PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第6章

3.聴かずや我が調べを

■Scene:喪失(1)

(おまえの中の憎しみも、否定も、呪わしく思っているすべてを、変えたいならば変えるがいい)
 妹姫は容赦なくポリーナの身を責めたてる。言葉は魔法のように養育士を縛った。
「レヴルさま。私は、私は……今の私に出来ることをなすべきか、迷っています。レヴルさま、私は、今の姫さまのまま生きてもらう方法を、探しているのです」
 はじまりの頁に辿りつく方法。それは姫君に生きるということを教えること。《月光》の願い。
 快楽の迷宮には出口がない。輪舞曲はまた最初から奏でられる。
 妖精養育士の力を使えば、姫君たちをそれぞれ卵に変えて、孵卵することができそうだった。ただしその代償は大きくつくだろう。古代に生み出された存在であるし、何しろ二人分だ。《大陸》の妖精や幻獣を育てるのとは比べ物にならないほどの力を使うに違いない。
 自分が消えても構わない。ポリーナはそう思っていたが、レヴルにこれほど愛でられ、その性を肯定されてはなかなか言い出せない。
「レヴルさまは、私が胎になることをお望みでしょうか」
 控えめにポリーナが問う。桃色の霞がかった懊悩の果てである。
「かりそめの母と、そうおっしゃいましたのですもの。かりそめでなく、母になれるならば……」
(それがおまえの物語ならば。試してみるがいい)
 くすくすくす。レヴルは楽しげに快楽で少女を貫くのである。
 白い光が閉じた瞼の奥でひらめく。たくさんの鳥が飛び立つかのように。
「やはり……できません」
 ポリーナは震えた。頬を涙が伝う。
 養育士の力で卵をつくれば、それは、今のままの姫君ではなくなってしまう。すなわち、今の身体の死――ポリーナの忌み嫌うもの。
 出口は、見つけられない。その身を満たされながら、ポリーナは涙する。
 かりそめの母。
 内に満ちるのは出口のない快楽。
 何と哀れな、けれどもこれこそが。
(試すことが怖いのでしょう? ならばこのままで、何の不都合があるのです)
 甘い営み。繰り返される輪舞曲。ならばこのままで、何の不都合があるのだろう――……。
 自分の非力さと、大いなる仕組みの恐ろしさ、快楽に跪いた後悔とあるがままを認められた喜び。すべての色が混じれば白くなる。
 ポリーナは涙を流し続ける。

■Scene:喪失(2)

 ヴァレリは舌を突き出した。
 あたいがレオとよろしくやれなかったってのに。いつもいつもこの二人ときたら。むちゃくちゃな八つ当たりは、もちろんヴァレリから姉姫へと伝わっているはずである。
 くすくすくす。姉姫は笑う。
「夜伽を待っていました」
 くすくすくす。ヴァレリの耳に姉姫の吐息がかかる。余計にそれがヴァレリの気に障った。
「弄ぶっつってんの」
 ヴァレリは大股で歩き出す。引きずられるようにして、そして実際衣服の裾を引きずりながら姉姫ウィユがついていく。
(あたい、ずーっとあんたたちをひっぺがしてみたかったんだ。いつか、あたいのぐだぐだした気持ちの巻き添えにしてやろうと思ってね)
 思考にいっさいの歯止めをかけず、思いついたまま相手に放っているヴァレリ。
 無秩序が、心地いい。自分だけでなく、ウィユもこの状態を楽しんでいるのは、気に入らないといえば気に入らないけれど。
 ウィユの思考も無秩序で、でたらめだ。連続性を持たない断片。すべてがばらばらで、単語帳をめくるように唐突に色彩が流れ込んでくる。元はどのように組み立てられていたものか、それとも、組み立てるべき設計図がそもそもなかったのか。
 ――(人間とは)(はじまりのない終わり)(母でなくては答えられない)(詠唱分岐)(未完の台本を)(語るべき物語を)(我らはふたりでひとつ)(はじまりの頁を)(舞い踊る狐)(燃える砂、琥珀の水)(幸福のしるしの羽根)(次の獲物に)(伝書鳩を飛ばしましょう)(これは罰)――……。
(あたいに謎々ごっこは通じないよ)
 憮然とした表情を浮かべ、ヴァレリは姉姫に毒づいた。形を失った欠片たちは、ヴァレリの興味の外である。
 ふいにぞくりと背を走った感覚に、ヴァレリは首をめぐらせた。
 装飾品をはめた自身の左腕。その指先がつかんでいる姉姫の、か細い腕と豪奢な衣装。白い首筋。縫い閉じられた両の眼が、こちらを見つめていた。
 しどけなく、無防備な、この《島》の支配者の姿。改めて見てみれば、異様な装飾と双眸さえなければ、ただの子どもにすぎない。
(どうせなら、一番遠いところまで連れてってやろう)
 全身を朱に染めたあの子の表情を思い出す。ヴァレリはふんと鼻を鳴らした。満足げに、けれどまだ終わっちゃいないと宣告するように。

■Scene:喪失(3)

「ま……待って。どこへ行くの」
 スティーレがヴァレリを呼び止める。
 耳鳴りのような嬌声がようやく静まりかけたと思ったら、珍しく姫君の片方だけを連れて出歩いている。
(どこでもいいだろ)
 急に左の義手をつかまれ、スティーレは顔をしかめた。
 口をとがらせて、どこでもよくはない、自分も姫君に用があるのだと告げる。
「放しなさい、この手」
 スティーレは色彩言語が好きではない。あたりまえのように存在していた音が奪われると、音声学者――元、だが――は手も足もでない。この心許なさに慣れることができない。
「つまんない」
 膨れ面のヴァレリから奪った左手に、飾りの翼をきちんとはめなおし、スティーレは改めて姉姫を見つめた。
 すぐ隣に姉姫の吐息を感じ、不必要に鼓動が激しくなる。
「ウィユだけ?」
 はじめて、姉姫をその名前で呼んでみた。かすかに口元がほころんだように見えた。
「うん。引っぺがしたらどうなるかと思って」
「引っぺがすって」
 スティーレにはどうにも理解しがたい発想である。もっとも、ハスキーなヴァレリの声からは悪意は感じられない。彼女の茫然とした表情に、一方のヴァレリは満足げだ。
「だって、いっつも二人揃って楽しそうじゃないか。たまにはこうやって離れ離れにしてみたくてさ」
「ジニアにとやかく言われたりし……っ」
 ふいにウィユの思考が流れ込んできたので、スティーレはそれ以上の言葉を失った。
――(詠唱分岐)(羽毛花)(刃渡蝶)――……
 スティーレは目を閉じた。
 暗いその視界に、それらの言葉の色彩が翻り続けている。音のない世界。
 詠唱分岐はスティーレが教えた言葉のひとつだったはずだ。こんな《島》でそんなことを姫君に教えるまろうどは自分くらいのものだろう。
 それらの、不思議に懐かしくもある言葉たちが、思いもかけない色と形に変じて出現したのを、スティーレは興味深く観察していた。
――(一番遠いところ)(螺旋階段)(《月光》の約束)――……
「行くのね?」
 スティーレは、ヴァレリの行く先を察した。海底。ルーサリウスたちがいるはずの場所。
 尋ねながら彼女はウィユからそっと身を引いた。快楽の刺激が薄れ、詠唱分岐や刃渡蝶たちの色彩も消えてゆく。気のせいか、快楽の白い炎の衝撃が、最初に感じたそれよりも淡い。
 学者は首を振る。
 この思考は、はしたないような気がしたからだった。
「まあ他に、特にやることも思いつかないし。まだ行ってないところはそこくらいだし」
「ついていくわ」
 元々お節介焼きのところがあるスティーレとしては、放ってはおけない状況であった。
 教えなければ。
 スティーレはゆっくりと、ウィユに伝える。
「貴女は、人々の祈りを紡ぎ、かたちにする為に、ここに生まれてきたのよ」
 ねえ、とかがんで、目線の高さを合わせた。
「鳩を飛ばすこと、まろうどの物語を許すこと、そしてこの島の番人である、ということ。それらはすべて与えられたもの。
貴女はそのほかに、やりたいことをやっていいのよ」
 ウィユはまだ、どうしたらいいのか分からないだけなのだ。こうやって広間を出て、妹姫とも離れて、自分の力で見て、触って。ひとつずつ気づいていくしかない。
「探しに行きましょう。ねえ、ウィユ」
 小さな手をそっと握る。同じだけの力で、ウィユはスティーレの手を握り返した。
 スティーレは思い出す。真っ暗な荒野に放り出された心細さ。恐ろしく響く声。輝く光がぐずぐずと崩れ、どろどろと降り注いだ混沌の風景。
 ……ウィユをあの中には戻すまい。
 答えのない宿題につきあう覚悟はできていた。

■Scene:喪失(4)

 傍らで妹姫が眠っている。
 その寝息に安堵しながら、ポリーナはゆっくりと身を起こした。鈍い痛みがやってくる。すぐにそれは鈍い快感に変わる。身体中がじんじんしていた。一糸纏わぬ褐色の肌に、白い髪が汗とともに絡み付いている。ちょこんと乗せていた飾りの宝冠がまたすとんと滑り落ち、彼女のオッドアイを覆った。
「うんしょ」
 半端に口を開けたまま、ポリーナは短い手で冠を押し上げる。ああ、と思った。やっぱり生えている。耳。
 不意の衣擦れの音にポリーナは驚いた。
 広間にはもうひとり、まろうどの姿があった。肌の白さが広間の蝋燭の灯りに照らされて浮かび上がっている。飾りのコウモリ羽根は、その長い黒髪とともにしっとりと闇に沈む。音術師ローラナ。
「ろ、ローラナ、さん……」
 いつから見られていたのだろう。ヴァレリが来たのは覚えている。姉姫を連れ去り、どこかへと消えた。
「み、見られちゃいました……えへへ」
 舌足らずの口調は、幼い子どものそれだった。等身も子どもと変わりない。幼さがローラナの胸を痛め、音術師は思わず顔を背ける。
「……ごめんなさい」
 何故だかポリーナは咎められた気になってそうつぶやいた。実際は、もごもごと口の中で言葉は消えたのだけれど。
 ローラナはそのときまで、その、幼児体型に狐の耳と尾を生やした褐色の肌の子どもが誰なのか、わからなかった。新しいまろうどが招かれたのかとも思っていた。
「もしかして……ポリーナさん?」
 その飾りのティアラには見覚えがあった。疑問形で問うと、恥ずかしそうにポリーナはうなずいた。
「ごめんなさい。ローラナさん。ごめんなさい……」
 繰り返すことしかできない。狐の血は嫌いだった。争いは嫌いだった。この血は、争いの匂いがする。自分が制御できなくなったとき、自分でなくなるこの血が、ポリーナは大嫌いだった。
「嫌いに……なったでしょう」
 ローラナはポリーナの問いには言葉を返さず、無言で彼女を抱きしめた。ポリーナは一瞬身体をすくめたけれど、ローラナの胸に顔をうずめた。いろんな想いが、少しずつ鎮まっていくのがわかる。
 ローラナの腕の中で子どもは次第に大きく成長し、あの、前から知っていたポリーナに戻っていく。とがった狐の耳は白い髪の中に元通り、円みを帯びた人間の耳が現れる。ふさのしっぽもゆっくりと薄れて消えていった。
 ポリーナは顔をあげた。ローラナの顔がすぐ近くにあった。
 ローラナはただ微笑んでポリーナの髪を撫で、ティアラの位置をそっと直してやる。こうして微笑を浮かべることができるのは、お腹の子のおかげだった。
「どうして嫌いになると思ったのかしら?」
 ローラナがささやく。
 それは私が、自分のことを嫌いだから。ポリーナは答えるかわりにうなだれた。
 このひとは優しくあたたかいけれど、自分のためにここに来たわけではないことを、ポリーナは知っていた。ローラナが会いたいのは妖狐などではなく、《島》のあるじ、姫君なのだ。

■Scene:聴かずや我が調べを

(それで)
 妹姫レヴルはローラナの手を取ると、紫に煙る瞳で見つめた。ポリーナは取り残された思いでゆっくりと玉座から降り、いつもの広間の隅で小さくなっていた。そうしたほうがいいとなんとなく思ったからだった。蝋燭が広間の壁にゆらめき映す影を見つめながら、彼女たちの会話をぼんやりと聞いている。
「先日はわが子をご所望でしたね、姫さま……」
 姉君が欠けているのは、はじめてのことだ。ローラナは意外に思いながら、時を待つよりは、と切り出した。
「あれから私、考え抜きました。姫さま、あなた方にこの子をお渡しするのは断固としてお断りします。この子の命、この子の人生は他の誰でもなく、この子自身のものなのですから」
(そう)
 しゃらん。レヴルの髪飾りが音を立てる。
(それでは、あれには別の餌を探してやらねばならないということね)
 ローラナはじっとレヴルを見つめた。縫い閉じられた唇が、ふわりと微笑みの形をつくる。
「ですがレヴルさま。私からひとつ提案がございます」
 とくん。ローラナの心臓がはりさけそうに鼓動を刻んでいる。とくん。とくん。
「私は、命のはじまり、その意味、証……それらを間違いなくこれだ、と、指し示すことはできません。いいえ、私だけでなくどんなまろうどにも不可能でしょう。その答えは、人それぞれに違っていることでしょうから。けれど、姫さまが答えを探す、きっかけをおつくりすることはできるかもしれません」
 広間の隅、影の中のポリーナにもその言葉がきれぎれに届く。
 どうして嫌いになると思ったのだろう……。そう尋ねられても、ポリーナは答えられなかった。
 なぜだろう……。
 なぜ?
「レヴルさま」
 ローラナは、重ねられた妹姫の手をそっと握った。きらきらとさまざまな幻影が翻り、ローラナの中に快感が流れ込む。これしか想いを注ぐ手段がないのなら、どんどん伝えればいい、と思った。
 夫を思い浮かべた。そして、まだ見ぬ赤ん坊の顔を。
 ごめんなさい、あなた。ごめんなさい、私の赤ちゃん。危険だと思うけど、他に方法を思いつかないの。
「命のはじまり、産まれるということ、そして生きる証」
 大切なその3つの言葉を、ローラナはゆっくりと絞りだした。できるかぎり温かい音として聞こえるように。耳に柔らかく、心に響く音であるように。
 もしも、姫君に心があるのなら。
「それを探したい、答えを知りたいと、どうぞお望みください。人として生きてみたい、と。他の誰でもない、姫さま、あなた方の自身の願いとして」
 命の音が、今や恐ろしいほど彼女の中で響いていた。

6.世界の望む道 へ続く

1.輪舞曲2.贖いの歌3.聴かずや我が調べを4.真昼の業も今は終わりぬ5.夢見るは我が君6.世界の望む道マスターより