PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第6章

4.真昼の業も今は終わりぬ

■Scene:承前――《月光》

 ひとりも欠けることなくその場所へ辿りついたまろうどたちは、最初のまろうど《月光》と出会う。
 耳にしたのは不遜な計画。《月光》が語る、時を超えた物語。
 かつて――《大陸》を去った《天宮》の神々の代わりに、人工の神をつくりだす計画が存在した。神々がいなくなった《大陸》は、新たな神が守護するべきだと考えた人々が《聖地》に存在していたのだ。
 《聖地》アストラ。
 まろうどたちにとっては、新帝アンタルキダスが統一王朝ルーンを宣言した場所でもある。
「あの子たちは願いを叶えられない。人々の祈りがあの子に力を与え、その力によって祈りをかたちにするはずだったのに。あの子たちは生まれず、別のものになってしまった」
 《月光》は呟いた。
 半透明にゆらぐその姿は、姫君たちによく似ていた。
「あの子たちは死を知らない。人々の祈りは伝書鳩を引き寄せ、伝書鳩が死を運ぶ剣を人々に与える。髑髏を得たものはいたずらにそれをふるい、快楽の果てに破壊をもたらし、破壊は苦しむ者の新たな祈りを呼び起こし、祈りは伝書鳩を招き寄せる……」
 完全なる不完全。いびつな円。
 繰り返されるのは、最後の頁からはじまる物語。
「あの子たちが正しく生まれることができたなら、願いを叶える神にも似た存在になれたのに」
 今のあの子たちは、髑髏を撒き散らすことしかできない。
 死を理解せず、弄ぶ、かわいそうな子どもたち。

 胎内。
 《満月の塔》、逆さまの螺旋階段の先に待っていた髑髏の扉。
 1枚の絵のように装飾されたその扉は、レシアの力を代償に吸い込んでまろうどたちを内側へ招いた。広がっていたのは、鳥の羽根が敷き詰められ、たくさんの絵がでたらめな墓標のように突き立てられている空間。そしてあたたかい水に包まれた感覚。
 けれどその空間の中心にあって、《月光》の表情は儚げである。
 胎内とは、まろうどの力を姫君たちに与えるところだと《月光》は説明した。まろうどの力とは、例えばレシアが髑髏の扉を開けるのに注ぎ込んだ生命力――生きていること、その証である。レシアの力が及ばなければ、あるいは髑髏の扉がもう少し強固に封じられていたら。彼女の生命はすべて吸い取られ、死んでしまっていたことだろう。
 小高い丘に《月光》は腰掛ける。その身を姫君の玉座と同じ物質がてらてらと流れるように包み込むのを一行は見た。
 まろうどたちの頭上には、月の軌道が描かれた偽りの空。

■Scene:真昼の業も今は終わりぬ(1)

 ロザリア・キスリングはレシアを抱いたまま、もう一方の手には白剣を掲げて周囲を確認した。中央の丘と《月光》を囲むように、まろうどたちが集っていた。
 少し遠巻きの、リラ・メーレンとリアル。鳩の姿のヴァッツ・ロウ。
 ルーサリウス・パレルモとセシア=アイネス。そして、淡い光を放つルクスさんと、ネリューラ・リスカッセ。
 レシアが生気を吸い取られ、幼い少女に変じてしまった今、剣を振るう力があるのは自分だけだった。それに気づいたとき、ロザリアは一瞬愕然とした。白剣を手にしているのはロザリアだけではない。髑髏の刻印を持つもの……ルーサリウス、セシア、そしてネリューラ。彼らの手にも等しく快楽の剣が出現している。
 例外は、鳩のヴァッツと少女のレシア。それに学生二人組み。しかしロザリアの腕の中、レシアの手の甲には未だ髑髏が笑っている。彼女の意識が戻ったとき、すぐさま快楽に翻弄されることになれば――このままだと、そうなるのだが――酷なことだとロザリアは思った。
「いずれにしてもここは胎内。生まれなければ出口はないの」
 《月光》が告げた言葉は、束の間の静寂をもたらした。
 そしてその静寂に耐えきれず、行動を起こした者がいる。
「てやっ!!」
 リラが盛大な掛け声とともに投網を放った。
「うまい、リラ!」
 リラと手をつないでいるリアルは、ぐっと脇を締めている。この状況で信じあえるのは髑髏を持たない者同士、つまりはリラとリアル、ついでにヴァッツの3人組だけだった。
 ふたりの頭上で、ヴァッツはばたばたとせわしなく羽ばたいている。
 リラの投網はどうやら《月光》を狙ったものらしい。乾いた音がして、ほのかな磯の香りが漂う。《月光》は頭からすっぽりと網をかぶっていた。半透明だが実体があるのか、どういうことなのか。疑問に思うより先に、だだだだっとリラは疾走し、リアルと一緒に遠くの絵の陰に隠れた。
「あ、駄目」
 熊のリュックを抱いたリアルが足を止める。リラの手から、網の端が抜けてしまった。再びリラが疾走する。白い羽根がふわふわと舞い上がる。ももんがの尾が揺れる。
「これでいいっすか」
 ぐい。
 リラは思い切り網を引っ張った。《月光》じたいは、けげんなふうなのかきょとんとしているだけなのか、その心情すら判然としない。ただし、大人たちは目が点だ。
「いい。リラ、すごくいい」
 手をつないだまま、リアルはもう一方の手で熊リュックをばしっとかざした。お手製リュックの熊は、しゃあああと牙を向き目をらんらんと輝かせている。
「な……何を、いったい……」
 誰かが呟いた。
 学生たちが《月光》を捕獲しようとしているのは明らかだった。だが。
 ネリューラはじっと見ていた。《月光》のその半透明の身体にてらてらと絡みつく、あの物質。流れるように形を変え続ける奇妙な色彩。あれは、館の広間で見た、姫君たちの玉座と同じものではないのかしら?
 やがてリラとリアルの捕獲劇は、ネリューラが予感したのと同じ結末を迎える。《月光》に網をかけたまではよかった。けれど《月光》にまつわるあの物質が、《月光》を離そうとしない。ヴァッツがくるくるとリラの周りを飛び回り……応援しているのだろうか? やがてリラは座り込んでしまった。
「お、重かったっす」
 投網を使ったのは、《月光》に直に触れたくない気がしたからだった。その点、投網を持ってきたのは大正解だと思ったのだけれど。
 でもでも、とリラは思った。投網に動揺しない《月光》さんは、やっぱりおかしいっす。やっぱりこのひとは人ではない、人工神作成装置《パンドラ》の一部、それも壊れた記録装置……?。

■Scene:真昼の業も今は終わりぬ(2)

 傍ら、熊をつきつけるリアルは《月光》に叫ぶ。
「早くワタシの犬を返して! そして呼んで、ほら、早く!」
 しゃげええええ、と熊が吼えた。
「何ぼけっとしてるの、ウィユとレヴルを呼べったら!」
「あわわわわわ。リアルさん、それじゃ脅迫みたいっす!」
 無論、リアルは脅迫しているつもりだった。そのための戦闘態勢だ。熊に憑依させた精霊が何者なのかはこの際考えないことにする。この場所でこの状況で、リアルの命令を聞いてくれるよいコであることを願うだけだ。
 幸い熊の両手はぎゅいいいんと伸びて、ふたりを守るように取り囲んだ。なんか格好いいっす、とリラはリアルを頼もしく眺める。
 ヴァッツは彼女たちの周囲を飛び回る。この展開は不味いと思うのだが、通訳してくれるリアルが忙しそうだ。どうしようどうしようどうすればいいだろうかなどと考えている。考えながら飛んでいる。
 あまりいい案は思い浮かばない。自分に今できることは……。
(リラが好き好き好き好き。リラが好きです!)
 強く念じることくらいだ。
 否、絶叫しているのだが伝えてもらえない。鳩の身である。くるくる鳴いてばさばさ羽ばたいても、それだけでは伝わらない。
 かくなるうえは《月光》に直接伝えよう。そう思いつき、ヴァッツは投網に絡め取られた《月光》の肩へふわりと止まる。
「落ち着きなさい」
 苦虫を噛み潰して飲み下したような渋面をつくっているルーサリウス。
 彼は攻撃的なリアルを穏やかに諭したつもりであったが、彼女の次なる詰問対象に選ばれてしまう。
「ルーサリウスは攻撃する? 快楽のまま剣を振るうの!?」
 熊の爪ががしがしと空間を掻いている。
「おい。ルーサリウスに何かしたら」
 セシアの飾り耳がぴくりと動いた。司書の手の中、扱い慣れぬ快楽は今にも暴れだしそうである。冷静でありたかったが、白剣がそれを許さない。このままでは、隣のルーサリウスに剣を突き立てたい衝動に耐えられない。
「……髑髏を持たなくても、効果はあるかもしれないじゃないか」
 ルーサリウスは刺せない。でもリラもリアルも剣は持たない。それなら。
「セシアは攻撃するのね!」
 司書の顔つきが変化したのを見取って、リアルは叫ぶ。彼女のまわりの白い羽根が舞い上がる。
「じゃあセシアは敵!」
 きっと眉をつりあげリアルは断じた。セシアの視界の中は、白い快楽に侵食されつつある。舞い上がる羽根の奥、貫くべき対象として見たリアルはとても小さかった。
 次の瞬間、熊の爪がもう一回り大きくなってセシアに襲い掛かろうとする。自分が襲われているのを他人事のようにセシアは見ている。
「待て」
 ルーサリウスの叱責が飛んだ。セシアのぼんやりとした脳裏にも、ルーサリウスの言葉だけはひっかかった。
「入ってきたなら、出口はきっとあるはずです。探せばきっと見つかる」
「ルーサリウスは攻撃するの!」
 同じ問いをリアルは繰り返した。
「しません」
 即答。当然至極という言い方だった。
「この空間を調査しようと思います」
 セシアはもう動きを止めている。いつも自信に溢れているような端正な顔立ちは、泣き出しそうに歪んでいる。苦しいのだろう、とルーサリウスは思った。自分だって長く冷静ではいられるまい。だがここは皆を落ち着かせることが自分の役目だ。《月光》も人工の産物なのだとしたら、そのようなものに頼っても詮無いと分かりきっている。
 ルーサリウスの提案は明快だった。《島》の内部だという仮説に基づき、存在するはずの内壁や天井の位置を知る。物理的につながっていると確認できれば大収穫である。
 ロザリアは小さく喉を鳴らした。こくりと恐れを飲み下した音だった。後ろ手に白剣を隠す。ロザリアも敵意を持っていないことを示したのである。
 ヴァッツはくるくる鳴きながら、《月光》の頬に嘴をすりよせている。
(リラが好き! リラが好き! リラが好きなんです。自分にとってこれが生きる意味だと思うんだ!)
 リアルはちらとヴァッツを見やるが、ルーサリウスのことは信用ならないといった面持ちで口を尖らせたままである。

■Scene:真昼の業も今は終わりぬ(3)

「生まれなければ出口もないって……」
 《月光》の言葉に、ネリューラは顔をしかめた。
 正しくは、手の中の白剣が誘うおびただしい高揚感によって、その黒い唇をゆがめたのだった。
「ねえ、それって……本当かしら?」
 呪術師が絞りだした声からは、いつもの、人をからかう響きが混じっていた。
 《月光》の言葉は信じられない。剣を持つ手から注ぎ込まれる快楽と、誰かの髑髏を突き刺したいという誘惑を断ち切るために、ネリューラは冷静であろうと考えた。
 ごまかしの衝動に流されることはない。だからほら。
 手にした武器の存在は、ネリューラの村を襲った魔獣との戦いを思い出させた。
 帝国辺境。幼い孤独の記憶は、呪術に長けたある村の村長に引き取られ、可愛がられた幸福の記憶に結びつく。時折、白く輝く快楽の断片が邪魔をする。そのたびネリューラは、剣の柄の感触、その重さを思った。
 魔獣の尾が、村長をなぎ払いその骨を砕いた。からくも魔獣を倒したそのあとの出来事。村人たちはネリューラをののしった。力を持っていたのに、手を尽くすのが遅かった、と。もっと早く術を完成させていたら、と。
 ネリューラの心奥に生まれた後悔、悲しみ。それらがゆっくりと快感に打ち勝っていく。戦うことは望まない、心の中でネリューラが宣言すると、答えるように白剣が消えていく。
 ルーサリウスはうなずいた。
「目に見える風景に惑わされてはいけないと思います。異空間に飛ばされたように見えて、現実的に考えれば、我々は螺旋の階段を下へ下へと降りてきたのですから、《贖罪の島》が逆さまの《満月の塔》だとしたら」
 指折り諭すような口調は、次第にまろうどたちの身体をめぐる快楽の炎を鎮めている。
「ここは、その《塔》の中なのです。《島》の地下、それも、これだけたくさんの絵があるのだから展示室の下なのかもしれない。だったら、上へ向かえば地上に出られるのでは?」
 セシアの手から剣が消えた。
 まじまじと、自分の掌をみつめるセシアである。

■Scene:真昼の業も今は終わりぬ(4)

 レシアはぼんやりとあたりを見つめていた。あたたかな温もりを肌に感じる。ロザリアが自分を抱いてくれていたのだとわかると、レシアの頬はほころんだ。
 《月光》との会話がなんとなく耳に残っている。どうやら自分は、ロザリアのおかげで助かったらしい。首をめぐらせるとすぐ上に、ロザリアの端正な顎と引き結ばれた唇が見えた。
「レシア。生きていてよかった」
 ロザリアは頬を紅色に染めていた。レシアが身を起こそうとするが、周囲の世界が急激に膨張して、うまく自分で立てない。
 ……縮んだのだ。若返った、というべきか。髑髏にこれまでの時間をもっていかれてしまったのだ。
 目線の高さの違いにはとまどうけれど、少し心が晴れていた。ロザリアが望んでくれるなら、生についての考えを改めるべきかもしれないな、などと思う。そして間違いなくロザリアは望んでくれていた。自分はロザリアに救われたのだ。
「私は……」
 口を開くと、出てきたのは高く澄んだ可愛らしい声だ。レシアは顔をしかめた。そうだ、地声は高いのをいつも押し殺して話してきたのだった。これではまるで子どもである。暗殺業を仕込まれたのはちょうど十歳のころだったが、もう少し上か。12歳くらいになったのだろう。体つきが少し女らしくなりかけた頃だ。それでも骨がちな、少年体型だった。
 人を殺したことはなかった。12歳のときは、まだ。
「私は……物語を、まだ続けられるのか」
 記憶がなくなったわけではない。五体もどうやら動くらしい。旅路をともにした外套はぶかぶかで引き摺っていたけれど、銀色の仮面はなぜかまだレシアの右頬を飾っていた。
「あの子はちゃんと約束しているのね、まろうどたちと」
 《月光》は懐かしむようにそう言うと、小さくうなずいた。
「言ったでしょう。私は願いを叶える神ではないし、そうなるはずだったあの子たちも、生まれなければ何も変えることはできない。だから私はあの子たちに約束した。この島を訪れるまろうどたちの姿から、その存在の意味を見出すように。物語が続く限り邪魔することのないように」
 肩のヴァッツについと指を伸ばし、その頬ずりを受ける《月光》。
「わかった」
 こくりとうなずいてみせる。古ぼけた指輪がするりと抜け落ちるのをレシアは握りしめ、大切に外套の隠しに入れた。
 ロザリアの力のおかげで生き永らえたということらしいが……レシアはふと思った。12歳までで済んだのでは妹の命もあったからでは、ないだろうか? その考えは、レシアの気に入った。
 隠しの中、角張った包みに指が触れ、レシアはそこに包丁をしまいこんでいたことを思い出した。途端に髑髏がざわめき始めた。
「レシアの物語はまだ続くのですね」
 つまり、まだ側にいてくれるということだ。ロザリアは安堵した。彼女の白剣も消えていた。
 たとえ白い剣が髑髏を貫きたがっても、この場のまろうどたちは誰一人、殺しあったりしなかった。誰かが死ねば誰かの望みが叶う、そんな危険な天秤から、自分たちはうまく逃れえたのだ――。
 ほっとするなり、ロザリアの口が再び開く。ほとばしるのは、レシアへのお説教。
「いいですか、レシア。この際ですからもう一度繰り返します。あれほど言ったのにどうしてわかってくださらなかったのですか? 無茶はもうやめてください。ひとりだけ苦しんでかたをつけるような方法をとらないでください。勝手な言い分に聞こえるかもしれない。けれど私は、本当に本当に……」
 今ばかりはレシアも神妙に聞いている。少なくともロザリアにはお説教する権利がある、と思う。それにしてもさすがは神官、お説教も聞き応えがある。
 もっともロザリアのほうも、姉同然に思っていたレシアがお説教に都合よく可愛らしい年下の少女になったもので、いささか熱弁をふるいやすい、などと考えている。
 ネリューラやロザリアも冷静に戻ったのを知ると、ルーサリウスは自分で言ったとおり、空間の調査を始めた。協力してくれる者がいなくても、出来る限りやってみるつもりだった。
 無言のままセシアがあたりの絵画を調べ始めている。ルーサリウスも手近な絵に描かれているものを調べはじめた。
 セシアの飲み込みが早いのには助かっている。さぞ優秀な司書だったのだろう。仕事が好きな部下に恵まれると動きやすい。
 肝心の、セシアの秘めている思いには、まるきり気づいていないルーサリウス。
 一方のセシアは、話しかけるきっかけを探しあぐねている。

■Scene:真昼の業も今は終わりぬ(5)

 ヴァッツは《月光》の指先に羽根を休めながら、ひたすら愛を語っている。
 リラの隣のリアルは、油断なく気張ったままだ。やっぱり忙しそうだ。ちょっとは通訳してくれてもいいのに、なんて一瞬ヴァッツも考えたが、本来自分で何とかしなければならないことだと思い当たった。
 《月光》に触れながらなら通じるかもしれない、色彩言語とかいう、あれで。そう思ってさっきから、一体何回「リラが好き」と訴えたことだろう。
 リアルはもちろん、人形を通じてヴァッツが話していることを理解していた。必要があれば通訳をするつもりだったのだが実は迷っていた――これは、通訳が必要なのだろうか、と。あるいは、通訳してしまってよいものなのだろうか、と。
 リアルが伝えなければ、リラには通じない。
 願いを叶えるためには、《月光》に……というよりこの《パンドラ》システムに願わなくては効果はないだろう。
 でも、とリアルは混乱する。ワタシだってリラが好きなのに。
 それを伝えたら《満月の塔》は、誰の願いを叶えるのだろう?
 ヴァッツは好きだ。優しくて、物を大切にしてくれるお兄さん。似た匂いの人。おばあちゃんがいたら、おばあちゃんもきっとヴァッツを好きになるだろう。
 リラも好きだ。初めてできた友だち。ワタシのことを格好いいとか強そうとか頼りになるとか……本当にそれだけの力がワタシにあるかどうかはともかく、すごく、認めてくれた、気がする。
(リラが好き! 好きって気持ちとか、何か想うってことは、生きてないとできないから、生きる証が何かっていわれたら、俺にはこのことだって答える!)
 ……だから。
 ヴァッツがあまりに真剣な様子で《月光》に伝えているのを聞くと、リアルの心がちくりと痛む。
 ヴァッツとリラが、なかよしになってくれればすごくうれしい。でもそれで、ワタシが仲間はずれになったりしたらどうしよう? なかよしのふたりと変わらずに友だち同士でいられるなんて、そんな都合のいい話があるんだろうか?
 人間のほうが、精霊の何倍も怖い。
「あの、ヴァッツさん、何しようとしてるっすか?」
 え、とリアルは振り返る。黒猫人形のルクスさんはちかちかと瞬いている。わかってる、わかってるけど、とリアルは口ごもる。
「実はそのう、なーんかさっきから胡散臭いような気がしてるんすよねー」
 《月光》はこちらの都合のいいことしかいわないに違いない。リラはそう思っていた。きっと、そういうふうに作られているんだ。柔軟な対話ができるとは思わないほうがいい。
 だからヴァッツが願いを叶えようとしているのなら、先に姫君たちを呼んでくるべきなのではないかとリラは思った。
「お姫さまたちならきっと、こっちの様子も見えてるはずっす。《島》ならどこでも見通せるみたいでしたし、ルーサリウスさんの予想通りなら、この真上がお姫さまの部屋なんすよね」
 そうだ、とリアルも思う。姫君たちに会いたい。この場所で。
 姫君たちが来るのなら、彼女たちの願いを叶えて、ついでにワタシたちの願いも叶えたい放題に違いない――。
「結局ウィユとレヴルは、来るの? 来ないの? 教えなさい!」
 しゃげええええ。熊が吼えている。

■Scene:真昼の業も今は終わりぬ(6)

「賢明ですね」
 リラたちの声に、ルーサリウスは呟いた。林立する絵画を調べながらである。彼の声はセシアくらいにしか届かなかっただろう。
 失敗作にいくら願おうと無駄だ。代償に何をどれだけもっていかれるかわかったものではない。そんな存在を神とは呼ぶまい。ルーサリウスの思考はひたすら現実的だった。
 その手は積もる白い羽根を払い、絵画を見定める。
 すべて人物画だ。やはり、それぞれがかつて《島》を訪れたまろうどたちなのだろうと思った。同じ人物を描いたものはひとつとしてない。時代はさまざまだが、装飾品をつけて描かれているのがほとんどだ。白い剣を携えているものもある。アレクが展示室で確認したのと同じパターンである。
 中には、《満月の塔》に至るために鍵として殺された者もいるであろう。
 当然、逆に、《塔》で願いを叶えた者も。
「何かいいましたか」
 セシアが聞きとがめる。
「あ……いや」
 ルーサリウスはわずかに口ごもった。思考を中断する。
 その様子を察してセシアが別の絵の陰からひょいと顔を突き出した。
「……これは」
 眼鏡をかけて顔を近づける。
 それは見知らぬまろうどを描いたもの。細部から、描かれた者の素性は明らかであった。
 神聖騎士の青年。
 装飾を廃した革鎧に、白地のマント。純白の円盾には聖句が刻まれている。そして何よりもその身分を証明する聖印。
「白剣を持っている……ということは、他の髑髏を突き《大陸》に帰還した可能性がある人物、ということだ」
 ルーサリウスは気乗りのしないまま、ロザリアを手招いた。彼女に隠しておいてもいずれ知るところになるだろうと考えたからだった。
 ロザリアは警戒した面持ちで招きに応じたが、描かれた人物を一目見て顔を強ばらせた。
「エンデュランス卿!」
「ご存知ですか」
「知っています……いいえ、アストラの神聖騎士ならば誰でも知っていると思います」
 神聖騎士の中でも、特にランドニクスとゆかりあると噂された人物。聖地を守護する円盾は、力ある者のしるしだとロザリアは告げた。
 円盾を許されている者は数少ない。紫陽花姫オルテンシアが、アイゼンジンガー即位と同時に《聖地》へ送り込まれた際、一切を託されたのもその力を買われてのことだったらしい。もっとも、ロザリアが騎士叙勲を受けるはるか前の話であり、当時についての知識はいささか不確かだ。
 《12の和約》締結時、アンタルキダスは叔母であるオルテンシアに死を賜った。
 2年後、アンタルキダスは《聖地》を保護下に置き、統一王朝ルーン復活を宣言する。
「レオは、オルテンシアからもらった魔剣で彼女を斬ったと言っていた」
 占い師とレオとの対話。エルが騎士など嫌いだと、吐き捨てていたあの場面だ。
「神聖騎士エンデュランス卿は、今何処に」
「きっと、アストラに」
 ロザリアは身を切られるような思いで答える。
 命じられれば、誰かの命を奪うことにもためらいはない――螺旋階段を下りてくる間に、そんなことを考えていたロザリア。けれど見知ったまろうどを自ら対象に選ぶことはできなかった。伝書鳩に招かれることなければ、未だに新帝を求め《大陸》をさすらっていただろう。
 さまざまな思いが胸をよぎる。
「神とは……なんだ?」
 ルーサリウスの低い呟きは、ロザリアの胸に沁みた。

■Scene:ゆらぎ(1)

 ネリューラはかさかさと羽根を踏みしだき、《月光》の佇む丘へと近づいた。
 ヴァッツがちらと目を合わせると、ネリューラは妖艶に微笑んだ。どことなく、ヴァッツが気後れするような笑みである。
「……ねえ、その不思議な物質」
 《月光》の足元にまつわるものを指して、ネリューラは問う。てらてらと波打ち、輝き、流動している。敷き詰められたたくさんの白い鳥の羽根と比べて、まったく異質なもの。燃え盛る炎に形を与え閉じ込めたように、その色も形も、定まらずうごめき続けている。
「玉座とよく似てるわよね?」
 ネリューラはもう一歩近づいた。いつになく積極的に行動しているのには訳がある。
「あ……うわ……近づくと危なそうな気がするっす〜」
 リラが心配そうな声をあげた。
「ねえ、私、この真上に姫さまたちがいると思うんだけど」
 リアルの手元では、黒猫の人形がほんわりと光っている。
 ネリューラの言葉はルクスさんには聞こえていても、はるか地上の彼には届かない、今は。
「さあ、どうやったら届くのかしら」
 片手を腰に、片手を蝶の仮面に添えてネリューラは空を見上げた。月の軌道が描かれている。天井は遠い。
 試しに簡単な呪術を放ってみようと思い立つ。鳥の羽根を一枚拾い上げ、指先ではじくと見る間に羽根は青光る稲妻になって、光跡を残しながら浮かび上がった。リラもリアルも、その成り行きを見守っている。
 稲妻は天井にぶつかると、てらてらと光沢のある網目模様を浮かび上がらせ散り散りに消えた。
「ふうん、全力で術をかければ手ごたえがあるかもしれないけど、遠いわね」
 そう言ってはみたものの、ネリューラが得意としている呪術は力こそ強力だが、かなりの精神力と集中力を消耗する。消耗したところを誰かの白剣に狙われでもしたら、どうなることか。
 それでも試す価値はありそうだとネリューラは思った。
「力づくで胎内から出ようとするの?」
「問題があるの?」
 《月光》の問いに問いで返すネリューラ。
「……あの子たちに見せたいと思って」
 予想していたのとはまったく別の答え。ネリューラの調子が狂う。
「見せればいいじゃない」
 足元の羽根をもう一度つまみあげる。
「好きなだけ見せればいいと思うわ」
 きっと感動的な場面になるでしょう。そっと心で付け足して、ネリューラはもう一度天井を見上げた。乾いた羽音は、ヴァッツが風を切って飛んだ音。
「手伝おう」
 レシアが呟いた。信じることが力になるなら、それは唯一、力や体格を失った彼女にできることだった。
 子どもの姿には不似合いなその言い方がおかしくて、ネリューラはくすりと笑った。
「ありがとう、レシア」
「……その名前はもうやめることにしたんだ」
 ネリューラが指先でそよがせる羽根を見つめて、レシアの名を妹に返した少女が言った。
「レシアは私の妹だった。私は……レシアの姉、レストアだ」
「きっと仲が良かったのね?」
 レストアに戻った少女はこくりとうなずいた。口を開くと、ずっと妹の名を名乗っていたことへの想いまでもが溢れてしまいそうだったから。私はレシアにはなれないし、レシアの生き方を完全になぞることもできない。
 今はロザリアがレシアに重なる。この年恰好では、彼女のほうが姉になってしまったが。
「うらやましいわ、レストア。私は孤児だった。拾ってもらった先で、3人の兄弟弟子ができたけれどね」
 彼らは今も、自分を恨んでいるのだろうか。魔獣を退けるのに大きな代償を払ったネリューラを。それともそんな戦いがあったことなど思い出すひまもないほど、日々の暮らしを精一杯営んでいるのだろうか。ランドニクスの辺境の地を、あれからどのような災禍が襲ったのか、ネリューラは知らない。
「終わりにしよう。天井が遠いなら、ここを狙えばいいのだろう」
 《月光》の周囲にまつわる物質を示して、レシアが呪術師に言った。
 終わりにする。
 秘めた決意に、ネリューラはうなずく。
「そうよね。ただで願いが叶うほど、世の中甘くはないってことなのよ、結局」

■Scene:ゆらぎ(2)

 その空間を、わずかに風が吹きぬけた。
 気のせいだろうか。まろうどたちは一様に感じ、その方向を確かめた。ある者は、かすかなオルゴールの音色を耳にした。
「来たのね」
 《月光》が丘の上から出迎える。
「おかえりなさい、ウィユ」
 ヴァレリとスティーレを伴って、姉姫ウィユが立っていた。ヴァレリは仏頂面だ。スティーレは義手の翼で耳を押さえるようにしている。
「待ちくたびれた!」
 リアルが勢いを取り戻す。
「言いたいことが山ほどあるの!」
「あたいも聞きたいことがあるね。あんたが《月光》?」
 無造作にウィユをスティーレに押し付けて、ヴァレリは《月光》へ近づいた。
「ねえ、ちょっと……もう」
 ヴァレリの奔放に、スティーレも振り回されっぱなしだ。ウィユを抱きとめると、まぶしいほどの色彩がスティーレの心を騒がせる。
「レヴルはいないの? いいけど、ウィユ!」
 リアルは熊の人形を構え、振り回した。
「そろそろ自分たちで何とかしようって、思うころなんじゃないの! これだけ大騒ぎしたんだからもう分かったでしょう、待ってるだけじゃ何にも変わらないってこと!」
(どうしてですか、人形師。我らは――《月光》にそう教わりました)
「どーしてもよ。《月光》ならソコにいるわ、聞いてみればいい」
(……何処に?)
 ウィユはスティーレにしがみついた。
 初めて姉姫が見せた、人間らしい仕草だった。恐れなのか、それとも不安か。スティーレは思案したあげく抱きしめた。実際は、思案はほんの一瞬だった。
「見えないの、ウィユ?」
(何処に《月光》がいるのです? 最初のまろうど、我らを見つけ、我らを捕らえた……)
「ヴァレリさんと話しているわ」
 ヴァレリは《月光》に詰め寄っていた。願いを叶える方法を教えてほしいとか、二人の命で二つの願いを叶えられるのかとか、そんな会話が聞こえてくる。しかしスティーレが丘の上を示しても、ウィユはそちらに顔を向けるのみである。
 《島》の他のところであれば、そんなことはなかった。目を閉ざされているウィユも感じ取れるはずであった。事実、まろうどとのやりとりには不便はない。
「レヴルを置いてきたからかしら……?」
 確証はないものの、スティーレにはそのくらいしか思いつかない。だとしたら、ヴァレリの意地悪のおかげである。そんなヴァレリは、ここぞとばかりに《月光》に噛み付いていた。彼女が叶えたかった二つの願いとは、《大陸》への帰還と《大陸》の変革であるらしかった。
 彼女が願ったとおりの世界になったら、ともかく退屈だけはしないだろうとスティーレは思った。疲れ果ててさぞかし熟睡できるに違いない。
「じゃあ、今のウィユには誰が見えるのか教えてくれるかしら」
 外の世界に連れ出せば、ウィユも生まれたてにすぎない。
(人形師。法の僕。女学生。放浪者。呪術師。司書。神聖騎士)
 細い指でまろうどたちを示すウィユ。最後に学者と囚人を言い添え、ヴァッツのこともきちんと当てた。逆に放浪者、レシアの姿をスティーレが探したほどだった。
「それだけ?」
(他にもたくさんのまろうどの物語が)
 林立する絵画を指さして、ウィユは言った。
(でも、物語はもう続いていない)
「丘は見えるかしら? そこに立っている人は?」
(……空の玉座が。温かくて気持ちのいい、あの玉座が見える)
 ウィユはもう、いつものようにくすくす笑いはしなかった。

6.世界の望む道 へ続く

1.輪舞曲2.贖いの歌3.聴かずや我が調べを4.真昼の業も今は終わりぬ5.夢見るは我が君6.世界の望む道マスターより