「あかん!」
サーチェスの隣にしゃがみこんで様子を見ていたジャンが、煙草を取り落として叫んだ。
兄弟神が、何百本もの光り輝く矢を放ったのだ。その軌跡は絡み合う鎖となり、美しい光線を流星群のようにみなの目に焼き付かせながら、無音で標的に突き刺さっていった。
「「「《大陸》をゆがめた、これが報いだ。うけとるがいい、千年の賭けに私たちは勝利したのだ」」」
悶絶するミダスは両手と両足を射抜かれ、膝を折っていた。
ディリシエは喉に矢を受けていた。
そしてクロードの胸にも、その矢は立てられた。広げた片翼はすぐに折られ、クロードは両手で自分を抱くようにしてその場にくずおれる。力無く首がうなだれ、赤毛がふわりと揺れてかぶさった。
「なにすんねん、黙って見とれば!」
ずかずかと立ち上がり、ジャンは《愁いの砦》の目の前に立った。両脇の兄弟が剣と盾を交差に突き出し、彼を阻む。女神はジャンのまなざしを受け止めて静かに言った。
「契約通りよ。魔女は《大陸》に種を蒔く。欲望のために争うようにと。血を流してでも勝ち取れと。私たちはその種を刈らねばならない。人のよき命のために」
「ちゃうやろ? 《契約の書》の原本がここにある。ミダスが記したもんやな。魔女が蒔いたのは希望やで。希望に向けた努力……それを欲望に読み替えたんは」
ジャンはファーンの手から本を取り、突きつけた。その本こそは、《精秘薬商会》でツェットが見つけ、一同を《忘却の砂漠》に招いた例の本であった。ツェットが持っていたものをファーンが借り受け、わかるところだけをジャンが訳したのである。
「あんたらのドグマちゅうことか?」
クロードのか細い声が続けた。ふたりの人物が同時に話しているかのような抑揚で、時折苦しげに、また優しげに。
「契約は、千年の眠り。賭けは、《大陸の民》が自分の命を生きているかどうか、だったはず、でしょう?」
「クロードさん!?」
ファーンはクロードに駆け寄った。その胸の矢を抜こうと試みる。深く刺さっているうえに、鎖が絡まっていて容易に抜けない。力を込めるとクロードはひどく苦しそうな顔をした。
「今すぐこの矢を抜いてください!」
自分も痛みを分かち合っている心境で、顔をゆがめたファーンが叫ぶ。この矢は、あの巡礼には刺さらなかったのだろうか。
背負っていた月琴を下ろし、神々を振り返る。
「この子が何をしたんですか!? お願いです。これ以上何かされるのは迷惑です。とっとと選択でも契約でも、裁判でも処刑でも、何でもやってください。……でも僕たちは、貴方たちの駒ではありません」
ファーンは、せき止められた水があふれるような勢いでしゃべった。
「人の願いや気持ちを、欲望、の一括りで片づけていれば楽でしょうね。欲と感情に、僕たちは縛られて生きている。たぶんあの銀狼もね。でもそれを持って生きることは、そんなにいけないことですか?」
そんな彼を、アインが寄り添って見上げている。
ジャンは、本当はまだ迷っていた。クロードの胸の矢を見てもなお。
オレ、いつからこうなったんやろ。クロードの年には私立学校に入学してたな、ランドマーチャント。そんでもあの頃はまだ、もうちょっとかわいげのあるジャン君やったはずやけどな。
……力を出し切ること。
そりゃあこわいですよ。ええ、こわいです。だって、オレの力……ヤバイんですよ。
オレがやっちまったら、この先いろーんなトコで、いろいろごちゃごちゃと影響が出てくるんですわ。
それ知ってるから、オレ、こわいです。ええい、ままよ。もうエエですわ。なんとかするさかい、自分も見ててくださいよ。
ジャンの口から出たのはもちろん弱音ではなかった。
「エエですか兄弟神のみなさん! オレがその《契約》を更新しましょ!」
「何?」
「ジャンさん……」
ファーンは隣でぽかんと口を開けていた。
ジャンは真剣そのものの顔で、本の最後のページを破ると自分の血でサインした。
「わたくし、ランドニクスのジャニアス=ホーキンスを乙とし……エエ……まあ早い話が、オレが、《大陸》の責任をとる、言うてんのや!」
「ジャンさん!?」
「あんな、兄弟神の兄さんたちは、《大陸》で争いが起きず、みーんな平和で、幸せに暮らしとったらエエんやろ。せやから、自分が、責任持って平和〜な《大陸》にします。ほんでな、《魔女》の姉さんは、《大陸の民》がちゃあんと自分で考えて、自分で生きとったらエエんちゃうん。まかしとき!」
一瞬だけ、彼の脳裏にスイートゼリーからの密書がよぎった。皇帝が軍備を増強しているという噂。……エエよ、噂やろ。どうせなら知りとうなかったけどな。
「私たちと、取引する気か?」
腕を組んだハースニールが答えた。
「ちゃうちゃう! 契約を更新する、て言うてんの。兄さんたちは、《大陸》でもなんぼでも見て回ったらいいがな。欲望にとらわれて人を傷つける戦いが起きとらんことを。そうすれば《魔女》の勝ちや。どや!」
「ふ〜ん、面白いんじゃない……」
言いかけたガラハドの口は、長兄によってふさがれた。
「期間はおまえの命ある限り。《大陸》に戦乱が起きなければおまえの勝ちだ。だがもしひとたび戦が起きたなら、《星見の民》もろとも《魔女》の血縁を海に沈めてくれる」
「まいど」
ジャンは貴族の作法通りに一礼した。
「また会う日を、楽しみに待っているぞ!」
ハースニールは剣を収め、深紅のマントを翻した。ガラハドがたたっとかけよったのは、応急手当のみで横たわっていた巡礼だった。
「えい!」
その上でひらひらと両手をそよがせると、巡礼はぼんやりとした表情で起きあがった。
「さあ、アストラに案内してよ」
ガラハドのその言葉を最後に、兄弟神は巡礼を連れて姿を消した。
「ひとことぐらい、神さまらしい言葉をかけていってくれてもよかったですよね」
ファーンはひとりごちた。あれならティアマラのほうが、どれだけか威厳があるだろう。心の支えになってくれるような、居場所を作り罪を許す、そういう存在を神と呼びたい。この話をティアマラにしたら、なんと言うだろうか。いずれにしても、長い長い物語になりそうである。
「うわぁ〜」
ジャンがどうと大の字になって地面に倒れた。
「つ、疲れた……」
そんなジャンの鼻先を、可憐な花がくすぐる。《忘却の砂漠》はこれから緑の大地に代わりゆくだろう。報告事項がずいぶん増えたものだ。ひょいとピンクの花を傾け、そのかぐわしい香りを吸い込んだ。懐かしい《大陸》の春の香りだった。
満天の星へ続く