神々が去り、その矢も次第に薄れて消えた。しかしミダスは先に受けた傷がひどく、すでに消耗しきっていた。、矢傷から体液をしたたらせ、やがて目を閉じて動かなくなった。最後にその姿は、人間から子犬のものにかわり、冷たい毛皮をさらしたのだった。
「あー、シャバの空気はうまいねえ」
クロードは、グリーンとツェットに支えられるようにして横たわっている自分の身体を、上空から見下ろしていた。
その隣には、件の少女がふわふわと浮いている。
「冗談じゃないってば! 何なんだよコレはっ」
クロードは少女にくってかかった。みんなが心配そうに自分の身体見守っている。しかし上空の対話に気づいている者はいない。
「あんたの番犬……死んじゃったんだな」
小さな子犬の姿で息絶えたミダスを、少しだけクロードはかわいそうだと思った。せっかくあと少しで、ご主人様に会えるところだったのにな。ま、たらし狼だから、しかたないんだけどさ。
少女はこくりとうなずくと、ふわりとミダスの身体を持ち上げ、胸に抱いた。ツェットがアインを抱く姿にそっくりだった。サーチェスのおとーさんだったり、グリーンの《砂漠の王》だった存在なのに、こんな小さくなってしまっては、ぴんとこない。なんとなく、クロードはずるいと思った。
「ラフィナーレはこれからどうすんのさ」
俺の身体は貸さないぞ、という気迫を言外に込めてクロードは言った。
「《大陸》に戻るわ。私を待つ人のところへ」
「え、そんな人いるの?」
「いるよ、私にだって。身体がないから、あんまり長くはいられないだろうけどね」
ラフィナーレはにこっと笑った。普通の少女の笑顔だった。
「あんたもいろいろ大変なんだな。なんなら、ここ最近の出来事ベスト10とか、教えてやろっか?」
「そのうちね」
笑う少女の姿は、少しずつ薄れていった。
「あ、おいラフィナーレ?」
そしてクロードは、心配する仲間たちの中で目をぱちりと開いた。とっさにイェティカの姿を探す。出てきた言葉は、
「ゴメンな」
だった。
「護衛になったのに、情けなく捕まっちゃってさ……」
イェティカはクロードの手を握り、ぶんぶんと首を横に振った。クロードの胸に、矢の刺さった穴が大きくあいている。イェティカはそこにそっと手を当てた。
風のように砂漠狼が走り込んできた。その背に乗っているのは、傷つき果てたディリシエだ。砂漠狼はきっちりとパレスの目の前で、立ち止まり身を伏せた。
「ディリシエさん」
「のっ、喉に矢が!」
肩で荒く息をしながら、ようやく追いついたルーファが説明した。
「兄弟神が放った矢ですね」
ファーンが眉をひそめた。
「大丈夫、クロードは目を覚ましたんですから。パレスさん、ほら!」
剣士の背中をフィーナが押した。足をひきずりながら、パレスはディリシエに近寄る。アーネストが、イェティカをそっと前に呼んだ。
「……やりなおすか」
パレスの言葉に、ディリシエはゆっくりと目を開ける。わっと歓声が沸きあがった。
少し離れたところでその様子を眺めている巨人がいた。その背中を、ぽんとたたく者がいる。ガガは振り返り、差し出された小瓶を受け取った。瓶には黄緑色の液体が、なみなみと入っていた。
「おとーさん、いっちゃったの?」
サーチェスが、ファーンの長衣の裾をひっぱった。
「サーチェスにさよならもなしなの? サーチェス、教えてあげたのにな。みんなが幸せに暮らしてるのが見えるって。だれも死ななくても、幸せな物語はできるのよって」
ファーンはかがんで、少女を抱きしめた。
「大好きなの。おとーさん。おとーさんと一緒に、踊りたかったのに」
「……また会えますよ」
気休めではなく、ファーンはサーチェスのために願った。
「僕がお相手じゃ、いけませんか」
「ううん、踊ろう♪」
涙目のサーチェスは、吟遊詩人を見上げてにっこり微笑んだ。
長い夜が、明けたのである。
里に戻ったその日は大宴会となった。しばらくぶりで、冒険者たちも全員が一同に会したのである。アゼルやダグザが心配していたほど、《星見の民》の獣化は進んでいなかった。魔女が復活しないまま、精神だけで《大陸》に向かったと聞いてアイリは喜んだ。他の者は複雑な顔をした。誰かが魔女の入れ物になろうとする可能性があるからである。
「どうかな、あまり長くはいられないって言ってたよ」
クロードが宴会の食べ物を、もぐもぐと頬ばって答えた。
「なんにしても、朱印の消えた《星見の民》ってのも捨てがたかったんですけどねえ」
クロードにミルクを注いだカップを渡しながら、アゼルが言った。宴会料理当番の彼としては、本領発揮である。
《星見の民》に銀狼が注いだ力、すなわち魔女の力は徐々に失われつつあった。《星見》をすることはできないが、体内にわずかに残る獣化の衝動を抑えるために、彼らは消えた朱印を再びしるすことにしたのだ。
「それはそれで、新しい種族として生きていけばいいんじゃないかと思うがね」
と、かなりいい気分になっているダグザ。
「ラステルを見ろ。朱印も力も、なんにもなしでも普通に生活できてるだろう。《星見》の力だって、もともと《大陸》にゃないものだしな」
「たくさんの不幸のうえにある《星見》の力なら、いらないよ」
とトリアが言った。
「おっ師匠様が言ってたとおりだね。一人の犠牲でたくさんの人を助けるみたいな、そんな考え方じゃなくって。人間はね、自然とともに、たゆたう水、流れる風に身を任せても、生きていけるんだよ」
「嬢ちゃん、いいこというじゃないか」
「はいはい」
トリアはおとなしく、差し出されたダグザの杯を満たす。
「おっと、ぼうずはどこだ? シウス、見なかったか?」
「さあ、俺はさっきからジャンの奴を捜しているんだが、また見あたらんのだ」
大きな酒樽ごと腰を据えていたシウスは、厨房あをうろうろしていたルーファの首をつかまえて呼んできた。
「なんだい、師匠たち」
ルーファは両手の丸盆の上に、アクロバティックにつまみを乗せて登場した。
「まぁ座んな。ぼうず、今回の件では頑張ったじゃないか? どうだい今度」
ダグザの手つきに、ルーファはきょとんとしている。
「まだ分からんか。ははっ、フィヌエにいい娼館があるんだよ。ぼうずもそろそろいい年だろ」
ばしーん、とダグザはルーファの背をたたく。その勢いに、ルーファは目を白黒させた。
「娼館……」
「なかなかいい子がいるんだぜ。おごってやるぞ?」
後ろから話を聞きつけたファーンが手をあげた。
「なんだか楽しそうな話をしてますね。打ち上げですか? 僕もぜひ誘ってくださいね」
横からはバードも、ジェニーに気づかれないように手をあげていた。
「分かった。じゃあ、楽しみにしとく」
ルーファは肩をすくめて答える。そしてダグザにぴっと指をたてて見せると、
「でもね、本当にグリーンさんのことが好きなら、俺を連れてったあとは、そういうとこには行かない方がいいよ?……『男は浮気をする動物である。女はそれを許せない動物である』。こんな言葉知ってる? ばあちゃんがよく言ってたんだ。いや、まだ元気で言ってるんだろうけどさ」
そしてまた、ルーファはくすりと、女性特有の甘い笑みを浮かべた。
シウスとバードが、笑いをこらえている。
「な、なんだよおまえら?」
ファーンもきょとんとしている。
「あのな、ダグザ。いや、分かって言ってるんならいいんだが」
こほんと咳払いをひとつした後で、シウスがダグザに耳打ちした。
「なぁあああああにいっ! ぼうずが、女の子!」
ルーファはぽりぽりと頭をかく。
「いや別に……隠してたわけじゃ、ないんだけどさー」
きょとんとしているファーンは、
「ルーファくんって、女の子ですよねえ? 僕、最初っからそう思ってたんですが」
やっぱりきょとんとしているのであった。
「で、グリーンのことはどうするんだい?」
バードがダグザをこづいた。
「どうするも何も……振られたさ」
杯をあおって、苦笑する。
「へぇ? グリーン、そこにいたけど」
「なにっ」
歌姫は、不自然なくらいぎくしゃくした動きで輪の中に入ってきた。彼女の行動をとがめる者は誰一人いなかったし、いつもどおりのはずなのだが。というわけで、仲間たちもふたりの会話を努めて聞かないようにしながら、空々しい会話を続け、かつ、聞き耳を立てるという事態になったのである。
「あの、ダグザさん。ご好意うれしく思います。とっても……ですが」
なかなかに、それは難しいことだった。
「私は貴方がどういう人なのか、何が好きで、何が嫌いなのか。何を考え、何を思っているのか、まだよく知りません」
「ああ」
ダグザは片手に酒を注ぎ、小さい方のカップをグリーンに手渡した。グリーンはそれを両手で受け取り、少し口をしめらせた。
「私のリズムに合わせてくださいますか? そのぅ、これから、ゆっくり……」
思い詰めたような瞳が、ダグザを射た。
「そんなの」
低い声が響く。広間は水をうったような静寂。
「あたりまえだろう? 素敵な歌姫さん」
ダグザは自分のカップを、グリーンのそれでかちんと鳴らした。
「やったね、カンパーイっ」
ツェットがグリューンの手を引っ張って、輪の中に躍り出た。
「わぁい、サーチェスも踊るの!」
ファーンもサーチェスにつられる格好で、連れ出された。
「ツ、ツェット? その、これはつまりあの……」
ツェットはグリューンにウィンクする。自分の巻き毛をつまんでひらひらさせ、
「持っててくれてありがと。カッコよかったよ!」
ツェットに抱きつかれたグリューンは、真っ赤になってがしゃんがしゃんとカップを倒しまくった。
「(あ〜あ、グリューンもかわいそうに……若いみそらなのになぁ。ツェットの怖さを、知らないんだろうなぁ)」
アインはひとり呟いているところを、アイリに捕まった。
「戻ったら、蔵書庫の鍵、一ヶ月借りるから」
「(一ヶ月ぅ! いやだよ、ゼッタイ俺つきあわないから! あんなカビくさくて湿っぽいとこ、誰が行くもんか!)」
「お、ま、え、が、行くんだよこの猫が。じゃこれ、購入したい品のリストね。戻ったらすぐ研究したいから、なる早で手配よろしくな」
ひらりとアインの前にメモが落とされる。アイリの走り書きで、いくつもの仕入れ希望品が並んでいた。
「(仕事の話は、しないでよ……)」
アインもぐいっとおちょこを空けた。
クロイツェル親子は、もう少し里に残るつもりだと言った。
「あっ、それだとフィヌエに寄れないな……残念だな……でもま、こみ上げてくるものがあるんだよ」
「お父さんったら、珍しく創作活動に励むなんて言ってんのよ」
「ダグザ、こんどそのお店、地図書いてくれな」
「お父さん、なんの話?」
バードは本当は、ジェニーの件を落ち着いて考えるために残ることにしたのだった。
ジェニーをどうするか、本当の姿に戻すかどうか。すべてはこれから考えることにしよう。
ラフィナーレがクロードに告げる。
「(……私の、本当の名前は)」
ルキア。螺旋の上、出口に差す光。
「(また会いましょう)」
「えっ、また、って……」
クロードは振り返る。《星見の里》のあの石造りの門で、みんなが手を振っていた。そこにはクロイツェル親子の姿もある。ラステルとイェティカ、そしてパレスとディリシエ。並んだ4人の姿は、ずっと忘れない。クロードは誓う。近いうちに《大陸》観光に行く、とイェティカは約束した。もちろんクロードは今でもイェティカの護衛の《剣》なのだ。
「またね!」
大きく手を振って、らくだの首を東に向けた。行く手に大きなシルエットが見えた。聖地の方角だ。今はそこには誰もいない。ただ、墜ちた万極星の周囲からどんどん緑の絨毯が広がっている。丈夫そうな木の芽もそこに見つけた。やがて巨木に生長し、万極星をその根にとりこんだりするのだろう。そしたらまた見に来よう。その頃には、自分も勇者になっているだろうか。
降るような満天の星空が、冒険者たちの帰途を彩っていた。
おしまい