第7章|承前多重の岐路花咲ける庭受け継がれたもの薔薇色の道優しい歌マスターより

1.多重の岐路

■Scene:神殿〜此方の岸辺


 ミゼルド評議会が示した期限まで、もう時間は残されていなかった。神殿の信徒たちは、何があろうと聖騎士イオに従うという。しかし、当のイオ自身にまだ迷いがあった。

「話を聞いた」
 神殿の一室に、ハルがうっそりと姿を見せる。
「ハルさん、元に戻っちゃったんですかぁ。残念だなあー」
 本当に残念そうに、アルテス・リゼットが呟いた。
「地下ではお疲れさん。ルドルフさんも無事らしいね」
 アーサー・ルルクが親指を立てた腕を突き出す。
「声色だけかと思ってたらさ、すごいじゃないか」
 腕を組んだままのユズィル・クロイアが片目をつぶって見せた。
 すまない皆。まずそう謝ろうと思っていたハルの調子が狂う。
「……驚かせたみたいで、悪かったな……」
「驚きましたよ! すごいじゃないですか」
 アルテスは悪びれずにこにこと、ハルの雄姿を湛えている。これまでの消極的な態度を申し訳なく思っていたハルも、こうなると照れ臭い。
「……新しい首輪の実験台になんかは、してくれるなよ」
「しませんて! いや、アレは、ホント!」
「それで」
 言葉を継いだハルと、イオの視線とがぶつかった。
「イオさん、女神への信仰を大切にする気持ちは分かる。でも、それを盾にして、自ら選択することを放棄するのはやめてくれ」
「ハリュード殿」
 いや、ハルでいい。大きく片手を上げて否定するのへ、うつむき加減のイオは答えを求めるように他の旅人たちへ視線を移した。
「人形にされた人々を元に戻すのにあの廃園が必要だ。イオさんが自分でそう言っていたでしょう」
「そうそう。少なくとも時間稼ぎくらいは、したほうがいいですよね」
 アーサーもアルテスも、もちろん廃園の焼き討ちには反対だった。神殿にだって、いつまでも人形たちを置いておくわけにはいかない。
「ハルハさんが素直に、人形にされた人たちを元に戻してくれるとは思えませんし」
「それだけじゃないだろ」
 アルテスの言葉にハルが重ねる。
「人形にされた人たちが元に戻っても、ミゼルドとマンドラゴラの関係は変わらない」
「そうだね。一度評議会に目をつけられてしまったら、後々禍根も残りかねないな」
とアーサーもうなずいた。先ほどから、ユズィルだけが黙っている。

「ひとつところに身を落ち着けてしまうと、考えが凝り固まってしまうのかもしれないな」
 イオは斜め上に首を回して呟く。
「旅の身の上のあなた方が羨ましくもある。アーサー殿は、ミゼルドで暮らすつもりでやってきたそうだが」
 アーサーは、いつもの穏やかな笑顔を浮かべている。
「このような事態を目にしてまで、同じ考えを持ち続けているかどうかはともかく、少なくともミゼルド神殿は歓迎しよう」
 《精秘薬商会》で出会った頃の話を、以前セイエスが語っていた。あるいはバウトの話だったかもしれない。ふとイオはそのやりとりを思い出す。
 故郷に縁者がいなくなったのを機に身辺を整理して、旅に出たのだと傭兵は言っていた。ミゼルドは彼の終の棲家になるのだろうか。その先までは分からなくとも、アーサーのことである。目の前で困っている人を、放っておけないに違いないとイオは思った。
「その言葉に偽りはないよな」
 ハルの声には、かすかに強ばりが残っている。
「神殿の扉は、いつも開かれているんだよな」
 イオがうなずいた。聖職者を追い詰めるつもりは、ハルにはなかった。ひそかにセイエスに感謝しながら、ハルは続けた。
「人の生き血をすする魔物……なあ、魔物ってのは誰が決めるんだと思う?」
「それは、人間だよ」
 ユズィルのハスキーボイスが即答した。その目はハルから逸らされない。
「自分と違うもの、異質なものに線を引くのが普通の人間さ。だろ?」
「恐怖心を、自分の身を守る手立てに変えた人間の強さ。それとも弱さかな。恐ろしいくらいだよ。見もせず、聞きもせず、触れることももちろんせず、徹底的に無に返そうとする」
「何もなかったことになんてできるわけないって、手前ら自身で知ってるってのにねえ」
 肩をすくめるユズィル。
「そうやって追い詰められた者たちが、どうなるか知ってるか? 次の瞬間から、人間への脅威と変わるだろう」
 数人入れば狭く感じる室内に、冷えた空気が降りた。
「……なんてな。難しくいってみたが、要は、人間たちの勝手な考えで痛い目に遭わされちゃあ、こっちとしても身を守るしかないってことだ」
 こっち。人間。
 その境目は、ユズィルが言ったように曖昧だった。ただの線。それも人間の都合がいいように引かれただけの、かすかな線。けれど境界こそ微妙であるものの、分水嶺のように彼我は相容れない。
「イオさんを追い詰めるつもりはない。俺も出来ることは協力する。いや、協力させてくれ。聞いてのとおり俺は獣人の血を引いている。人間のほうの言い分も、人間じゃないほうの言い分も、両方きちんと聞くことができると思う。ほんの少しでもいい、両者が分かりあえたら」
 分かりあうことができたら。
 彼我の分水嶺がもう少し低くなったなら。それだけで救われる同族もいるかもしれない。それはたとえばカリーマに連なる一族の誰かかもしれない。

「気持ちは分かる。そして私個人の気持ちも決まっている」
 イオの口調は堅かった。
「……ミゼルド神殿は、廃園の処分に一切手を貸さない。処分は評議会の独断であり、その決定に対して神殿は、全力で抗することとする」
「評議会のオパールさんに掛け合ってこよう」
 立ち上がったアーサーは、あくまでも穏やかな空気を崩さない。
「噂の出所も気になるから、ついでに調べてくるよ」
 俺もとアルテスが後を追った。答えを出すのは別の人たち、たとえばバウト、あるいはマンドラゴラだ、と彼は思った。自分が出したのでは、自分の答えになってしまう。バウトの答えは、バウトが出さなくてはならない。 でも手助けなら。
 彼らが答えを出すための時間をつくってあげることなら、自分にもできるかもしれない。にやりと付与魔術師は不敵に笑う。じゃらん、とアルテスの装身具が揺れて騒いだ。
「彼らの答えになるものが、廃園にあるっていうなら守ってみたいじゃないですか」
「あたいは……」
 ターバンでまとめた頭を重たげに振り、ユズィルも席を立つ。黒曜石の瞳が何かいいたげに伏せられる。魔法道具の銃を片手でくるくる弄びながら、冒険商人は自分自身にうなずいた。
「うん、あたいもちょいと行ってくるよ」

 ユズィルは思い返していた。人形にされた人々の肉体の鍵を外した後、手を尽くしてみたものの、手持ちの気付け薬程度では彼らは元には戻らなかった。意識だけが魔法で抜き取られていて、肉体的には皆健康といえる。夢遊病者の相手をするのが、こんな感じかもしれない。大市にごまんと存在する出店の中には、こういった症状に効く薬もないではないだろうが、いずれ高価なものだろうし、いちいち購入していたのでは出費がかさみすぎるのは目に見えた。
 極端にリスクを嫌う《ミゼルの目》に、ハイリターンを示すには、どうすればよいだろうか。
 商人には、商いの道で。幼い頃からクロイア家の親族たちに揉まれ、14の歳には独り立ちしたユズィルには、ひとつの目算があった。

■Scene:評議所〜錯視


 オパールは向かいの評議舎で算盤を弾いていたが、アーサーやアルテス、ユズィルが面会を希望すると、すぐに応じてくれた。休息日を挟んだせいで雑多に散らかる小部屋を片付けさせ、三人を通す。
「廃園の件? 報酬について……ではなさそうね。何かしら」
 小間使いがお茶とお茶請けを静かに運んできた。どうぞと鷹揚に勧めるオパールに、ユズィルは遠慮なく手を伸ばした。
「廃園の良からぬ噂、とおっしゃいましたが、それについて詳しく知りたいのです。どこからそのような話が聞こえてきたのか、も」
 アーサーが低めのソファから身を乗り出した。膝の上で彼の両手がきつく組まれていた。
「私はご覧のとおりの傭兵で、いわば力を切り売りしてきた人間だから、あなたがたのおっしゃるような商売の話には疎い。それでお聞きしたいのです」
「出所は、評議員のひとりでした」
 専用の茶器で両手を温めるオパールが答える。
「彼の客がそう言っていたというのです。廃園に魔物が出た、と。見かけは子どものようだとも言いました。けれどもそれは、人の血を欲すると」
「ははあ」
 したり顔でアルテスが相槌を打つ。大方ハルハか、その手の者の仕業だろうと思われた。情報が具体的にすぎる。
「恐らく、誤解だと思うのです」
「誤解」
 茶器から立ち上る湯気の向こうで、オパールは繰り返した。
「ええ。自分が聞いた話では、あの庭園には今も住人がいるそうなんです」
「魔物ではなく?」
「人間そっくりな魔物とおっしゃいますが、会ってもいないのに人間とどうやって見分けをつけるんです。その評議員の方も、自分で確かめたわけではないんでしょう」
 それはそうね、とオパールは認めた。
「かよわい女性と少女たちが、ひっそりと暮らしているだけですよ。誰にも迷惑なんてかけていないし、承認だっています。とてもじゃありませんが、彼らが人々を襲ったことだってありません」
 いつになくアーサーの弁が熱を帯びて続く。
「それに庭園を焼き払うという行為は、今回の奴隷市騒動以上に目立つのではありませんか? 下手をすれば余計に人心を惑わせ、怖れを植え付けることになるかもしれませんよ」
 オパールは薄い眉をかすかにゆがめる。
「じゃあ、僕からも。《精秘薬商会》のバウトさん、ご存知ですか?」
「ええ。なかなかの好青年ですわね」
「実はバウトさんも、人形にされていたんです。神殿で保護されている奴隷市の商品のように」
「魔物の仕業?」
 いいえ、と三人は首を振る。
「魔物じゃない、《ハルハ旅団》の団長がやったこと。そっちのほうはあたいらの仲間が、追い詰めて土下座させてるはずだよ」
「ハルハに人形にされた人たちも、ちゃんと元に戻るんです。実際バウトさんは元気になりました。そのためにはあの場所が必要なんです。庭園で休息をとれば、皆元気になるんですよ」
「付け加えれば、無料だよ」
 ぼそりとユズィルが呟いた。
「……それで?」
「提案なんだがね、オパールさん。本格的に焼き払ったりする前に討伐隊を差し向けちゃどうだい?」
「「ユズィルさん!」」
「っとと、言葉が悪いなら、偵察隊と言い換えてもいいよ」
 予想どおりの非難の声を、ユズィルは乱暴に打ち消した。
「手間だって思ったろ。でも知ってのとおりこの街にゃ、至るところに地下迷宮への穴があいてる。庭園だってつながってるんだ。火事を起こして、もし地下に煙が蔓延したりしちゃあ大ごとだろ? 事後処理が面倒すぎる。街の基盤だってどうなるか怪しいしな。だったら一手間惜しまずに、まずは魔物本体を始末することじゃないのかい」
「なるほど。その方法ならば、場所としての廃園は失わずに済みますね。街の土台を損なうこともないでしょうし」
 興味を示すオパール。でも、と遮るアルテスをユズィルは無視して話を続ける。
「だろ? 魔物を倒してから、人形さんがたにはゆっくり休んでもらえばいいんだ。どうだい、陣頭指揮、任せてもらえるかい」
 オパールは満足げにうなずいて、偵察隊が必要に迫られて火を放った場合には、住民の避難と消火の手はずを整えることを約束した。

「それでいいんですか?」
 アーサーが問うが、ユズィルの返答は分かりきっていた。ユズィルも承知で、何も答えない。一呼吸置いて、アーサーは質問を変えた。
「あえてその役を?」
「別にいいじゃないか」
 壁に背を預けてブーツの紐を確かめるユズィルは、アーサーを見ない。
「たしかに、別にいいけれど……参列者は多いほうがよさそうだからね」
「参列者?」
「じゃあ、廃園で」
 背を向けた傭兵を思案顔で見送ったユズィルは、ふうと大きく息を吐いた。

2.花咲ける庭 へ続く


第7章|承前多重の岐路花咲ける庭受け継がれたもの薔薇色の道優しい歌マスターより