第2章 4.《炎湧く泉》
■Scene:《炎湧く泉》(1)
砂漠の景色の向こうに、いびつな円柱のような岩がぽつりぽつりと並び始めた。
遠目にも、目的地がすぐそこだと分かる。
「あのあたりが、《炎湧く泉》ですね」
とカッサンドラが、わかりきったことを言った。
「いよいよだあ」
ダージェの肩にも力が入るというものである。その眼は油断なく、ミルドレッドらしき人影を探している。
キノコ岩は近づくにつれて、大人の背丈ほどの大きさだとわかった。クレドがその中のひとつによじのぼりかけたが、エディアールの視線に気づいて慌てて手を放した。
「自然の造形物ってのは面白いもんですねえ」
リュートが言うのへ、
「これ、誰が作ったんだ?」
とティカは目を丸くして柱を見上げた。
「風や水が少しずつ削っていったんだろう」
「本当かよ?」
クレドたちに教えるのと同じ口調で、丁寧にエディアールが説明する。風や水は長い時間をかけて自然のかたちを変えていくのだ、と。
「どこからかこんな岩を運んできて、ここに置いたのかもしれないぜ」
レディルが思いつく。
「ああ、その可能性もあるな。理由はともかく」
「カインさんに言わせればきっと、神の思し召し、で片付けるんでしょうけれどね」
まぜっかえすリュート。
「それもひとつの答えではあるが」
エディアールはキノコの形を見つめて言った。ちょうど、等身大の人間に見えなくもない。
「それならそれで、神はなぜこの形をつくりたもうたか、という質問が次に浮かぶ。それには誰が答えられる?」
「さあね」
カインさんに聞いてみたらどうです、とリュート。
「いい」
エディアールには答えは分かっている。先の答えは、次の問いを封じるための答えでもあるのだ。神の思し召し、その一言の繰り返し。
「あっそうだ! なあなあ。砂漠の守護者ってのもこれっくらいか?」
ティカは目を輝かせてホールデンに尋ねた。
「馬鹿もん。奴らはこんなもんじゃないぞ。これじゃせいぜい人間と変わらんじゃろうが。奴らときたら、まるで小山のようだったわい」
「うっ、小山……」
「昔の話じゃ。安心するがいい」
「そ、そっか」
今のドキドキは誰にもばれなかっただろうとこっそりティカは安堵した。
キノコ岩は杭のごとく、きれいな円を描いて林立していた。おそらくかつてはその中心部が水をたたえていたのだろう。今は白い砂が満ちていて、往時の面影はない。
ちょうど中心部には、枯れてすっかり白くなってしまった一本の木が弱々しく立っている。
キノコ岩は12本あった。岩と岩の間は等間隔に近く、そのことはエディアールやヴィーヴルの心を躍らせた。
「人工の遺跡だ。間違いない」
「どうして? 岩を削ったのは自然の力だって、さっきは言ってたじゃない」
ダージェは不思議そうな顔をする。
「削ったのは自然の力かもしれないが、ここまで等間隔に岩が並んでいるなら、人の手が入っているのは間違いない」
エディアールが力強く言った。
「ミルドレッド女史の説でも、人工の遺跡であるということでした。盾父は疑問視しているようでしたけれど」
ヴィーヴルも熱心にキノコ岩を観察する。
「《竜王》の目覚まし時計、か。そう見えなくもない」
唇を湿らせ、楽しそうにつぶやいた。
「円形に12本の岩。なるほどね……」
「針がねえな。時計になぞらえるなら、針が必要になるはずだが」
「そうだな」
放っておくと、他の調査隊員のことなど忘れて延々と調査に没頭しそうな二人である。
「ねえ」
その前にとイーダが声をかけた。予想通り、邪魔するなと言いたそうな顔つきの男性陣が、こちらを向く。
「野営はどのあたりにすれば邪魔にならないか、指示しておくれよ」
「あ、ああ」
そう答えて、すぐにエディアールが指示を出す。珍しく毒気を抜かれた顔の探検家を見てイーダは思った。とっつきにくい堅物さんと思いきや、大好物の遺跡を前にしてなかなか可愛いところもあるんじゃないの、と。
「イーダサン、コレどこに置けばいい?」
ダージェがイーダの荷解きを手伝う。その傍らではパーピュアが駱駝を休ませている。
「悪いね、ダル。そっちに端から並べておくつもりだったんだけどさ」
「わかった」
イーダの大きな鞄からは、次々に品物が取り出されていく。
ちょっとした傷薬、痛み止め、食べすぎに効くという丸薬の類。
小分けにしたお茶の包みに日持ちするおやつ。
刀剣の手入れに使う柔らかな皮布類。
記録用の紙束に、なくしてしまったペン先の代わり。もちろんインク壷も。
糸玉。玻璃瓶。予備のナイフとフォーク。
そして一部の精霊が好むという触れ込みで売っていたのを手に入れておいたミルクが一缶。
「すっごい」
「ほんとう、お店が開けそうですねえ」
「何言ってるんだい、ピュア。ここが《精秘薬商会》の臨時支店なんだよ」
そういってイーダは笑った。
「ピュア、ここまで大変だったろ」
ほら、とイーダは小さな瓶入りの軟膏を取り出した。
「何ですか?」
「塗っておくと、足の疲れが取れるんだよ。あと女の子にはこれも」
また別の塗り薬が出てくる。
「こっちは、唇に塗るといい。乾燥してひび割れちゃうだろ?」
「まあ」
パーピュアは目を輝かせる。
「さすがイーダさん。私、実は……」
言いかけたパーピュアに、イーダは片目をつぶってみせる。
「知ってる。温泉に入りたかったんだろ」
「どうしてそれを」
「あはははっ。気づかなかったとでも思ってたかい?」
こくりとパーピュアがうなずいたので、イーダは種を明かした。いったい宝石道師としたら、旅の道々に何回くらい「それにしても今頃補給隊の皆さんは」「温泉はどんなところだったのでしょうねえ」などと繰り返したことだろう。
「え……私、全然気づきませんでした」
軟膏と塗り薬を抱いて、パーピュアは驚いてイーダを見上げる。
「これ……これ、ありがとうございます。でも、どうしましょう、手持ちが」
「いいんだよ」
イーダはくしゃ、とパーピュアの紫色の髪を撫でた。
「今回の仕事を終えた後に報酬がたんと出るんじゃないか。お代はそんときでいいよ。もちろんこれは臨時支店だけの特例だけどね」
「あ、ありがとうございます!」
「いいんだっていうのに」
ちょっとしたことだけれど、パーピュアが喜んでくれたことが嬉しかった。
同じ組み合わせをもう一そろい取り出して、イーダはカッサンドラにも使ってもらおうと思いつく。
■Scene:《炎湧く泉》(2)
さっそくフートは、ヴィーヴルとエディアールの邪魔にならぬような場所に落ち着き、精霊たちとの交感を試みる。
目をつむり――長い前髪に隠れているため傍からは目を閉じているとは分からないのだが――、胸を開く。両手を広げる。
「あっフート兄。精霊としゃべってるんだろ?」
クレドがティカを連れて、面白いものが見れそうだと寄ってくる。
「……ん。一番強い精霊に会おうと思って」
集中していたフートは生返事で答える。
「それって火の精霊?」
「だとつじつまが合うかなって思ったんすけど……できれば水の精霊に会うことができればいいんすけどね……」
「精霊ぃー?」
ティカはあからさまに、怪しいものを見る目つきでフートの仕草を見ていた。クレドのほうは得意そうにしている。
「ねえティカ、すげーんだぜっ、フート兄は」
「そうかー? 精霊なんて、おれには見えないし」
ティカの物差しでは、小柄で顔も隠れがちで時折がたがた勝手に揺れだすランタンとしゃべっているフートより、毎朝剣を振り回して修行を欠かさないシュシュ兄――とティカは呼んでいる――のほうが、同じ兄貴分でも段違いだ、と思っているところがある。目に見えるもののほうがティカにとって分かりやすいのだ。
「まあまあ、フート兄を見てろってば」
「……やりづらいっすね、なんか」
「あ。フート兄は気にしないで」
「はあ」
――この地に住まい、この地を守護せし者よ。
と、フートは精霊たちに通じる方法でささやきかける。
――我が呼び声に応え、その知を授けたまえ……。
まずいな。そっと精霊使いは思った。何がまずいって、ここでは精霊たちの力が微弱すぎる。普通では考えられない。
フートはわずかに目を開いた。
やっぱり。
キノコ岩がかたちづくる円陣の内側にだけ、精霊たちにとって見えない障壁があるようだ。フートの声に応えるのは、キノコ岩の外からこちらを見守る砂漠の土と火の精霊たちだ。
彼らはこんなことをささやいている。
(澱んでいる)(埋もれている)(閉ざされている)(留まっている)
フートのランタンが音を立てる。中の火蜥蜴が、どこか落ち着かない様子を見せていた。
精霊たちは繰り返し、この地が閉ざされていることを訴えかけている。
「ああ」
嘆息する。
ここには風が吹いていない。
水の流れもない。
「そうっすか。ここはまるで、止まっているんすね」
どうすれば止まっているものは動き出すんだろう?
自問した言葉に交感して、精霊たちはまたささやく。
(嵐がくる)(かき混ぜる)(殻を破る)(放り込む)(嵐が)
「嵐……?」
アダマスが言っていた自然現象とは、そのことだろうか、と考える。
精霊たちのささやきが真実ならば――精霊は嘘をつかないが――流れが滞っているこの場所に嵐が来て何かをもたらすことになるのだが。
■Scene:《炎湧く泉》(3)
「若いの、来るか?」
イーダの手伝いを終えたダージェをホールデンが手招く。辺りの様子を見に行くというので、もちろんダージェもついていく。
「見回りだって大切じゃからな」
「そうだよね!」
自分が頭脳派ではないこと、細かな調査に向いていないことはダージェもよく分かっていた。砂丘に大小の足跡が二列。ホールデンとダージェのそれがつかず離れず並んでゆく。
その少し後から、スィークリールが追いかける。出発前にもらった服のおかげで、細かな砂が隙間に入ることもない。服は、シュシュが古布を巻きつけてつくってくれた簡易なものだ。スィークリールは嫌がるどころか、けっこう気に入っている、とはホールデンの弁。車輪は砂の上でも滑らかに動くようで、特段の不便はないらしい。機敏な動きができないのは仕方がないことなのだろう。
「おいで」
スィークリールに気づいたダージェは立ち止まって、ひょいとからくり犬を持ち上げた。
見渡す限りの砂の海。
ところどころにサボテンが生えている。隊商の姿もここからは見えない。
ふいに強烈な孤独を感じて、ダージェは急いでホールデンにしゃべりかけた。
「じーちゃん、アダマスさんは、危険な生き物はいないって言っていたけど」
「フン」
ホールデンは鼻息荒く首を振った。
「あの若造には、冒険たるモノの本質がわかっとらん」
「わ、若造。そーかもね」
ホールデンにとっては、十ばかり離れたアダマスも若造の部類に入るらしい。
「冒険って、何だろ?」
「そんなことも知らんで冒険者をやっとるんか?」
「あわわ。ボクは……剣術修行中なんだけど」
「冒険ちゅうのはな。知恵と、勇気と、愛じゃ」
ホールデンは確信に満ちた口調で答えた。
「勇気と愛ならあるよ! 知恵は、どうかナ……」
「馬鹿もん! おまえさんの頭は案山子の頭か? 藁がつまっとるんか? 違うじゃろ」
もちろん違う、ダージェは答えたかった。
だがそれを証明しろと言われたらどうすればいい? ミルドレッドサンに、アダマスが告げたように。
「冒険とは常に、知恵と勇気と愛を試される舞台なんじゃ。じゃから、乗り越えた者には惜しみない賞賛の声が贈られるんじゃぞ」
「じーちゃん、すごいなあ」
「若いもんにはまだまだ負けるつもりはないからの」
と。
ダージェの腕の中で、スィークリールが何かに気づいて吠え始めた。
「ん? どうしたね、わしのかわいいスィークリールや……」
「あっ、じーちゃん、あそこ!」
ダージェが砂丘の間で、ぼろぼろのマントが風に煽られはためいているのを見つけた。
スィークリールがするりと腕から抜け出して、駆けて行く。
「もしかして!」
ダージェも急いで近寄った。息を荒げてホールデンも後を追う。
「ミルドレッドサン!?」
「なんじゃと!」
果たしてそれは。
半ば砂に埋もれた女性であった。
髪を留めていたと思しき布が解け、銀髪は風や砂に乱されている。丈の長い上着は、元々は鮮やかな赤色だったのだろう。少し日に焼けて生地が傷んでいた。
ぼろぼろのマントが顔を覆っていたせいで、頭部の炎症はさほどでもない。しかし手首から先は直射日光にさらされていたらしく、痛々しい水ぶくれが多数できてしまっていた。
「ミルドレッドサン、ミルドレッドサン、助けに来たから……!
少年の呼び声が届いたのか、かすかに女性の唇が動いたように見えた。
「息はあるみたい。でも意識が」
「急いで日陰へ運ぶんじゃ」
「うんっ」
イーダが持ってきた薬、それにピュアの力。それがあれば、応急処置は施せそうだ。ラムリュアが追いつけば、彼女の癒しの力も効果を発揮するかもしれない。
ダージェはその背に、意識を失ったままの女性を負う。背は高いほうではないが、女性も小柄だったことが幸いしてダージェひとりでもなんとか背負うことができた。
スィークリールが再び吠える。
振り向くと、女性が横たわっていた場所に、彼女の荷物がいくつか散らばっていた。
「置いていったら叱られるわな」
「じーちゃん、急いで」
「わかっとるわい。焦るといかん」
ホールデンは手早くそれらの品々をかき集めた。
飾り帯のついた剣。小さな金色の鍵をあしらった《愁いの砦》の聖印。そして採取物を入れる箱。
「――……は、……の前に……る」
ダージェの耳元、乾いた声で女性がささやいた。
「ミルドレッドサン!」
肩越しに必死に励ますダージェ。
女性はもう一度、同じ言葉を繰り返した。さっきよりも鮮明に聞き取ることができた。
「――扉は、望むものの前に開かれる……はず、なのに……――失敗した……」
扉は望むものの前に開かれる。
「ミルドレッドサン! ボクが手伝うよ、扉を開ければいいの?」
女性は苦しそうに咳き込んだ。
その咳音を聞くだに自分まで苦しい気持ちになるダージェ。
「そんな……いいのか? あんたは……誰だ? 《学院》の人間じゃなさそうだけど……」
「ミルドレッドサンを助けに来ただけだよ。ボクはダル。ダージェ・ツァンナ」
「そう……迷惑をかけちゃった、ね……」
ミルドレッドの意識をつなぎとめようと、ダージェはかける言葉を探した。
「扉、どうやって開けたらいい?」
「――巣穴に続く、扉……でも開かなかったんだ。ひとりじゃ……どうしようもない……みたいだ」
「……幻覚の嵐が……強くあらねば耐えられない……ダル、あんたにできるか?」
「もちろん」
深く考えずに答える。
「……そうか」
ミルドレッドは深く安堵の吐息をついた。その後も幾度かミルドレッドは切れ切れに言葉を漏らした。
「……幻覚は扉を開けるものを試す。扉の先に……巣穴がある。その先を確かめてあたしは……もしも《魔獣》がいるなら……奴を……連れ帰らなければ……」
ダージェの頭は今や大混乱していた。
幻覚の嵐?
《魔獣》の巣穴?
「待ってて、ミルドレッドサン!」
ともかくも今は、仲間の元に彼女を連れ戻るのが先である。
■Scene:合流、そして
到着したアダマスに対し、エディアールが先発隊の出来事をきちんと報告する。
ミルドレッドを保護することができたこと。……ただし意識は切れ切れで、肉体の疲労も甚だしく、回復のために休ませている状況であること。彼女の目的はどうやら「巣穴に続く扉を幻覚の中で開ける」ことであること。
《炎湧く泉》は精霊力がまったく働いていない、異常な地域であること。ただし魔力自体は非常に強く、精霊力異常と無関係ではなさそうであること。
12本のキノコ型の岩及び中心部の枯れ木は規則的な配置になっており、この場所が人工的に作られた場所である可能性が高いこと。
そして……。
「カッサンドラ君がいなくなっただと?」
初めてアダマスは、驚いた顔を見せた。
「昨日のことだ。我々は大きな――幻覚――に襲われた」
エディアールが伝えたところによれば、空に輝く立体形の雲を認めた時、全員が足元をすくわれるような衝撃に襲われたのだという。
「そして、幻覚が見えた。全員が同じものを同じ時間に見た、それを幻覚と呼べるならば、だがな」
肌寒さ。絶えず肌を撫でていく微風。
かすむ視界。立ち込める靄。
半透明に結晶化した構造物が12体、周囲をとりまいている。
その中央に、結晶化した巨木が一本。
「実に生々しい感覚じゃった」
ホールデンがうなずく。
「それでの。わしは声を聞いたんじゃ」
「私には聞こえなかった」
ホールデンを疑うように、エディアールが口を挟む。
「嘘じゃないわい。子どものような舌足らずさでの、それでいて妖艶な女性のようでもありでの、何ともふしぎな声じゃったがな」
声はこう言った。
――あなたは、だあれ?
「私には何も聞こえなかった」
エディアールは繰り返した。
結局、声を聞いた者は他にもいた。ヴィーヴル、ダージェ、フート、パーピュアそしてグロリア。
彼らは何も答えぬうちに嵐は去り、気がつけば元の《炎湧く泉》で……――
「そしてその間にカッサンドラ君がいなくなった、というわけか」
アダマスは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ええ。代わりに」
エディアールが示したのは、キノコ岩のうちのひとつ。
それだけが、激しい衝撃を受けたかのように崩れていた。
「……危険はないと言う触れ込みだったが」
ヴィーヴルはキノコ岩の欠片を手に取り、力を込めた。欠片は音もなく砂と化した。
「調査隊の方針変更だ」
アダマスは告げる。
「カッサンドラ君を保護。そして学者のお嬢さんの体調には気をつけてさしあげろ。彼女が目覚めることがあれば、この状況について言いたいこともあるだろう。幻覚の嵐への備えも忘れないように」
「……調査を続けるんだな?」
「当然だ」
アダマスの瞳がぎらりと輝いた。
第3章へ続く
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