4.暁の星も見えず
■Scene:暁の星も見えず(1)
召喚師スティナ・パーソンは朝から張り切っている。
ジニアの手伝いをする許可を得たので、楽しみで仕方ないのだ。
「変わった人ね。掃除や洗濯がそんなに珍しいの?」
借り物のエプロンを着けたスティナは、とんがり帽子を外して三角巾の端を結んでいる。在りものの布は、ジニアがアンナに頼まれていたのを手渡した、残り布である。
「お掃除好きなんです。この館は随分やり甲斐がありそうじゃありませんか〜」
それに力仕事も慣れています、と付け加えてスティナは気合が十分であることを示した。
「まあ、ね。あの鳥はところかまわず羽根を撒き散らして回るから」
淡々といいながら、ジニアはスティナに箒を手渡す。
「手伝ってもらえるなら助かるわ」
「もちろんです〜。他にも人手が要るようでしたら、お友だちにもお願いしますからいってくださいね〜」
箒を受け取り、もう片方の手に持つ籠を見下ろすスティナ。
籠の中身は、ついついつくりすぎてしまったお弁当と焼き菓子だ。誰かのために食事をつくるのは楽しい。このお弁当は、《パンドラ》の部屋を掃除した後、《パンドラ》と一緒に食べようと決めていた。
スティナは《パンドラ》と仲良くなりたかった。あの子には友だちがいないように見えたから。小動物や精霊、妖精。スティナにはたくさんの友だちがいるというのに。
「お弁当もお菓子も残っているけど、捨てていいの?」
手籠に入りきらなかった分を示すジニア。
「お姫さま、受け取ってくださるでしょうか〜」
「あんまり一度に召し上がらないのよ。これだけ全部は無理だわ」
「でしたら……」
いいことを思いついた。
「ルーサリウスさんの滞在者本部と、新帝陛下のお部屋。あそこならいつも誰かさんが詰めていますよね〜。差し入れにしようと思いますわ〜」
「じゃあ持っていくのね」
「はい〜」
装備一式を整え、ジニアとスティナが厨房を出ようとしたとき、ひとりの旅人がふらりと訪ねてきた。
「あら、おはようございます〜レシアさん」
レシアは不健康そうな白さの肌を両手を覆うようにして、ジニアにひとこと、ナイフを貸してくれと告げた。
いわれたジニアは、まるで不思議なものを見る目つきでレシアを見つめる。
「なければ……包丁でも、フォークでもいい。扱いやすそうな刃物であれば」
レシアの声は感情を押し殺した低い声。対してジニアは面白がっている風である。
「目覚めたの?」
「何の話だ。ああ、そこの包丁でいい」
調理台の上の包丁に目を留めて、レシアは手を伸ばした。一瞬、ほんのわずかだけ逡巡し、柄を握る。
「ああ、レシアさん。鞘もお持ちになってくださいな〜」
「……ああ」
包丁の刃をくるむ鞘を差し出され、レシアは面倒そうに受け取った。
「護身用ですか?」
見上げるスティナの金と銀の瞳から、レシアは苦しげに視線を外す。ふとスティナは不安になった。菜食主義を通しているほど、彼女は殺傷が嫌いであった。
「ふふ。来たときから武器を帯びていなかったものね、この放浪者は」
ジニアは無言で、包丁の柄を握る感触を確かめていた。
■Scene:暁の星も見えず(2)
見習い召喚師のロミオが、展示室への扉の前で、ちょこんと座り込んでいる。
ロミオはスティナを探していたのだった。旅人たちの部屋を幾つか見て回ったけれども彼女は見つからず、仕方がないから展示室で待つことに決めたのである。
「たしか、展示室の絵を見に行きたいっていってたんですよね、スティナさん。ぼく、眠くなる前に会えますかね……」
ロミオがぽつぽつと呟いているのを見つけても、ヴィクトールのように我関せずと放っておくものもいたし、ヴァレリのように遠巻きに眺めて気にしながらも、自分は姫君に爪を立てていたりするものもいる。ヴィクトールのほうはそのうち、アンナと一緒にどこかへいってしまった。怖い人がひとりいなくなってロミオは安堵した。
「……お姫さま、痛くないんですかね、本当に……」
絵があるからお姫さまはさみしくない。それはロミオにもわかる。けれど、痛いということがわからないなんて。相変わらずロミオは答えを出せていない。
ヴァレリが思い切り爪を立てても、姫君たちはうっとりと微笑んでいるだけだった。あんなふうにされて、ぼくだったら泣いちゃいますよね、とロミオは思う。
痛み。それを知るためには、自分が痛い思いをしなければならない。
ロミオが知っているのは召喚に失敗したときの痛みだ。ロミオはまだまだ見習いで一人前ではない。スティナなら――ほんものの召喚師ならば、そんな痛い思いもしないのだろうか。少し、いやかなり、憧れる。
「スティナさん……教えてほしいです。うー」
いつかえらい召喚師になりたい。そう願うロミオは、本物の召喚師の訪れを待ち、いつしか寝入っていた。
■Scene:暁の星も見えず(3)
姫君の座する広間を過ぎ、展示室の前まで来たところで、ジニアはほう、とため息をついた。
「起きなさい、見習い。邪魔よ」
「むにゃ、カトレア先生、ごめんなさいです……」
「知らないわ。ほら、立って頂戴」
「だめですよ〜ジニアさん。子どもにはこうやって」
うたたねしていたロミオがふと気づくと、スティナが目の前にしゃがみこんでいる。どうしたの、と声をかける本物の召喚師は、金と銀の瞳も不思議に輝いて、ロミオの目にはとびきり立派に映って見えた。
一方で、ジニアはいらいらした仕草でロミオを見下ろしている。
ごめんなさい。反射的にロミオは謝り、扉の前からとことこ移動した。
「ぼく、召喚師さんを待っていたです。おはなし聞きたくて」
スティナはロミオと同じ高さに目線をあわせ、微笑んだ。
「いいですよ〜。私のやり方はひととは違うかもしれませんが、それでもよければおはなししましょうか〜?」
「は、はい。おねがいします。ぼく、偉い召喚師になりたいです」
くすくす笑いのスティナは、自分の三角巾をロミオにちょこんとかぶせる。
「それじゃあまず、一緒に会いに行きましょう〜」
「誰にですか? お姫さまにですか?」
「《パンドラ》さんのところにです〜」
「掃除よ。それと世話」
冷たく言い放つジニアが、展示室への扉を開ける。
ロミオはちらりと玉座を見やり、ジニアについてゆくスティナの背中を慌てて追いかける。
■Scene:責任(1)
ルーサリウス・パレルモの自室、いわゆる滞在者本部には、ふたりの女性が訪れている。
ひとりは紡ぎ手アンナ。もうひとりは司書のセシア=アイネスだ。
「これから《満月の塔》を探しにいこうと思う」
役人に告げたセシアへ、アンナは不安そうな目を向けた。意にも介せず、自信ありげにセシアは続けた。
「何か問題はありますか? 外出するときには、ここの許可が要るのでしょう」
「許可じゃありませんよ。こちらで動向を把握しておきたいだけですから」
手帳の中、セシアの項にその旨をさらりと記してルーサリウスは顔を上げた。耳のあたりで切りそろえられたハニーブラウンの髪が、セシアの少年のような面立ちを強調していた。
「私はこの島のあるじではないし、皆さんの行動にとやかくいうことはできませんからね。とはいえ……《満月の塔》ですか」
ルーサリウスはセシアの着けている耳と首輪を一瞥した。
「そう。理由も貴公に説明せねばならないのですか」
「ローラナさんが倒れてしまった際に、貴方は居合わせたのでしょう」
「そのこととは関係ない。《塔》に行こうと思ったのは僕の意志だ」
会話の行方を測りかねてセシアは断じる。ルーサリウスはとても大人らしかった。まろうどの中でも最年長であることを考えれば当然なのだが、彼は自分を必要以上に子ども扱いしている気がして、あまり気持ちは良くなかった。
自分は大人だ。セシアはそう思っている。
ルーサリウスを見ていると、もっともっとそう思いたくなる。
同じ青い瞳だ。片や不穏に、片や保護者らしさも含んで視線を交わしているふたりを、アンナは言葉を挟むいとますら見つけられずにいる。
「そんなつもりでいったのではありませんよ。セシアさん。《満月の塔》の場所がわかったというのですか? それならばぜひ教えてもらいたいですね。最終手段とはいえ、帰り道にもなり得るはずですから」
セシアはきょとんとした。年相応の驚きを浮かべ、《塔》へ至る道が見つかったのではないかと尋ね返す。
「かつてのマロウさんならば知っていたと聞いていますよ。そして、《塔》で願いを叶えるためには何がしかの代償が要るのだとも。ですから、《塔》により《大陸》へ帰還するのは最終手段になるはずです」
「別に――叶えたい願いがあるわけじゃない」
高くて広く見渡せる場所に行きたいと思っただけなのだ。そこから見える景色が知りたかった。空に近づけば自由を感じることができるかもしれなかったから。
そう続けようとして、セシアは口ごもった。子どもっぽいと笑われる気がした。
「そうですか? 私は興味がありますけれどね。この島の不思議な力と、《大陸》へ戻る方法について」
生真面目な口調でそう語るとルーサリウスは手帳を閉じた。
現実的な手段を探すのは、やはり自分の役目なのだろうとの思いがいっそう強くなる。
「セシアさん。外を巡った人の話を聞いても、《塔》のような高い場所は見つからなかったそうですよ」
「そうなのか」
わずかに頬を膨らませるセシア。ルーサリウスに諌められたと感じた反抗心は消え、持ち前の好奇心が動き出していた。
「ということは、貴公はどう考えるのです? 魔法の心得がある者なら見える、逆に普通のまろうどには見えぬとでも。あるいは、一定の条件が揃ったときに初めて《塔》への道が見つかるようになっているとか?」
「わかりません、まだ。思考の余地があると思っています」
ふたたびルーサリウスは手帳を繰る。
旅人たちの素性を記した頁には空白もある。例えばレシアは、協力を拒んでいた。
シストゥスの項。アレクが見つけた手帳片の写しに記されていた言葉――帰り道を求めるならば外ではなく内へ。
マロウの項。死を運ぶ運び手になることを望まず、記憶を代償にして《塔》へ至る道を捨てた旅人。
次いで、ジニアの項。望んで留まることを選んだ旅人、あるいは、選択を誤らぬために留まっている旅人。
鍵を握るのは彼女しかいない。ルーサリウスは思う。
■Scene:責任(2)
「私の話も聞いてくれるかい、お役人さま」
それまで邪魔にならぬよう努めていたアンナが切り出した。恐れられているような心あたりもなく、せめてもの笑みを浮かべようと努力しながらルーサリウスは応えた。
「どうされましたか」
「夢の話をご存知だろうか。不思議な光景を夢で見ている者がいるという話を……」
「詳しく教えてくださいますか」
改めてルーサリウスは、話を余さず書き取れる体勢に陣取ると、アンナを促した。
彼女が語ったのは、不思議としかいいようのない夢の話である。占い師エルが夢占いをするといっていたのは、これだったのか、と合点がいった。
特定の者たちが、同じ夢を見ていること。
夢の中で交わされる会話や歌詞までもが一致していること。数え歌――かどうかはわからないけれど、と付け加えるアンナは、自分はすべての夢を見ているわけではないといった。彼女が見ているのは数え歌の夢だ。
「複数の夢が入り混じっているというのですね」
「難しいことは、よくわからないよ。でも不吉な感じがする。皆が知っておいたほうがいいんじゃないかって思ったんだ。姫さまたちにも、マロウやジニアにも」
うなだれショールの端を握り締めるアンナは、ひどく小さく縮こまって見える。
彼女が語るがままに、ルーサリウスは書き綴った。
数え歌のような節回しの言葉。
――『鳥と刃は剣を手に。狐と犬も剣を手に』。
姫君たちの会話。
――(鳥なら落とし、刃なら折り、狐なら撃ち、犬なれば手なづける)
――(すべては《死の剣》の選ぶがままに)
そして目と口を閉ざされた髑髏の刻印の存在。刻印を得た者が、この夢を見ているらしいこと。
ルーサリウスはため息をつき、唇を結ぶ。この話を全員に知らせることを約束すると、アンナは肩の荷が下りたとばかりに安堵した表情を浮かべた。
■Scene:暁の星も見えず(4)
円形の大広間の外側を、ぐるりと回廊が取り巻いている。展示室だ。扉を開けた向かい側の壁には大きな絵画がいくつも並んでいる。飾られた絵の前を通り過ぎ、ジニアとふたりの召喚師が歩いていく。
「たくさんあるのですね〜姫さまたちのコレクション……」
「この部屋は掃除しなくていいから楽なんだけど、よく鳥が漏れてくるようになってしまって」
ジニアは姿勢も正しく燭台を掲げている。足元の絨毯には、たしかに鳥の羽根らしき白い欠片が点々と落ちていた。
「《パンドラ》さんのすみかにしては、少し遠くてさみしいのではありませんか〜? お友だちがいないところにいるのは辛いですもの、きっと」
「なるほどね。そんなこと、考えたこともなかった」
ロミオはスティナの白いローブにしがみつきながら、並んでいる絵を眺めてついてゆく。
「この絵、だれがかいたんです? とても上手です」
「文字の代わりに残すのだそうよ。鳥が招いたまろうどたちを、姫さまたちの御前に案内されるでしょう?」
「ええ、ご挨拶したのですわ〜。そうして物語を許されたのです〜」
「するとそのまろうどの絵が出来上がるの。姫さまが受け止めたまろうどの名前を題名にして、ね」
ロミオが足を止めた。くいとスティナも引っ張られ、つられてロミオの視線を追った。
「ちょっと、こわい、です」
いつもはくりくりと動かされる大きな青い目は、絵を見て泣き出しそうに歪んでいた。
スティナの絵がそこにある。題名は《空気》。飾りの片羽をつけている。
目の前で話し、笑い、動いている人が絵の中に閉じ込められているような気がして、ロミオは怖かった。
「絵にしていただくのは初めてです〜。なんだか恥ずかしいものですね……ジニアさんの絵もあるのでしょうか〜?」
「まだあるわ。姫さまたちの分はないけれど」
答えるジニアの顔の仮面が、蝋燭の明かりを映して暗く燃え上がるように見える。
「……ほら、ここよ」
そこで話題を打ち切り、ジニアは一枚の絵を示した。黒い絵の前である。
額には棘のある縄がでたらめに掛けられている。足元にはたくさんの羽根が落ちていた。
「いよいよですね〜」
ロミオと手をつなぎ、ジニアにいざなわれるまま奥へと進んだ。絵の裏側へと滑り込むような感覚が訪れる。
スティナの心には新たな疑問が浮かんでいる。お姫さまとの謁見の際に旅人たちの絵が描かれ、残されているというのならば……私の絵にはどうして装飾品の羽までもが描かれていたのでしょうか?
もしかして私が何を飾りに選ぶのか、お姫さまたちはすでに知っていたのでしょうか?
■Scene:異形
床にうずくまるそれを目にして、スティナは無言でひざまづいた。
襤褸にくるまった獣――荒れた毛並み。異形の角。大きな耳と太い尾。そして背中の無残な刻印。目と口を塞がれた髑髏のしるし。獣の周囲に飛び散る血痕。たくさんの羽根が落ちている。白い羽根。血に染まり、汚れている。
壁に穿たれた穴にはめ込まれた蝋燭の光が、そのありさまを照らし出している。
「《パンドラ》、ですか? このどうぶつ」
ジニアの後ろに隠れ、顔だけ覗かせるロミオが呟いた。それは汚らしくて不気味だった。召喚の作法を間違えたときに呼び出されるような、不完全なものに似ている。
「鳥さんじゃないです?」
「鳥はこの獣から生まれるの……また汚して」
ジニアは吐き捨てると眉をひそめ、つかつかと歩み寄る。ロミオは戸惑いながら、それでも獣に近づくことが出来ずに立ち尽くしている。
スティナは獣をかばった。ひざまづいた位置から見上げたジニアは、仮面も手伝って恐ろしい相手のように思えた。
「そんな……この子はさみしいのです、きっと」
「だって、掃除できないわ。放っておくと汚れた羽根だらけになる。いくら姫さまたちの玩具だからって、好き勝手汚されたら敵わない」
うなずきながらスティナは獣を抱きしめた。ジニアのいうこともわかるけれど、スティナはもっと《パンドラ》のことを知るために来たのだ。だから彼女は、この檻の掃除を引き受けた。
「任せてもらえませんか? きちんと世話をいたしますから〜」
獣を抱いた腕から温もりが伝わってくるのを感じながら、スティナは微笑んだ。怖くはない。この子も生きていることがわかったから。次第に手の平が熱くなる。それでもスティナは手を動かさない。
「好きにすればいいわ。私は他のところをやるから」
ジニアは背を向け、出て行った。物好きなまろうどね、と呟きながら。
動けなかったロミオは意を決してスティナに駆け寄った。スティナのいうとおり、ロミオにも獣は哀れな生き物に見える。
「……あ!」
するりと音もなく、何かが出現した。びくりと身を震わせてロミオは目を閉じる。白いとんがり帽子を目深に引き下げ、しゃがみこんだ。
「ケイオス〜怖がらせては駄目ですよ〜」
スティナは悲鳴のかわりに、のんびりと間延びしたいつもの口調で出現したものに声をかけていた。
「ほら、ご挨拶ですよ〜。ロミオさん、はじめましてです。ケイオスっていうんですよ〜」
「召喚ですか……!」
ぽかんと口をあける。召喚師見習いは、これが本物の召喚の技なのだと思った。翼をはやした赤い瞳の狼が、スティナの傍らに控えている。
「《パンドラ》さんと、少し似てます……ケイオスさん」
「黒い毛皮は似ていますね〜。《パンドラ》さん、怖がらないでくださいね。お友だちになれるといいのですが……」
スティナはそういって、《パンドラ》の毛並みに手を滑らせた。刻印を穿たれた獣はおとなしく身を伏せて、じっと成されるままである。スティナの魔獣ケイオスは、吼えるでもなく、スティナを守るように見守っている。
スティナの手が獣の背の刻印に触れた。そこだけは毛皮が傷跡のごとくめくれ爛れて、見るだに痛々しい。
けれどお姫さまたちにとって、見るだけで痛々しい、などという感傷は通じないのだろう。痛みを覚えていなければ、相手の痛みを想像することもできないのだから。スティナは目を閉じる。毛皮の感触は、まるでケイオスを抱いているかのようだ。
ロミオも隣でしゃがみこみ、怖いのを我慢しながら、そっと獣に手を伸ばす。触れた指先に、ちくりと何かが走った気がして引っ込めるが、スティナは気づかず目を伏せたままだった。
「髑髏の刻印がお姫さまたちの力であるなら、取り除くすべもお姫さまたちはご存知のはずですね……」
「どくろ……どくろは、いやです。どくろは、死んじゃうです」
「死をもてあそぶ意味は何なのでしょうか。この子は……それを知るでしょうか〜」
「おねーさん、おねーさんも、悲しいことあったですか?」
ロミオがどうやったか検討もつかないほど上手に魔獣ケイオスを召喚したスティナ。立派な召喚師であるはずなのに、彼女はなぜ迷うのだろう。うまく言葉にできないけれど、ロミオには、それもまた不思議にうつる。
「悲しいこと。手に残る遺品は母の帽子のみ。忘れる事無き、取り戻せぬ過去。例え満月の塔に至るとしても過去を望む事はな
い。罪を放棄せず償う為に生きる。奪ったモノの時間をせめて楽しく……死した時、その身体と魂共に残る事はなく。すべては精霊・妖精・獣たちとの誓い、そして願い」
口ずさむようにスティナは唱えた。傍らでケイオスが首をもたげ、慰めるようにスティナの頬を舐めた。
「ありがとう、ケイオス」
「おねーさん。お師匠さまにそうだんするといいと思うです。困ったときはお師匠さまがいちばんなのです。ぼくのカトレア先生も、お勉強いっぱいするです」
「ふふ。私にお師匠さまはいないのです〜」
ロミオは、そんなに上手に召喚できるのに、と驚いてスティナを見つめた。獣に対する恐れは忘れていた。
「父がお師匠さまといえるでしょうか〜。魔獣の召喚は、兄のほうが得意だったんですよ〜」
「ちち。おとうさん……ですか」
ふいにロミオはうつむいた。スティナが身を乗り出しても、帽子の先が見えるばかりだ。
「どうしました〜?」
「ぼく……おとうさん……ぼくのおとうさんもすごく有名な召喚師なんですけど……」
スティナの心の奥が痛んだ。ロミオの中のどこかを傷つけてしまったらしい。高名な召喚師の子ということは、この小さな召喚師見習いは、大きな期待を背負っているということだ。
「ロミオさん。すっかり遅くなってしまったけれど、お弁当にしましょう。《パンドラ》さんも。焼き菓子もありますよ〜」
家族をすべて亡くしたスティナは、ロミオが抱える家族の絆に憧れに似た気持ちを抱きながら、お弁当を詰め込んできた籠を取り出した。掃除を終えてからのつもりだったけど、後からきちんとしますから。こっそりジニアに謝りながら、彼女は手製のお弁当を広げる。
獣はケイオスとよく似た仕草で、スティナとロミオに身体を摺り寄せている。
「……ぼく、りっぱな召喚師に、なれるでしょうか」
「なれますよ〜、ロミオさん、きっと素晴らしい召喚師に」
この子が大人になるときには、自分のような体験をしないでほしい。そう願うスティナだ。
■Scene:責任(3)
ルーサリウスはジニアを誘うことにした。女性を誘うのは久しぶりである。マロウが記憶を失っている――自発的にせよ、強制的にせよ――以上、この島に関する情報を得るにはジニアからということになる。
「外へ?」
「ええ。森にでも。散歩にでかけませんか」
鼻白んで聞き返すジニアだが、仕事がひと段落したのか、すんなりとルーサリウスに従った。
旅人たちどうしの話を聞くに、島の住人はマロウもジニアも、こちらの申し出を受けてくれるようである。それが、姫君たちに物語を許されているからなのかどうかははっきりしないけれど。
「外はマロウの領分だから、あまり出ないわ。特に森なんて」
館の外の空気を吸い込んで、ジニアは呟く。
「私も昔よくいわれましたよ。机にかじりついて仕事ばかりしていないで、たまには外も歩いたら、とかね」
館の中の色彩は静かに沈むようなものばかりだが、一歩外へ出ると対照的な緑と碧が目を刺した。深く緑濃い森の中、ルーサリウスは日陰を選んで歩いた。太陽の強烈な日差しは、森の木々がいくばくかを和らげてくれる。
「仕事が好きなのね」
「最近はそうでもありませんよ。ここへ来る前には本を読んだり、お茶を愉しんだりするようにしていたのでね」
会話を通じて、ジニアに対しての認識が新たになる。やはり、彼女は信頼に足る女性に思われた。
なぜだろう。決して悪意のある人間でも状況を面白がるような人間でもないだろうからか。久々に女性を伴って歩いているというのに、そんなことばかりを考える自分にルーサリウスは苦笑する。
仕方がない。エルリックとは違うのだから。
そして彼は散歩の目的……ジニア自身についての話題を持ち出した。ここならば、ふたりきりで誰にも邪魔をされることもないだろう。周囲の目と耳があるところでは難しい質問に対しても、答えやすいようにとの配慮であった。
「ジニアさん、貴女の絵の話を聞きました。装飾品を外し、剣を手にした姿で描かれているそうですね。マロウさんの絵も、いつもの銛ではなく白い剣を帯びたものなのだと。教えてもらえませんか? 剣を持たず装飾品をつけたまま描かれている者と、そうでない者。この現象はどういう意味を持つのですか?」
ルーサリウスの半歩前を歩いていたジニアは、裾の長いスカートを翻し、半身で向き直る。
「法の僕さん、貴方はまだ……」
口ごもった言葉は何なのか。
ばさばさ、ばさ……。
いずこかから、白い鳥が飛び立った。3羽の白い伝書鳩だ。島に来て初めて伝書鳩を見た、とルーサリウスは思った。
「《満月の塔》に至る道、扉はもうじき開かれるわ。鍵を使わなくても開く扉もあるの」
ジニアは鳥の行方を目で追いながら告げた。
道は二通り。鍵を使って至る方法と、もうひとつ、別の扉を開いて至る方法。
どちらも行き着く先は同じ場所。
「鍵は扉を開くためにある、というわけではないと?」
「そうよ。鍵を持たない者であっても、扉を開く可能性は残されているの。そこが……姫さまのお考えのよくわからないところでもあるんだけど」
「扉のほうは……鍵を使わないほうの道は、いつごろ開かれるのです?」
「そうね。伝書鳩があともう一羽飛び立てば」
「《パンドラ》でなく? 伝書鳩?」
ジニアは曖昧に微笑んでいる。気のせいか、散歩に誘う前よりもジニアの表情が和らいだように思えた。彼女はこんな顔をする人間だっただろうか。役人はこの状況を喜んでおくことにする。
「ということは、貴女は最後の伝書鳩が飛び立つのはいつ頃か、おわかりなのですか?」
「それはまろうどたち次第」
「えっ」
「まろうどたちの物語が影響するのよ。いつになるかはわからない。明日かもしれないし、もっと先かもしれない……でも時をはかることは無意味、いったでしょう? いつになろうと、いつかは開くわ」
「貴女は辿りついたのですね」
いいえ、とジニアは首を振る。
「私は選ばなかった。誤った選択をしないために、姫さまに仕えることを望んだ」
「何故です? 選択には困難がつきまとうのですか? 貴女は代償として奉仕しているのではありませんか? それは」
「どちらを選んでも袋小路。そういう選択を迫られるときもあるのよ、ルーサリウス」
選べないから、留まり続けている。ジニアはそういっている。ルーサリウスは、今のやりとりが彼女の気分を害せねばいいが、と逡巡し、会話の接ぎ穂を探す。
選べるようにしてやれば。ジニアは選択するはずだ。
少なくとも彼女がこの島に留まり続ける理由は、そこにしか見つからない。
■Scene:責任(4)
ルーサリウスの思考は、錬金術師サヴィーリア=クローチェがひょこりと現れたことで途切れた。
「あら、ルーサリウスさん。本部のお部屋に寄ったんだけど、いらっしゃらなかったから……」
彼を認めるなり、錬金術師は本部への報告を怠ったことを詫びる。
「いいんですよ。がちがちに考えていらっしゃる方も多いようなのですが、私はただ、皆さんの行動をできるだけ把握しておきたいだけなんですから」
サヴィーリアは何やらよかった、と呟くと、改めて自分は薬草を摘みに来たのだといった。黒い長衣からのぞく猫の尾が、真紅の髪にあわせて揺れている。
「薬草? ああ、あの少年のため?」
ジニアは新帝を思い浮かべたらしい。
「レオくんのこと? 違うわ。さすがに記憶を取り戻す薬、なんて作るのはとてつもなく難しいだろうし」
かぶりを振るサヴィーリア。レオのためにも何かできればいいのだが、まずまず体力も回復してきたと聞いている。思いつくのは栄養剤くらいである。
「栄養剤、それは便利かもしれませんね。陛下だけでなく、滞在者たちの中にも疲れが見えている者がいるようですし」
「でも、苦いですよ。とても」
おっとりと眠気を誘う声で答えるサヴィーリア。
「良薬口に苦しですから」
「大人なら、それでもよいかもしれませんね」
「錬金術とは、どのような薬でもつくれるのかしら」
ジニアが不意に口を開いた。その語気に、先ほどまでルーサリウスと散歩していたときにはなかった棘を感じて、ルーサリウスはおや、と不思議に思う。
「どのようなとおっしゃられても、そうですね……」
口元に指先を添え、サヴィーリアは錬金術について簡単に説明した。
「私の修めている錬金術という学問は、さまざまな物質を変化させていくことによって、最終物質を生成することが目的なんです」
「金ですか」
「その場合もありますね。例えばルーサリウスさんのその指輪」
サヴィーリアは、役人の指に光る指輪を示した。
「その指輪は金色に光っているけれども、金でできてはいません。金色に輝く加工を施している。でも錬金術によって段階的に物質変化を続けていけば、その指輪を完全な金製にすることも可能……もちろんその過程では、いろんな薬品や器材が必要になるのですけどね」
だから錬金術師は薬の扱いにも詳しいのです。そういってサヴィーリアはジニアの様子を伺い、続ける。
「最終物質のひとつが、万能薬と呼ばれている秘薬。完全に抽出された秘薬は、死の淵の病人をも即座に快癒させるほどの力を持つといいます」
「すごいじゃない。それがあれば、死を恐れることもないわ」
サヴィーリアは困ったように口を曲げた。たしかにいずれは、万能薬をつくりだすことがサヴィーリアの目標でもある。
ルーサリウスも興味深そうに耳を傾けている。
「無から有を生み出せるわけじゃない。物質変化には段階がありますから、最終物質に至るまでにはどれほどの薬剤が必要なのか……見当もつきませんね。見たところ、この島の植生を利用して調薬できそうなものは初歩的な、そう、睡眠薬だとか……」
そういえば、なかなか寝付けないとこぼしていた学者がいた。義手の音声学者スティーレ。
眠れぬ夜は謎々に興じていると聞いている。睡眠薬は入用だろうか。
「他には?」
「作ろうと思っていたのは鎮痛剤よ」
それくらいの材料ならば、初めての島でも薬草の目利きができるだろうとサヴィーリアは踏んでいた。また実際、これまで森の中を歩いてきて、必要な薬草を数種類見つけることもできていた。
「鎮痛……ですか」
見ればルーサリウスは、何やら思案顔である。
「毒薬は。作れないのかしら」
突然のジニアの台詞は、しばらく理解するのに時間がかかった。サヴィーリアは銀灰色の吊り目を見開き、どくやく、と繰り返した。
「そう。毒草があれば作れるのではないの? 錬金術師」
「それは……材料さえあればいくらでも……ではなくて」
サヴィーリアはルーサリウスを気にして言葉をはばかるが、彼は鎮痛剤に思うところがあったのか、珍しく物思いに沈んでいるようである。
「最初は私も、気まぐれに、毒性の強い薬でも作ってみようかと思ったんですが。いらぬ騒動を起こしても面倒だし……」
「必要があったら作ることができるのね」
なぜかジニアは、毒薬について執拗に知りたがった。調薬の際に厨房を借りることを快諾してもらった手前、少々気がとがめながらも、サヴィーリアはうなずいてみせた。
睡眠薬、鎮痛剤、そして……毒薬。
最後のひとつを調薬するべきか、サヴィーリアも決めかねている。
「錬金術は台所からうまれた学問ともいうけれど」
健やかであることを願い料理をつくるべき場所で、そのような危険なものを生み出すことはためらわれた。
6.さよならの代わりに へ続く