PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第2章

5.小さなハリネズミ

■Scene:小さなハリネズミ(1)

 記憶と視力を失い流れ着いた少年、ランドニクス新帝にして統一王朝ルーンの王レオ。まだ幼さの残る少年は、若獅子騎士団の騎士クラウディウス・イギィエムの居室で眠り続けていた。
 それに対して彼の周囲の人間模様は、ひたすら尖って、緊張の度合いを高めつつあった。お見舞いと称し様子見に来る者、あるいは献身から力を貸したいと願う者。それらすべての想いがさまざまに錯綜し、さざなみのように小部屋を満たしている。
「アルヴィーゼ」
 寝台の前、不動の姿勢を保ちながら呻くように絞り出した声。
 クラウディウスはもうかなりの間、こうしてレオの姿を見つめていた。
 ……どうしたのだろう。部下はいったい何をしている? 軍法会議ものだ。どうして誰も来ない?
 目の前に横たわり、時折苦しげな呼気を洩らす少年。新帝陛下。なんとおいたわしいお姿だろう。この場で自分がなすべきことは判っている。護衛。命を賭してお守りすること。
「あ、あ……来ないでくれ……」
 レオが身をよじる。金髪の流れる額には汗のしずくが浮いていた。少年の眠りは浅いのだろう、時折うなされるそぶりが見える。その度クラウディウスは歯噛みして、手近な布で汗をぬぐってやるのだった。ジニアを呼びに行こうにも、新帝陛下からは目を離せない。いくつかの可能性を検討しながら、クラウディウスは目を閉じた。
 残念ながら、自分は護衛官に適任ではない。そのことははっきりしていた。
 速やかに処理しなくてはならない事項が多すぎる上、どれほど時間が残されているかも定かではないのだから。
 息詰まるような密室の中、クラウディウスは決意を固めた。少なくとももうひとり護衛官が必要である。込み上げる不快感を押し殺し、クラウディウスは布陣を整えることにした。

■Scene:小さなハリネズミ(2)

 アレク・テネーブルの部屋を訪れたクラウディウスは、張りつめた穏やかさをもって切り出した。
「私が新しい主として契約を求めたら、卿は受け入れるか」
 かさついた声だが、元間者のアレクには充分すぎるほどよく聞こえた。
 答える前にアレクは、背丈も年頃もさほど変わらぬこの騎士をつと眺め、思い出した。彼は装飾品を選ばなかったのだ。
「その代わり、これまでに得ている情報は洗いざらい出して貰うことになる」
「……この隔てられた島で、俺の持っている情報があんたの役に立つとは思えないんだけど」
 お守り代わりのネックレスを弄びながらアレクは答えた。
 騎士の顔には疲労の色が見えるが無理もない。この状況下で新帝とやらをひとりで背負っているのだろう。極限が訪れるのも遅くはないかもしれない。
「《大陸》には平和が必要だ」
「そうだねえ」
「私は帰ってみせる」
「どうぞ」
 飾り尾をなでつけるアレクの仕草は、毛繕いをしている獣のようだ。
「こちとら折角、一生もののしがらみから解放されたんだ。のんびり過ごすつもりだったんだけど……」
「一生を島で終えるつもりではないだろうが。いずれ《大陸》に戻れば、その瞬間に縛り首にすることだってできるのだぞ」
「脅しですか、それは? まあでも」
 どうやらクラウディウスが限界に近いと踏んで、アレクは肩をすくめた。
「俺がハメられた大元の少年。一回見てみたいかな」
 俺だって、むやみやたらと敵を増やしたいわけじゃない。
 自分に言い訳するように、アレクはふわりと欠伸する。今までずっと雇われ、使われてきた習慣は、自由の身になってもそう簡単に抜けそうにない。とりあえず、これからどうしたらよいのか。そんなことを考える手間が省けたな、などと考えているアレクである。
 少なくとも、元依頼主――この瞬間に「元」がついた――聖地の狸神官より先にご尊顔を拝めるとは悪くない。

■Scene:小さなハリネズミ(3)

「人を呼びつけといて、『退屈だから面白い芝居を見せろ』か。普段なら、殴る程度じゃすまさねぇところだが……いいだろう」
 ヴィクトールはにやりと笑いを浮かべた。姫君の了承は得たのだ、ここからは何をやってもお墨付きというわけである。
「ちょうど役者も揃ってる。とびきりの見物に仕立ててやろうじゃねぇか。ただし、俺流の演出はつけさせてもらう」
 ふたりの姫君はそれを聞き、口の端を持ち上げ微笑んだのだった。
「筋書きに文句があるなら、直接俺に言いに来るんだな」
 最後の言葉は、このやりとりをどこかで聞いているであろう相手に向けたのだ。もちろんいらえはなかったが、ヴィクトールは満足げに唇を舐めた。

 彼の足が向かうのは、もちろんレオのいる場所だ。必然的にあの騎士とも顔を合わせることになる。
 貴族の御曹司。帝国軍将校。生まれながらに選ばれた存在。
「はん」
 込み上げる笑いをこらえながら銀髪をかきあげると、篭手を飾る鱗がきしんだ音を立てた。それすらヴィクトールにはおかしく聞こえる。
 クラウディウスの居室の前には、暗色のショールを羽織った女性も立っていた。アンナ・リズ・アダーは重そうな裁縫道具一式を手に、おそるおそる扉を叩いていた。
「あ……開けておくれ。紡ぎ手のアンナだよ。怪我をしている子どもがいるんだろう。聞いたよ、手伝えることがあれば手を貸したいんだよ」
 とんとん、とんとん。手を休め、中からの返事を待つ。
 と、アンナの傍らにヴィクトールが立ち、がちゃん、と手甲で扉を打った。
「あ、あんたやかましい音立てるんじゃないよ。中では子どもが寝ているんだから!」
「悪い、どうも力がこもりすぎちまったな」
 悪びれずにヴィクトールは肩をすくめ、アンナを見下ろした。
 中から顔を出したのはアレクであった。彼はアンナとヴィクトールを見比べるように眺めながら、ふたりを室内へと促した。
 寝台の傍ら、クラウディウスは首だけめぐらせてその様子を見る。視線はついヴィクトールを差した。
「手間が省けた。そちらから来るとは」
「おや。これは騎士殿……舞台に上がる度胸もねぇ腰巾着の腰抜け野郎が、人並みの口を俺に利くんじゃねぇ」
 大きな背中に半ば隠れるようにして、アンナは横たわる少年を目にした。胸によぎったものは予想した想いとは少し異なっていた。
「お、おやめ。大の大人が」
 幼い子どもの痛々しさは、深く根付いていた皇帝への怖れを吹き飛ばすのに十分だったのだ。
「怪我をしてる子どもの横で喧嘩するのが、あ、あんたたちの仕事なのかい」
「紡ぎ手と言ったか」
 クラウディウスの鋭い眼光を浴びたアンナは、震えながら答えた。
「ああ紡ぎ手さ、武器なんて持ってやしないよ。籠の中は裁縫道具さ。お願いだ、その子の看病を手伝わせてほしいだけなんだよ」
「その子、ではない。新帝陛下、だ。それに手は足りている。紡ぎ手風情の手を借りるまでもない」
「随分酷い扱いするんだな。それでも騎士さまかい」
 始終にやついているヴィクトールに、騎士は何がおかしいといわんばかりの仏頂面を返す。
 その様子をアレクはやれやれといった風情で眺めていた。
 クラウディウスから請け負ったのはこの男、ヴィクトールの見張り……ということになるらしい。彼らが来る前の話し合いで、アレクはいちおうクラウディウスからの依頼を引き受けた格好になっていた。それにしても騎士さまだの聖職者だの、上の方の人々の考えることは似たり寄ったりで面白味に欠ける。子どもの世話など頼まれた日には断らざるを得なかっただろうから、まあ、これで良かったのかもしれないが。
 アンナは唇を噛み、クラウディウスを見返した。皇帝に対する怖れは哀れみに変わったけれども、ランドニクスの、それも騎士に対する本能的ともいえる恐怖は、まだまだ彼女を支配していたのである。
 けれども。こういう扱いを受けることを覚悟してレオの見舞いに来たのであって。
 引き下がることなどできない。まして、この部屋の空気を感じてしまったからには。この部屋には少年の回復の妨げになりかねないものが満ちている、とアンナは思った。
「お休み中の陛下を不用意に他人の前に晒すわけにはいかない。それに、自分は刺客だと名乗ってやってくる刺客がどこにいる」
「その紡ぎ手風情を恐れてるのはどいつだ? 相手がどんな奴であろうと、あんたが守ってやりゃいいことじゃねぇか」
 クラウディウスは小さくうなずいた。
「もちろん。私の用件もまさにその点だ」
 次の言葉を聞いた瞬間、それまでにやけていたヴィクトールは、笑いを堪えるのに一層苦労することになる。
「ヴィクトール・シュヴァルツェンベルク。卿に新帝陛下の護衛を依頼する」
 状況が許せば手袋でも投げてやるのだが。
 そんな感情を裏に秘めたクラウディウスの、これが布陣であった。

■Scene:小さなハリネズミ(4)

 提示された金銭をヴィクトールは鼻で笑い、まあいいだろうと答えた。
「とはいったものの、一体何から護れっていうんだ。一番の危険はてめぇの目の前に立っている男だろうが」
「神経質もあそこまでいくと、大したモンだ」
「おまけに意地っ張りだな。貴族のくだらない意地なんてたかが知れちゃいるけどよ。あんたも物好きな奴だ」
「バレてたか。まあ、ね」
 クラウディウスがつかの間の休息をとっている間、ヴィクトールとアレクはそうやって時間をつぶしている。要は、レオのことは放任である。自分の力に自信がある上、旅人たちの中には危険はないだろうと踏んでの体力温存だという。
「ふたりとも、レオの前でそういう話はよしとくれ。……さあ、レオ。膏薬を塗る時間だよ」
 アンナもすったもんだの末――クラウディウスのすねを蹴飛ばしたり、指先に呪いをかけるぞと脅されたりしながら――看病を許されることになった。クラウディウスのほうもヴィクトールの舌鋒にいらついていたし、実際問題、他に子どもの世話を焼けそうな者もいなかったのである。
 レオも体調の良い時には、会話ができるほどまで回復していた。
「ありがとう、アンナ」
「ああ、だいぶん顔色がいいようだねえ。寒くはないかい」
 少年は大丈夫と答え、手探りでアンナの手を握ろうとした。アンナはびくりと手を引っ込めかけるが、やがて触れられるままにする。手指が荒れているのを隠したところで、どうにもなりはしなかったから。
 その様子にヴィクトールは気がついた。そして、おそらくクラウディウスも気づいたのだろう、と考える。だからアンナに対して、騎士らしからぬふるまいも見えたのだ。
 彼女はおそらく反帝国の地域を故郷にしているのだろう……いや、織り手、紡ぎ手というならば、事態はもっとややこしいかもしれない。帝国領土の境界あたりに、たしか古くから機織りを続ける小さな街があった。戦禍を免れた地域のはずだが、難民が流れ込んだせいで小競り合いから領土の奪い合いまで日常茶飯事になった場所。
 ……まあどうでもいいんだが。
「歩けるようになるまでには、もう少しかかりそうかい」とアレクが声を掛ける。
「そうだねえ。でもきっとじきだよ」
「別にいいじゃねぇか。どんどん好きに遊べ。歩きたいと思った時に歩けばいいんだ。興味があるなら館でも外の森でも、探検しに行きゃいいさ」
 ヴィクトールの態度は終始この調子だ。
 傷は男の勲章だ、本当に危ない時には助けてやる。最後の言い方は彼なりの優しさなのかもしれない。
 アンナは看病の傍らで、彼らの会話には耳もそばだてず、繕いや刺繍をして過ごしている。時たまレオが口を開けば二言三言交わし、古い歌をなぐさみに歌ったりもした。
「なあ、おまえを新帝陛下と呼んで傅く奴に気を許すな」
 ヴィクトールがそんなことをレオに囁いた時も、アンナは針穴に糸を通し続けた。ヴィクトールもアンナがいることを承知でやっている。アレクも壁に身をもたせ、沈黙したままだ。
「奴らはおまえを捕らえて閉じこめ、自分たちの思い通りに動かそうとしてる」
「や、奴ら? ……しんていへいか……?」
 もちろん、クラウディウスが休んでいる間のやりとりだ。
「わからないよ、ヴィクトール」
 レオの言葉にわずかなランドニクス訛りを感じ、アンナははっと身構えた。ただし顔は手元の刺繍枠に向けている。
 ヴィクトールは手短に、「アンタルキダスという子どもが、大人たちに担がれて皇帝の椅子に座らされ、最近やっと逃げ出した」話を説明した。
「奴らはおまえがその子ども、アンタルキダスだと思ってるのさ」
「でも……僕」
「違うって? 関係ないんだよ。たとえ別人でも、おまえをアンタルキダスに仕立て上げようとするだけだからな」
 レオは手を伸ばし、ヴィクトールの篭手に触れる。鱗と棘のごつい篭手。アンナが気づいてかばうより先にレオの指が棘に触れた。彼は急いで手を引っ込めた。
「……ヴィクトール、危ないとわかってたんだろうにどうして」
「目の見えない相手だからって、棘を引っ込める敵はいねぇんだよ。違うかい? おまえもこれでわかっただろう? 手を伸ばす前には、よく耳と頭を済ませておくもんだって」
 指先をさするレオはそっとうなずいたのだった。
「それでいい。最後に決めるのはおまえ自身だ」
 非難がましく見つめるアンナを無視して、ヴィクトールは揚々と煙草をふかす。

■Scene:小さなハリネズミ(5)

 ロザリアとレシアは連れ立って、クラウディウスに会いに来た。彼が装飾品をつけていないことを知り、なんとしてでも身につけておくよう警告しに来たのだった。
 スコットも説得しようとしたが、彼は「そのつもりはない」との一点張りだった。
「今から? それもいいかもしれないけど……やめておくよ。俺が信用するのは、この虹の羽根飾りだけだから」
 そういって商人は腰の羽根飾りを示して見せた。
「危うきに近寄らず、というのは? 主義に反するのではありませんか」
「俺はこの羽根飾りが気に入ってる。気に入ったものしか着けたくないし」
「私も別に、このマスクが気に入ったわけではありません。ただ……」
「いいんだ。もう何が起こっても後悔はしないよ」
 ロザリアは彼の意地を曲げさせることができなかったのだ。

 レオの護衛はクラウディウスの当番になり、ヴィクトールは余裕の格好で寝台に寝そべっている。アレクとアンナもその場に居合わせた。
「ご存じかもしれませんが、あなたの身に危険が迫っています。早くあの部屋の装飾品を、何でもいい、つけてください」
「卿にもお願いしたいことがあった。丁度良い」
 つかつかとロザリアに歩み寄るクラウディウスは、そういいながら彼女の腕をぐいとつかんだ。
「な!?」
 ロザリアの仮面の下の表情が、怒りと焦りの混じったものに変わる。
「……ふん」
 手の甲を一瞥し、クラウディウスは鼻を鳴らした。ロザリアは身を翻しその手をかばう。レシアが一歩前に出て、クラウディウスの乱暴を無言で咎めた。レシアはロザリアの力になることを決め、何かあれば身を挺そうとも決めていたのだった。
「遅かったようだな。残念ながら」
「ちょ、ちょっと騎士さま方。どういうことだい? 何の話を……身の危険だの何だのって」
「装飾品を持たぬ者が危ないのです」
 ためらいがちにロザリアは答えた。アンナは顔色を変える。まだひとりで歩けない少年は、装飾品を選んでいなかった。そのことを聞くとロザリアはクラウディウスに向きなおり、もう一度説得を繰り返した。
「あなたが今いなくなることがレオのためになると思いますか?」
「新帝陛下、だ」
 寝台のヴィクトールを一瞥し、騎士はかすれ声で答える。
「そして万難を排除するのが護衛官の役目だ」
「あなたの代わりに私やヴィクトールさんが護衛につけばいい。そう考えていらっしゃるのですか? 飾りを着けさえすれば、安全なのですよ」
「卿にお願いしたいのは」
 ロザリアの言葉を遮って、クラウディウスは告げた。
「万一、私が鳥に操られてしまうことがあれば、そのレイピアで」
「……?」
「私を刺す役を引き受けて貰いたいのだが、いかがだろうか」
「おとりになる気か」
 レシアは顔をしかめる。思い出した場面が、クラウディウスに重なった。
「鳥は私を狙うのだろう。待っていれば向こうからやって来てくれる」
「……あ、危ない話はよしとくれ」
 アンナはそっとレオに寄り添い、彼の細い身体を抱きしめた。まなざしは不信に満ちている。
「この島は、ただの離れ小島じゃあないんだね」
「はん、心配することなんてねぇよ。大丈夫さ……ちゃんと守ってくれるんだろ、騎士さまが」
 いつの間に目を覚ましたか、ヴィクトールはそういって、ロザリアを不躾にじろじろと眺める。
「もちろん、レオのことも出来る限り守ります」
 神聖騎士は、ヴィクトールのまなざしも意に介せず答えた。女の騎士、しかも若いとあなどられることはよくあった。敵に回したくはないけれど、いずれ一矢を報いてやろう。そんな気持ちがロザリアにはある。
「繰り返すが新帝陛下、だ」
「ああ、あんたも騎士さまだっけな」
 クラウディウスとヴィクトールの言葉が重なり、同時にロザリアに投げられた。

 結局クラウディウスは折れなかったが、レオには装飾品をつけさせることになった。手を引きながら例の小部屋に向かうと、レオは一度でおおよその道順をつかんだ。旅人たちとジニアが見守る中、彼はおずおずと手を伸ばした。最初にその手に触れたのは、白いハリネズミのマントであった。レオはそのマントをそっと引っ張り出し、身体に巻き付ける。
「すごいの選んだなあ」
とアレクは呟いた。
 よほどなくした記憶がすさまじいものなのか、あまり触れられたくないのか――問いつめるようなことはしないけれども、どうして白い鳥を追いかける気になったのか、いつか聞いてみたいものだと思った。


第3章へ続く

承前 白い鳥の誘い・疑心の仮面1.遠い呼び声2.ひとさじのお砂糖3.ささやかなお茶会4.雲の何処に5.小さなハリネズミマスターより