PBeM《ciel RASEN》 - 2005 : 第7章

5.もう一振りの剣

■Scene:もう一振りの剣(1)

 燃える闇の中で、ヴァレリとロザリアはもがいていた。
(なんだ、飛び込んだらあっという間に地上に出るかと思ったのに)
 痛みに苛まれているとは思えないヴァレリの思考を受けて、ロザリアは顔をしかめた。快楽に慣れていたのだ、と思った。だからこの燃える闇が与える重圧と、暗くもめくるめく色彩、身体に寄せる波のような痛みは、苦しさを倍増させる。
(……騎士さま、ここにももうひとりいたっけねえ? なにやってんの?)
(ジニアに会いに行こうと思ったのです)
 真面目に答えるロザリアだ。
 彼女の真意はもうひとつあった。レオのことである。
 《大陸》に帰還するにしろ、レオの存在を示す証拠が必要だと思った。彼の持ち物なり、なんなりを、存在した証として大神殿に提出する必要があった。
 ルーサリウスがいれば、胎内の仲間たちは安全だと判断したからこそ、レシアのことも彼に任せるつもりで置いてきた。ただし地上に行くのに来た道が使えそうもなかったことから、ヴァレリを追いかける形になったのは、計算外だ。
 ヴァレリが行けるなら、自分も行けるかもしれない、と。
 ヴァレリが闇に飛び込んだ後立ち上っていた水泡を見て、なぜか自分も。
 正体不明の闇を辿る気になった。
 ジニアのため、レオのために。
(ハァ、真面目だねえ)
 真面目なのかそうでないのか、ロザリアには分からなかった。こういう性分なのだ。あちこち抱え込んでしまった約束も、いつの間にか、気づいたらそうなっていた。
(でもまあ、レオねえ……いい気味だねアイツ)
 ヴァレリがレオの話を持ち出したので、一瞬ロザリアは驚いた。そしてすぐに思い当たる。
 燃える闇の中では、色彩が濃い。触れずとも、流体そのものが媒体となって、意思疎通を可能にしているのだ。
 最もこんな過酷な状況の中でのんびり思考を垂れ流すなど、自分にはできない芸当である。すぐに瞼が重くなってきた。意識が遠のく。上下も定かではない。自分の身体すら、どこからどこまでが四肢であるのかわからないほど、感覚が狂い始めている。
(いい気味……?)
 ロザリアは不思議に思った。離宮では執拗にレオに迫っていたヴァレリ。過度のスキンシップをレオがなぜ拒絶したのか今なら分かる。
 色彩言語を使いこなすヴァレリにうかつに触れようものなら、レオの演技がばれてしまうからだったのだろう。
 演技、そうだ。レオは影武者だったのだ。
『――レオは、アンタルキダスの影です。レオの目は見えています。彼は非常に危険な存在です。人を傷つけること、殺すことを厭わない人物です――』
 ローラナはそう告げていた。
 影武者の去就を見届けるために、自ら正体不明の闇に飛び込んだとあっては、真面目と揶揄されても仕方がないかもしれない。
(あたいにとっちゃ、レオみたいのが皇帝になってくれたほうが楽しい世の中になりそうだけど。他の連中は反対するかもねえ……ったく、勝手な奴ら)
 ヴァレリはひとりごちながら、やがて果てのない闇に向かって悪態をつきはじめる。
 ロザリアにしてみれば、勝手なのはどっちだと尋ねたい。尋ねる代わりに、ため息をひとつ。
(それにしても……おおい、誰か! ふざけんじゃないよ、どうやって地上に戻ればいいのかい、これ!)

■Scene:もう一振りの剣(2)

 音術の力を借りた言葉が、どんどん流れ込んでくる。
 あらかたの事情を伝え聞き、改めてロザリアは、ローラナたち術の使い手の力に驚いた。
(ふたり脱落、ねえ)
 スティナとエルリックの話を聞いても、ヴァレリはさほど興味を示さない。それがまた、ロザリアには不思議だ。
(レオも重傷だとか。こうしてはいられません。早く何とかして地上に出ましょう。この期に及んでは、私たちに出来ることは少ないのかもしれませんけれど……)
(あーあ。間に合わなかったか、加勢してやろうと思ったのにな)
(加勢!?)
(ま、あれだけ一気に手の平返されたんじゃ、信用もできないだろうね。なんだ、意外としっかりしてるじゃないよ……勿体ない……って、まだ死んじゃいないんだっけか)
 この人は、やっぱりレオの味方だったのだとロザリアは思った。
 彼女が離宮にいたならば、間違いなく彼女はレオに加勢したに違いない。レオに加勢して、彼を抱きしめようとしたふたりを手ずから葬ったに違いない。
 レオに迫ってその深淵に触れたヴァレリこそ、唯一、レオに近しい思考の持ち主だった。一度は拒絶されている。だが奇しくもその拒絶が、かえって真意を近づけた。
『――聞いてください、皆さん。白い剣に貫かれることすなわち死と考えてしまっていますが、実際に白い剣で貫かれた後死んだのかどうか、これは定かではありません――』
 ローラナに代わり、ルーサリウスの声が響く。
 そして、大広間の人々のざわめきが、スティーレの術によって拾われ、伝えられる。
『――《島》から脱出するには、胎内とやらに行くしかない。とはいっても、この《島》全体が隆起して海面ははるか下、珊瑚の階段は使えねえ。手っ取り早く飛び込むのが近道だ――』
 ヴィクトールだった。
(なんだか腹が立つね。こいつは何だっていつもこんなに自信満々なのさ)
 矛先を向けるヴァレリだが、ロザリアは答えなかった。
(あんたあのでかぶつをどう思ってんの? おい、騎士。聞いてる?)
(聞いてません)
 小さな点だった白い光が次第に近づいてくる。
 レオもジニアも、ヴィクトールたちと一緒だ。
(……私たちは)
(ん?)
(ここで何ができるでしょう?)
 自問するロザリアだが、答えは出ていた。
 選択して、行動しない限り答えはないのだ。
(それは、俺の台詞だ)
 駆け抜ける白い光。白い剣をかざすヴィクトールが、ロザリアの脇を通り過ぎる。
 ロザリアはヴィクトールの後に続くまろうどたちの列に加わった。
(脱出しましょう、ヴァレリさん!)
 ヴァレリとて《大陸》へ帰りたくないわけではない。呼ばれるまま、ロザリアの後を追う。

■Scene:もう一振りの剣(2)

 大広間の一同が、燃える闇を文字通り貫いて胎内へと下りてきていた。
「とっとと片をつけようぜ」
 先頭に降り立ったヴィクトールは、抱えていたリモーネを下ろし、腕は彼女に回したままで乱暴に言った。
 とはいうものの、物を言える気力が残っていたのはヴィクトールだけである。他のまろうどたち――アレクやサヴィーリア、ルシカ、それにアンナといった面々は、皆、息も絶え絶えである。ジニアやマロウも例外ではない。
 アレクはレオを抱えていた。そして、ルシカがティアをおぶっていた。彼らはともに深い傷を負い、ぐったりと力を失っていた。
「闇の中を抜けてきたんですって?」
 リオンが目を瞠った。
「ああ」
 舌なめずりをしながら、ヴィクトールは答えた。手の中の白剣は、闇を抜け、さらに煌々と輝きを増しているようだった。
「光の膜にも包まれずに、よくご無事で……」
 リオンの声が震えたのも無理はない。ローラナや自分が、光に包まれ保護されていたのと違って、彼らは生身であの苦痛の中をやってきたのだ。ヴィクトールはともかく、他の女性たちや怪我人に、耐えられるものとは思えない。
 ヴァレリはけろりとしているし、皆、命を吸い取られた様子もない。
 リオンは首をかしげた。ポリーナはまだ姿が見えない、関係があるのだろうか、と。
「膜だあ? そんなもんは知らん。それより」
 ヴィクトールの視線の先に、ルーサリウスがいる。
「聞いてたんだろ。揃って賭けが好きときた」
「こんな博打まがいの方法しか提案できないのは本意ではないのですけれど」
「ごたくはいい。俺だって似たようなことを考えていた」
 ヴィクトールの言葉に、ルーサリウスはわが意を得たりとうなずいた。
「ただ、俺ならもう少し手荒にやらせてもらう」
 おや、という表情を浮かべるルーサリウスに、ヴィクトールは顎をしゃくった。
「髑髏をつつきあうのもいいが、どうせなら、貫くのはあれにするつもりだ」
 その先にあるのは、ルーサリウスたちが珊瑚の階段からやってきた際、こじ開けた髑髏の扉である。
「貴様ら全員、あそこから胎内にやってきたんだろう? なら、あそこから出て行くのが自然じゃないのか?」
「《島》ごと壊す気ですか!」
 リオンはぽかんと口をあける。
「文句あるか。どうせ勝手に壊れ始めたんだ、放っておいても壊れるさ。その前に出て行くだけだ」
「それは、そうですが」
「吸い込まれてしまいます、レストアさんのように、貴方も……いいえ。彼女の場合は子どもに戻るくらいで済みましたが、最悪、物語をすべて奪われてしまうかもしれませんよ」
 ルーサリウスは、レストアに起こったことを説明した。
 髑髏の扉に白剣を突き立て、気を失ってしまったこと。ロザリアが助けたおかげで助かったということ。
「うるせえ」
 ヴィクトールは簡潔に答えた。
「あの闇だって、これで切り抜けた。同じようにやってやるだけさ」
「……それに」
 無言だったリモーネが口を開いた。
「トール様はおひとりではありません。私の分の物語までお使いくださいますよう」
「……なるほど」
 ルーサリウスもうなずかざるを得ない。
 レストアの場合も、ロザリアの力を借りて、命の流出を補った。ヴィクトールにはリモーネがついている。
 ならば。
「私たち全員が、協力し合い、扉を突破しましょう。これなら髑髏を持たないものでも、全員揃って外へ出られます」
「賭けごとが好きな皆さんでよかったわね」
 ネリューラが役人を小突いた。
「ぶち破ってやる」
 ヴィクトールは白剣を存分に振るえる喜びに、口の端を歪めた。

■Scene:もう一振りの剣(3)

 髑髏の扉の前で、ヴィクトールを囲むようにまろうどたちが立った。
 他の者たちは一様に緊張の色を浮かべ、ルーサリウスの指示のとおり手をつなぎあった。ヴァッツの隣はリラだ。この手は離さない、とヴァッツは誓った。ルーサリウスは人垣の一番後ろで人数を数える。全員では来られなかったが、推論があっていることを期待し、悲しむのは後にしようと決めていた。そうして、自分はジニアの手を握った。
 ヴィクトールはためらわなかった。
 剣をかざし、そのまま髑髏に突き立てた。常にそうして振るってきたやり方で。
 いつもの通り、獣のままに。

 髑髏の扉は粉々に砕け散った。
 暗がりに慣れた目に光が襲い掛かる。髑髏が閉ざしていた場所が開け放たれたのだ。
「さよなら!」
 誰かが叫ぶ。
 胎内に内包されていた闇は、光が射した場所から次々に薄れていった。氷が春の陽に溶けだすように、凝り固まり蠢く塊もまたかたちを失っていく。水蒸気の代わりには、白い鳥の羽根が舞った。

 そして、風が吹いた。
 祈りの残滓を浄化し、《大陸》へと返す風。
 ――幼い声の数え歌が聞こえる。

♪《死の剣》は選び取る 互いの鍵を

♪捧げた死の数 開いた鍵の数 きざはしの数

♪見出されよ もう一振りの剣

♪《死の剣》にあらず

♪其は《真の意思》の使い手なれば

■Scene:再誕

 まろうどたちは、舞い上がる鳥の羽根とともに宙に浮かんでいた。鳥の羽根は雪のようにくるくると翻る。色彩は限りなく薄く柔らかい。風が吹いている。伝書鳩の姿は見えない。
 だが、力強い羽音は聞こえる。
 たくさんの目に見える鳥たちが、まろうどたちをどこかへ運ぼうとしている。
 潮騒が遠い。
 《満月の塔》だった場所は、もうない。

 周囲にたくさんの風景が切り取られ、浮かんでいる。
 手をのばせば、その風景に届きそうだった。まろうどたちはめいめいに、心惹かれる風景へと身を寄せる。

 それらの風景ひとつひとつは、美しく装飾的に縁取られた絵画であった。
 展示室にあった絵画と同じように大きく、けれども人物は描かれていない。
 すべてが大きな風景画だ。そしてすべてが異なる風景画だ。
 あたかも、あらゆる場面に面した窓辺のように。

 絵画から抜け出した人物は、今、再びその舞台へと帰る。
 それぞれに選んだ場所――《大陸》のどこかへ。

6.この手を離さない へ続く

1.あなたの望む道2.互いの領分3.惑いの旋律4.分かつもの5.もう一振りの剣6.この手を離さないマスターより