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第2章 5.幕間〜からくり犬は見た〜

 自分、犬っす。
 じっちゃんからは、スィークリールって名をつけてもらいました。
 自分、けっこうこの名前気に入ってます。
 もうちょっと、短めの方が呼びやすいかもって思いますが……差し出がましいっすね、そんな考え。
 メカワンコって呼んでもらえるときもあるし。
 自分、いつからメカなのかは覚えてないんすけど。でも全然不便なことないんで。
 じっちゃんにもすごく仲間たちが増えて、楽しそうっす。
 せっかくなので、じっちゃんと仲間たちが、黒いナイフをぐるぐる回して遊んでた時のことを留めておこうと思います。

 最初にじっちゃんが、“赤髪”の手からナイフをひったくりました。
 ガツンと匂い袋を一突き! ためらいはなかったっす。
 自分、じっちゃんのそういうところ尊敬してるっす。
「おー、いい匂いじゃなあ。爽快、爽快」
 抜いたナイフは、“赤髪”に渡されたっす。

 “赤髪”は、“風にそよぐ葦”の言葉にカチンときてたみたいっす。
 でもちゃんと自分も匂い袋を使って――錬金術だと黒曜石はなんかすごいらしいっす――、使ったあとのナイフは“愛する聖職者”に渡してました。

 “愛する聖職者”は、待ってました、って感じでナイフを受け取ったっす。
 匂い袋を手つきも鮮やかに突いて、ナイフは“あいつ”に渡したっす。
「私は感動したのですよ。真実を告げる勇気は何者にも代えがたいのですから」
なんていいながら。“愛する聖職者”は、“あいつ”のことを気にしてたんっすね。

 受け取った“あいつ”は“あいつ”で、ちょっとびっくりしてたっす。
 どうやら、自分のところにナイフが回ってくるのは最後だろうなって思ってたらしいんです。
「ナイフ使う人、もういないよね?」
って台詞を恐れていたんっすよ。でもそんなことなくてよかったっすねえ。
 ナイフを使った後は、“青い炎”に渡されたっすよ。ちょっとだけ、びくびくしてたっす。

 “青い炎”は慎重だったっす。そんで、実は“青い炎”のほうも驚いてたんっすよ。自分がナイフを渡そうと思っていた相手も“あいつ”だったらしいっす。
「使い時はまだ先だな」
 そう言って、ナイフは隣にいた“迅雷”に渡されたっす。

 “迅雷”は、なんかもうナイフを受け取るなり、ポイッって次の“癒しの賢者”へ速攻回されてました。
「いらねーよ! おれは幻影なんかにまどわされないからな!」
 もちろん匂い袋も使わない派だったっすね。

 “癒しの賢者”もちょっと困ったのは、やっぱり“迅雷”が心配だから“迅雷”にナイフを渡そうと思っていたからっす。
「元々幻覚には強い自信はありますけれど。誰かが惑わされてしまった場合、治す癒し手までもが幻覚に侵されているわけにはまいりませんね」
 “癒しの賢者”からは、グロリアにナイフが渡されたっす。

 グロリアはちゃんとおっさんの言いつけを守って、匂い袋をつかったっす。
「だって……これでもし足手まといになって、二度と外出禁止になったりしたら……」
 イーッ、とものすごい形相になって、グロリアはナイフをイーダに渡したっす。
「あたしも《精秘薬商会》に入ってみようかな。いろんなものが見られそうだもん」
 相当、おっさんの薬が効いているんっすかねえ。

「そうだね。面白いものを居ながらにして見聞きできるのは楽しいよ」
 イーダはグロリアの頭にぽんと手を置いて、そういったっす。
「《大陸》どこにいったって、住んでいるのは同じ人間さ。品物や情報を行き来させて、どっちの人も幸せになってくれたらこんな楽しい仕事はないからね」
といって、匂い袋に顔を近づけ、くんくんと匂いをかいだっす。
「複雑にブレンドされているけど、何だろうねえ。知らない調香だよ」
 ナイフを使う前に、“遠見”と“芳夜(かぐや)”を呼んで尋ねたっす。
「ねえ、あんたたちどう思う? 織りは随分上等だよ、立派な品じゃないか。突くなんて勿体ないといいたいところだ」
 “遠見”と“芳夜”は呼ばれるままに、揃ってイーダと同じ仕草を繰り返したっす。
「爽やかだけど、何か……」
 “遠見”が言いごもるのを、“芳夜”はこう言いあてたっす。
「苦味があるわ。ほろ苦い感じ。でも何かしら、思い出せないわね」
 “芳夜”はいくつかの香りを挙げたけれど自信はなさそう。
「何か見えないかい」
 “遠見”は自分の分の袋を取り出し、少しの間、しかめ面をつくります。
「透明な空が見えるなあ。年を経たものにしては、珍しいね」
 たいていは、もっとどよどよした負の思念みたいなものが渦巻いているのが見えるらしいっす。“遠見”も楽じゃなさそうです。
「ナイフのほうは、どうだい?」
「……う」
 こちらは一転、“遠見”は苦しそうに腰を折り曲げました。それでもナイフを持つ手は放しません。さすがです。
「大丈夫?」
 “芳夜”がそっと彼の背をさすります。彼女も、癒しの力を帯びているんだそうです。
「油断した」
 呟いた彼の顔からは、汗がすぐにひいていきました。
「ごめんよ、あたしが頼んだばっかりに」
「いいんだ。慣れてるさ。ただ、匂い袋の方がちょっと珍しい感じだったから」
 “遠見”は申し訳なさそうにそういったっす。
 イーダはかぶりを振りました。ふたりの話を聞いてみて、自分では正体不明の匂い袋を使わずにとっておくことにしたようです。
「こんな上等の織地を傷つけなくてすむんだし、ま、悪い選択じゃないだろうさ」

 後で“遠見”は、こんなことを言ってました。
「何が見えたかって? 黒い雲の中に、すごくきれいな、光る星が見えたんだ」
 大事なお守りの小石をそっと握りしめながら。
 “遠見”もやっぱり、ナイフを使うのはやめたようでした。
「それ、悪いものじゃなさそうなんじゃない?」
 “芳夜”、少し口を尖らせたっす。
「……見ちゃいけないものだ、と思った。なんとなく。理由はないんだけどね」
「そう」
 彼女は黙って、一度回ってきたナイフを“遠見”に返そうとしました。
「やめとくわ」
 “遠見”は、そう、いいんじゃないかな、といってナイフを受取ろうとしたっす。
 でも寸前で“芳夜”は気が変わったようです。
「あんたの番はもう終わったんだった」
 ナイフは“走狗”に渡ったのでした。

「え、俺か?」
 受け取った“走狗”は、“芳夜”にどぎまぎしながらも、「俺はパスすんぜー」と両手を挙げたっす。
「……」
 けれど無言で見上げる“芳夜”に根負けして、彼はしぶしぶ受け取ったっす。
 手元でナイフをくるくる弄ぶと、すぐにシュシュへと放りました。
「気休めだってアダマスのおっちゃんも言ってたし、危険じゃないなら一回くらい幻覚見るのも面白そうじゃねえ?」
 実際のところは商売柄、まじないっぽい動作にはうかつに手を出せない決まり、みたいなのがあったらしいっすよ。

 シュシュはシュシュで、迷いなく勢いよく力強くざっくりと、匂い袋を突いたっす。
「ホントだ、いい匂いだな」
 香りを追いかけるように、空に向かって背伸びするシュシュ。
「ねえ、何の匂いなんだっけ?」
 振り向いて“走狗”に訊ねたけれども、
「知らねえよ」
と苦笑交じりの答えだったっす。
 ナイフは弟分、“小さき牙”へと渡りました。

「うん、使うよー」
 だって面白そうだし、じーちゃんもいい匂いって言ってたし、と“小さき牙”は喜んでナイフを受け取ったっす。
「おう! いーい匂いだったぜ!」
 兄貴分が促すままに、匂い袋は貫かれました。
「ん〜。気持ちいいー。おっちゃんじゃなくて、おねーさんがくれたんだったらもっとよかったのにナー」
「こら!」
 弟分の言動に、なんとなくムッときたらしいシュシュ、軽く握ったこぶしで“小さき牙”を小突いたっす。
 いいぞうもっとやれー。
「なんでー。だって、そう思わない?」
「……悪い」
 ちぇっ。
 さて“小さき牙”は、次にナイフを渡す先を探して驚いたみたいでした。
「オンナノコがいないー」
 そこはかとなく肩を落とした彼は、クレドへとナイフを渡したっす。

 クレドはしばらくナイフをじっと見つめた後で、“水の語り手”に視線を送っていたっす。
「どうかしましたか、ああ……」
 視線の意味を理解した“水の語り手”は、鷹揚にうなずいたっす。
 クレドの手からそっとナイフを取り、自分の分の匂い袋を使いました。
「あ」
「その土地のしきたりはいたずらに破るものではありませんからね」
「でも僕」
 小さくつぶやきを漏らす少年に、“水の語り手”は優しく決断を促したっす。
「私は匂い袋を使うことにしましたが、それは自分でそう考えたからです」
「……迷惑はかけないよ。だから」
 言外に、匂い袋を使わなくてもいいよね、という響きがこもっていたっす。
 仕方ないという顔をして、“水の語り手”はうなずいてみせました。

 ナイフはそして“根付かず”へ。
「父さんが、子どもたちに不都合なことはさせないでしょう」
 にこやかにそういって、彼は匂い袋を使ったっす。
 芳香をしばし楽しんだ後、ふるふると頭を振って考え込みます。
「幻覚がもし、精霊の仕業だとしたら……傷つけるのは嫌っすね」
 そしてクレドの頭に手を置きました。
「僕は、父さんを信じるっすよ」

「遅いよ〜、順番を待ってたのにさあ」
 “風にそよぐ葦”は、腰に手をあてて“根付かず”をなじります。もちろんからかい半分っす。
「んー? まっ先に回ったかと思ってたっすよ」
「僕もそのつもりだった」
 そう言って、“根付かず”が“魔女の愛し子”に渡そうとしたナイフを、ひょいと奪ったっす。
「ああー」
 残念そうな悲鳴を上げたのは“魔女の愛し子”でした。
「そんな声あげなさんな。一生回ってこないわけじゃなし」
「でも! でも! 俺だってずうっと楽しみに待ってたんだ!」
「だめ。僕が先」
 “風にそよぐ葦”は自分の数少ない荷物の中から、銀色の剣を手に取ったっす。
 黒曜石のナイフではなく、自分の剣で匂い袋を切り裂きました。
「銀には毒を感知する力があるって、聞いたことないかい?」
 そして不思議なことに、このときはあの爽やかな芳香は感じることができなかったみたいっす。
「あれ?」
「んー?」
「はずれ。僕のだけはずれだ」
 笑い出す“風にそよぐ葦”。銀の剣の刃を確かめても、変色していた様子はありませんでした。
「違いますよ」
 一方の“魔女の愛し子”は真顔っす。
 ナイフを今度こそ受け取り、自分の匂い袋に、同じように切りつけます。
 今度は、ちゃんと、いい匂いが立ち上ったっす。
「ああ、こんな匂いだったのか。うん、けっこう好きだなあ、僕」
 “風にそよぐ葦”は、銀色の剣をおさめながら言ったっすよ。
「自分の匂い袋じゃなくても、香りは感じられるんだ……」
「そうっすね」
 これは自分じゃなくて、“根付かず”っす。
 “魔女の愛し子”は、はっとした面持ちで、“風にそよぐ葦”を見返しました。
 手には黒曜石のナイフを握ったまま。
「何?」
 “風にそよぐ葦”のほうは、“魔女の愛し子”の思いがけず真剣な表情に面食らっているっす。
「いえ……今まで匂い袋は、ナイフを刺して匂いを嗅げばいいんだと思っていたけれど……」
「うん。アダマスさんの言い方もそんな感じだったよねえ」
 切りつけて中身の匂いを嗅ぐのなら、何を使おうが同じ。
 “風にそよぐ葦”も、そう思って自分の剣を使ったそうっす。
「……でも」
 そうなのだろうか?

 “魔女の愛し子”はその後ナイフを、あの女に渡しにいきました。
「私は、要りません」
 けれどあの女は、受け取らなかったっす。
「あー。そうですか……」
「皆さんお済みなのでしたら、それは盾父へお返しください」
「はい。もちろん」
 あまり話がはずまなかったせいか、“魔女の愛し子”は肩を落としながら、それでもナイフをスケッチして、匂い袋の中も検分してスケッチしてから、ナイフを返したっす。
 匂い袋の中には、綿にくるまれた真珠が入っていました。


第3章へ続く


1.子どもの領分2.導くもの3.荷を負うもの4.《炎湧く泉》5.幕間〜からくり犬は見た〜マスターより

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