは大市だもんね。実入りは絶対いいはずだわ。よっしゃ! しばらくミゼルド滞在決定!」
ユズィルは荷物をひきずると、商売はもっと気楽にやりたいと思いながら、行列のしんがりへと移動した。その間にも、黒曜石のようにきらめく瞳は、素早くあたりを見回している。商売の種がないかと探してしまうのは、冒険商人のくせだった。
「そういえば昔、父さんと来たことあったっけ。……うわあ、もう10年以上も前になるのか。あたい7つくらいだっけ。あん時も父さん、こんな行列に並んだのかなあ。賑々しいのはどうやら変わってない、かな?」
品物を出すとしたら何が良いだろう。万病に効くという薬草か、それとも異国の装飾品か。買い付けの商人も多そうだから、少々値の張る物もいけるかも。じりじりと、蝸牛の歩みで行列が進む。商売の方針も固めたユズィルは、なんとはなしに、周りの商人たちの噂話に耳を傾けていた。
「《ハルハ旅団》が、この街へ? そいつぁすげえ。帝国でも大人気の一座だろ? 俺も一度は見に行きたくてねえ」
「まったく《ミゼルの目》の人脈ときたら、たいそうなものですよ。何でも帝国は、相当気分を害したみたいで。そりゃあそうでしょうねえ。帝国での公演を蹴ってミゼルドに立ち寄ったとあっちゃ」
「滅多なことは口におだしなさんな。《ミゼルの目》の犬が、どこで聞き耳を立てているか」
「何、これくらいの風評は屁でもないでしょうよ。我々が落としていく銀貨で、ミゼルドは潤うんですからな。むしろ喜んで触れ回ってくれと言いますぜ。それにどうせ《ミゼルの目》の方々は、帝国とも内通されてるでしょうからなあ」
「まあまあ、それはそうと、昨今の肉相場だがね……」
「次の方!」
呼ぶ声で、ユズィルはふと現実に引き戻された。慌てて荷物を引きずり、登録窓口へ急ぐ。やっとの思いで登録証を手にした彼女は、取引規約に目を通していぶかった。
「あれ? これっぽっちでいいの?」
評議会に納める取引税が、予想よりはるかに安くて済みそうだったのである。ミゼルド経済は、商取引の成立時に支払う、この取引税で動いていると聞いていたのだが。
「……まいっか。こんなありがたい話はないんだし、こりゃ少々不便でも、ミゼルドに店を構えたいって気にもなるね」
さてと。ユズィルは大きく伸びをして、しばらく評議所を見て回ることにする。
会長室は、幅の広い階段を上がった先にあった。警備係に誰何されたが、依頼を受けたいとアルテスが告げると、すんなりと通される。後から階段を上ってきたユズィルが追いつき、アルテスとともに会長室へと招かれた。気のせいか、ユズィルは自分に向けられた視線にどこか違和感を感じた。
「会長、アルテス様とユズィル様です」
警備係はそう言って後ろ手に扉を閉めた。客人を迎えるべく立ち上がったのは。
「「まああああ、ようこそ!」」
野太い声をハモらせながら内股で迫り来る、ふたりの中年親父。彼らの顔も、両手をもみしだく様も、そっくりだ。彼らこそが《ミゼルの目》の会長であった。
ずいぶん羽振りはいいらしく、小柄な体のわりに装飾品をじゃらじゃらと身につけている。髪は紫のメッシュに染められており、妙に身なりが派手だった。子どもが見たら、《ハルハ旅団》のピエロと思うのではないだろうか。ちなみにバウトは彼らを大の苦手としていた。
「あら、いいじゃないバウトったら、やるじゃない。カワイイ男の子を連れてきてくれるなんて〜」
「ちょっと、あなたがアルテスちゃん? 出身はどこ? 仕事は? 趣味は?」
「その指輪素敵ね? でもアクセサリーはいいけど服が地味だわ。ねえ」
アルテスが目を白黒させて質問攻めに会っている間、ユズィルはぐっと眉根を寄せていた。中年親父たちは、いわゆる妙齢の女性であるユズィルには目もくれない。
変なのに好かれても困るからいいんだけど、とユズィルは内心で呟いた。
「アルテスちゃん、年上の男性はお好き?」
「へ? いえ、その……」
下手に答えて目をつけられ、商売できなくなってしまうと辛い。アルテスは冷や汗をかきながらしどろもどろで受け答える。ついに見かねたユズィルが割って入り、話を進めた。
「ここで人手を募集してるって聞いたんだけど、どんな仕事なの? 話によっちゃ興味があるの。その彼、アルテスもだよ」
「「それなら話が早いわぁ〜」」
会長たちは嬌声をあげてアルテスに密着した。青年の顔がひきつっている。
「アタシはオッジ」
「アタシはパーチェ。ああ、ユズィルだっけ? あなたはもういいわ。《精秘薬商会》のバウトって男に、用向きは伝えてあるから。はいお駄賃」
会長のひとり、パーチェと名乗ったほうが、ポケットから銀貨を見つけてユズィルの手に握らせた。
「お、おい」
「じゃ、街の警備はお願いね。アルテスちゃんとはまだお話があるの。先に出てお待ちなさいよ、それじゃ」
警備係が渋顔を作り、ユズィルの背を押して会長室から追い出す。
「ちょっと、アルテス!?」
ユズィルの鼻の先で、扉が閉ざされた。かすかに聞き取れたのは、オッジだかパーチェだかがささやいた言葉だけ。
……秘密の仕事があるの。報酬ははずむわよ。
「女性蔑視かい? ここの会長ときたら」
ユズィルは腕を組み、警備係につめよった。警備係も慣れているらしく、ユズィルには平謝りだ。それでも彼女の気は納まらない。
「どうしたんだい、あんたたち」
ふたりの問答に割って入ったのは、ミゼルドに居を構えるメルダ・ガジェットだった。
「あはははは、まったくうちの会長様にも困ったもんだよねえ」
ユズィルの話を聞き、豪快に笑う。
「若い男性に目がないって、ありゃ一種の病気だね。そう気にとめなさんな」
「でも、ずるくないか? 今だって、アルテスだけ取り残されて、別口の仕事の話をしてるらしいんだ。あたいにゃ紹介できないって訳かい、ちきしょー」
「へえ、そうかい……どういうことだろうね」
メルダも首をかしげた。評議会で人手が足りないから力を貸してくれ。雑貨屋を営む彼女の夫はそう頼まれたのだが、家事や接客よりも身体を動かすことを得意とするメルダが、それを引き受けにきたのだった。
だが、夫も知らない何かが動いているのだろうか。評議会が絡んでいるなら、よもやミゼルドにとって不利益にはなるまいが。メルダの胸中に、疑念が沸き起こる。
「アルテスとやらもかわいそうなことだ。うちの会長たちに目をつけられたとは。仕方がないねえ。ほら、おどき」
メルダはずかずかと警備係を押しのけた。ユズィルの手をとり、会長室の扉を開ける。メルダの説教にしぶしぶ応じた会長たちは、それから1時間あまりの後、ようやく不幸な付与魔術師を解放したのだった。アルテスは迫り来るオッジとパーチェの顔を思い出しては、ぶるると身を震わせていた。
第2章へ続く

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