第7章|邂逅抱擁解放落涙契約満天の星マスターより

抱擁

愛は辛抱強く、また親切です。


 《聖地》に隕石が落ちて以来、あたりはすごい早さで緑に包まれつつあった。荒れ果て乾いた大地に次々と新芽が芽吹き、砂漠を新緑に染めてゆく。銀狼はしっかりと隕石の前に立ち、その足元に横たわる者たちを見つめていた。グリーン・リーフ、クロード・ベイル、そしてツェットの3人は、他の仲間たちの目に見えないところで《魔女》の精神と戦っていたのだった。
 魔女の器候補にされた肉体は、体内の灼熱の塊にさいなまれていた。

 彼らの意識は身体を半ば抜け出していたために、肉体を持たない魔女の存在を、より近く強く感じることができた。
「グリーン、大丈夫か?」
 クロードが最初に目を開けた。隣にグリーンとツェットが眠っている。しかし、クロードの視界は奇妙にぼやけていた。
「うわー。なんだこれー!」
 すべての風景が、二重写しのように見える。何かの魔法にかかったのか、と頬をつねってみるが、
「やばい、痛くないじゃん」
 腰の剣を確認してみた。アクアとフレアはそこにあったが、どうもスカスカした気分は収まらない。だいたい、ここはどこなのだろう? 銀狼にくわえられてどこかに連れてこられたはずなのだが。遠くで仲間たちの声が聞こえるようだ。
「おおい、ツェットぉ、見てみろよこれ」
 温かい風が吹いていた。《忘却の砂漠》に来てからこのかた、見たことのない花畑の中に彼らはいたのだ。
「隕石が墜ちたって言ってたよな。封印が解けて、緑が蘇ったかな? うん、きれいだ!」
 足元の花を1本手折って、クロードはグリーンの耳元をくすぐった。

 やがて目をこすりながら二人が身を起こす。
「……あれぇ、グリューンは?」
「騎士くんなら、いないよ」
 クロードが答える。ツェットは不思議そうに首をかしげた。たしかに聞こえたんだけどなぁ、などとぶつぶつつぶやきながら、ツェットはあたりを見渡した。
「なにこれ。ここどこだろ? 銀狼は?」
「《砂漠の王》は、お怒りになったのかしら」
 グリーンも、銀狼の元に倒れ伏したはずなのだ。この二重の視界を眺めてこめかみをおさえる。

 突然花畑を冷気が襲った。思わず身を縮め、寄り添う3人の前に現れたのは、一人の少女。
肌を切り裂くような冷たい風に、足元の花々は音を立てて凍りついた。澄んだ音をたてて凍った花を踏みしめながら、少女はゆっくりと歩みよる。片足は軽くひきずられていた。
「違うよ、魔女を呼んだんだ……」
クロードが一歩前に出る。剣はまだ抜かない。さりげなく少女をさえぎる格好だ。
「貴方がラフィナーレさん、ですの」
少女はクロードの正面まで来ると、にこりと片手を差し出した。ちょうど、握手をするように。
「だめだよツェット、気をつけろ!」
 クロードが言うよりも早く、ツェットはその手に握手で応えていた。
 凍てつく風があたりを囲み、渦を巻いて激しく吹きすさぶ。次の瞬間、あたりは無音の闇に支配され、少女の声がしじまに響き渡った。

『ワタシニハ ヤリノコシタコトガ アルノ』

「だめだあっ! ツェット、グリーン!」
 クロードが甲高い声で叫んだ。
 ぱりん。足元の花が、誰かの足に踏みしだかれて砕け散った。

 ツェットが握り返したその手は、温かかった。ラフィナーレの金色の瞳が、ツェットを招いている。にっこりと微笑む少女と一体になりたかったけれど。彼女を呼ぶ声がしたので、ツェットはその手を放して振り返った。
『イクノ?』
「誰かが、あたしを呼んでるの」
『……』

 闇のしじまの中で、グリーンは少女とふたりきりで向かい合っていた。
「ラフィナーレさん、初めまして」
 グリーンは深々とお辞儀した。グリーンが想像していたよりも、実際のラフィナーレははるかに小さく見えた。そして年もグリーンより下かもしれない。そんな少女が魔女と呼ばれ、長い眠りについていたことに、グリーンは心を痛めた。
 でも、この方もこれからは、ひとりではないのですもの。
 そして、とびきりの笑顔でこう続けた。
「お疲れさまでした。あの、私、よろしければすてきなお茶を淹れてさしあげたいのですけれど。良かったですわ、とっておきのゴールデンチップが無事で……」
 その言葉を言い終わるよりも先に、少女がつとグリーンの肩に手を回した。ベルトポーチから取り出された大切な紅茶葉が、凍てつき色を失った花畑にぱらぱらと降り注ぐ。薫香だけがたちのぼった。
「あ……」
 その手は、ひんやりと冷たかった。千年前に失われて以来熱を持たない義手を、グリーンはそっと握り返した。
「私の望み、それは、砕かれた草の茎を折らず、薄暗い亜麻の灯心を消さず、ただ、真実の内に公正がもたらされること」
 軽やかに歌うように言葉を紡いだグリーンは、少女の身体を抱きしめた。
 たとえ私が、どんなに妙なる調べを歌っても、愛がなければ、私に何の益となりましょう。今の私の力、私にできること。
 それは……。
『タイリクノ ヒトビトニ モット ジユウヲ』
 少女が、グリーンの耳元でささやいた。
「貴方と《砂漠の王》は、《大陸》に自由をもたらす使者ですの?」
『カミガミノ イシ デハナク ミズカラノ イシヲ カチトルタメニ』
「神々の意思……それは、人々がよりよく生きることではありませんの?」
『イカサレルノデハナク、 イキルタメニ。 ワタシタチ、 ソノムカシ カミガミニ タテツイタ』
「それは、自由をもたらすためなのですね?」
 グリーンは、胸にうずめられた少女の髪をなでながら呟いた。
「……人を踏み台にして生きることに、どれだけの感謝があるのでしょう。人から奪って生きることに、どれだけの愛があるのでしょう。人を破滅に誘うこと、そこで自分の価値を計ること、それにどれだけの希望があるのでしょう」
『キボウハ イキテユク ツヨサ デス』
 少女は口を結んで顔をあげた。金色の瞳がグリーンを射抜く。
『キボウニ ムカッテ アユムコトヲ、 キンジタ オウコクヲ ゴゾンジデスカ。ワタシト ミダスハ、タイリクノ ミチナル カノウセイノタメ ソレヲ ホロボシテシマイマシタ。 ソノ オウコクハ、 カミガミノ ツクリタマイシ アストラ オウコク』
「未知なる可能性っていったい」
『ラセンノ ウエヲ メザスコト』
 グリーンはまたもルーファの話を思い出した。
「螺旋の上……そこには、何があるんですか」
 音もなく、少女の背に月光色の翼が広がった。片方だけのそれは、少女を抱きしめるグリーンごと包むように輪を描き、繭のようにすっぽりとふたりを覆い隠した。凍てつく冷気がグリーンの足元から忍び寄る。
『テンキュウ デス』
 繭の中で、ふたりは頬をよせあった。グリーンは、ゆっくりと瞳を閉じた。

 今の私にできること。願い続け、希望を持ち続けること……。

「ツェットも、グリーンも、ダメだよ!」
 両手を差しのばし、絶叫したのはクロードだった。
「おいで、ラフィナーレ!」
 クロードの広げた腕に、少女がふわりと舞い降りてきた。月光の翼はよく見ると、無数の傷でぼろぼろである。しかし、ここで怪しい連中に妙な同情はすまい、とクロードはつとめて見ないようにした。
『ヨンダノネ ワタシヲ』
「呼んださ、ラフィナーレ。いい子だから、俺と一緒に……こういうとき、なんて言えばいいんだ? 行こう、ってのもなんかヘンだし。一緒になる、ってのはまた違う意味だし」
 少女はそんなクロードを見ると、くすくす笑った。
「……なあ、儀式とかってあんの? たとえば、俺の身体をあんたが使う場合」
 3人一緒に逃げ出すことができないなら、時間稼ぎのために自分が器に立候補するつもりだった。儀式が必要なら、その準備の間に、何とかして逃げる手段を探ろうというのがクロードの作戦であった。もしかして人間の身体じゃなくてもいいなら、他の人形みたいなものがあれば、それにとりついてくれればいい。

 ふたりとも、ツェットはツェットで、グリーンはグリーンなんだから、乗っ取られたりしたら変わっちゃう。産んでくれたお母さんが悲しむってもんだろ。ただでさえグリーンはあんな性格だ。きっと、魔女のいいなりになるに違いない。そんなの、させてたまるか!

 少女は人差し指を唇にあて、首を横に振った。
「な、なんだよ。もしかして、いきなり合体できちゃったりすんの? うわぁ」
 クロードの細い腰に、少女の腕が回される。クロードの手は行き場を無くし、宙に上がったままだ。こうなったら作戦変更、ぎりぎりまで魔女をひきつけておいて、直前で抵抗することにしよう。
『ヨンデクレテ アリガトウ』
「……いや、別にそんな」
 あくまでも、クロードとしては作戦の一環として、標的を自分に変えるために呼んだだけなのだ。
『……クヤシイコト アルノ?』
 クロードはびっくりした。イェティカの護衛になったものの、逆に自分が捕まってふがいない思いをしていることは、まだ誰にも言っていなかったからだ。
「あるさ、悔しいことぐらい! バカにすんなよ。護衛もマトモにできなくって、それでイェティカのこと守るだなんて、エラソーなこと言っちまったし」
『クロードハ、チャント マモッタワ』
「なんで分かるんだよ!? あんた、封印されてたろ」
『ミダスト ツナガッテイタカラ』
「……あ〜、あいつか」
 クロードは顔をしかめた。だいたい、あいつが神殿で自分たちの中にヘンなものを仕込んだから、こんなことになったのだ。とんでもないたらしである。
「正直、どうして俺が器に、って思うけど……来るならきてみろよ」
 絶対、抵抗してやるからな。クロードは心の中で付け加えた。ばさり、と少女の翼が空を切る。

 突然視界が鮮明になった。二重写しだったぶれがおさまり、焦点が合うようにあたりが見えてくる。
「うううう、すごい気持ち悪りぃー」
 少女がクロードに口づけたのだった。もちろんそんなことは初めてのクロードは、意外な展開に焦りまくった。アクアたちを少女につきたてたが、うまくいかず、少女が流し込む力を飲み込んでしまった。
「たらしと同じ手を使いやがってーーー!」
 けほけほ咳き込みながら最初に目にしたのは、グリーンとツェットが緑の芝生で座り込んでいる様子。少し離れて、銀狼と戦っている者たち。そして。
「う。右手が重いぞっ」
 あわてて目を落としてみる。幸いなことに、義手ではなかった。見慣れた自分の手だ。
「(ごめんなさい。まだちょっと、生身の腕に慣れてないの)」
「うわぁ、どこでしゃべってるんだよ!」
「(……はいりきらないんだもの)」
「冗談じゃないよ、なんで俺なんだよっ」
 憤慨しながらも、クロードはすばやくあたりを見回した。へたりこんでいるグリーンたちの腕をひっぱって、銀狼から離れたところに連れて行く。頭ががんがんする。異質な意識と、クロード自身がせめぎあっているのだ。
「そりゃあ俺的に望みはいっぱいあるし、それが欲望だって言われたって、否定できないようなこと考えてるのは本当だよ。美味しいもの食べたいとか……寒い朝に、布団からでたくないとか。でもそれが理由で、身体を使われるのなんて……」
「(あなたは、欲望と希望の違いを知ってる。だから)」
「勘弁してよ!」

「大丈夫ですか、クロードさん!?」
 駆け寄るグリーンを、ぶんぶんとクロードがアクアを振って遠ざける。
「俺に近づいちゃダメだ! 俺の中に、魔女がいるから……なんとかできる。まだあいつ、全部はいったワケじゃない」
「でも!」
「だいじょぶだよ、俺、助けを待つお姫さまじゃなくて、世界を駆ける勇者になりたいんだから……」
 クロードの背に、大きく片翼が広がった。

 その時、三柱の神が姿を現した。

契約に続く


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