第3章|承前|言葉のない歌|忘れられた遺跡|高く、遠くへ|満月の夜|マスターより|
4.満月の夜
■Scene:満月の日
もうすぐ日が暮れる。丘の彼方に傾いた日差しを見つめて、冒険商人ユズィル・クロイアはひとりごちた。《ミゼルの目》から声を掛けられたふたりは、そろそろ覚悟を決めただろうか。手持ちの水筒からごくりと勢いよく水を流し込み、口元を乱暴にぬぐう。これからが本番だ。
ユズィルはその日、朝から会長たちの行動を見張っていた。疑問は次から次へと湧いてきた。年にたった一度の取引で、なぜ会長たちは今の地位を得ることができるのか。そんなに大事な取引なのに、わざわざ流れの冒険者を雇って手伝わせるのはなぜか。どうしたって、子飼いの部下のほうが信頼できるに決まっているのに。答えはひとつしか思いつかない。
朝から会長たちは、評議所の自室から一歩も外へ出なかった。調べてすぐに分かったのだが、きらびやかな評議所は、カイーチョ家が金を出して建てたものだった。その悪趣味さにおいて、ユズィルは至極納得したのであるが、それはさておき。
「会長たちは、大切な仕事の準備をしておいででして」
「ふうん、面会禁止って訳かい?」
評議所受付で、ユズィルはかまをかけてみた。
「あいつはよくて、なんであたいがダメなんだい? ええ? ケチ!」
「あの方は、会長とお約束してらしたんですよ。アナタと違って」
あれこれ聞いてみるが、会長が自ら接客した相手はその人物だけだった。アーサーたちのように、スカウトされたのではなさそうだ。
「なんだい、最初は頼みもしないのに出てきたくせに」
唇を噛みながら、ユズィルは再び会長の動きを追った。
大切な仕事の準備、か。やれやれ。今後のあたいの商売の、参考にさせてもらうとするか。
最後にユズィルは《精秘薬商会》へ顔を出した。アルテスはありがたくユズィルの用意したものを持っていった、と手伝いの少年が言う。
「そうかい、ま、気休めだけどね」
ユズィルは肩をすくめると、自分の荷物の中から手紙を取り出した。封はされていない。
「これ、あんたに預けとくよ。満月を過ぎて、次の夜になってもあたいが顔を出さなかったら、それ、頼むわ。ああ、あいつらどこに行くって?」
「あ……北の丘のほうだって」
少年の言葉にうなずくと、ユズィルはすぐに店を出た。少年はそっと手紙を取り出してみた。
さらさらと力強い走り書きで、そこにはこう書かれていた。
……ミゼルドで行方不明になった冒険商人、ユズィル・クロイアを無事に見つけ出した奴には、報酬を出す。ユズィル・クロイアより……。
■Scene:満月の夜・宵
傭兵アーサー・ルルクと付与魔術師アルテス・リゼットは、連れ立って北の丘へと向かっていた。
「ミゼルドの北のほうって、初めてですよ、僕」
「そういえばそうだね。大門は南側だし」
「実はこんなの、作ってみたんです」
アルテスはじゃらじゃらと装飾品のついた腕を軽く振って、親指にはめた指輪をアーサーに見せた。他の指輪や腕輪の類がみんな大ぶりなのに、その指輪はそっけなさすぎるほどシンプルなものだった。
「何か魔法を込めたのかい? すごいな」
「だってなんか悔しいじゃないですか」
アルテスが口をとがらせた。報酬の前金は、この指輪の材料費に消えた。
「といっても、火の玉が出るとか、そんなんじゃないですけどね」
「俺はどうしようか?」
「うーん」
アルテスは、普段と変わらないアーサーの姿を眺める。長剣一本帯びているのをのぞけば、夜の散歩で通じそうだ。アーサーはいつも気負わない。そしてそれゆえ、相手を安心させる。
「そのままで、いいんじゃないですか」
アルテスは笑った。
彼らの後ろを、こっそりとユズィルがついていく。自分のことは、ふたりには内緒だった。知らせて迷惑がかかるとまずいし、きっと彼らも見張られているだろう。特に隠れもせず歩くふたりを尾行するのは簡単だった。いざというときのために、隠し玉はいろいろ仕込んである。念のために男装もしておいた。会長たちが、女の自分の顔など覚えているはずもないことは、承知していたのだが。
指定された場所は、丘の裏手にあった。バラックが数軒まばらに建っている。その影にユズィルは、小柄なミュシャの姿を見つけた。
「あいつ……?」
普段は街の少年風、バンダナにカーゴパンツというスタイルのミュシャも、今日はお仕事よろしく闇に紛れた色の服をまとっている。暗青緑の髪も、今日はしっとりと影に馴染んで見えた。
「何やってんだ、こんなとこで」
もちろん、ユズィルと同じ目的である。
ミュシャはひとりで《ミゼルの目》の動きを追っていた。ミゼルドを統括する評議会。その財力の秘密は何なのだろう。その情報だけでも、どれだけの価値があるのか知れない。
満月の夜の取引のことを耳に挟んだ時も、まさか知った顔が巻き込まれているとは夢にも思わなかったミュシャは、興味半分に丘へとやってきた。事の善悪は関係ない。知りたいのは、この取引が自分に害を与えるかどうかだった。つまり、彼のもといた山賊団《山猫》にとって、カードとなり得るのか、どうか。
ミュシャの首には、《ミゼルの目》と《山猫》の、二つの首輪がついている。
「そろそろ約束の時間になりそうだなあ」
ミュシャは夜空にかかる満月を見上げた。居候先のお姉さんは、もうとっくに寝ているだろう。パン屋の朝は早く、まだ暗いうちから仕込みが始まる。うかうかしていると、いつもの屋根裏にミュシャがいないのがばれてしまうかもしれない。
「……まあ、うるさいことは言われないだろうけど」
それでも、しぼりたてのきなこ入り牛乳は、お預けかもしれない。
そんなことを考えながら、ミュシャは静かに時を待った。
評議会長がひとり、伴も連れずにやってきた。妙な頭巾と絨毯のようなマントは、変装のつもりだろうか。
「オッジでーす。どう? この格好」
おネエ言葉のささやき声。アーサーとアルテスは、コメントし難く顔を見合わせる。
「よく来てくれたわね。こっちよ」
オッジはそんな彼らを意にも介さず、そっとあばら家の中へ入る。ふたりもそれに続いた。アルテスは、指輪の力を引き出す言葉をこっそり唱える。これから先の会話は、指輪の力が続く限り記録されるはずだった。ミュシャとユズィルが、そろそろと移動して聞き耳をたてる。
「パーチェがもうすぐやってくるわ。ちょっと準備に手間取っていて」
「あの、今日の人足は僕らだけなんですか?」
「そうよ。心配しないで、アルテスちゃんとアーサーちゃんがいてくれたら、十分間に合うんだから」
調度の類は何一つない、殺風景な掘建て小屋だった。奥の部屋は、扉が開け放たれいて丸見えだが、そちらにも大きな荷物のようなものは見えない。人が住まなくなって長いことたつのだろう。空気はよどんで、かび臭い。
「で、これからどんな取引が行われるのかな?」
あばら家の中を見渡すアーサー。
「うふふ、何だと思う?」
オッジは上機嫌だった。
「……そうだなあ」
アーサーはのんびりと答える。
「あんまり気持ちは良くなさそうな話だと思うんだけどもね。でなければ、あんなにお金をもらえたりしないだろう?」
「アタマを使うのよ、アーサーちゃん」
くすくすとオッジは楽しげに笑う。
「アタマを使えば、楽して大儲けできるの。気持ちがイイかそうでないかは、関係ないのよ」
うへぇ、とアルテスが顔をしかめる。ひとりでなくて、本当によかった。
■Scene:満月の夜・深夜
音もなく、それは現れた。無印の幌をつけた一台の馬車。車輪の音も、馬の鼻息も、鞭をくれる音もなしに、その馬車が小屋の脇で止まる。御者台には二つの人影があった。ひとりがひらりと飛び降りる。丁度逆光でよく見えないが、若い男性と見えた。
彼は馬車の反対側に回ると、御者台のもうひとりにうやうやしく手を伸ばした。ミュシャとユズィルはかたずを呑んで見守る。男性の手をしっかりと握りしめたまま、もうひとりが御者台から無様に転がり落ちた。
「あたたたた、ちょっとこの馬車、ステップが高すぎるんじゃなくて?」
「それは失礼しました、パーチェ殿」
「ゼッタイ今の、青痣確定だわ。後でお薬を塗ってちょうだいね、ハルハ」
「ええ、それはもう」
パーチェの方は言うに及ばず、ハルハの顔も有名だった。ミゼルドのミーハーな奥様連の間では、旅団長の似顔絵付きのビラを蒐集するのがちょっとしたブームだったからである。
「ハルハ・シーケンスがなぜ……あいつもグルなのか?」
「おじいさんの代から3代、旅芸人だって言ってたよね」
意外な人物の登場で、さらに首をひねるミュシャ。
「帝国の誘いを蹴ったのは、この取引に加わるためだったのか」
ユズィルが乾いた唇を舐めた。パーチェはハルハの手を引いて、オッジたちが待つあばら家へと入っていった。
「じゃあお仕事の説明をするわね。あの幌馬車、見えるでしょう?」
「……いつの間に? 馬車が来る音に気づかなかった」
驚くふたりだが、会長たちもハルハもそれには答えない。ただ、薄く笑っているだけだ。
「あの中の荷物を、ここへ運び込んでほしいの。それだけよ」
オッジがとんとん、と奇妙な仕草で床を叩いた。がこん、と重たい音が返ってくる。ぱくりと上蓋を跳ね上げるようにして、奥の部屋の床に穴が開いていた。
「地下室ですか。ここを、叩くと開くんですね」
アルテスの説明的な口調は、記録魔法のためだ。
「そうよ、よろしくね」
会長たちは、ずっしりと重そうな銀貨の袋をふたつ取り出し、じゃらんと振って見せた。
幌の中には、細長い木箱がいくつも積み上げられていた。古びたものもあれば、新品のようなものもあるが、どれも中身が詰まっているらしい。ふたりでそれを抱えて運ぶ、その作業の繰り返しだった。
石造りの地下室はとても広い。石壁の燭台に火をつけると、煤のあともよく見えた。きっと毎年この場所で、ろうそくを灯しては木箱を積み上げていったのに違いない。彼らは片っ端から、木箱を並べていった。
「あっ」
木箱の重さによろめいたアルテスが、がくんと膝をついた。
「ちょっとちょっと、気をつけてちょうだい! 傷がついたらどうするのよっ」
途端に会長たちのチェックが入る。
「アーサーさん、これ、中は何だと思います?」
アルテスがささやくが、アーサーは首を振る。
「分からない。いやな予感はするんだがね。この大きさと重さ……」
「ですよね、やっぱ」
アルテスは視線をハルハに投げかけた。気づいた青年は、にこやかに微笑む。どこか腹に何かを隠した笑みの気がして、アルテスは渋面を作った。
■Scene:満月の夜・夜明け前
すでに満月は西の空へと移動していた。木箱は全部で数十箱はあっただろうか。最後の一つを地下室に納めたとき、燭台のろうそくは燃え尽きる寸前だった。
「うん、これでいいわ」
「いいわね」
地下室を覗き込んだ会長たちは、彼らの仕事振りに満足そうにうなずいた。
「はあ、やっと終わった」
アルテスが地下室から出ようとした瞬間……。
「「ごくろうさま」」
ごとん。
鈍い音を立て、石の上蓋が一気に閉じた。アルテスはすんでのところで身をかわし、どうにか頭をぶつけずにすんだ。
「さよなら、アルテスちゃん、アーサーちゃん」
「今日は本当に助かったわ。後で取りに来てあげる」
会長たちの声が、石壁越しに響いてくる。
「あなたたちは売らないで、あたしたちのコレクションにしてあげるのよ、ああ、楽しみだわ〜
そして、静寂が訪れた。
地下のふたりは。
「閉じ込められた!?」
「やれやれ、会長たちは、第一印象どおりの人物だったみたいだね」
アーサーは肩をすくめながら、手近な木箱を長剣でこじあけた。
「今更中を見たところで、文句はいわれないだろう」
木箱の中に入っていたのは、半ばアルテスたちが想像したとおりのものだった。
つまり、人間。箱の大きさはいろいろあった。大人サイズと、子どもサイズ。
「人身売買……やっぱりぃ……」
「心臓が動いていない。息もしていない。人間そっくりだけど、これは人形だよ」
アーサーが顔をあげた。
「魔法をかけたのか、それとも何か薬を飲ませたかしたんですね」
「考えたな。これなら食べ物もいらないし騒ぐこともない」
「でも、物と同じですよ……」
アルテスがうなだれる。人形となってしまったその人の、手首が力なく揺れた。
「死んだわけじゃないだろう。人間そっくりの人形よりも、生きた人間の方が、その……高く売れるだろうから」
「くそっ」
地下室の石壁を、アルテスが蹴り飛ばした。鈍い痛みがつま先に広がる。からからと乾いた音をたて、石壁からがれきが崩れ落ちた。
「動き回らないほうがいい。すぐ苦しくなるよ」
「ここは崩れやすそうです。通路を何か、ふさいだみたいで」
そこまで口にして、アルテスは座り込んだ。息苦しさがつのってくる。
■Scene:夜明け
しばらく後。
がこん、と音がしたかと思うと、
「アルテス! アーサー! 無事かい!?」
ユズィルとミュシャが、石蓋を開けたのだ。
「あたいたちが見張ってて良かったよ。時間がかかって悪かったね。ひとり、評議会の見張りがいてさ」
結局そいつには、ユズィルが幻惑香を投げつけた。とろんとした目つきで、見張りはふらふらといなくなるのを待って、助けにきたのだ。
「もう朝だ。ハルハも会長もいないよ」
「あっ!」
アルテスが声をあげた。
「結局報酬……」
「もらえなかったな、前金だけしか」
アーサーがううんと大きく伸びをした。
「ま、無事生きて戻ってこれたから、いいんじゃないか?」
「あんた、これでもまだミゼルドで暮らすつもりなのかい」
傭兵の様子に、ユズィルがあきれて口を出す。
「問題あるかな?」
「大有りだろ。会長どものコレクションにされるところだったんだよ。ここを逃げ出したとわかったら、どうなると思う?」
その言葉に、魔術師のほうがぶるぶると身を震わせる。
「えっと……考えたくない、ですね。いっそ大市で大儲けして評議員になるとか……」
「近いうちに、この木箱の中身が売りに出されるはずだよ」
ユズィルは人形という言葉さえおぞましげに呟いた。
「近くの盗賊団とかが、もうすぐミゼルドにやってくるんだ」
ミュシャが遠い目をしながら言った。
「裏のルートで、いろんなところに声がかかってるんだって。本当の大市……奴隷市に参加するために」
「今度の休息日に、競りが行われるそうだ。評議会の連中がおおわらわになってたよ。出品物リストはきっと、木箱だらけなんだろうさ」
「中身を知るのは、会長たちだけ、か」
4人はそろってため息をついた。
第4章へ続く

第3章|承前|言葉のない歌|忘れられた遺跡|高く、遠くへ|満月の夜|マスターより|