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第2章 1.子どもの領分

■Scene:子どもの領分(1)

 パルナッソスに風が強く吹いている。
「おまえたちは私と一緒に来るんだ」
 アダマスは孤児たちにそう告げた。
 しかし、調査隊の中でも、アダマスに対する意見はさまざまに分かれている。
 クレドとグロリアをどう扱うか。
 アダマス率いる補給隊で保護するのが当然なのだが、本人たちは「先発隊に入りたい」と不満なのである。
「……糞食らえだわ、“お父さま”」
と膨れたグロリアに、アダマスは「悔しかったら早く大人になるがいい」とにべもない。
 そんなやりとりを耳にしていた建築家リュシアン・ソレスは、優しくふたりを諭そうと歩み寄った。
「あ、リュシアン!」
「ねえ、聞いてよ。ひどいんだよオヤジったら」
 クレドたちはリュシアンの外套に飛びついた。
「聞きましたとも」
 うなずきながら、リュシアンは伸びかけの淡い金髪を耳にかける。
「でも……僕はアダマスさんに従ったほうが良いと思いますよ。クレドさんもグロリアさんも、今すぐにでも《炎湧く泉》に行きたいのは分かりますけれど」
「だったら、どうしてよ?」
 グロリアは錆色の外套をつかんだまま言葉を返す。
 クレドもリュシアンを見上げ、
「子どもだから先に行くのが駄目なんて、おかしいじゃないか! ティカだってピュアだって俺たちよりちっさいんだしさ。オヤジの言うこと、わけわかんないよ」
と、不満をぶつける。
「大人と子どもの違いを知りたいのですか? 僕ならば……どれくらい他人に配慮できるか、ということだと思いますが、いかがでしょうね」
 リュシアンは申し訳なさそうな表情で答えた。自分がすでに大人の立場にいることに、少々の不公平感を感じずにはいられなかったのだ。
「はいりょ?」
「って、どういうこと?」
「自分勝手で、自分のことしか考えていない人っているでしょう? そういう人はいくつになっても子どもです。逆に、他人のことをよく思いやって行動出来るなら、年が若くとも皆の尊敬を集めるものです」
「でも! でも、さあ……」
 口を尖らせるクレドは、まだ納得がいかぬようだ。
「俺もグロリアも、他の人に迷惑かけないようにするくらい、簡単にできるぞ!」
「それ、オヤジも良く言うもの。自分のことは自分でやれって」
「だから大丈夫! でしょう?」
 リュシアンは困ったように視線をいったん外し、そして離れたところでティカ・エイブンと話をしているパーピュア・クリスタルに目をとめた。
「クレドさん。君はさっき、ティカさんやパーピュアさんが自分よりも小さいと言いましたね」
「う。うん」
「彼女は君よりも大人ですよ、たぶん」
 それを聞き、クレドとグロリアは驚いた顔になる。
 見た目ではパーピュアはほとんど子どもにしか見えない。けれど時々、妙に大人びた仕草や振る舞いを見せる。リュシアンはその育ち柄もあって人間観察を得意としていたから、パーピュアのことは気になっていたのであった。それもあって、こういう言い方になったのだが、クレドたちにはそこまではもちろん伝わらない。
「ねえ、クレドさん。アダマスさんはおっしゃっていました。“パルナッソス学術調査隊では、老若男女、見てくれのよしあし、そういううわべのものは一切問わない”と」
「それは……そうだけどさ」
「先発隊となりたい貴方たちの気持ちは良くわかります。けれど盾父は、貴方たちのことをとても心配しているのですよ」
 会話に加わったのは聖職者カインだ。墓守クオンテ・シスキスも、リュシアンと子どもたちの声が気になっていた。黙って、子どもたちとのやりとりに注意を払っている。
「カインもリュシアンも、大人はみんなおんなじことを言うんだわ」
 グロリアはそう言って、リュシアンの外套を握っていた手を放した。
 リュシアンは助け舟となったカインの登場に一言礼を言おうと口を開く。
 が、いち早くカインが言葉を続けた。それは意外な言葉であった。
「私も子どもの頃は、大人の後を良く付いて回ったものです。何か、子どもの自分よりも良いものを、大人は見つけているんじゃないかと思って……もちろん大人には叱られましたが、得たものも多くありました」
 ですから、貴方たちは先発隊についていらっしゃい。
 カインは優しくそう告げると、空を仰いだ。リュシアンのそれよりもまばゆく輝く金髪が風にそよぐ。
「本当!?」
「いいの!? やったあ!」
 手を取り合って喜ぶクレドとグロリア。
 隣のリュシアンが聖職者の白衣に手を置くのを意に介さず、カインは言った。
「貴方たちは目的地のことを詳しく知っているのでしょう? 先発隊として行動することで、新たな世界にも出会えるでしょう」
「随分、子どもたちの肩を持つのですね」
 リュシアンが小声で言った。もちろん皮肉めいたところはない。
「貴方にも子どものころがありましたでしょう?」
 カインは微笑を浮かべて答える。
「それを言われると……」
 苦笑するリュシアン。
「さあ、グロリアさんにクレドさん。貴方たちだからこそ気付ける事が、きっとあるはずです。それを見つけて、私に教えてくださいね。約束ですよ」
 身をかがめたカインは子どもたちにそっと何事かをささやき、その背を押した。
 最後の言葉だけは、リュシアンの耳にも届いた。
 それが神のご意思ですから……。
「分かったよ、カイン!」
「うん、頑張る! ねっグロリア!」
「よろしくお願いしましたよ。ああ、盾父のことは、我々大人にお任せください」
 自信たっぷりに微笑を絶やさないカイン。先発隊の駱駝に向かって、子どもたちは駆けて行く。
 ふたりの小さな背中を見送りながら、リュシアンは困ったように呟いた。
「まだまだ僕も、尊敬される人間ではないということでしょうか。修行が足りないどころではありませんねえ、こんな有様では」
 その呟きには答えずに、カインは再び天を仰ぎ、青い瞳を閉じる。
 まぶたの向こう側の太陽が残像となってカインの内を照らすようだった。

■Scene:子どもの領分(2)

 同じころ。
 剣士3人組――シュシュことチトラ=シュシュナとダージェ・ツァンナ、そしてティカがこんなことを話し合っている。
「好きにさせたげたらいいんじゃないのかナー? あの子たち」
「冒険したいお年頃ってヤツだよな、きっと」
 ダージェの考えに、シュシュはうんうんとうなずいている。
 シュシュにしてみれば、すでにクレドやグロリアは弟分・妹分。出来る限り味方になってやるのが兄貴の務めだよな、などと考えている。
 ダージェが思うに、子どもたちは補給隊そのものよりむしろ、義父アダマスと一緒に行動しなければならないことを嫌がっているのではないか、ということだ。ダージェ自身にも覚えがある感情だ。
 もっとも、ダージェは大都市の剣術道場の跡取り息子である。ともかく今日まで家族に剣で勝ったためしがなく、それゆえ反抗期も反抗期らしくなかったような思い出がぼんやり浮かんでくる。
 そしてそれよりも何よりも、グロリアとたったひとつしか違わない自分が、こんなに冒険でわくわくしているのだ。
 どれだけ彼らも冒険したいことだろう! それは間違いなく分かっていた。
「好奇心って大事だよな!」
 ティカももちろんその気である。こげ茶の瞳がくりくりとせわしく動いている。
「おれの父さんだって言ってたもん。子どものころに経験してなかったことが、大人になったからってすぐにできるわけじゃないってさ!」
 だからおれも修行してるんだもんね、とティカが付け足す。
 先の戦争に傭兵として赴いていた父はティカの憧れだ。父の影を追いかけて自分も傭兵になった。小回りのきく軽装にカタール両手持ち、という格好も父の言いつけをしっかりと聞いた結果である。戦争が終わっても出稼ぎに出ていた父は、滅多に会えない愛娘の成長をいつも喜び、戦闘において実利ある助言をしたものであった。
「よし。アダマスさんに頼んでやろうぜっ」
「いいね!」
 剣士3人組、似たもの同士なのか意見がまとまるのも早い。
「ねーねー、アダマスサン!」
 傍らの盾父アダマスに、ダージェは提案する。
「カワイイ子は旅をするって言うよね。クレドたちも、先発隊に入れてあげていいと思うよ?」
「かわいい子には旅をさせろ、といいたいのかね? 剣士君」
 ダージェを見るアダマスの表情は、苦笑に近い。
「あー、それそれっ。なはー、ボクあんまりお勉強は得意じゃなかったんだよね……でも今は、剣術修行中! 旅してますっ」
と言ってダージェは胸を張った。
「先発隊の他の奴らも、ちゃんと面倒を見るつもりだと思うぜ?」
 シュシュもここぞと援護に回る。
「そうそう! 悪いことしたらおれがちゃーんと注意するからさ!」
 ティカを見るアダマスの目つきはいかにも不安げであったが、ティカはそんなことおかまいなしだ。
「ダメだって突っぱねて、後からこっそりついて来ちゃったほうが危ないかもしんないぜ?」
 あるあるある、とシュシュとダージェ。
「迷惑になるとか足手まといになるって言うんなら、勝手はさせないって約束させればいいじゃないか。そのくらいの聞き分けはあるだろうし」
「危険な生き物もいないんだよね? だったらなおさら! 冒険させるいい機会かもよ。ダメかなあ?」
 アダマスはしばし手を止め、そしてあの、人を食ったような笑みを浮かべた。
「よかろう。そこまで言われては立つ瀬がない」
「よっし!」
 ぐっと拳を握るシュシュ。俺、兄貴分としてかっこいいとこ見せることができたよな?
「タツセって何?」
 無邪気なダージェの問いにアダマスは無言であった。おおかた、クレドと変わらんな、などと考えているのだろう。
「……先発隊で面倒を見てくれるのなら、私も楽ができるというものだ。しかし、よくよく言っておいてくれよ」
「何だい?」
「くれぐれも自分のことは自分でやること、そして大人の言うことをちゃんと聞くこと、だ」
「もちろん言っておくよ」
 シュシュは肩をすくめる。
「あったりまえだろー、そんなこと」
 ティカはわかってるさとアダマスに指をつきつけた。
「じゃあボク、さっそくクレドたちを呼んでくるね!」
 ダージェが軽やかに砂を蹴って駆けて行く。
 一呼吸おいて、シュシュとティカが続く。
「しかし」
 アダマスは呻いた。
「子どもが冒険者と仲良くなる。その素早いことといったら、まるで敵わんもんだな」
 風に紛れたのはそんな独り言。
 そして成り行きを知ったクオンテは、ひとまず胸をなでおろした。
 子どもたちがアダマスに話をせずに先発隊に加わるつもりなら、居所をつかんで目を放さずにおいたほうがいいだろうと思って、注意を払っていたのだ。周囲の助けが働いて、堂々と彼らは先発隊の一員となった。
 上手くやったもんだなあ、と素直に思うクオンテである。
「……そうしょげるなよ」
とリュシアンに声を掛けたのは、その後の話である。


1.子どもの領分2.導くもの3.荷を負うもの4.《炎湧く泉》5.幕間〜からくり犬は見た〜マスターより

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