PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第3章

6.さよならの代わりに

■Scene:獣たちの場所(1)

 ルシカとエルリックが姫君の許可を得て《パンドラ》の元を訪れる。と、先客であったスティナとロミオが彼らを招いた。ふたりの召喚師は、ゆったりとした白い服に身を包み、よく似たとんがり帽子をつけていた。彼らの傍らには黒い毛並みの動物が二匹寄り添っている。一瞬エルリックは不思議な場所に迷い込んだのかと思った。妖精の場所、そんな雰囲気だ。
「ルシカさん、エルリックさん。どうですか〜、お弁当がまだ残っているんですよ〜」
「おねーさんのおべんと、おいしかったです。みんなもうたべましたです」
「わ、お掃除したんだね!」
 見違えるほどその部屋は綺麗になっていた。散らばっていた羽根は掃き清められている。明かりこそ蝋燭ほどの弱弱しい光しかなかったけれど、汚れた閉塞感はかなり薄められていた。
「この子はだあれ?」
「おねーさんの、おともだちです」
「ケイオス〜、ご挨拶して頂戴ね〜」
「ふうん。見たことのない動物ですねえ」
 恐る恐るエルリックが手を伸ばした。見た感じ子どもの狼といった姿かたちのケイオスは、伸ばしたエルリックの指先をふんふんと嗅いで、赤い瞳をぱちくりと瞬いた。
「賢そうだなあ」
「ケイオスは賢いですよ〜」
「パンディーちゃんのお友だちってこと? よかったねパンディーちゃん!」
 ルシカが呼ぶのを自分だと理解したのか、獣の《パンドラ》はゆっくりと首をもたげ、鬣を振るった。ケイオスという子犬と同じような仕草で、ルシカとエルリックにすりよる。
「この子もやっぱり言葉がわかるんだね。えへへー」
 ルシカは嬉しそうに獣を抱きしめた。姫君たちとともにここへ来たときは、異様な恐れと、見てはいけないものを見てしまったという後悔に苛まれたけれど、こうして旅人たちと一緒に触れている《パンドラ》からは、そんな恐怖は微塵も感じない。
 エルリックも同じことを思ったらしく、変わったなあ、などと呟いている。少なくとも誰かから傷つけられているわけでもない。異様な外見とその性癖から傷つけられていることがあれば、かばってあげなければと思っていたエルリックは安堵した。
「おねーさん、おにーさん。この子と遊びに来たのですか?」
「そうだよー」
 ルシカは《パンドラ》を抱きながら、もう片方の手でロミオをぽふぽふと撫でてやる。
「ウィユ姫さまとレヴ姫さまにお願いしたんだっ。パンディーちゃんを自由にしてあげてって。だってそうでしょ? せっかく探したい相手がいるのに、探しにいけないなんて可哀想だもんね。お姫さまたちいいっていってくれたよ。だから、外に連れてってあげるの!」
 《パンドラ》はルシカの胸元で音を奏でる旋律球が気になるのか、じっと見つめている。
「あっでもー……鳥のほうのパンディーちゃんだったら空から探せるけど、こっちの子だとそれは無理かなあ。どう思う? エリ君」
「うーん。元々はこの獣の身体が、《パンドラ》なのかな。姫君の記憶を見せてもらったときも、浜辺に流れ着いていたのはこの子だったし」
 自信なさそうにエルリックがいった。姫君の記憶がどこまで正しいものなのか、確かめるすべは今のところはない。
「海から来たんですか……泳ぐのすきなのですかね?」
「流されてきたらしいよ。レオ陛下と同じようにね。マロウさんが見つけたんだって」
「鳥さんだったらとんでくるです」
「そうだね。だからやっぱり、鳥の子のほうは、この獣の子の中にいるのかな」
 エルリックは、《パンドラ》についてもっと知りたいと思っている。
「じゃあスーちゃん、行こ!」
 スティナの手を引き、ルシカは立ち上がる。手と手が触れた瞬間、互いにちくりと柔らかな衝撃を感じ、ふたりは一瞬見つめあった。手の刻印がざわめいていた。
「……行くってどちらへですか〜」
「外だってば。いったでしょ。パンディーちゃんを放してあげるの。そしてルーを探すのを手伝ってあげるのよ」
 ルー。
 ルシカが口にしたその言葉に反応するかのように……。
 獣の背中に穿たれた刻印から、皮を脱ぐようにして鳥の子が現れた。
 ケイオスが背を低くしてうなりを上げる。スティナは狼の頭に手を添えて安心させようとする。ロミオもスティナの影に隠れた。目の前でうまれた鳥の子は、てらてらと肌を輝かせてあえやかに笑っていた。どこからともなく風が渦をなす。たくさんの鳥の羽根が出現し、鳥の子を取り巻くように螺旋を描いた。
(ルー……ルー……そこにいるの?)
「パンディーちゃん、来たのね! さあ、行こうよ、ルーを探しに行こ!」
(約束……したでしょう、ルー……)
 鳥の子は浮遊しながらルシカの側に寄り、手のような翼を広げて彼女を抱きしめた。
「うん、わかってる。ルーに会いたいんだよね?」
 ルシカはその子の手を引いた。
 姫君に触れたときと同じような快感が、はっきりと伝わってきた。
「僕も手伝う」
 エルリックが《パンドラ》にいった。
(ルー、愛してる……)
 ふわりとエルリックの元へ舞い降り、彼にも《パンドラ》は口付ける。

「あれ、召喚ですか……」
 ロミオがスティナの影からかぼそい声をあげた。
「鳥を召喚、したんですかね……僕、立派な召喚師になるためには、あんな子も呼べるようになったほうがいいんですかね?」
 頼りきった瞳でロミオは見上げている。
「お友だちになったなら、応えてくれるのかもしれませんね〜……」
 スティナの召喚術の基本は、互いに信頼関係を結ぶこと、信頼している友だちに力を貸してもらうようお願いすること、である。
 だが目の前で獣の中から現れた鳥は。
「この方は……」
 獣のほうに目を留める。刻印から鳥をうんだそれは、力を使い果たしたようにくたりと倒れて動かない。脱ぎ捨てられた皮が放り出されているように。
 くるり。
 スティナは背にした壁を振り返った。あわせてロミオも、スティナの視線の先を見上げる。
「《パンドラ》の檻。ここはジニアさんがそう呼んだ場所」
 背後にかけられているのは、棘のある縄がでたらめに掛けられた大きな絵。まだ掃除を終えていない場所。
「この絵、外からもみえましたです」
「そうですね〜」
 絵の裏側に入れば、ここに来ることができるのだ。どうして《パンドラ》は、ここに住まわせられているのか。流れ着いた旅人と同じ扱いをするのは無理でも、妙に念入りに隠されているのはなぜだろうか。
「スーちゃん、行こうよー」
 ルシカが叫ぶ。鳥の子を従えて外へ出るのへ、スティナとロミオも後を追う。
「ねえパンディーちゃん。ルーってどんな子? 姿とかわかるかな?」
(……愛している。誰よりも……ルー……)
 エルリックも残していく力ない獣に後ろ髪を引かれつつ、ルシカたちについていく。

■Scene:獣たちの場所(2)

 夜。
 ひとりで檻にやってきたレシアは、あたりを見回して鳥の子がいないことに気づく。
「……脱ぎ捨てられた皮、か」
 くたりと動かない獣のほうは抜け殻にすぎない。
「鳥がいなくては……」
 ジニアに約束したのだ。そのために護身用の刃物が必要だった。言い聞かせるようにしてレシアは待った。
 暗がりで息を潜めて待つのは久しぶりだった。この島では時をはかることは無意味らしいが、自分の記憶までもが風化するわけではないらしい。それはそうだ、とレシアは自答する。そんな便利な現象など起こるわけもない。マロウは取引で記憶を消したのだ。自分はどうしようもなく、背負うべきものを背負い続けて生きるのみだ。
 部屋のあちこちには、《パンドラ》の世話をしていたものが残していった荷物が散らばっている。
 手籠。お弁当の残り。手作りの焼き菓子。
 仮面越しに見やるそれらの品々は、《パンドラ》の檻にはひどく不似合いに思えた。
 目を細め、壁際にしゃがみこみ、レシアは待つ。
 これらの荷物を取りに戻ってくる者もいるかもしれない。《パンドラ》もその人物と一緒の可能性が高い。
 待つのは得意だ。

 話が通じる相手ならいいのだが。会話が成り立つのかも覚束ない。
 聞くところによれば《パンドラ》は、壊れた蓄音機のごとく同じ語句を繰り返しているだけらしいから。
「ロザリアにだけは手を出させない」
 獣のようにうずくまるレシアは膝の間に顔を埋めた。
「おまえがルーを大切に想うのと同じ。私にとってもロザリアが大切だから」
 ……ロザリアが無事ならばそれでいいのだ。まっすぐ前を見て生きようとしている彼女は眩しい。私のようにどうあがいても幸せになることを許されぬ日陰者は、彼女の姿を眩しく見つめるだけでいい。

 誰かがやって来た気配に、レシアはいっそう息を殺した。
 エルリックが、鳥の子を連れて戻ってきたのだった。

「僕がルーになってあげられたらいいのにね」
 こっそりとエルリックは囁いた。
 《パンドラ》はまるでその想いを読み取ったかのように微笑み、エルリックを抱きしめた。
「……抱き合っていると気持ちいいね」
 言葉にすると不思議に感覚が逃げていくような気がする。
「残念だったね。あまり面白そうな場所がなくて。今度はもっと別のところに行こうか……ねえ、《パンドラ》」
(ルー……探し続けるわ……会えるまで……約束を果たすまで……)
 エルリックの手から、翼がするりと抜け出した。
 快感の潮が引いていくのをエルリックは残念に思った。見ると、抜け殻だった獣の背中で、髑髏の刻印が白く光っている。エルリックの手の甲でも、同じ刻印が光を放っている。光がざわめく度に、《パンドラ》と触れ合うときの快感が身体を巡ってゆく。
 ふと気づくと、薄闇に浮かび上がる刻印はもうひとつあった。
「誰?」
「ちっ」
 影から踊りだしたのはレシアである。手の甲に白い髑髏を浮かび上がらせて、彼女は無表情にエルリックを突き飛ばし、浮遊する羽根をまとう鳥の子に対峙した。
「……う!」
 ぞくり。レシアは身を震わせる。握っていた包丁は輝く白い光に包まれて、剣に姿を変えていた。高揚感が身体を駆け巡る。ぞくり。もういちどレシアは身を震わせた。二度とは持たぬと誓った武器を握り締め、彼女は鳥を殺そうとしていた。
「駄目です、レシアさん!」
 レシアの行動を理解したエルリックが叫んだ。しかし取り柄もない一介の役人では、彼女の動きについていくことはできなかった。しなやかな動作はエルリックの目にすらとまらない。彼女は子どものころから徹底的に鍛え上げられた暗殺者であった。レシアはだからエルリックを無視した。彼は邪魔ですらなかった。
「何っ」
 しかしレシアが見たのは、自分と同じ白い剣をエルリックが手にしている姿。
「うわ……うわああああああ」
 不思議な剣がエルリックにも現れたのならば、何かの力が等しく働いているということだ。レシアの眉間にしわが刻まれる。 鳥のほうはと見てみれば、逃げるでもなく羽根をまとって浮遊したままであった。表情は陶然として、焦点のあわぬ瞳はレシアを見ているのかエルリックを見ているのかわからない。
(……来てくれたのね、ルー……さあ逃げましょう。ふたりでどこまでも……)
「《パンドラ》!」
 叫んだのはエルリック。いつの間に出現していたのか、白い剣がまるで意志をもつもののように目の前に聳えている。握った柄からは初めて味わう快楽――高揚感が絶えず湧き出し、エルリックの身体を電撃のように駆け抜けた。
 《パンドラ》は翼を広げた。
 レシアは不動の姿勢で両手に白い剣を構え、目を細めて鳥を見つめる。
「人違いだ。私はレシア」
 妹の名をレシアは告げ続ける。剣を持つ手の指、みすぼらしい指輪が白い光を映してきらきらと輝いて見えた。
(……ルーだわ、その剣。さあお願い、一緒に行きましょう)
「《パンドラ》! 逃げるんだ!」
「恨みはないが……」
 苦しげにレシアは声を絞り出す。エルリックが駆け寄るが、剣の光が邪魔をしてうまく走れない。
 心臓の位置を。駄目なら次には首筋を。
 レシアの剣筋は過たず《パンドラ》を貫いた――。
 その瞬間、たしかに《パンドラ》の瞳がこちらを見据えた、とレシアは思った。見詰め合うふたり。《パンドラ》にはっきりと、意志の光が宿っていた。
 なぜ。ジニアと追い払ったときとは違う。なぜ。なぜ?
 同時に、圧倒的なまでの快楽の奔流が、あらゆる色の欠片をまじえた色彩の渦となって、レシアの身体に流れ込む。声にならない吐息がレシアの喉からほとばしる。

(さよなら、わたしだけのおうさま)

 エルリックの目の前で、《パンドラ》は幾千もの鳥の羽根に変じてかき消えた。
「うわあああああっ! 《パンドラ》!」
 同時にレシアの身体からも力が抜けていく。両膝を折り、ゆっくりと倒れる放浪者。
 今度こそエルリックは駆け寄った。レシアの身体を抱きとめる。いつの間にかふたりの手にしていた白い剣は消えていた。慌ててエルリックがレシアの手の甲を確かめると、髑髏の刻印がどくどくと脈打っているのが見えた。
「レシアさん! レシアさん! 大丈夫ですか!」
 エルリックの腕の中で、レシアはぴくりとも動かず目を伏せている。
 ぞくり。エルリックが見上げる。
 棘のついた縄でがんじがらめに縛られた逆さまの絵は、暗い闇をたたえてこちらを覗き込んでいる。

■Scene:さよならの代わりに

 ここは――どこだろう。
 わたしは――生きているのかしら。

 白い鳥。約束を運ぶ白い鳥。

 世界を敵に回してしまったのに――わたしは生きている。
 あなたは――生きているの?

 伸びをする。
 まぶたを持ち上げる。力が要る。視界がようやく……開ける。
 地に伏せている。黒い毛皮。しなだれた耳、爪の生えた四肢、捻れた角。
 これは――罰かしら。
 あなたを愛してしまったことへの。

 さよなら、わたしだけのおうさま。

 誰かお願い。
 あのひとのかわりに、わたしをころして。

第4章へ続く

1.夜と闇の間2.焦燥3.閉じられぬ円環4.暁の星も見えず5.歪みの訪れ6.さよならの代わりにマスターより