《星見の里》を散策(1)
貴方のためなら、なんだってできたのに。
《星見の里》に、まぶしい陽光が差し込んできた。《星見の姫》失踪の朝以来数日たっても、《里》はなんとなくざわついたままのようだ。
「うーん、しかたないでしょうねぇ。なんといってもお姫様がいちばん!っていうお国柄なのですから。そのお姫様がいなくなったとあれば」
「確立すべき自己の崩壊なわけだなー」
「そもそも共同体としては女系のほうが結びつきが強いとされてますからねぇ」
「私たちだって、招かれるべくして招かれたんだから、嫌われるいわれはないよな」
「嫌われてるというか、やはりどうしても外部からの面倒ごとととらえられているきらいはあるかもしれませんが」
お姫様を探してみせる! と今日も意気込んで、ぱたぱた走ってでかけていったツェットたちを見送って、残っているのはアゼル・アーシェア、アイリ、サーチェス、グリーンの4人と猫一匹。
最初に案内され、その後冒険者一行に割り当てられた建物は、《星見の民》の集会所のひとつだという。あとで《白羊の集会所》と呼ばれていると聞いた。
総勢20人近い人数が一度に寝起きできるほどの広さはありがたいが、《夜魔》の調査に再び砂漠へ向かった人数が欠けると、がらんとして落ち着かない。夜になればにぎやかなメンツが戻ってくるし、数日後には戦士たちも帰ってくるのだが。
グリーンのアイデアで、ここが情報交換の場というとりきめになっている。《姫》を探しにいった者も、《夜魔》の調査にいった者も、ここに戻ってきたときには逐一情報を交換できるようにとの配慮だ。
「見張られてるようで、やっぱりここは落ち着かないな」
淹れたてのお茶を飲みながら、アイリが言った。
見張りがいるわけではないのだが、広すぎる部屋に4人でちんまりテーブルを囲む様はなんとなくおかしくもあり、家族団欒のようでもある。さしずめ遅めのモーニングティーといったところか。砂漠横断中の昼夜逆転生活も、徐々にもとに戻ってきている。アゼルは最年少のサーチェスが道中食欲がなさそうにしていたのを心配していたが、屋根のある生活になるとそうでもなくなってきたようで、一安心である。
「アイリさんは落ち着いてるように見えましたけど」
「なんだいそれ。どういう意味だいアゼル」
「いやホラ、研究熱心じゃないですか」
アゼルはアイリの専門的な話題についてこれる貴重なひとりであった。朝の議論は半ば日課である。そのあとは《里》の市場などにでかけるのがここ数日の常だった。
「あれ、グリーンはぁ?」
サーチェスが冷たい薔薇茶を飲み干して顔をあげた。
「グリーンさんが戻ってきたら、市場に出かけましょうか。俺、《里》の地図を探そうと思ってるんで」
「サーチェスも、いくー!」
ピンクのポニーテールが、落ち着かなさげに揺れた。
さて、その頃グリーンは。
《白羊の集会所》裏手、泉と塔を望む小高い丘。
椰子が揺れる向こうに、砂漠と《里》を隔てる石垣が見える。日差しをよけて太陽を背にすると、丁度、先日くぐりぬけた石造りの門が視界に入った。《里》の入り口、伝説と現実のはざまの門。そう評したのは語り部のクロードだった。脇には今も留守居の兵士がひとり。《剣》なのだろう。
(2本の石柱、アイリさんがすりすりしてましたわね。)
思い出して、ニコっとグリーンは笑った。
(さあ、ここならいいかしら。精霊たちも気に入りそうな、眺めのいい涼しい場所ですもの。)
ベルトポーチから色鮮やかな粉の小瓶を取り出し、ほんの少しだけあたりにふりまく。ふわりと色煙が一瞬たちのぼり、香りを残してすぐに消えた。
(《忘却の砂漠》の精霊たちも気に入ってくださるかしら?)
そうして彼女は両手を雲ひとつない空に広げ、クロークがはためくままに風に言葉を乗せていく。
私と私の友人達に、どうか、力を貸して―――。
貴方は、私の心に語り、
私は、貴方の心を知りて、
思いを共に、
全てを重ね、
鏡の如く映し出すは、理(ことわり)の調べ―――。
私は、貴方の一部と成りて、
貴方は、私の一部と成りて、
全てを共に、
心を重ね、
鏡の如く映し出すは、理(ことわり)の調べ―――。
グリーンのまわりに、半透明の色をまとった風が姿を現した。薄紅、浅黄、緑青、琥珀。さざめく色たちが、グリーンの歌声に共鳴して和音をつくりだす。
「わあ、おねぇちゃん、すごい!」
顔を出したサーチェスが、耳をすます。アゼルとアイリも、美しい和音に息を呑んだ。
「精霊との共感?」
「こりゃすごい。さすがは歌姫」
歌詞は聞き取れない。聞き取れるよりも高音域なのだ。頭が痛くなるような音ではなく、調和のとれた純粋な多重奏。世の中に満ちる小川のせせらぎや風のざわめきに、歌詞をつけたような。
なんだろう、なんとなく、あの歌にあわせて踊りたくなってきちゃった。
(あ、待てよサーチェス! 精霊が逃げちまうぞ!)
アインごとひっつかんでサーチェスはグリーンのもとへかけのぼった。
(こらー! 俺はくまぬいじゃねぇっ!!)
それでもアインは爪はしまったままである。女の子をひっかくとどんな目にあうかは彼自身よーっくわかっているのだ。
「わぁい、精霊さん♪」
グリーンと精霊の和音はゆるやかな3拍子になった。アダージョ。レッジェーロ。ナチュラル・ターン、ジャンプ。精霊のトリル。リタルダンド。
「ワルツなんだよ〜?」
サーチェスのささやきに、琥珀色の風が応えた。サーチェスの挙げた右手が琥珀色に染まる。
(あらあら、サーチェスさんってすごいですわ。警戒心の強かった《砂漠》の精霊たちともうお友達になるなんて)
(お友達はいいが、俺を降ろせってば……)
サーチェスは琥珀の風とくるくる回りつづけた。
(まぁ、そうでしたのね)
歌を通じて精霊たちと交流していたグリーンは、サーチェスを温かい目で見守った。
(私もいつか、心の底から喜びの歌を歌いたいものですわ)
「ワルツ?」
物陰からその様子を見ているアイリが、同じく自分の上から首を出しているアゼルを見上げる。
「はぁ、俺も舞踏のことはよく分かりませんが、ワルツって二人で踊るもの、なんじゃありませんでしたっけ?」
「あ、黒猫、白目むいてる」
「うらやましいことですねぇ、美女と美少女と精霊に囲まれて」
「あんた本気でいってるのかい」
「え?」
グリーンの歌が終わると、色とりどりの精霊たちもまたかき消えた。
「おねぇちゃんすごーいっ」
サーチェスがちょこんとお辞儀をしながら小さな手を差し出した。グリーンもにっこり笑ってその手を握り返した。
「そんな、サーチェスさんこそ」
物陰のふたりはぱちぱちと拍手を送る。
「あらいやですわ。ご覧になってらしたんですの」
ぱっと歌姫は頬を染めた。単なる魔法の練習のつもりだったのだ。それに、自分が心をこめて歌ってしまうと……。
「うわさの歌姫さんだから、いつになったらその歌を披露してくれるのか、楽しみにしてたんだよ」
「アイリさん、前にも《精秘薬商会》にいらしたじゃありませんか」
「あそこじゃ精霊は寄ってこなかっただろ」
と白衣のポケットに両手をつっこんだアイリ。
「それはその、お店の中では迷惑になってしまいますし、第一他の人に見せるものでは」
「今の歌のほうがよかった。あたしは好きだな」
「サーチェスもね、今日初めて聞いたんだけどまた聞きたいって思うよ!」
もじもじするグリーンの小柄な背中をぽんぽんとたたいて、アゼルが言った。
「また機会があったら聞かせてくださいね」
「ありがとう、アゼルさん、アイリさん、サーチェスさん」
「サーチェス、でいいよぉ」
「さ、じゃあ今日も行きましょうか、《里》の市場に」
グリーンはぐったりしているアインを抱き上げて考える。
お店で歌っているときも、もちろん手を抜いていたわけじゃありませんわ。今の歌を気に入ったと、アイリさんは言ってくださった。あの方は安っぽいお世辞とは無縁の方ですもの。
でしたら、一体何が。
違うというのでしょうか?
グリーンの想いに、アインはきらりと瞳をきらめかせただけだった。
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