4.雲の何処に
■Scene:狩人であるために(1)
狩人グレイブ=シンフォニーは、耐えられないと思った。獲物を追いかける側であるはずなのに、誰かに常に見られているなんて。
見張り。監視。どう言い換えてもいい気はしない。
「どういう方法を使っているのかわからんが、視線の主の気配がしないところをみると、相手は別のところにいるってわけか」
振り返るグレイブ。もちろん誰もいない。視線だけが刺さる。
森の中の障害物を派手に乗り越えてきたさまだけは、無惨に残されていたが。
「次の獲物は決まりだな」
低く呟いて狩人は弓を背負い直し、ひとまずは島をもうひとめぐりすることにした。
がさがさと歩き回っていると高台に出た。木々に遮られていた日差しが照りつける。眺めは悪くない。
「見通しのいい場所であろうとそうでなかろうと、関係ないのな」
相変わらずの視線に毒づく。装飾品に選んだ手袋の、甲にはめこんである黒水晶がきらりと光る。
「ん」
視界に何かの動きを感じる。首をめぐらせると、銛を手にして小道を行くマロウと、その後ろからついていく旅人の姿とが目に入った。
でも、面倒だから別に声をかけたりはしない。
我関せずとばかりに、グレイブはその一団から背を向ける。
マロウは漁へと出るところだ。
その後ろから泰然とついていくのはヴァレリ・エスコフィエ。両手を頭に組みながら、ぼんやりあたりを見回しつつ、マロウに話しかけるでもなく、かといって何かするわけでもなく、ただ後ろに付き従っている。
「おまえも潜りたいのか」
波打ち際まで降りたところで、マロウは振り向いた。ヴァレリは別に、と嘯いた。短い黒髪を、太陽がじりじりと焦がしている。
「用があるんじゃないのか?」
「ないったら。あたいのことは気にせず、好きにおやり」
マロウは納得したのか、それきり言葉もなく海へと入っていった。
海岸に残されたヴァレリは珊瑚の浜に日陰を見つけ、腰を下ろした。立てた膝に両肘をつき、明るい碧から藍へと揺れる海を眺める。波の音、海風、まぶしい太陽。どれも牢獄にはなかったものだった。
ヴァレリがマロウを追いかけようと思った理由は単純だ。
住人が4人しかいない割に広大なこの島を、どうやってふたりの使用人が切り盛りしているのだろうか。その疑問は、使用人につきまとえば明らかになるだろうと思ったからである。そして、この不思議な島からの脱出方法がわからないことに腹が立ち、住人に嫌がらせのひとつもしてやろうじゃないか、と思ったことも理由であった。
「これはこれで、軟禁されてるような感じだからねえ。まったく」
奇妙な視線を始終感じることも、ヴァレリはもちろん気に入らない。あの謎を解くことができれば、島から出ることも叶うのだろうか。
見たところ、マロウの朝は早かった。旅人たちにあてがわれた部屋とそう離れていない場所に自室を持っているようだが、館の中にいるよりは、森や海に出ていることのほうが多いらしい。漁場はいくつもあって、激しい色彩の熱帯魚などが採れるという。森は森で、いわゆる小動物の類が捕れる。
「マロウの役目は、食材の調達と、漂流者の見張りってところかねえ」
両手を後ろに投げ出し足を伸ばした。装飾品に選んだ派手な腕輪がじゃらりと鳴った。ここは選ばれた者だけがたどり着ける場所らしい。ということは、基本的には外界との接触はないということだ。
食材は自給自足として、こんなに大人数の旅人たちをまかなう必要があるのでは、ジニアが大変そうな気はする。旅人のスティナが彼女を手伝っているという話を耳にした。
「なんだ、まだいたのか」
潮の匂いに気が付くと、濡れたままのマロウが髪を絞って立っている。
「好きにしていいんでしょ」
「別にかまわない」
「それ、夕食?」
銛の先には、原色の軟体をぬめらせる多足の生き物が突き刺さり、うねうねと足をくねらせているのが見えた。
「餌だ」
「えさ?」
旅人たちのまかないを餌と呼ぶなら酷い奴だ、とヴァレリは思ったが、そうではないらしい。マロウは数言説明を加えた。
「姫君の飼っている鳥の餌」
それって伝書鳩のことだろうか。思ったけれども口には出さず、ヴァレリはまたマロウの後ろについて歩いていく。
■Scene:同じ旅人(1)
夜。
ヴァッツ・ロウとリラ・メーレン、サヴィーリア=クローチェは、ちょうどマロウの自室の前で鉢合わせした格好だった。
何となく気まずい沈黙の後、ヴァッツが「う、あ……」などと呻きを口にする。
ひとりでは訪ねにくいなと思っていたから、願ったりの状況なのだが、リラとサヴィーリアを前に、少し気後れ気味だった。
「私、今からマロウさんを訪ねようと思っているのですが、この後お時間があるようでしたら一緒に如何ですか?」
微笑んだサヴィーリアは、ヴァッツに残してきた弟を重ねながら声をかけた。
サヴィーリアの弟は、店を切り盛りしていることもあって明るい性格だった。どちらかといえばスコットと似ているところがあるようにも思う。外見もヴァッツとはかけ離れているのだが、この弟に近い年頃の巨漢を、彼女は可愛らしく感じていた。
「……あ、ああ」
狼の仮面と毛皮をかぶったヴァッツ、ついと目を逸らして答える。イヤなのではない。嬉しいのだが、それを彼は素直に表現できない質なのだった。
その言動もサヴィーリアには、無口でクールでシャイなのだろう、と映る。
「あ。私も行くつもりっす。一緒に話、聞きましょっか」
リラはももんがの尾をはたはたと振りながら、にかっと歯を見せた。
「助かりましたわ。ひとりではちょっと、ためらってしまって」
「そんなもんっすよねー。……こ、こんばんはー」
扉を叩くリラ。中からの返事がないのに首をひねっていると、ちょうど通路からマロウがやってくるところであった。後ろにはまだ、ヴァレリが粘ってつきまとっている。
「マロウさん、ずいぶん遅くまで外にいらしたんですね」
「……餌やりがあったからな」
マロウは会した面々を見わたした。ヴァレリも餌やりにつきあったのだが、実際は姫君に獲物を渡して終わりであった。直感で、あの姫君には魔法的な力がありそうだ、と思ったのだが、例によって口に出したりはしていない。
「お疲れさまですー。そんで、またまた教えて貰いたいことがあったんす」
無言で自室の扉を開けると、マロウは顎で入室を促した。
殺風景な部屋は、旅人たちの部屋と対して変わらない。銛が数本立てかけてあるほかに狩りの道具らしいものがいくつか、それに簡素な衣服が数点。
リラとサヴィーリアがマロウと雑談をかわしている間、ヴァレリはぽつんと壁際に座り込み、ヴァッツはヴァッツできょろきょろと辺りを見回している。
サヴィーリアは、錬金術の材料になるものがあれば調薬したいと思っていて、そのことをマロウに尋ねたのだが、マロウの返事は「錬金術? よくわからんが、好きにすればいい」というものだった。この島の住人は、体系づけられた学問の類に対して疎いようである。
そんな時、もう一組マロウの部屋を訪れた者がいた。
「失礼します。ああ、リラさんもこちらにいらっしゃいましたか」
役人のルーサリウス・パレルモと、旅人コーネリアスである。ルーサリウスはマロウを含めた一同に、滞在者本部を設置することにしたので協力してほしい、と告げた。
「滞在者本部?」
「そうです。情報の共有が第一だと思いましてね。さしあたり名簿を作成しようと思っています。我々より先にこの島を訪れた者もいるようですが、どうやら今は我々だけのようですから。不思議な力によってこの島に我々が集められたのだとしたら、選ばれた理由が何なのか、共通点が見つかるかもしれない」
「良い案ですね」
サヴィーリアがおっとりと賛同の意を示す。猫のような尾が揺れた。
「ありがとうございます。問題はありますか、マロウさん」
「……いや。好きにすればいい」
答えたマロウはつと考えて、自分も協力することがあるのか、と尋ねた。
「もちろんありますとも」
ルーサリウスは筆記具を取り出した。
「名簿をつくるためには、教えて貰いたいことがいくつもありますからね。氏名や性別、年齢、職業はもちろん、どこで鳩を見たか、気づいたら島のどこにいたのか、この島の名前に心当たりはないかどうか……」
すらすらと読み上げるルーサリウスの人差し指で、大きな金の指輪が重厚そうに光を映した。
「こんなところを。旅人だけじゃありません。貴方やジニアさんもですよ」
ヴァッツが知りたかったのも、マロウやジニア、かつて旅人だったというふたりの過去だった。ヴァッツは考えや言葉をまとめるのが得意ではなかったから、ルーサリウスが代わりに聞いてくれれば、ちょっと嬉しいと思う。
「キヴァルナって人のことも、加えてもらえないっすか。ルーサリウスさん?」
「ああ。貴女が地図学者の地図を持っておられるのでしたね」
リラはこくりとうなずいた。他に地図を作っている者がいれば、見せ合うつもりで、リュックに入れてある。
「キヴァルナさんも、私、マロウさんと同じ旅人だったんじゃないかって思ったんで、その話を聞こうと思ったんす」
リラは知りたかった。キヴァルナとマロウ。何が違っていたのだろうか。
ひとりは今なお島に留まり、ひとりは死に至っている理由。
「なるほど。マロウさん、いかがでしょう」
褐色の肌の男は、顔をしかめていた。
■Scene:同じ旅人(2)
「覚えていない。記憶がすっぽりと、抜けているところがある」
マロウは首を振ってみせた。訥々とした話し方の中にわずかに申し訳なさそうな響きが含まれていて、ルーサリウスは「まあそういうこともあるでしょう」と流した。
「地図学者のことは覚えている。なんだか最初から強気の、妙な男だった。たぶん、墓をつくったのはあの地図学者だけのはずだ……」
墓標をつくることにこだわったのはジニアだとマロウは言う。
島で命を落とした旅人は他にもいたはずだけれども、墓標まで残したのはキヴァルナだけだった。ジニアはキヴァルナと仲が良かった。
「キヴァルナは気づいたのだと思う。島から出る方法……願いを叶えてくれるという場所」
「《満月の塔》!」
リラが思わず叫んだ。なんだ、マロウはやはり知っていたのだ。岬に案内されたとき、聞いておけばよかったとリラは後悔した。
「じゃあこの島には《塔》があるんすね?」
「《塔》に至る道ならある。俺は行ったことがある」
「ええーっ! どーしてそれを早く教えてくれないんすかっ……じゃ、なくって」ごほん。リラは咳払いして続ける。「やっぱり普通の方法じゃ見えない、とかとかすか? それとも、決まった日にだけ現れるとか」
「なんだ、行くつもりなのか」
「だって願いが叶っちゃうんすよね? 元の場所に帰りたいってこともお願いできちゃうんすよね?」
「私は……すぐに戻るつもりはないの。せっかく来たんだし、きっと二度とは来られそうにない場所でしょうし」
サヴィーリアは真紅の髪をふるわせ、「それでもリラさんの気持ちもわかるわ」といった。
「私も《満月の塔》をずっと探し続けていました」
コーネリアスは柔らかな口調で呟いた。
ヴァッツはただ、小さな袋を握り締めている。
「……やめておいたほうがいい」
しかめ面のままマロウはいった。
「おまえたちの願いがどれほどのものかわからんが、代償を払っても叶えたいものなのか?」
「代償を払っても、叶えたいですね。それとも、その代償というのはキヴァルナさんの至ったような、死……なのでしょうか?」
コーネリアスは笑顔を浮かべていた。話の内容にそぐわぬ、ほのぼのとさせる笑顔だった。それを見たルーサリウスは、おっとりと見えるこの旅人も、何か凄惨な決意を秘めているのだろうかと慮った。
「死はこの島に満ちあふれている」
マロウが吐き捨てる。その言葉に、ヴァッツは身をすくめた。
「気がつかないか? 髑髏の刻印は死を運ぶ。俺は死の運び手にはなりたくなかった。だから……」
「だから生き残った……のですか」
「知ることは恐怖だ。だから俺は知ることをやめた。興味を持つことをやめた。一度は近づき掛けた秘密も、ぜんぶ捨てた。捨てた記憶を拾うことはできない。名簿をつくるなら」
「わかりました。マロウさんの項は、空白にしておきましょう」
ルーサリウスは目を伏せて、今の話を書き留めた。
「大変参考になりました。ますます本部が重要だということもわかりましたし」
「そうか?」
「ええ。どこかに出向く折にも、本部に知らせて貰うようにしておけば、捜索もしやすいでしょう。たとえば戻らない者がいたときなどに」
ヴァッツは狼の毛皮の下で、こっそり小さな袋をかき抱いた。
「そういうわけですから、皆さんも協力をお願いしますよ」
ルーサリウスの居室が滞在者本部ということになった。
■Scene:狩人であるために(2)
グレイブが辿り着いたのは、館の中の大広間だ。玉座の姫君たちは、楽しげな視線を向けた。ちなみに最短コースでここまでやって来たために、多少壁には穴が空いている。もちろんジニアは冷たいまなざしで彼を睨んだ。
「ちょっと、狩人。どういうつも」
りなの、と続けるはずだったジニアだが、グレイブに無造作に突き飛ばされて言葉が出ない。
「ん。やっぱ近いな」
周囲を見わたしていたグレイブは、腕組みをして考え込み……静かに怒っているジニアに初めて気がついた。尻餅をついた格好の彼女に手を差しのばす。
「ああ、あんた……何だ? 起きあがったらどうだ」
「……」
その手をとりながら、ジニアは無言である。
グレイブには、いったん目標を見据えたら他のものが一切目に入らなくなる癖があるらしい。森で暮らす狩人としてはすぐれた資質ともいえるだろうが、建物の中では仇になることも多いようだ。
今も視線の本体を探し回っている途中だ。外にいるよりも館の中のほうが、視線を強く感じるのである。気配はいつも同じ雰囲気をまとっていたが、視線の主がひとりなのかふたりなのか、そこまではグレイブにはわからない。
「何を探しているのか知らないけど、ここは姫さまたちのお部屋よ。別の場所を探したらどうかしら」
「別の場所を探して、ここにやって来たんだ」
低く答えると、グレイブはつかつかと姫君に歩み寄り、じろじろとふたりを眺める。
「何用でしょうか、狩人よ?」
「なんか隠しているなら出せ」
「無礼者! 姫さまが隠しているなど……」
「よいのです、ジニア。我らはたしかに、汝の物語を許しましたね」
姉姫ウィユは機嫌が良さそうだった。
「物語? ああ、何だ。人生って奴か? 俺にはよくわからんが」
頭髪を剃った頭を撫でさすりながら、グレイブは大広間を見回した。
「人生が物語か、あるいは物語こそ人生か。楽しみにしておりますわ、狩人よ」
「はん。俺が興味あるのは、獲物だけだ。どこにいる? 覗いてやがる奴だ」
ふわり。ウィユが立ち上がった。かたん、奇妙な玉座が音を立てた。彼女の背丈は、グレイブの胸ほどしかない。高々と結い上げられた髪を引っ張りたい衝動に駆られる。
「見られるのが好きではない?」
「ああ」
不快をあらわに短く答えた。
「俺が狩りだしてやる」
「では、どうぞ」
姉姫ウィユは、妹姫レヴルの後ろに回って肩に手をおいた。閉ざされている姉姫の瞳と対照的に、レヴルの瞳は紫に煙るようにして見開かれていた。
「どうぞっつったって……何だと」
「ですから、我らが見ているのです。人の子らの営みを。我らは知りたいのです」
姉姫が語る。妹姫はひたすら狩人を見つめている。
「気分がよくない。やめてくれないか」
「夜伽に来てくださるなら、そうしましょう。我らが知りたいのは、人の子の物語ですから」
グレイブはしばらく沈黙し、そして小さく舌打ちした。
■Scene:雲の何処に
ルーサリウスがまとめあげた名簿の中では、レオとジニアの項も空白に近いものになった。レオは回復を待って書き足すことにしたが、ジニアのほうはとりつく島もない。ただ、彼女の場合はマロウと違い、記憶を失っているわけではないらしい。彼女も《塔》の存在を知っている可能性が高い、とルーサリウスは考えた。それは同時に、死にも近いことを意味する。
鳥に招かれた旅人たちには、共通項はまったくといいほど見つからなかった。
ただ話を聞いた印象では、追い詰められたときの助け舟のように伝書鳩が現れていることが多かった。
「脱出……逃げ道……息詰まった日常からの解放……」
コツコツとペン軸を振るわせていたルーサリウスの指が、あることに気づきふと止まった。
それらの言葉のイメージは、死にもよく似ていることに。
「あの姫君たちが人間ではないとしたら」
死を弄ぶことも、あるかもしれない。
かぶりを振るルーサリウス。顎をさすると無精髭が伸びていた。
生きている。
もちろん生きているし、戻る道があるということは、死んではいないということだ。
月は、見えない。
第3章へ続く
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