第4章 1.知恵の実
■Scene:声
たしかめなきゃ。
みんなたしかめるんだから……
あなたがどんなひとなのか。
■Scene:知恵の実、1
声は尋ねる――あなたは、だあれ?
「……返事をすると扉の向こうに連れて行かれるのかもしれません」
あくまでも平静に宝石道師は言った。
パーピュアとラージは、その問いに返事をしたシュシュとフートの身体に輝く網がまとわりつくさまを目撃していた。幻覚がおさまってみると、ふたりの姿は消えてしまっていたのである。
「返事をすると……ということは、カッサンドラ君も、例の問いかけに応えたということになるね」
アダマスが真剣な表情に変わる。
「嵐が起きている間、物理的に僕たちのほうが移動している……よく似た場所へ。ここの構造物には糸が引っかかっていないのに、僕の手には残っているもの」
ラージは糸をぴんと引っ張った。魔法によって張り巡らされた《精秘薬商会》の丈夫な糸の先は、はるかな空を示している。。
「空の向こう、だって?」
一同、糸の先を目で追いかける。
頭上の青空――その向こうは定かではない。鳥ならぬ身に、それは近いがゆえに未知の場所でもあった。
だが、消えたふたりは帰ってきた。
「ええと……誰?」
「……っすか?」
シュシュと呼ばれていた男とフートと呼ばれていた男は、見知った兄弟分を前に、不思議そうな顔でそう口にしたのだった。
「ともかくも、戻ってくることはできるわけだな?」
シュシュとフートの目をまじまじと覗き込み、アダマスは言った。
「ならば、やはり次の手は乗り込むことしかあるまい。幻覚との対話が扉になるのなら、何とかしてその時間を延ばし、幻覚を繋ぎ留めておくか……そもそも結界を破壊してしまうか」
「記憶ナンタラというやつか、やっかいじゃな!」
ホールデンはううむと唸りながら呟く。
「呪いじゃ。それも、とてつもなく強力な呪い。昔はよくあったもんだが」
折りしも、学者のミルドレッドが目覚めたという知らせが入る。
「《魔獣》は……巣穴はどうなった? 扉は……」
ダージェの表情を見てミルドレッドは唇を結んだ。
「行かなきゃ。ダル、一緒に来てくれ……《魔獣》が結界を破って外に出る前に」
そう言って身の回りのものを引っつかむミルドレッド。
■Scene:知恵の実、2
「今の今まで気を失っていた人が、ムリしちゃダメだよ!」
ダージェはそう言って、慌しく身支度を整えようとするミルドレッドの手を押さえる。
触れてみて気づいた。ミルドレッドの手首は随分細かった。改めて見れば、ミルドレッドは全体に不健康な感じにやせ細っていた。無理もない、とダージェは胸を痛めた。ひとりで砂漠を一週間旅した挙句、行き倒れていたのだから。
当のミルドレッドはむっとした顔でダージェをにらむ。剣士は彼女のためを思ってかぶりを振った。
「ご飯が先よ」
ラムリュアが、ミルドレッドのために作り置いてあった食事を差し出す。
ミルドレッドのお腹の音が響かなければ、ミルドレッド自身、すっかり自分が病人であったことを失念したままであったに違いない。
ダージェは急いで付け加えた。
「もちろん一緒に行くよ! 約束は守るし、そのためにずっと側についてたんだから! でも焦ったってイイ結果になることはないんだよ? ともかく力をつけて、それからだって遅くはないよ、きっと!」
ミルドレッドは、ダージェの顔とラムリュアの顔を交互に見やり、逡巡の後食事の皿を受け取った。
「ダルがそう言うなら」
不満そうな言い方ではあったが、彼女の食べっぷりは正直であった。おいしそうにもぐもぐと動く口は、どんどん匙を空にした。懐かぬ動物が手から餌を食べた時のようで、ラムリュアはほっと安堵する。
ミルドレッドの色違いの瞳に見つめられるのは、やはり不思議な気分である。
赤と、銀。
眠る彼女が告げた、苦しくも幼い喘ぎを思い出す。
精霊を通じてミルドレッドに問いかけたことを告げるべきか、それとも。
どちらとも決めかねているうちに、天幕にパーピュアがやってきた。
「ラムリュアさん。皆さんにお知らせしてきましたよう」
けして大きくはないのだがなぜか耳によく通る声で、パーピュアはミルドレッドに挨拶した。
「おはようございます、ミルドレッドさん。大変でしたねえ」
「……あんたは」
「ピュアといいます。はじめまして」
「ピュアチャンもラムサンと一緒に、ミルドレッドサンの看病をしてくれたんだよ」
ダージェが説明する。
「この子が?」
自分と十ほども年が離れているようなパーピュアを見て驚く。
「はい、そうですよ」
パーピュアは紫色の瞳を細めて微笑んだ。
「他にも仲間がたくさんいますから。あっ、お食事の時に皆さん紹介できますよ」
「食事。今、しちゃったけど」
ミルドレッドが手にした皿は空っぽだ。あっという間に平らげてしまった。
「だったら、もう一回食べればいいんです」
パーピュアは動じない。
「ここでは、全員で一緒に食事をとる決まりになっているんです。ミルドレッドさんももちろんどうぞ〜、ってエディアールさんが言ってました。楽しみにしててくださいねえ」
独特の穏やかな雰囲気を漂わせるパーピュアに、ミルドレッドは毒気を抜かれたようでそれきり黙りこんだ。
一刻も早く《魔獣》に会いに、と逸る気持ちが霧散してしまったかのようだ。所在なさげに、匙をかつんと皿にあてる。
「そう。わかったわ。ピュア」
ラムリュアはこくりとうなずいた。
エディアールは食事の席ですべての情報交換を行うつもりのようだと理解したのだった。
■Scene:知恵の実、3
僕はこの風景の中の一部だ。
フートは目の前をにぎやかに通り過ぎる人々を見て、漠然とそう思った。
年齢も性別も雰囲気も多種多様。その中に、フートと呼ばれる自分がいる。
「……僕にできることはあるのかな」
座り込んでぼんやりと精霊たちの姿を探す。なぜか、前髪が長すぎて視界が狭い。
人間の世界よりも精霊の世界を見ているほうが、フートだった男は好きだったのかもしれない。
古ぼけたランタンを弄んだ。かたかたと音を立てるのは、ランタンに居ついている火蜥蜴がご機嫌だからだろう。
すぐ近くで何かをしている人々のことはおぼろげにしか思い出せないが、友なる火蜥蜴のことはすぐに記憶が蘇った。精霊はもちろんフートの事情などおかまいなしだ。ただそこにいてくれる。それが心地よいと思える。
自分は、人よりも精霊に親しみを覚える性質であるらしい……。
「ねえねえ、フート」
名を呼ばれる度違和感がぬぐえないが、フートは返事をする。どうやら、そう体が覚えているようだ。
真鍮色の髪をすっかり下ろしたシュシュが――結び方を忘れてしまったのだ――ひとつひとつ思い出しながら言葉にしている。
「子どもがいたよね、ちっさい子。木に住んでる。俺たちはポイされちゃったけど」
「えっと」
「あれ。忘れちゃった? 俺だけじゃないよね、あの、ミストって子と会ったの」
「ああ……なんだか人間離れした子のことっすか」
フートは思い出した。
自分の兄弟分だと説明されたクレドやグロリアの思い出は未だ希薄で、彼らの騒がしさが生きていることを感じさせる反面、生身の人間との距離が近すぎることにフートは少し戸惑っている。
でもあのミストという子は、そうではなかった。
「何者っすかねえ、あの子」
「もいっかい会いたいな、俺」
「またポイされちゃうっすよ」
今度こそ根こそぎ記憶を失ってすっからかんになるかもしれない。まあフートにとっては恐ろしいことではないけれど。
「あの子も、きっと今の俺と同じなんだよね。忘れちゃったのかな、最初から知らないのかな、どっちかわかんないけどさ」
次はもう少したくさん話して、あの子が知りたがっていることも説明してあげようよとシュシュは楽しそうに言った。
「俺あの子に話してあげたいこといっぱいあるなあ。朝のこととかさあ」
「朝……」
フートがぼんやりと繰り返した。
「朝を待ってるって言われた……でしたっけね?」
「うん。俺たちの知ってる朝のことなのかな。確かにあそこ、薄暗くって靄が立ち込めてたし、朝が来る場所じゃないのかもしれないよね」
「僕にできることは一体」
シュシュみたいにあの子に教えてあげられることは、僕にあるのだろうか?
「え?」
「……いえ」
ランタンがまた音を立てた。
それを聞いてシュシュがとっておきの話題を持ち出した。
「ねえフート」
シュシュの解けた髪が肩の長さで跳ねていて、まるでライオンみたいだとフートは思った。
「俺が今一緒にいる人たちの中で、最初に出会ったのがあんたなんだって」
「そう言われてみれば、そうだったかもっすね。てことは、フートだった男と最後に会ったのも、シュシュさんってことになる」
「ああ、そうだね!」
その発見にシュシュは子どものような笑顔で笑った。偶然がひどく楽しく聞こえるらしい。
■Scene:知恵の実、4
エディアールは密かに心を決めていた。
雇い主であるという理由で深く問い詰めることを避けてきた盾父アダマス。彼が何かを知っているにも関わらず、それを調査隊に隠しているのはもはや明らかであった。
ミルドレッドが目覚めたこともある。彼女の知ることを話してもらうという点でも、今夜の食事は好機であるはずだった。
短く切った黒髪ににじむ汗をぬぐうと、協力者を求め《炎湧く泉》を歩く。盾父に対して同じような疑念を持つ者が調査隊にいることをエディアールは知っていた。
ひとりは、アダマス黒幕説をぶちあげているティカ。
そして、別の論点からアダマスに答えを求めるヨシュア。
想いを口にせぬだけの者も恐らくはいるだろう。
これ以上アダマス師にのらりくらりとかわされるには、ひとりが行方不明、ふたりが記憶喪失という現状はあまりにも危険すぎる。
ヨシュアはすぐに見つかった。
アリキアの枯れ木によじ登っていたからである。
エディアールはしばらく黙ってヨシュアの行動を見ていた。博物学者の行動が遺跡の破壊につながるものではないことを知っていた――大方魔力の調査だろうと見当をつけていた――からであるが、同じことをクレドやホールデンやその他無茶をしかねない者たちがやったのならば、話は違っていたであろう。
ヨシュアはしばらく木のてっぺんで手を伸ばしたりしていたが、夢中になっているらしく、なかなかエディアールが見ていることに気づかない。彼の仕草は本職のエディアールから見れば、身体の支え方といい、つかまり方といい、どうにも危なっかしい。見ているエディアールがはらはらする。
「あ!」
小さく声をあげたのはヨシュアのほうだった。
痙攣しそうなほど伸ばした指先が、ひやりと何かに触れた感覚があった。
「あ、あ、あ……」
その拍子に滑り落ちそうになったヨシュアの腰を、エディアールがぐっと支えて持ち上げた。ヨシュアが着ている丈長の青い上着が枝に引っかかっていたのも外してやる。
「あ。ありがとうございます、エディさん!」
はじめて彼がいたことに気づいたヨシュアは、弾けるように笑顔を返した。
「助かりました。つい夢中になっちゃってて」
「そのようだな」
何か分かったんだろう、と無言で先を促す。
「ラージさんの糸、今もつながってますよね。ほら、今はあっちにラージさんがいる」
ヨシュアが言ったとおり、ラージはずっと糸を操る魔法を維持し続けており、空から続く糸を目で追えば居場所が分かる状態だった。糸を文字通り握っているのはラージなのだが、離れて見れば、大きな蜘蛛の巣に引っかかった獲物が、糸から逃れられずに動いているようにも見える。あるいは、糸繰りの人形か。
もっともラージ曰く、この魔法は、ちょっと手に何か持っている感覚を忘れない程度で維持できるということだから、天幕に入れない以外は不便は被っていないらしい。
「それで俺、ちょっとこの上がどうなっているのか確かめてみようと思って。魔力の痕跡でも見えるかな、とか」
エディアールはヨシュアの言につられて頭上を見上げた。
砂漠の青空。
「アリキアの木には影がない。そんなはずはないんです。普通は」
「ああ」
「で、木に登って手を伸ばしてみたら、あったんです。蓋が」
「蓋?」
「蓋です。魔力の蓋。でなけりゃ壁というか、覆いというか」
魔法使い特有の表現に、エディアールはいつものことだが面食らった。
「フートの話では、この木が契約の杭となっていて、他の精霊が《炎湧く泉》から排除されてしまったという理解なのだが」
「うん。ウンディーネが言っていましたよね。契約の杭は何者かが、炎湧く主ミスティルテインを封じたものだ、って」
《炎湧く泉》では火山の活発な活動が10年前までは見られたこと。
枯れ木は、元々血の流れたことのない場所で大きく生長する性質を持つアリキアの木であること。
ただし、実生からとして樹齢10年を数えたところで枯れてしまっていること。どういうわけかこの木は影をつくらないこと――。
「でも影がないことの説明にはならない。それが、蓋だったんです。どうですか」
と、ヨシュアは木の上からキノコ岩の円陣をぐるりと見渡し、その上にすっぽりと覆いをかぶせるような仕草をしてみせた。
「もうちょっと考えてみて、考えがまとまったらまた報告しますよ。それくらいなら時間は許されるでしょ。あのふたりが思い出すお手伝いもしたいと思ってますしー」
許される時間。
それは、次の嵐が襲ってくるまでの。
「今夜……そうだ。それで本題を思い出したよ」
「え?」
「私は君の腰つきを支えるためにここに立ってたわけじゃない」
そう言ってエディアールはわずかに苦笑した。
「あ……ああ。もちろんそうですよね」
アリキアの木から降りるヨシュア。もともと十年で枯れてしまった木であり、そんなに丈は高くない。
「ちゃんと降りられるんだな」
「馬鹿にしないでくださいよー。その言い方、アダマスさんっぽいな」
「どこがだ」
エディアールが手短に夕食時の主旨を話すと、ヨシュアは心得た様子でうなずいた。
「任せてください」
答えた目がキラキラ輝いていた。
くるくるとよく表情を変える性質のヨシュアは、あまり想いを顔に出さぬエディアールとは正反対だ。
「食事の時間はちょっと楽しみにしてるんです。個人的にも」
ヨシュアも何かを企んでいるようである。
「重ねて言うが、アダマス師を追い詰めるのが目的ではないぞ。かえって調査隊がバラバラになってしまっては意味がないのだから。個人的な意見ではなく、調査隊の総意だということが重要なんだ」
「了解です。ところで」
と、ヨシュアはエディアールの顔を見上げた。
「エディさんは何故探検家という職業を選んだんですか」
クレドの投げた球を、クレドの代わりに他所へ投げるヨシュアである。
アイスブルーの瞳はしばらく無言だった。ヨシュアは言い訳がましく、ラハの《精秘薬商会》からずっと聞きそびれてしまっていて、というようなことを付け加える。
「私の父は考古学者だった」
「おー」
ヨシュアは嬉しかった。考古学者、探検家、そして博物学者。活動範囲が重なっているように思えて親近感が湧いた。
「だから自然と遺跡が身近な暮らしをしていた。それが大きな理由だろうな」
調査隊結成の際、お互いが信頼しあわねばならないことを説いていたエディアールの姿を思い出し、深くヨシュアはうなずいた。素人が遺跡に手を出すことの危険性をアダマスに告げる一方で、クレドたちには――もちろんヨシュアにも――質問されたことには根気よく丁寧に説明する優しさも持ち合わせている男性。
ちょっと、尊敬する。
自分も三十歳になったらこんな人になるだろうか。一瞬考えてみたヨシュアだが、想像もできなかったのですぐにやめた。歴史や神話を愛するというところだけは、どうにかかすっているのだが。
「じゃ、やっぱりラハに来る前も?」
「別の遺跡を調査していたし……今回の調査が終わったら、また他の遺跡へと向かうだろうな。《大陸》にはまだまだ知られていない遺跡が山と存在しているから」
どのように自分が死ぬか、エディアールは思い描いたことはなかった。
それを考えるには、父の死が未だ鮮烈すぎるほど心に刻まれていたからである。
探検家として旅を続けるなら、おそらくは、どこかの遺跡で。
だが次の嵐が来れば、少なくとも記憶を失ってしまう可能性は大いにあった。それもひとつの死といえるかもしれない。忘れたくない記憶を失ったまま、人はこれまで同様にふるまうことができるのだろうか……。
「俺ちょっと安心しました、エディさんの話を聞いて」
「……そうか」
一体どこが、と思わなくもない。
父が考古学者だったこと、自分が探検家であること。その、たった二つの事実が、ヨシュアの知りたがっていた答えだとは思えなかった。
道端の草花の名を尋ねられたアダマスが「さあ」といい加減に答えたのを聞いたヨシュアの記録帳には、該当の草花の絵の横に「アダマス師曰くサア草」などと書かれているという。
誰かが、何かに注意を払った。
その事実の間を構築する作業をヨシュアは好むのだろう、とエディアールは思った。
■Scene:知恵の実、5
「おい、グロリア……ティカも。ちょっと来いよ!」
少年クレドが、グロリアとティカをキノコ岩の陰へと手招いた。
「どうしたのよ、クレド」
「何だよ?」
人目が他にないのを確かめて、クレドはとっておきの品をふたりに見せた。
「見ろよ、これ!」
ポケットから取り出したのは小さな剣。
得意そうにふたりに見せびらかす。
「これ《痛みの剣》さまのしるしでしょ?」
グロリアがびっくりしてクレドの顔を確かめる。兄弟神の長兄《痛みの剣》は、その名の通り剣が聖印であった。
「えーっ。拾ったのかよ」
ティカがよく見ようと手を伸ばすのを、クレドはするりとかわして聖印をポケットにしまった。
「へっへー」
「何だよ! もっとよく見せろよ!」
「オヤジには内緒だぞ」
少年の手に収まるほどのそれは、柄の所に紐通しの穴がついている。真新しいものではないが、青空を映してぼんやりと鈍く光っていた。誰かが肌身離さず持ち歩いていたもののようだ。
「……オヤジはともかく、エディアールには言っといたほうがいいんじゃない?」
「そ、そーだよな。見つけたものは知らせるようにって言ってたしさ」
ティカもうなずく。
「見つけたんじゃないから、別に言わなくってもいいだろ」
とクレド。
「イーダに売ってもらったの? クレド、坊さんになりたかったの?」
グロリアは腕を組み、共に育った少年を胡散臭いものを見るような目つきで眺める。
「まさかあ!」
クレドはへん、と胸を張った。
「俺、パルナッソスに戻ったらせいきしだんに入る勉強するんだ」
「せいきしだん……聖、騎士、団?」
「そうさ」
「馬鹿ねクレド」
ぽかんと口を開けて、グロリアは言った。
「聖騎士団なんてそう簡単に入れるわけないじゃない」
「……じゃ、どうやったら入れるんだよ? グロリア、知ってるか?」
逆に問われて、グロリアは口をつぐむ。少女のほうとて想像で話しているのである。統一王朝も聖地も、少年少女の背丈ではまだまだ届かぬ世界の話だ。
「お前はどうして聖騎士になりたいんだ?」
ティカは首をかしげた。
「何だか格好良さそうだから」
即答するクレド。
「ホールデンのじーちゃん格好良いし、良く考えたらオヤジだって聖騎士団なんだよな」
「あたしは、ラムリュアのほうが格好良いと思うけどな。オヤジは教区長やってるだけで、別に騎士じゃないじゃない。盾父は盾父だけど」
「……傭兵だってめちゃくちゃカッコイイぞ!」
ティカは負けじと、自分の家の父親を引き合いに出す。
「強いんだぞ! 戦場を転々としてさ、ずうっと勝ち続けなきゃいけないんだぞ!」
父、アクスはティカの理想でもあった。
「傭兵。うーん、それも格好良いかもなあ」
馬鹿ねえ、とグロリアは一笑に付した。
「クレド、傭兵なんて見たことないじゃない。パルナッソスにやってくるのは学者さんばーっかり」
「別に関係ねーよ。要は、戦士なんだろ? 戦場行ってイサオシ立てる商売なんだろ。やっぱ、カッコいいな、それ」
「だろ? だろ? つうか、半端じゃねーぞ、おれの父さんの格好良さ!」
会話は何となく、父親自慢大会の様相を呈しはじめる。
「じゃあ聖騎士か傭兵かどっちかを目指すことにするよ」
「おしっ!」
クレドの手をティカはがっつりとつかんだ。
「次から朝錬にクレドも参加! シュシュ兄とダルと、おれと一緒になっ」
「……馬鹿ねクレド」
そう冷たく繰り返してみたものの、グロリアもグロリアで、自分より先にクレドがパルナッソスを旅立つことになろうものなら、やはりそれは面白くない。ひそかに、負けられない、と考えるのであった。
■Scene:知恵の実、6
食事の準備はラムリュアを中心に、手隙の者たちが手伝うのが常となっている。グロリアやイーダ、ヨシュア、カインが入れ替わりで手伝いに来るのだ。時たま退屈しのぎにリュートが覗きに来たり、アダマスがつまみ食いに来たり、リュシアンがにこにこしながら支度の様子を眺めていたりするが、食事当番としては彼らは戦力外である。
もっとも、ミルドレッドにつきっきりで看病をした上に、二十人を超える大所帯の食事当番ともなれば、ラムリュアにとってもなかなかの大仕事であった。
「ラムさん。よかったら今日の食事の支度、あたしが代わるよ」
腕まくりをしてイーダが申し出た。
「ミルドレッドさんも起きたことだし、今夜はお祝いしなきゃと思って。いい?」
「お願いしようかしら」
ラムリュアは笑みを浮かべてかまどの前をイーダに譲った。
久しぶりに食事時までお昼寝するのも悪くない、という考えがラムリュアの脳裏をよぎる。元々彼女は夜行性であった。ゆっくり休んで、気がついたら鼻先を良い匂いがするというのも悪くない。
「もちろんもちろん! 献立はもう決めてあるからラムさんは休んでておくれ。今のうち力を蓄えておかなきゃいけないのは、ミルドレッドさんだけじゃなくってラムさんも一緒だから、ね」
イーダはそう言って、ぐいぐいとラムリュアを天幕に押し込んだ。中にはラベンダーの香りが、ふわりと漂っていた。
「あ……」
「いいからいいから」
天幕の外から、イーダが元気に答える。
「手の込んだ料理は想像しないでおくれよ。《精秘薬商会》、《炎湧く泉》支店の臨時食堂なんだからさ」
「わかったわよ」
ラムリュアは毛布の上で横になり、猫のように背を丸めた。
ラハの雑踏、《精秘薬商会》のごった返した感じを思い出す。出会いや情報や冒険を求める人々が集う、あの感じ。
誰かに食事を作ってもらうのは、何て嬉しいことなんだろう。
ラベンダーの香りの中で、うとうととラムリュアはまどろんだ。
やや、あって。
「一体、ダルの仲間は何人いるんだ」
ミルドレッドが膝を抱えて尋ねた。ラムリュアを気遣ったらしく、声は少し潜めている。
隣のダージェは、手元で例の小箱をひっくり返しながら、
「二十人くらいカナ」
と答えた。
「二十人! そんなに大勢いるのか」
「うん。ピュアチャンも言ってたとおり、食事の席で会えるよ」
「ピュア。ああ、あのトロトロっとした子か……エディアールっていうのはどういう人?」
「えー、エディ? 仲間のなかでは副隊長みたいな感じかなあ……本業は探検家らしいケド」
実は年長組のことはあまり詳しくないダージェである。年が近い剣士三人組や女性陣、ミルドレッドの看病によく顔を出すレディルやヨシュアあたりのことならば、いろいろ説明もできるのだけれど。
「副隊長? 隊長じゃなくて?」
「あ。それをまだ説明してなかったかー」
「ダルはあたしを助けてくれたけど、偶然、砂漠の真ん中を通りがかったわけじゃないよね」
「ボクたちはパルナッソスがくじゅちゅ」
ダージェは噛んだ。
「……学術調査隊として集まったんだ。隊長はたぶんミルドレッドサンも知ってる、パルナッソス教区長アダマス」
「アダマスッ!」
ミルドレッドが大きな声をあげる。
次にハッとなって、丸くなって休んでいるラムリュアの上にかがみこみ、様子を伺う。
「……何」
不機嫌そうなラムリュアの視線。
「ご、ごめん」
と、ミルドレッドは口ごもりながら謝った。
「あの狸ジジイ……あたしの話にまったく取り合うそぶりを見せなかったクセに! じゃあ何。ダルやラムやその他二十人は、アダマスに雇われてる訳か?」
「いちおうそーいうコトになるカナ」
認めるダージェ。無論、アダマスに命じられたからミルドレッドを助けたわけではない、それは自分の真実の意志であるというのがダージェの気持ちではある。
「許さない。自分の手柄にしようとするなんて」
狸ジジイ、とミルドレッドは繰り返した。
「うーん。アダマスが何を考えてる人なのか、ホントのところはわかんないけど。ボクはミルドレッドさんの味方だから」
「そう。そう言ってくれる人に助けてもらえて、あたしは運が良かったんだな」
「ところでミルドレッドサン。この箱なんだけどどうして僕にくれたの?」
箱を開けるにしろ、彼女の許可がいるとダージェは律義に考えた。
「あたしを手伝ってくれそうだから」
あっさりとミルドレッドは答える。
曰く、《魔獣》を捕獲する箱なのだという。
「えー。ちっちゃいよ? これミルドレッドサンが作ったんでしょ? ピュアチャンの力でも追い払えない《魔獣》なんて、どうやってこの中に入れるの?」
「やっぱりそう思うよなー。これ、《学院》にいたあたし宛てに、去年いきなり送りつけられてきたんだ。最初の一回だけは簡単に開いたんだけどな。それからもう、どうやっても開かない」
嘆息するミルドレッド。
「ええっ。それってサ」
あっやしー、とダージェは唇を突き出した。
「でもさ。知らない誰かが、あたしを砂漠の真ん中に無理やり連れてきたところで、何の得にもならないだろ」
「中には何か入ってた?」
「うん。小さい結晶。半透明で、方形の」
と言われてもダージェにはぴんとこない。ミルドレッドの説明を聞くうち、幻覚の雲の形と酷似していたと分かる。
「その結晶を見るとさ、あたしのこっちの目が痛みだして」
赤色の瞳を示す。
「赤いのは、昔からなんだけど――まあいつから赤いのかは覚えてないんだけど――こっちの目に地図が映るようになったんだ」
「それを書き記したのが、カッサンドラサンが持っていった地図ってコトか」
「地図、今はあの秘書が持ってるのか」
まあ狸ジジイに持っていられるよりいいか、などとミルドレッドは納得している。
「地図に鳥の絵とか描いた覚えはある?」
例の紋章について彼女は何か知っているだろうか。
「……鳥? 鳥? 鳥……?」
いぶかしげに首をかしげたまま学者は固まった。
「思い出せないならいいよ。見えたとおり描いたってコトなんでしょー」
「……鳥? うーん、そうだね」
すっきりしない答えである。何か引っかかる、とダージェは思った。でもそれが何なのか分からない。このまま彼女を再び《魔獣》の元に連れ出して、果たして大丈夫なのだろうか?
「はーい、ご飯ができたよっ!」
イーダが声高に、食事時を告げる。