PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第6章

6.世界の望む道

■Scene:胎内――世界の望む道(1)

 ロザリアは《月光》自身もすでにこの巨大な装置の一部だと思っている。レシアとネリューラが不穏な相談をしている脇で、彼女は《月光》に話しかけた。
「私はアストラの神聖騎士です。それとも《聖地》の、と言った方が通りがいいのでしょうか」
 言い直したロザリアは、《月光》が生きた時代を想像した。神々が《大陸》を去ってから千年以上の時が流れている。人工の神を生み出そうとした壮大な計画は、それでもはるか昔のことだろう。神々の時代に比べれば、ランドニクス帝国などまだまだ新興だった。
「今、彼の地はどのように?」
 《月光》は、ロザリアを興味深そうに見つめた。
「三柱の兄弟神の再臨を待ち、準備を進めておりました」
 そういう噂がまことしやかにささやかれていたのは知っている。ロザリアがまだ幼い時分だった。時代が移りつつある、などというものもいた。失われた神々の御名が、あちこちで聖句のように唱えられているという。
 その予感のすべてを壊すように、あの、ランドニクスの大侵攻が始まったのだ。
 ロザリアは小さく咳払いをし、《月光》に申し出る。
「《大陸》への想いをお持ちのようですね。よろしければ、理由をお聞かせください」
 用向きがあれば責任もって伝えるとの意味をこめる。
「人工神の創造計画。《パンドラ》計画と呼ばれていた、あの計画は、歴史の中でどうなったのでしょう」
 《月光》はその計画の一端を担ったひとりであった。うつむきがちでロザリアは首を振る。
「それは……極秘文書となっています」
 一切の表舞台にその痕跡はない。《聖地》だけが存在を知る禁書。
 ロザリアも詳しく知ることは許されなかった。ただ、噂だけがひそやかに生き永らえていた。噂は事実の影だった。
「結局、人工神の創造は成功しなかったのですね。神々の武器を生み出す実験も……」
 わからない。
 ロザリアの知らぬだけで、歴史の裏には、そうやって作り出された神が登場していたのかもしれない。
「そもそも、神とは……」
 神とはなんだ? 
 それはルーサリウスの投げかけた問いだった。ルーサリウスは常に現実的に、出口を探した。彼は問いの答えを求めたわけではない。
 ルーサリウスの中では、願いを叶えてくれる存在すなわち神、という式は、成り立たないだけだ。
「わたしは計画半ばで、あの子たちに――」
 あの子、という言葉を発するとき、《月光》はなんともいえない表情を浮かべた。
「計画の行く末だけが気になっていました」
「約束しましょう」
 ロザリアは口にしながら自らの言葉におののいた。
「あの姫君のような存在をつくりだすような力は、今の《聖地》にはないことを、確認しましょう」
 脳裏をよぎったのは、神殿騎士エンデュランスのシルエット。そして《聖地》を保護下に置いた帝国の存在。この《島》を訪れたエンデュランス卿が、彼女とまみえたかどうかは分からない。さっさと誰かを殺して帰還したかもしれない。
「ありがとう」
 穏やかに《月光》は微笑んだ。
 ロザリアはふと思った。《月光》は、《聖地》のことを、ずっと知りたかったのではないだろうか、と。

■Scene:大広間――世界の望む道(2)

 レヴルは立ち上がり、ローラナの腹部に触れた。
 触れられた瞬間ローラナが目にした色彩は、幾万もの白い鳥がその身をむさぼる光景だった。
 そして今、原始的な何かがローラナの中で拍を刻んでいる。
 鼓動が幾重にも響きわたった。その身に宿したものの重さに、彼女はよろめき、玉座に身をゆだねた。身体に重い塊を埋め込まれたようだった。熱く、重く、苦しい塊。
 快楽が消えた。
 やがて、ローラナの手の刻印が、焼けるように痛み始める。
 レヴルだった存在が、ローラナの中で息づいている。

■Scene:胎内――世界の望む道(3)

(玉座に座りたい……ここは寒いの)
 ウィユはスティーレに抱きついて、そう訴えた。彼女は《月光》の存在を感じられない代わりに、《月光》のいる丘が玉座に見えるらしい。
「どうしたの」
 生来面倒見のいいスティーレは、ウィユといるとのびのびと世話を焼くことが出来た。これは自分でも新しい発見であった。
 しかし。
「そうね。確かに少し寒い気がするわ」
 羽織っていた上着をウィユにかけてやる。もともと色重ねの衣装をまとっている姫君のことだ。上着一枚くらいで変わるとも思えなかったが、そうしてやらずにはいられなかったのである。
「どうしたんすかね? 何だか涼しくなってきたっす」
 リラがきょろきょろとあたりを見回している。腕でごしごしと身体をこすっている。
「風? 吹いてないけど」
 リアルも不思議そうだ。。
「ああ、でも……音が聞こえる」
 その手のルクスさんが、放つ光をわずかに強めている。
「音っすか?」
「何かしら」
「……オルゴールの音、っすかねー?」
 ふたりは耳を傾ける。
(座っていい? 学者)
 ウィユはスティーレを引っ張るように、丘を目指して歩き出した。スティーレは、初めてウィユが見せた行動に、驚きながらついていく。
 丘の上には《月光》の姿。
 彼女はウィユを認める、おいで、といわんばかりに両手を広げて待っていた。
 スティーレの手から、ウィユの指先がするりと抜け出した。

■Scene:大広間――世界の望む道(4)

 エルが大広間で見たのは、姫君の玉座にもたれ休んでいるローラナの姿。その傍らではポリーナが、おろおろと落ち着かない様子である。
 姫君たちの姿はない。灯された蝋燭は、じきに芯が尽きそうだった。
「ローラナさん、どうなさいました。大丈夫ですか?」
 エルは恐る恐る尋ねた。
 ポリーナは涙声で、ローラナの代わりに答えた。
「レヴルさま……レヴルさま……いってしまったの……」
「え?」
「私の、中に」 
 ローラナはゆっくりと身を起こした。支えようとしたエルは、ローラナの変調に気づいて驚いた。
「すごい汗だ。ジニアを呼びましょう」
「大丈夫です。それよりも、ウィユさまはどちらへ……」
 エルはかぶりを振った。
「……おひとりしか、救えなかった」
 ローラナは荒い息を繰り返しながら玉座に伏した。身体は玉座に沈みそうなほど重かった。それだけの祈りが今自分の中で、生まれる時を待っているのだ。
「ウィユさまは、ヴァレリさんが、つれていってしまいました」
 ポリーナはしゃくりあげた。ウィユがいなくなり、レヴルもいなくなった。自分は取り残されてしまった。
「螺旋階段のほうに向かったのかもしれません」
 ローラナは小さくうなずき、目を閉じた。身体は動かせなくとも、音術を使うことはできる。
「音術、ですか!」
「ええ。海底に向かった皆さんの様子を……多少なりとも、知ることができるかもしれませんわ」
 それを聞いたエルの目が輝いた。その飾り羽根までも、ぱっと真白に輝く。
「ぜ、ぜひお願いします! ……そのう、ウィユさまが階段を降りられたのなら、きっと……それで、ネリューラさん……たちは、無事、でしょうか?」
 エルが歯切れ悪く尋ねた。
「探してみましょう」
 集中に入るローラナの耳に、オルゴールの音色が心地よく流れ込んできた。
 そして玉座が、ローラナやポリーナ、エルたちを飲み込んだ。

■Scene:胎内――世界の望む道(5)

「私の願いは《塔》の終焉、そして《島》の崩壊だ」
 レシアがぼそりと呟いた。
「代償には私の生きた証、すべての記憶と感情を捧げよう」
 彼女はネリューラの手を強く握った。
 快感は訪れなかった。代わりに、手の甲の髑髏が焼けるように痛み始める。
「そんな勿体ないことすることないわ」
 ネリューラが笑った。レシアの手を握りしめる。手の中の稲妻を、渾身の力に変えて《月光》へと放つ。
「捧げる命は、貴女のでもいいのでしょ? ――さあ、これでどうかしら。地上にいる誰か、どうか答えて!」
 呪術がずしりと空間を圧迫した。ネリューラの身を駆け抜けたのは、まがいものではない高揚感であった。
 ウィユを抱きしめた《月光》は、青白い光の檻に包まれた。稲妻は月明かりのようにあたりを染め上げる。林立する絵画は暗い影を長く引きずり、足元の鳥の羽根はあたりに巻き上がって渦を描いた。
 次の瞬間、偽の空が引き裂かれ落ちてきた。
 破片はどろどろと溶け崩れ、まろうどたちにも降り注ぐ。大粒の雫は熱かった。降り注ぐ雫を身に受けるたび、髑髏を持つ者たちは痛みに顔をしかめたのだった。
 ルーサリウスは雫の一滴を指ですくってみた。
「燃える闇ですね」
 セシアが答えた。
「きっと、ふたつにわけられなかったものの、もうひとつがこれなんだ」
 《月光》とウィユはひとつのもののように解け合い、玉座の中に沈み込んだ。ウィユはきっと、玉座に座っていたつもりだったのだろう。
「ウィユ!」
 スティーレが叫ぶ。
「ウィユ!」
 オルゴールの和音が鳴り響いていた。

■Scene:世界の望む道(6)

 レヴルは胎内に戻った。
 ウィユは《月光》に抱かれて還った。
 歪んだ円は二つに割れて、《島》の崩壊が始まった。

 ヴァッツの身体が宙に投げ出される。
 墜落――絵画の林は、はるか頭上にある。
「ヴァッツさん! 元に戻ったっすね!」
 ヴァッツはじたばたと空中で体勢を整えようとする。とにかく、リラの上に落ちるのだけは避けなければ。

「ネリューラさん!」
 玉座に飲み込まれたエルは、その天地も定かでないような流れの中、一瞬見えた銀色の蝶に向かって叫んだ。
「ネリューラさん!」
 大広間の玉座はまろうどを飲み込み、そのまま地下へと落下していた。それは暗くて大きな滝であった。
 闇はすぐにエルの視界を侵食した。オルゴールの音だけが聞こえていた。飲み込まれてすぐ苦痛が襲い掛かった。

「操光術――……許してください、《宿り呼ぶ島》」
 ポリーナは両手を組んでそっと祈った。ローラナとエルの身体が、柔らかく光る膜に包まれる。闇の中でほのかに輝く繭。ポリーナの意識はそこで途切れる。
 息苦しい闇に身体を委ねた。ウィユに抱かれているようだった。

 闇の奔流が胎内を埋め尽くそうとしている。
「ルクス、行け!」
 リアルが命じると、ほの光る黒猫人形がひときわ強く光を放った。
 しゃげえええ、と吼える熊人形が、その爪にしっかりと、ふたつの繭を引っ掛けていた。
「他のコも流されてるかも。さあ探しなさい!」

 離宮や館の外にいた者も、崩壊を免れたわけではない。
 マロウが驚いた声をあげる。
「海が!」
 海岸線は、はるか下にあった。潮騒も遠い。《島》の海中に没していた部分が浮かび上がっていた。
 絶海に聳え立つ真円の塔。

 アンナは息を止め耳をすませた。
 クラウディウスも同じようにした。
 カノンは止まったはずだった。もう一曲、どこかでオルゴールが鳴っている。
「おや」
 繰り返される旋律。
 アンナが大切に掲げたオルゴールは、誰かに螺子を巻かれたように、再び同じ主題を奏ではじめていた。

「誰もそんなの選べないよ! お願い選ばないで。これで終わりにして!」
 ルシカが叫んでいる。
「誰かが選ぶのさ」
 レオはそう言って、ティアの胸に深々と白剣をつきたてた。ティアは大きく瞳を見開き、そして、ゆっくりと床にくず折れた。

 オルゴールが奏でているのは惑いの旋律。
 繰り返される主題。追いかけるカノン。

■Scene:はじまりの頁

 絶海の孤島に聳える《満月の塔》。
 はるか空から見下ろしたものがいたならば、たくさんの伝書鳩がいっせいに飛び立ってゆくのが見えただろう。
 塔の上部はわずかな森を残して大きく陥没している。
 燃える闇――切り離せなかった欲望と絶望が、すべてのまろうどたちを飲み込み、押しつぶそうとしている。
 最後に飛び立つ伝書鳩の群れは、《満月の塔》の上でぐるりと輪を描く。
 オルゴールの旋律はゆっくりと静寂へ向かう。

第7章へ続く

1.輪舞曲2.贖いの歌3.聴かずや我が調べを4.真昼の業も今は終わりぬ5.夢見るは我が君6.世界の望む道マスターより