PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第2章

3.ささやかなお茶会

■Scene:ささやかなお茶会(1)

 役人エルリック・スナイプは、どんな状況においても自分に出来ることをなしたかった。
 レオのことは気になっていたけれども、周りに人が集まっているのではどうにも近づきにくい。相手が騎士たちであれば特別扱いするのも仕方ないことかもしれないが、エルリック自身は少し疑問を抱いている。
 とはいえ、騎士たちが守りを固めているなら一介の役人に出来ることはあまりない。
「お茶会などいかがでしょう、姫さま?」
 エルリックが姉妹姫にそう申し出たのは、世話になっている館のあるじに対して感謝を示したかったからであった。ちなみに申し出は、最初マロウを通じて伝えていたのだが、姫さまたちに感謝してのことなら直接言うのがいいのではないか、ということになった次第である。
「お茶会? イイね」
 すぐにスコット・クリズナーが賛同した。彼も姫君と仲良くなりたいと思い、大広間にやってきた口だった。他には召喚師見習いのロミオや、オルゴール職人ルシカ・コンラッドたちもいる。
「そっか、聞いたよ。エリ君てお茶淹れるの上手なんだってー?」
「エリ君……? いや、ルシカさん。どこでその話を」
「んー。ルーシャさんに聞いたの。同じ街から来たとかって」
 ルシカは、一度会った者の名前は必ず縮めて呼ぶことに決めているらしい。エルリックは気恥ずかしさを覚えつつもうなずいた。ルーシャは旅人たちの中でも一番の年長、ルーサリウス・パレルモの愛称でもある。
 エリ君、か。エルリックを縮めてエリックと呼ばれることはあったけれども、なんだか自分ではないような響きがする。エリ君。
「たまたま、いつものお茶の持ち合わせがありましたので」
「わーい!」
 単純に喜んでいるルシカの先、ふたりの姫君をおずおずと見やるエルリック。
「よろしいでしょうか?」
 姉姫ウィユは、鷹揚に微笑んだ。
 そういう成り行きで、ささやかなお茶会が開かれることとなった。
「外? 日差しがまだ強すぎて駄目だ。姫さまたちのお体にさわる」
とマロウが顔をしかめるので、森の木陰というわけにはいかなかったが、くつろぎの機会をもてることを皆喜んでいるようだった。

■Scene:ささやかなお茶会(2)

 たまたま大広間を訪れたスティーレ・ヴァロアも、いつの間にかこのお茶会に参加することになっていた。玉座の前には、おのおのの居室から運んできた椅子が円車座になっており、スティーレは面食らったものである。
「我らはあまり多くを口に入れません」
 玉座の前、二人分のティーカップを並べかけたエルリックは、ウィユの言葉にはっとした。
「あ……そうですよね。妹姫さまのほうは、お口が……」
 煙るような紫の瞳で、妹姫レヴルが見つめている。ジニアから借り出したティーセットががちゃりと音をたてた。そういえばジニアは、姫君たちの食は細いといっていたらしい。
「気にすることはありません、法の僕よ。元々我らは、食をそれほど必要としないのですから」
「ご迷惑でしたでしょうか。このお茶は飲んで味わうだけでなく、香りも良いものを選んだのですけれど」
「うん! おいしーよエリ君!」
「えと、いいにおいです。ちょっとあついですけど」
 ロミオもカップを両手に持って、ちろりと出した舌で舐めている。
 スティーレも差し出されるがままにティーカップを受け取ると、無言で中身を味わった。きりりと眉を持ち上げて、役人だというエルリックの真意を図ろうとする。
 たまにはくつろぐのもいいけれど、と元学者は思った。こんなことをするために、この島にやってきたんじゃないはずだわ。
 あるいはこうも考えた。きっと私たちめいめいが、果たすべき役割を持っているに違いない。けれども幼いロミオさんやまだ若いルシカさん、スコットさんには、こういう時間も必要なのかもしれない、と。
 左腕の飾り羽根が、かさりと音を立てる。
 とりあえず、他の旅人たちが考えていることには興味があった。
「あの、僕」
 ロミオが口を開き、とんがり帽子の影から、そっと姫君たちに問いかける。
「目とか、口とか……痛くないのですか? なんだか、かわいそうです」
「可哀想? 我らが?」
「はい。だっておいしいものもたべられないなんて」
 ロミオは食べることが大好きで、料理も得意なのだった。妹姫レヴルの瞳が、ぱちくりと大きく開かれた。同時に姉姫ウィユはいった。
「それでは召喚師見習いに尋ねましょう。『痛い』とは、どういうことですか?」
「え……と。僕……僕、わからないのです」
 ロミオはもごもごと呟いた。難しいことはよくわからなかった。  
「召喚にしっぱいしてへんなのを呼んじゃったときは、いっぱいぶつかったりして痛い……です……けど」
「ううん、難しいねウィユ姫さま。曲想が浮かばなくって、ああーっもう!って時は、痛いじゃなくって苦しい、だもんねー」
「そうだな。苦しいのは分かるけど、痛いのは……どうなんだろう。でも、『痛い』ことがわからないから、『痛くない』ってことは、あるのかな?」
 スコットは腕を組み、首をひねる。《大陸》中を回った思い出話をして、姫君たちの無聊をなぐさめるつもりだったけれども、なかなか難しいお題である。
「たとえ痛くなくても……目が見えなかったら、大事な絵、見られないよね?」
 ルシカの呟きは、それまでの甲高い語り口調とはうって変わって、心細いふうに聞こえた。
「大事な絵のコレクションなのに見えないなんて……あたしだったら耳を失うのと同じ事。音が何も聞けないなら死んでもいい」
「ルシカさん」
 エルリックは慌てて二杯目のお茶を注ぐ。リラックスしてもらう機会づくりのはずなのに、元気だった彼女が落ち込んでしまっては意味がない。
「あ、ごめんねエリ君。もしかしたらって今、ちょっと思ったんだ。この島の名前のひとつ、《贖罪の島》ってそういう意味かなって。お姫さまたちのその怪我が、関係してるの……? 例えばどちらかが、目か口を失ってしまって、それだからもう一方を閉じてしまったとか」
 黒い眼帯のルシカはウィユの顔を覗き込む。
「怪我では、ないわ。必要がないから、閉ざしているというだけのこと」
「でも絵を見るのには、目が必要ではありませんか?」
「我らの絵は、目で見るだけのものではないのです。それに、見えなくとも感じることができる」
「そうですか……僕、ここにはなんにもないから、お姫さまつまらなくないのかなあって思ってました。その絵があるから、大丈夫なんですね。なんだかよく分からないのですけど、面白い絵なんでしょうか」
 姫君はうなずいた。
 スティーレは飲み干したカップをそっと置いた。姉姫ウィユの言葉をひとつひとつ吟味する。見れば姉姫の手元のティーカップは、たったひとくち口をつけただけであった。
「僕もお尋ねしたいことがあるのです。《満月の塔》ともうひとつ、《パンドラ》について」
 知っていることがあれば教えていただきたいのです、といってエルリックは唇を引き結んだ。
 もしかしてこの名前のない島そのものが《パンドラ》かもしれない。エルリックはそう思っていた。《パンドラ》の事を調べなくてはいけない時にこの場所にやって来たのだから、何か関わりがあるに違いないのだ。
 それとも、ただの偶然だろうか?
 さまざまな旅人たちがこうして集められたことも?
「法の僕よ。《満月の塔》を探しているのはそなたですか」
「……僕は、仕事で命ぜられて探しているのです。《満月の塔》も、《パンドラ》も」
 膝の上で拳を握り、エルリックは答えた。
「《満月の塔》に登れば願いが叶うという言い伝えが《大陸》にあります。願いを叶えたがっている人がいるのです」
「法の僕よ。望めば叶う願いもありましょう。けれども、我らが許すは汝の物語」
 エルリックの視線は、姉姫の縫い閉じられた瞳から妹姫の縫い閉じられた口唇へとさまよった。
「エルリックさん、つまりこういう謎かけよ」
 低めの声でゆっくり割って入ったのはスティーレだ。見かねて口を出してしまったのだ。しばらくは成り行きを見守るつもりだったのに。お節介焼きの自分には我ながら呆れてしまう。
「姫さまはこういっているの。誰かの願いではなく、貴方自身の願いとしてならば叶う、と。《満月の塔》を見つけたければ、貴方が本気で願うこと。違うかしら、ウィユ様」
「ご名答。それでは音声学者よ、こういう話はご存じ?」
「……元、学者ですが。どんな話でしょうか」 
「《満月の塔》に住むのは毀れた神。願いを叶える代償を要求するとか」
 一同がいっせいに息を飲む。ウィユ姫はこの話を、かつてこの島を訪れた旅人から聞いたのだといった。疑心がスティーレを襲った。
 聞いた話という前置きは、本当に聞いた話でなくとも通用するからだ。
「そのまろうどは、《塔》には至らなかったのですか? そこまで知っていながら何故……その者は《塔》で願いを叶えるものの姿を見たのではありませんか?」
 スティーレの問いに姫君は答えた。
「彼は、この島で暮らすことを選んだのです。代償には自分の記憶を差し出して、それが自分の願いだと自分に思いこませて……ああ、そのさまはなんと面白かったことでしょう。ねえ、レヴル?」
 妹姫についと触れ、姉姫は喉の奥を振るわせて笑う。
「まろうどたちよ、人の子はなぜ生きようとするのでしょう? あるいは死ぬ理由を求めさまようのでしょうか?」
 妹姫はゆっくりと瞬いて、すべてを吸い込むような紫色の瞳で一同を見つめている。ゆるりと細い首を向けた先には、銛を手にした褐色の肌の男が背を向けて立っている。
「僕はいつか誰かに必要とされるために生きています」
 自分のカップの底に残った茶葉を見つめるエルリック。お茶を淹れる才能を認めてくれた女上司。最初に自分を認めてくれた祖父のいまわの言葉。遠いことのように思い出される。
「まーなんだ。人には向き不向きがあるかもしんないけどさ、いいんじゃない。そのうちすげーことやり遂げるかも」
 親指の先、茶色のベレー帽をつつきながらスコットはいうのだった。
「そ、そうですよね。スコットさん。ぼくも、えらい召喚師になるのです……この島に、召喚師さんはいますか?」
「パーソンさんも召喚師らしいけどね」
「えっ。もう召喚師さん、いるのですか……」
 ロミオは膝を抱え、赤い靴のつま先をぐりぐりと動かした。

■Scene:星の見えない空の下

 その夜も眠れずに、スティーレは館の外に出て夜空を見上げた。
 奇妙なことに、雲はないのに星は見えない。気候からして熱帯に近いからには、住み慣れた海辺とは違う星も見えるかと期待したのだが。空を見るのは好きだけど、星のない夜空は思ったよりも退屈だった。
 潮騒は心地よい響きを繰り返している。お茶会でのやりとりが思い出され、再びスティーレを沈思に呼び戻した。

 《パンドラ》のことを持ち出したときのエルリックさんの表情は見物だった。
 姫君たちは、飼っている獣の名前が《パンドラ》だと答えたのだ。例によって、名付けたのは姫君たちではなく、別の旅人だという。
 彼はルシカさんと共に展示室へ行ったはずだ。《パンドラ》は展示室の奥にいるそうなのだ。
 それにしても、ランドニクスの役人がどうしてその名を知り得、探していたのだろうか……名付けた旅人というのは、ランドニクス縁の人間だったということか。
 どうやら彼女たちには、名付けるという行為を行う習慣がないらしい。余所者である旅人たちの付けた名前だけが一人歩きしているように思える。
 瞳のない姉と、言葉のない妹。互いに欠けた姉妹であることと、それはなにか関係があるのだろうか?

「ヴァロアさん、昼間はども!」
 かけられた口調はやや軽い。振り向かずともスコットだとわかる。
「何か用かしら」
 それでもスティーレは振り向いて、手を挙げるかわりに飾り羽根を持ち上げた。ないはずの腕に何かがついている感触には、やはりまだ慣れないものだ。
「夜更かしなんですね。俺も。昼間お茶飲み過ぎちゃったからですかね。エルリックさんて、お茶淹れるの上手でしたよね。几帳面な人なんだな。いやあいろんな人が集まりましたね」
 彼の音はたいてい軽薄さを帯びてはいるが、今はそうでもないらしい。自分のことはヴァロアと姓で呼んでくれているのだから。
 スコットのほうは、装飾品をつけないままだった。故郷を出る時の餞別だったという虹色の羽根だけをつり下げている。軽薄に見えるのは外側だけで、実は頑固な子なのかもしれない。
「たしかに、随分いろんな人が集まったものね」
 スティーレは天を仰いだ。星のない空に、少し膨らんだ月を見つけた。
 
 昼間。スティーレの問いにも姫君は答えてくれた。
 それが答えというのであれば。
「貴方たちは、私たちと同じ人間なの? それとも、別の存在なの?」
――我らは人の子ではないけれど、それがどんな意味を持つのでしょう。人間とはどういうものですか? 人の子の母に未だならざる者に、答えは出せますか?
「私にはまだその答えは出せないけれど。母、であれば答えられるというのね?」
――我らはふたりでひとつ。はじまりのない終わり。欠けるがゆえに満ち足りしもの。我らに重ねる年はありません。その必要がないのだから、そのように生まれなかったのです。時に縛られぬゆえに、我らは満ち足りているのです。
「私たちの前に島を訪れているはずのたくさんの旅人たちは、何処に行ったのかしら?」
――ある者は物語を語り終えた。語り終わらぬ者は、語り終える場所を探しに行った。語るべき物語を持たない者は、別の物語の脇役になった。
「この島は舞台、旅人が演者。それじゃあ、貴方たちの役は何なの?」
――我らは未完の台本を、はじまりの頁へ向かって繰り続ける番人です。何故なら……。
「何故なら?」
――我らはふたりでひとつ。はじまりのない終わり。
「またその謎かけね」
 スティーレは切り揃えた黒髪を揺らし、そう答えたのだった。

「あの謎々を解くことが出来れば、ここから出られるのでしょうかね。ヴァロアさん、どう思います?」
「得意分野だわ」
「え?」
 欠伸を噛み殺すとスティーレは、睡魔を迎えるために居室へ戻るのだった。 
 はじまりのない終わり。母なら答えを導けること。時のない島。
 彼らはふたりきりで完結しているのだ。少し、うらやましいと思うスティーレがいる。
「と……得意分野。や……刃渡蝶。う……羽毛花。な……長耳洞家。え……詠唱分岐」
 ひとり呟く言葉繋ぎは、彼女が得意としている遊びだ。普段使わない言葉を口にすることで、少しずつ、冷えた想いが沈殿していくような気がする。

■Scene:魂の行方

 お茶会のリラックスさせる香気の中で、ルシカ・コンラッドは考えた。
「絵画が好きってことは――芸術全般イケるんじゃないかなっ? うん、てことはやっぱウィユ姫さまとレヴ姫さまも、《クラード》のファンになる可能性あるかな?」
 というわけで、姉妹姫に申し出た。
「あのう〜好きな画家さんとか、いるのかな? えっとあたしのことをいうとね、あたしはホラオルゴール職人だから、どうしてもオルゴールのことになっちゃうんだけどね、外箱に直接絵を描いていくすっごい職人さん……もちろん絵心もある人なんだけど、その人の作品が大好きなんだけど。もちろんね、曲に合わせて描くの。曲はやっぱ《クラード》のが最高だけどねー。うん。で、で、で、お姫さまたちにとってもそういう大好きっ!な人たちがいるのかなーなんて。でね、お姫さまのコレクション、よかったら解説付きで見てみたいなあって!」
 要するに、一緒に絵を見たいというのである。
 結局、ルシカは姫君に展示室を案内してもらえることになった。エルリックも一緒だが、彼の場合は絵画鑑賞ではなく、求める《パンドラ》の居場所まで案内してもらうのが目的だ。
 目の見えぬ姉姫ウィユの手をとったエルリックは、何故だか触れた感覚にどきりとしたが、顔には出さぬようつとめた。
 多少ひやりとしているものの、自分と何ら変わらない姫君の手。すべらかな白い肌はまさに貴人だ。けれど、手と手が触れた時、不思議な感触を味わったのだ。
 それは無理矢理名付けるならば、快感、に近かった。
 さらに考えれば、めくるめく音と色が身の内に広がったように思えた。
「エリ君どうかしたー?」
「いえ」
「じゃ行こ」
 そういったルシカも、妹姫に触れた瞬間はっとした表情で彼女を見た。エルリックだけが感じたのではないらしい。だが、とりあえずは《パンドラ》のことを考えるのが先である。

 最初は近づきがたい気もしていた姫君と、少し仲良くなれた気がしてご機嫌のルシカは、エルリックに怒濤の《クラード》語りをかますほどである。
「魂の行方か……オルゴール職人さんたちって、面白いことを考えるんですね」
「あーえっと。ウチの業界、素晴らしい旋律に自分の楽想を奪われちゃうことってあるんだ。そういう時、あたしたちはささやくの。あいつは音の魂を見失ったんだって」
 ささやかれているのは、ルシカ自身だ。
「そんなに綺麗な音色を作り出せるのに」
 エルリックはルシカの胸でころころと響く旋律球を示す。
「《クラード》のはもっとすごいんだもん」
 彼らの曲のひとつ、同時に咲いた双子の花のバラードについてルシカは怒濤の解説を繰り出した。
「双子の花か。お姫さまたちみたいですね」
「でしょ、でしょ。いい歌なんだよ〜! あ、聞きたい? 後で聞かせてあげる。打ち込んだオルゴールあるから。ウィユ姫さま、レヴ姫さまにも聞いて貰いたいなっ」
 ルシカはめまぐるしく躁鬱を渡る。

 大広間の先に並ぶ扉のひとつを開けると、緩いカーブを描く回廊が延びている。円形の大広間の外側を、ぐるりと回廊が取り巻いている形なのだ。向かい側の壁には大きな絵画がいくつも並んでいた。広間の大きさから考えて、軽く数十点。小さい絵であれば百点は飾ることができる場所だろう。
「あ、マロ君だ。こっちはジニちゃん」
 ルシカが見上げた絵には、見知った顔が描かれている。
「島に住む者、招かれた者。ここは彼らの絵をかけておく場所」
「へえそうなの? じゃあウィユ姫さまのもあるの?」
「我らの分はありません。我らはここを鑑賞するだけ」
 絵の中の旅人たちは、わずかに異なった姿で描かれている。
 マロウやジニアも、飾り角や仮面を持っている。着けているのではない。後ろにそらした片手に装飾品を掴み、まるで外している場面のようだ。
 そしてもうひとつ。彼らは反対側の手に、白い剣を持っていた。
「あんな剣見たかな? マロ君はいつも銛を持ってるんじゃなかったっけ」
 不思議がるルシカに、姉姫は告げた。
「目に見えるものだけが、その者の姿とは限らない。仮面の下の企みは外から見えぬもの。けれどこの島は仮面の下の獣を解き放たせる場所でもある。あの剣はそのしるし」
「仮面の下の……」
 スコットの絵も、白い剣を手にしていた。
 クラウディウス、ロザリア、そしてエル。彼らの絵も同様だ。
 ルシカは姫君の手を離し、自分の絵を探しに駆けだした。
「あたしの絵には、あの剣がないよ? エリ君も!」
「心配しなくても、もうじき剣があらわれるわ」
 ウィユは微笑んで、エルリックとつなぐ手を軽く引いた。
「……う」
 エルリックが呻いたのは、先ほどの快感――翻る音と色が再び身を駆けめぐったからである。
「ここが《パンドラ》の檻」
 姫君が足を止めたのは、一枚の黒い絵の前である。
 額には棘のある縄がでたらめに掛けられている。足元にはたくさんの羽根が落ちていた。
「さあ、オルゴール職人よ。手を」
 ルシカは一度離した手を差し出した。音と色が心地よくルシカを満たす。手を握るということが、これほど心地よいものだっただろうか。
 姫君たちはするりと絵の裏側に滑り込んだ。
 眩暈に襲われながら、ルシカは導かれるまま歩みを進めた。

 ルシカもエルリックも、気がつけば自室の寝台の上だった。
 姫君と手をつないだ時の快感、翻る音と色彩、眩暈。それらはすべて残っている。
「《パンドラ》……《ルー》……あれは、夢?」
 ゆっくりと身を起こすと、周囲にはたくさんの鳥の羽根が散らばっていた。

第3章へ続く

承前 白い鳥の誘い・疑心の仮面1.遠い呼び声2.ひとさじのお砂糖3.ささやかなお茶会4.雲の何処に5.小さなハリネズミマスターより